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「ええい!酒だっ!!酒を持ってこいっ!!」


 王都の別宅にアーニエル伯爵の怒声が響く。

 一度はアーニエル領に戻った伯爵だったが、頻発する暴動に怯えて王都へ逃げていったのだ。


 もちろんアーニエルにはアランの騎士団という過剰気味の戦力があった。

 しかし多すぎる騎士たちの給料はとてもでないが十分に支払われているとは言えず、士気はガタ落ち。結果、アランに近い一部の精鋭たちが出ずっぱりという事態になっていた。

 そんな風に暴動が起こる度精鋭が出向いてはいるが、人口が減れば税収が減るという理由から都市の出入りや関所の通行を制限している現状、領内全域で暴動はもぐら叩きのように収まるところを知らない。

 なのでアランとその精鋭は領内の暴動の鎮圧に行ったり来たり、伯爵の側に常に控えているというわけにはいかない。


 身の危険を感じた伯爵は、支払いの催促に詰め寄せる商人たちの方がましと王都へ逃げ帰ったというわけだ。


「どうしたっ!酒だ酒っ!!早く持ってこいっ!!」


「は、はいぃぃ。ただいまお持ちしますっ。」


 とはいえ結局のところ、暴動から逃げたところで現実から逃げられるわけではない。それでも、少しでも現実から目を背けようと、伯爵は酒に逃げるようになっていた。


「お、お持ちしました…」


 ほどなくメイドがワインを持ってきた。


「まったく、遅いっ!遅すぎるっ!! 映えあるアーニエルに仕えさせてやっているというのにどういうつもりだっ!!」


「す、すみません……」


「…ちっ。……ごくごくっ! なんだこの安酒はっ!ワシが酒といったらシャンポール産かボルタール産の最高級品を持ってくるのが当然だろっ!!」


「す、すみません……」


 怒鳴り散らす伯爵にメイドはびくびく怯えた態度を取る。

 不機嫌さを露にして理不尽にも当たり散らして怒鳴り散らしてあるというのに、伯爵はメイドのその態度にさらに苛立ちを強めた。


「…なんだその態度は?言いたいことがあるなら言ったらどうなんだ??」


「…その、」


 メイドは一呼吸置く。


「その、旦那様。最近は深酒が多く、その、御体にも障りますし、その、…財政もあまりよくありません。少しお酒を控えられた方がよろしいのでは……」


「黙れ黙れ黙れっ!!!」


 伯爵は怒鳴る。

 メイドは伯爵の健康を気遣うようなことも言っているがそれは建前で、本音はその後部分、財布を気にしているだけだ。伯爵にだってそのくらいはわかる。


「ワシがアーニエルの現状にこれほどまで心を痛めているというのに… 酒を控えろだとっ!?」


「そのっ、そんなつもりは……」


「ええい!下がれ下がれっ! いいか?次からはワシが酒と言ったらすぐにちゃんとしたものを持ってくるのだぞ!わかったなっ!!」


「は、はい……」


 …ふんっ!!


 下がっていくメイドを見つつ、伯爵はやっすいワインをボトルのまま煽る。


 ったく、ベンジャミンめ。いったい何をしておるのだ。さっさとなんとかしろというのに……




 そんな伯爵を娘のティアナは遠巻きから見ていた。


 …どうしましょう……


 ティアナは新しいドレスが欲しかった。


 …大丈夫。なんだかんだ言ってお父様は私に優しいし、…大丈夫よね……?


 もちろんティアナも現在アーニエルは財政危機、お金がないことは聞いている。できれば父の機嫌の良いときにおねだりしたいが… あいにくここ最近父の機嫌の良いときなんてまれに泥酔して現実を忘れて上機嫌になっているくらいだ。

 そんなときにお願いしても、父は何も覚えていない、あるいは覚えていても忘れたふりをして、後で烈火のごとく怒ることをティアナは知っていた。


 …よしっ


「お父様~。」


「ん? おお、ティアナか。」


 先程までの不機嫌とはうって変わり、伯爵はデレデレの猫なで声を出した。


「どうしたんだ?」


「あのねお父様。私、新しいドレスが欲しいの。」


「おお、そうかそうか。」


「それで、前金のお金が欲しいの。」


「……」


 前金という言葉に、伯爵はピタリと止まる。

 現在、王都の商人たちから信用を失いまくった結果、アーニエル伯爵家は前金無しでの買い物ができない状況にあった。


「…お父様?」


「…ふと思ったのだが、そういえば少し前にも新しいドレスを買ったばかりじゃなかったか?」


「っ!! ダメよ!もうすぐ季節も変わるもの!新しいドレスじゃないと!!」


 シャツの素材をリネンにするかコットンにするか、ベストを着て三揃えにするか、セーターを着込むかで、夏物(or冬物)+それ以外のシーズン物の計2着、最悪マルコのような一張羅でも事足りる男性物と違い、女性物のドレスはそうもいかない。

 組み合わせて着込めばシルエットが大きく崩れてしまうため、季節ごとに素材や造りの違うドレスを用意しないといけないし、気温が近くても春と秋も好まれる色合いの違いからドレスを分ける必要がある。

 流行についてもそう。

 男性物は流行による変化は基本的にラペルの幅やボタンやポケットの数といったもので、シルエットの大きく変わるようなケースは滅多にない。

 だが季節ごとに変化する女性物のドレスは翌年には流行がガラリと変わり、シルエットがまったく別物になっていることがよくある。

 そのため、買うドレスの枚数と参加するパーティーの回数を計算せず闇雲に流行を追えば、ティアナのように数回しか着ていないのにドレスを無駄にする、なんてことが起こる。


「…ダメ?お父様……??」


 瞳を潤ませ、上目遣いでもたれ掛かる。

 ティアナの美貌でこんなことをされれば、落ちない男はまずいないだろう。


「っ……」


「お願い…」


「っぅ~……ダメだっ!!ダメだダメっ!この前買ったばかりだろう?それで我慢しなさいっ!!」


「っ!?そんなっお父様っ!!」


 しかし伯爵の返事はティアナの予想外のものだった。

 別に伯爵の自制心が働いたわけではない。単にティアナに持たせる前金がないだけだ。


「お父様は私が季節外れのドレスを着て恥をかいても良いっていうの? お願いお父様。今回だけ、今回だけだから…」


 なんだかんだ父はティアナに甘かった。だからうまくいくだろうと思っていた。

 そのたかが外れ、ティアナ慌ててすがり懇願する。


「ええい!うるさいうるさいうるさい!! ワシはアーニエルのこれからを考えねばならないんだ。おとなしく部屋で勉強でもしていなさいっ!!!」


 だが伯爵にはそれが自身の甲斐性のなさを攻め立てられているように感じられ、怒りティアナを追い出してしまうのだった。




 …お父様のばかっ!!!


 部屋に戻ったティアナは仕方なく、着なくなったドレスの買い取りのために商人を招いていた。

 通常、伯爵家のような十分な爵位にある貴族は私物を売ったりはしない。

 要らなくなった物は普通に捨てるし、高価な物であれば、配下や部下に褒美として下賜するのが一般的だ。それを売り払うのは浅ましく卑しい行為と忌避されている。

 だからこそ、ティアナは現在とても恥ずかしい思いをしながら査定を待ち、その原因となった伯爵に内心悪態をついていた。


「それではこちらが査定の結果となります。」


 気品だけは保とうと商人から渡された査定表をティアナは美しい所作で受けとる。

 だがその仮面はあっさり剥がれてしまった。


「…えっ!?こんなに安いの?? 何かの間違いじゃない??」


「いえ、どうしてもその人個人の体型に合わせて作られたドレスは値がつかないのですよ。」


 それは事実であるが困窮した貴族に対する常套句でしかない。

 金のある貴族は普通に新品を作るし、金のない貴族は下賜されたものを手直しする。中古のドレスを買うのは少し金のある市民であり、彼らの手の届く額でしか売れない。

 とはいえそんなこと、プライドの高い貴族には絶対に教えられないことなのだが…


 …どうしましょう……こんなんじゃ全然足らないわ……


 ともあれ商人の説明に納得したティアナは内心動揺している。正直、数回着ただけで新品同然のドレスだ。数枚売れば前金くらい余裕だと思っていた。


「っ!宝石っ!ここにある宝石類も査定してもらえるかしら?」


 確かにネックレスやイヤリング、ブローチなどはサイズがあまり関係ない。

 商人はそう言われることをあらかじめ予想できていたのか、手早く査定を済ませて再び新たな査定表をティアナに渡した。


「…むぅ~……」


 一応前金分くらいにはなりそうなので許容範囲ではあるが…それでも想像していたよりもずっと安い。


 …何か、どこか間違っているんじゃないの??


 そう思い、査定表を隈無く見る。するとあまり頭の良い方ではないティアナでもすぐに引っ掛かる不審な点を見つけた。


「…ねぇ、ここの宝石たちの買い取り、さすがに安すぎないかしら?」


「ええ、ハート型のカットがされたものたちですね。残念ながらこのデザインの流行は過ぎてしまいましたので…」


「えっ!? そ、そんなことないでしょ??」


「いえ、ここ最近は王都中どこの工房でもこういったデザインの注文は入っておりません。おそらく季節が変わり装いが新たになるのに合わせて、一気に消えていくかと。」


「そんなっ……」


 ハート型のデザインを終わらせたのは他ならないティアナ自身だ。

 残念ながらティアナはその言動からほぼ全ての貴族令嬢、婦人に嫌われている。そんなティアナがハート型にカットされたブルーダイヤのネックレスを好んでよく身に付けているのだ。当然、お揃いになるようなことは皆避ける。


「ちょっと待って! じゃあこれは?このブルーダイヤは今いくらなの??」


「そうですね…… このくらいかと。」


 件のブルーダイヤのネックレス。そのあまりにも安すぎる提示額に、ティアナは血の気が引くのを感じた。


「ど……どうして…? こんな、滅多にない大粒なのよ? ブルーダイヤなのよ……??」


「はい。ですがやはりこのデザインでは……」


「削り直せば良いじゃない!!」


「この形状からですとかなりの部分を削らねばならず、そうなるといささかダイヤの質が……」


 実はティアナの購入したブルーダイヤは、その大きさゆえに非常に価値があったがその質自体はあまり良いものではなかった。

 現状、大きさから希少価値はあるがデザインのせいで高値はつかない。削り直せば希少価値が損なわれてただの質の悪いブルーダイヤに成り下がる。

 つまりティアナは一過性の流行りのデザインにしてしまったときから詰んでいたのだ。


「えっと… どうなさいますか?」


「……そうね… とりあえずそっちのドレスと宝石だけ引き取ってちょうだい……」


 その事実に打ちひしがれたティアナは力なくそう告げる。



 その後、とりあえずの前金を手に入れたティアナはいくつも新しいドレスを注文する。

 もちろん、その後の支払いのことは何も考えていないのだった。

遅れてしまい申し訳ありません。

ブクマ、いいね、ありがとうございます

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