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「まさか本当に使う日が来るとは、な…」
マルコは荷物をまとめるために出したリュックを前に独り言を漏らす。
一見なんの変哲もないリュックであるが、実は空間魔法によりちょっとした小屋並みの収納を誇るマジックバックであり、それなりの価値がある。
領の予算の穴埋めのために金になるものはほとんど売ってしまったマルコだったが、このリュックは売らなかった。
というのもこのリュックは祖父が亡くなる直前に贈ってくれた、謂わば遺品のようなものだからだ。
普通、貴族のプレゼントとして鞄は一般的ではない。何故なら鞄とは使用人が運ぶ物で貴族の持ち物ではないからだ。
にも関わらずプレゼントしてくれたこのリュックから祖父はこの日を予見していたことが読み取れ、いざリュックを前にすると感慨深いものがある。
「っと、早いとこ荷物をまとめないとな。」
と言っても金目の物は売り払った後であり、完全に着替えと睡眠にしか使っていなかった私室には衣類と毛布くらいしか必要そうなものはない。
「…これも入れとくか。」
本棚に数冊残されている錬金術に関する本に手を伸ばす。
これも幼い頃に祖父が用意してくれた物だ。
2人の兄と同じようにマルコも錬金術に関しては天才となれるスキルをいくつも持っている。
しかしながらここギルスール王国に限らず一般的な錬金術師イメージと言えば、金を錬成すると言って大金を騙しとった話が古今東西いくつもあったり、路地裏で痩せ薬だの毛生え薬だの怪しげな薬を売っていたり、『錬金術師を見たら詐欺師と思え』そう言われるほどだ。
もちろん怪我や病気に使える各種ポーションや治療薬なんかも作れはする。しかし一般的にそういった治療は教会で聖職者から治癒魔法を受けるものであり、薬に頼るのは教会に行けない後ろ暗い理由のある者たちとして、結局忌避されている。
しかしこれから行くローグの地では聖職者による治療魔法を受けることは出来ないし、時間も腐るほどある。いっそ錬金術を極めてみるというのも面白いかもしれない。
「……ん?」
着替えや本をリュックに詰めようと中を覗くと、すでに幾らかお金が入れられていたのに気付く。
一生遊んで暮らせるような大金ではないが、新しい生活のためにあれこれ買い揃えるには十分な額だ。
「…まったく……」
わかっていたなら教えてくれよ、とは思わない。
正直、家族の金遣いに口を挟めば遅かれ早かれいずれ追放されていただろうし、なにも言わずに金を渡し続ければ経済は崩壊する。そうなれば民衆の怒りを静めるためにすべての責任と罪を擦り付けられて処刑、そんな未来だってあり得たわけだ。
「ありがたく使わせていただきますよ、お祖父様。」
祖父の愛したこの地を見捨てるように離れるのは心苦しい。
だが途中の仕事を片付けようにも政務室には入れてもらえず、引き継ぎをしようにも単に嫌われているだけか、会話をしているところを他人に見られて立場を悪くするのを恐れてか、部下たちはとりつく島もない有り様だった。
出来たことといったら父の元を訪れてローグの地の分譲を正式に書状でまとめさせたことくらいだ。
ただこれはマルコがローグの地に無事定住出来たときの保険で、アーニエルには不利益となるものだろう。
まあ、父はマルコが泣いて謝るだろうとニヤニヤ待っていたところにそんな書類を出されたものだから、半ば狂乱気味に怒ってサインを書きなぐりアーニエル伯としての印を叩き付けたので、内容はろくに確認していないのだが……
「必要ないことを祈ろう…」
そう言いつつも、書状を厳重に箱に仕舞い、リュックに入れる。
「…さて…… 行くか。」
これでもう、ここにいる理由がなくなってしまった。
見送る者はなく、マルコは生まれ育った屋敷を静かに去るのだった。