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「ヒドイわ、にいさんっ!!」
バンッと大きな音をたてて扉が開かれ、妹のティアナが政務室から飛び出して行った。
「…はぁ……」
この部屋の主、マルコは深くため息をつく。
昔は可愛かった妹だが、すっかり無知でわがままに育ってしまった。
泣きつきに行ったのは父か母か、それとも兄たちか……
家族は皆揃って妹に甘く、誰だろうが説得が面倒くさそうだ。
「それよりこれをなんとかしないと……」
机の上の書類の山にマルコは頭を抱える。
父であるアーニエル伯爵に代わりマルコは領内の財務を担っているのだ。
爵位によって大体の領土の広さが決まるのだが、アーニエル領は伯爵領でありながら見た目はここギルスール王国でも有数の大貴族並みの領土の広さを誇っている。しかしながら実際に使える領土はそこまで広くはなく、むしろ伯爵領では平均以下で子爵領と比べて広いでしかない。しかも領土が狭くても伯爵を名乗れるような貴族にある、特別な資源があるわけでもこれといった特産物があるわけでもない。にも関わらずおまけで金食い虫が2人ほどいる。
おかげで資金繰りはいつもかつかつ、火の車にしないかわりにマルコは大量の若白髪と取れないクマを手にしていた。
「あー、もういっそすべて投げ出して田舎でのんびりしてぇ……」
とは言うものの、実際にそんなことするわけにもいかない。
コンコン
「マルコ様、旦那様が御呼びです。」
ノックをして入ってきたメイドが恭しく告げた。
なるほど、ティアナは父上に泣きついたか……
「これが片付き次第向かうと伝えてくれ。」
父であり領主であるものを待たせるのは礼儀がなっていないが、少し時間をおいて冷静になってもらってからの方が話がしやすい。
「すぐに来るようにとのことです。」
…ちっ。どうせ政務は家臣たちに任せきりで当人は暇をもて余しているというのに。
「…わかった、すぐに向かおう。」
メイドに連れていかれた先は父の私室でも政務室でもなく、広い謁見の間であった。
なぜこんな場所にと思ったが中には父とティアナだけではなく、母に2人の兄たち、主だった家臣たちまで集まっていた。
全員に泣きつくどころか大事にしやがって。
想像以上に面倒なことになった。
「…マルコよ。お前はティアナにドレスを買わないと言ったそうだが、何を考えているんだ!!」
「なんて酷いっ! 王都で行われる妹の社交界デビューにドレスを用意させないだなんて! あなたに人の心はないのですかっ!!」
父の怒声に母が罵声を被せてくる。見れば家臣たちもマルコの中傷をヒソヒソとさえずんでいた。
…はぁ……
「そうは言っておりません。ただ彼女が注文しようとしていた物は予算を大きくオーバーしていたため、別の物にするよう言っただけです。」
「口を開けば金、金、金、貴様はいつもそれだな。」
「ええ、まったく。かわいい妹の晴れ舞台でさえ金勘定の判断しか出来ないとは…憤りを通り越して憐れに思いますよ。」
マルコの答えに2人の兄、長兄のアランと次兄のロレンソも口を挟んできた。
アランは武勇、ロレンソは魔法の分野で各々優秀なスキルをいくつも持つ『アーニエルの二雄』と称えられる傑物たちだ。
「…であればお二方の予算から不足分を補填いたしますがよろしいですか?」
「ふざけるなっ!!」
「学問の重要性が理解できないのですか!!」
マルコの問いに兄2人は怒りを露にした。また家臣たちも「出涸らしがまた二雄の足を引っ張っている」と眉をひそめてさえずりを増す。
2人の予算とはアランの騎士団の運営費とロレンソの交遊費、研究費だ。
もちろんその有用性はマルコも理解している。アランの強力な騎士団は犯罪を抑制し、ロレンソが学問に励むことで、才覚ある者を集めまた育む効果がある。だからこそ限りある予算からなんとか2人に十分な額を捻出しているのだ。
…ちっ、金食い虫どもめ……
しかしこの2人がマルコの頭痛の種であった。
というのも、アランの才に見合う規模の騎士団ははっきり言って現状過剰戦力、ロレンソの交遊や研究も未だ芽を出し実を結ぶのには程遠い。
「であるなら、口を挟まないでいただきたい。」
マルコはピシャリと2人に言い、圧をかける。
…これでなんとかなるか?
「だが金がない金がないと言う割に何の問題も起きてはいないではないか。」
しかし一度は押しきれそうだった場の空気も領主である父の言葉に、またガヤガヤと騒ぎ出す。
「問題が起きていないのではありません。起きないよう、ギリギリのところでなんとか回しているだけです。」
「あら? 優秀な兄たちの足を引っ張っているだけなのに、おかげで領が成り立っているとでも言いたいのですか?なんと厚余しい。」
マルコの答えに母がまた罵声を被せる。
「…父上、母上。あなた方は今の財政状況をご理解していないのですか?」
兄たちのために先人たちの貯蓄は減り、今では有事の備えがわずかに残るばかり。その備えも正直言って不安を覚える額しか残されていないのが現状だ。
「ええい、だまれだまれっ!! 栄えある我がアーニエル領に問題などなにもないっ! 今もっ!これからもだっ!!」
堪忍袋の緒が切れたかのように、父が唾を撒き散らしながら一際大きな怒鳴り声をあげた。
…本当に理解していないんだな。
どう説得したものか、頭が痛い。
「と言うことはお父様っ、ティアナあのドレスを買っても良いの?」
しまったっ!!
ずっと黙っていたティアナが畳み掛けるように声を発した。
「ああ、勿論だとも。」
「嬉しいっ!!」
先程まで青筋立てていた父は猫なで声で答え、ティアナは愛らしい子供のように喜びを表現して父に抱きつく。
一転して和やかにまとまった場の空気から、マルコも説得が不可能に近くなったことが嫌でもわかる。
だが…
「父上、これは単に予算だけの問題ではありません。
現在アーニエル領は王国への献上品を並み程度でしか行えておりません。にも関わらず慶事とはいえ過度に着飾れば良くない心証を与えかねません。どうか……」
ガンッ
再考を、と伏して請おうとしたマルコの額にグラスが当たる。
顔を上げればもはや怒髪天な父がいた。
「きっさま、父でもあり領主でもあるワシの決定に従わないどころか、あろうことか王の御心の内を説くだと!? なんたる不敬!!
素直に非を認めるならば、と思っていたが…ええい、貴様は勘当だ!ローグの地をくれてやるから即刻アーニエルから出ていけっ!!」
「なっ!?」
父はもはやとりつく島もなく、周囲は庇おうともしない。
こうしてマルコは実質的な追放を受けたのだった。
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