人間とヴァンパイアの歴史
……インターホンが鳴ってる?
眠い、眠すぎて頭が働かない。気合いを入れるために、ルーファスはぐっと伸びをして起き上がる。再び、インターホンが鳴り響いた。
「はいはい、今出ます」
ボタンを押すと、モニターには見覚えのある顔が映っていた。
「あ、加納さんじゃないですか。今開けますね」
解錠ボタンを押した後に違和感に気付いた。あれ、今加納さんの隣に誰かいなかったか?再びモニターに目を向けたが、既に人影はなくなっていた。そこで、まだ自分が寝起きで何もしていない事を思い出し、急いで顔を洗いに洗面所へと向かう。歯を磨いてるところ、インターホンが鳴った。
「どうぞー」
シャカシャカと歯を磨きながら出迎える。やはり見間違いではなかった。重昭の隣に一人の少年が並んで立っている。いつもの部屋で待っているように伝え、ルーファスは再び身支度に取り掛かる。顔を洗い、髪の毛の寝癖を整える為に、ドライヤーの風をあてる。暫く寝癖と戦うと、いつも通り綺麗な金色の髪には天使の輪っかができていた。満足して自室へと向かい、クローゼットを開く。中には白シャツと黒スキニーが何着も並んでいる。そのうちの一つを手に取り、素早く着替えて二人の待つ部屋へと向かった。
「お待たせしたしました。すみません、寝起きだったもので」
「いえ、こちらこそ、何もお伝えせず急にすみませんでした」
「ところで…こちらの方は?」
重昭の隣に座る人物へと目を向けた。人間の子ども…だとしたら高校生くらいだろうか?目が合うと、気まずそうにそっと目を逸らされた。しかしこいつ…何者だ?かすかに、血の匂いがする。
「彼は大政 亨くんです。今回の事件を調べていて、尋ねたお宅に居た子です」
重昭が紹介をした。事件と関係しているとなると、俺の考えは正しいだろう。恐らくこいつの中にはヴァンパイアの血が混ざってる。もし、完全に混ざりきっているとしたら、もう人間として生活することは難しいだろう。
「初めまして。亨くん。君、最近何か体に変化はありませんか?食欲が落ちたり、ふいに記憶がなくなったりとか」
その言葉に、まず反応したのは重昭だった。
「ルーファスさん、なぜそれを?まだ何も話していないのに」
「やはりそうなんですね。彼からは微かに匂うんです。私たちと同じ香りが…」
その言葉に怯えるように、亨はぎゅっと自身の身体を抱きしめた。
「自分が自分じゃないみたいで、怖いんです。この体には何が起こってるんですか?」
「加納さん、我々については彼に話していますか?」
「いえ、私は口外しないように言われていたので。ただ、亨くんには、君の身体について、わかるかもしれない人の元へ行くとだけ伝えてあります」
重昭は不安そうな顔でこちらを見ているが、こんな場面でも、正体を明かさなかった事に対して心の中で称賛した。それに、彼をここに連れてきたという事は、恐らく重昭も、彼の身体の変化についてなんとなく検討が付いているのだろう。
「加納さん、少し席を外してよろしいでしょうか?ランドルフもここへ呼びますね」
そう言って、ランドルフに電話をかけた。プルルルル…プルルルル…。
コール音がしたかと思えばすぐに切れてしまった。もう一度かけなおす。数回繰り返し、六度目の発信でやっと繋がった。ほんとにランドルフは寝起きが悪くて困る…
「もしもし、ランドルフ」
「ふぇ……むにゃむにゃ」
こいつ、全然起きてないじゃないか。
「ランドルフ、俺だ!!急用だ、起きろ!!」
少しいつもより大声を出した。
「あ、ルゥちゃん?なに?僕に会いたくなったの?」
その声ですっかり目が覚めたようで、いつもの調子で話しかけてきた。否定するのも面倒なので、無視して要件だけを伝える。
「なるべく急いで事務所に来てくれ」
電話を切ると、二人の元へ戻った。ソファに座り直し、改めて亨と向き合う。
「まずは、私の話からいいですか?今から話すことは、決して口外しないと約束してください。私は、この町では便利屋として働いていますが、実際の正体は吸血鬼です。その為に昼間は活動ができません。そして、この事を知っているの人間は、恐らく加納さんだけでしょう。なぜ、君にこんな話をしたかと言うと、君からは私たち吸血鬼と同じ香りがほのかに香っています。もし、完全に吸血鬼となってしまったら、君は今までと同じ生活を続けることが出来なくなってしまう」
そこまで話し終えると、亨はガタガタと震えだした。
「そんな話し…信じられません」
亨は俯いて、口を噤んだ。重昭が亨の肩をそっと抱き寄せた。
「君が信じないとしても、それは私には関係ない事です。事実を伝えただけなので。記憶が途切れ途切れにになり、食事が喉を通らないのは、恐らく初期症状でしょう。太陽の光にも、恐怖心があるのでは?」
「はい…何故かわからないけど、日の光が怖くて、昼間には外に出られなくなりました…」
「野生動物の本能と一緒です。我々は日の元にさらされれば、塵となり消えてなくなります。それは人で言う、死を意味する事でしょう」
「そ、そんな…そしたら、俺は一生このままなんですか?もう、人間には…戻れない?」
亨の顔に絶望の色が浮かんだ。
「まだわかりません。完全に吸血鬼の血と混ざりきる前なら、なんとかなるかもしれない。一旦君の身体の血を抜いて、枯渇状態にします。そこから少しだけ、吸血鬼の血を入れて、最後に人間の血を輸血すれば、人間に戻ることができます。ただし、それなりのリスクを伴います。失敗すれば君は死ぬ事になります」
「失敗したら…死ぬんですか?」
「そうです。君が本当に人間に戻りたいなら設備はこちらで整えましょう。人間に戻ることを諦めて、吸血鬼として生きていくというならば、我々は仲間として受け入れます。選ぶのは君次第です」
そう…選ぶのは自分なのだから。ルーファスは他人の人生を背負うなんて真っ平だった。だからこそ、選択する自由を与えたのだ。生きるも死ぬも、本人の自由だ。しかし、自分を頼って重昭はここまで来たのだから、どちらを選んだとしても、全力で協力しようと思った。
亨が手を挙げて発言を求めた。
「何か聞きたいことがありますか?」
「はい。もし、俺が吸血鬼として生きていくとしたら、家族とは会えなくなりますか?」
「そうですね、家族と一緒に生きていくことはまず出来ないでしょう。人間はどんどん年老いていくけれど、私たちは年をとりません。それだけじゃない。生きる環境も違い過ぎるのです。もし、吸血鬼として生きていくなら、家族や周囲の人間からは、貴方に関する記憶は全て消す事になります」
「記憶も…全て…」
その言葉を聞いて、亨は項垂れた。恐らく、吸血鬼になったとしても、家族とは変わらず接することができるかもしれないと、淡い期待を抱いていたのだろう。人間の気持ちを理解することは出来ない…でも、大切な人の記憶から居なくなることの切なさならわかる。
「事態が事態だから、あまり時間はありませんが、よく考えてみてください。明日、また加納さんと一緒にいらっしゃい。その時に聞きましょう」
亨は静かに頷いた。
その場の沈黙を破るかのように、ドタドタドタっとすごい足音が聞こえてきた。そして勢いよくドアが開く。
「やっほー!!ルゥちゃん、来たよ!!」
ランドルフ…こいつ空気を読むって言葉知ってるか?じろりと睨みつけると、しゅんと小さくなって重昭の座っているソファの後ろに引っ込んでいった。そしてちらりと顔を覗かせた。
「もしかして、真剣なお話ししてた?」
「そうだよ。そこにいるのが亨だ。吸血鬼として生きるか、人間として生きるかって話しをしてたところだ」
それを聞くとランドルフは重昭をひょいっとまたいで、亨の隣に座った。
「亨くん?僕ランドール。今は吸血鬼として生きているけど、僕も昔は人間だったんだよ」
そう言って亨の手を優しく包み込んだ。その言葉に驚いたのか、重昭がランドルフに顔を向けた。それも引くぐらい凄い勢いで。
「ランドール、君は人間だったのか?」
「そうだよ!って言っても、もう吸血鬼としての方が遙かに長いからなぁ。人間だったのはほんの一瞬だけ」
そう言って、えへへと笑った。その横で亨は、ルーファスとランドルフを交互に見た後に、少し申し訳なさそうに口を開いた。
「あの、ランドールさんと、少しで良いので二人で話しても良いですか?」
「あぁ、構わない。そしたら、私と加納さんは席を外すよ」
立ち上がり、二人を残してリビングへと向かう。
「すみません、私までこちらに来てしまって大丈夫でしたか?」
重昭は部屋の様子を見てプライベートな空間であるとわかり、遠慮している様子だ。
「全然かまわないですよ、私たちの仲じゃないですか」
いたずらっぽく微笑みかけると、重昭が戸惑ったような顔になる。それがおかしくて、思わず笑ってしまった。
「ふふっ、とって食いやしませんから、ご安心を。加納さん、コーヒーで良いですか?」
「はい、ありがとうございます」
二人で向かい合い、のんびりとコーヒーを味わう。しかし重昭は何やらそわそわした様子で落ち着かない。
「どうかしましたか?」
様子が気になり声をかけると、重昭はおもむろに鞄からファイルを取り出した。そして一枚ずつテーブルに並べていく。
「これは?」
「先日、ルーファスさんから頼まれてた調査結果です。現場の血痕ですが、被害者の物だけじゃなかったんですね」
「はい、本来はそこで、吸血鬼またはヴコドラクに吸血された人間がいるのではないかと思い、加納さんに調べていただいたのですが…その必要はなかったですね。あの少年がまさに、その証明です。吸血鬼は、ただ血を吸うだけでは、その相手を吸血鬼に変えることは出来ません。血を吸った後に、自身の血を相手に注入する必要があります。すると、人間の身体は許容を超えた分の血を、外に排出する為、辺りは血の海になるのです」
「そ、そうだったんですか…随分と穏やかな話ではありませんね」
重昭は目を瞑り、深呼吸した。恐らく、話を聞いて現場の状況を思い出し、気分が悪くなったんだろう。ちなみに、ルーファスにとっても気持ちの良い話ではなかった。あの、自分の中にある血を人に分け与える感覚は、あまり味わいたいものではない。更に、そんな事を行えば、自身の体内の血が著しく減少する為、暫くははまともに生活することも出来なくなるのだ。そんなもの好きな事をするなんて、そいつは何考えてるんだ?
「加納さん、亨のような症状を訴えている者は他にはいませんか?」
「いえ、それが…本人たちには会えていないのですが、他にも数名、日の光を恐れて家に閉じこもっているといった状態の子がいます」
この連続殺人が起きたのは、約一月ほど前からだ…この短期間で、数名をそのような姿に変えるとなると、一人の所業とは考えにくい。
「加納さん、恐らく犯人は複数人で動いています。しかも、その正体は吸血鬼です。この前の土竜の件もそうですが、奴らは人を吸血鬼にしようとしたり、ヴコドラクを使って人を襲わせたり…人間に強い恨みを持っている者です」
「人間に恨み…ですか?」
「はい、人間と吸血鬼は、かなり昔から同じ世界に存在していましたから。それなりの歴史があるのです」
「そんな事、聞いたことありませんが…むしろ我々人間は、吸血鬼は架空の生物だと思っていたくらいです」
ルーファスやランドルフのように人間たちの世界で暮らす者は少なくはない。けれども、中には人間を憎み、忌み嫌う者もいる。それは、人間とヴァンパイアの歴史が深く関係していた。
◇◇◇◇◇
遙か昔、吸血鬼という種族は、自分たちが世界で最も優れた高貴な存在であると過信していた。なぜなら、地球上で最も高い知能と身体能力を持ち合わせていたからだ。
それ故に類は友を集め同気相求むといへども、一切他を寄せ付ける事はなく暮らす様子は、異様であった。仲間意識というよりも、何か絆のような物で結ばれていたのだ。けれども、彼らは他を相容れぬが為、皆どこか孤独に飢えていたのだ。
そんな彼らの絆に、一人の青年が意図も容易く入り込んだ。その青年の名はアルフレート。彼は、吸血鬼たちの孤独を少しずつ溶かしていった。そして言った。「他との共存こそが、孤独を払うのだ」と。その言葉に、吸血鬼たちは感銘を受け、まずは、その青年と同族である人間へと歩み寄った。
その当時、人々は争いの真っ只中にあり、同族同士で争う姿は、吸血鬼たちの理解の範疇を超える出来事であった。そんな中、初めに吸血鬼を味方につけた者たちが戦いの勝者となった。勝者となった人々は喜び、吸血鬼を称えた。しかし、それは人間と吸血鬼の力の差を歴然と物語る出来事でもあったのだ。
初めのうちは吸血鬼も人間も、皆が共存を唱えていたが、次第に雲行きは怪しくなっていった。そして、遂に人間の治める国家から、吸血鬼が治める国家へと移り変わった。その瞬間が吸血鬼が人々の頂点に君臨し、世界を支配する時代の幕開けとなった。人々は恐れた。吸血鬼の治める世界を。しかし、皆が想像するほど、酷いものではなかった。一番の変化は、人々が争わなくなった事だ。絶対的強者の前で、弱者同氏が争っても意味がない事を、人間はわかっていた。そして、世界に平和が訪れた。
しかし、その平和も長くは続かなかった。吸血鬼一族を滅ぼそうと計画を企てる人間が現れたのだ。その計画は水面下で行われ、ついに吸血鬼狩りが行われた。吸血鬼は、己の持ち得る力全てを持って、人間と戦った。長い間、人間と吸血鬼による戦争は続いた。多くの血が流れ、沢山の命が散っていった。ある日、戦いの最中で、天から一筋の光が差し込んだ。そこに現れたのは、吸血鬼たちとの共存を望んだアルフレートの姿だった。彼は神に仕える人狼だったのだ。彼は言った。「お前らに、罰を与える」と。
彼らの罪は、アルフレートが共存と平和を望んだ世界を、再び戦場へと変えた事だった。
吸血鬼達は言った。「我々は貴方の言ったように、他との共存を望んだ。それを踏みにじったのは人間だ」と。しかし、その言葉を彼が受け入れることはなかった。
アルフレートが、吸血鬼に与えた罰は、戦争の主犯となった者の理性と知性を奪う事。人間の主犯となった者達には烙印を押し、生まれ変わっても未来永劫消えることのない罪として、その烙印からは一生逃れられないようにした。そして、人類全てから、戦争のない平和な未来を奪い、吸血鬼たちと関わった記憶も消し去った。再び世界は、人間が支配し、人間同士が争うようになった。
一方、吸血鬼一族は理性を無くした仲間たちを、涙を流しながら殺していった。なぜ、我らが人間のように、同じ種族同士争わなければならないのか…なぜ、我々一族は滅びに向かい、人間たちはのうのうと生きているのか…なぜ我らは、世界の片隅で生きていかなければならないのか…
幸か不幸か、アルフレートの所業により人々はこの出来事を忘却したが、吸血鬼たちは忘れることはなかった。なぜ、我らの記憶を消してくれなかったのだ…その瞬間から、人間に対する怒りのみが、彼らの生きる糧となった…
◇◇◇◇◇
「これが、我々吸血鬼に語り継がれている物語です。私はその時代をこの目で見たわけではないので、真実なのか定かではありませんが。現に私の両親も、人間に恨みなんてなさそうですし…」
重昭は瞬きをするのも忘れてその話を聞いていたが、ハッとしたように目を開き、言葉を吐き出した。
「あの…その話しに関係しているのかはわかりませんが、今回の事件の被害者で、一人だけ謎の烙印がある者がいました…他の死体は原型をとどめていない為、確認しようがないのですが…」
その言葉に驚いたのは、ルーファスだった。
「その烙印の写真はありますか?」
「今日は持参していませんが、署に戻ればありあます」
「明日、それを持って例の少年と一緒に来てください」
「わかりました」
重昭の顔に、緊張の色が走った。
少しだけルーファスの生活感を出してみました。
後半は、少々シリアスになってしまいましたが、今後のストーリーにも絡んでくる大事な話になります。