9.魔王と勇者のすれ違い
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いつも通り木に凭れながら本を読んでいたセフィはページを捲る手を止めて自分の隣に目を移す。
“……あれからどうしたんだろうな”
魔王が勇者の将来を知ったあの日から姿を見せないのだ。今までは何があっても定期的に訪れていた相手が来ないというのはなんとも寂しいものかある。
“勉強で忙しいとかならいいんだが……”
再び、目線を本に移し、憂鬱気なため息を吐くとセフィはあの日のリディアールを思い出す。自分から教えられた自分を前にして泣いていた少女は酷く頼りなかった。常に笑みを称えて自分を呼ぶ相手のそんな姿に自分の胸は締め付けられた。
「魔王のせいじゃない」
泣きじゃくる姿が辛くてそう口にしてもリディアールは“違う”と首を振って自分を涙を流しながら見上げてくる。
「そうじゃない……セフィ、そうじゃないの!!私達は今までずっと勇者達の優しさと愛情深さに漬け込んで来たの。自分の幸せの為に勇者を利用してきたの」
自分に向けられる真剣な眼差しと言葉にセフィは困ったように笑った。リディアールの指摘は間違ったものではない。
ーただ
今までの全ての魔族と人類がその事実から目を逸らし続けただけなのだ。
「だからと言って、リディが責任を感じなくてもいいだろ。みんなが見てみぬふりをしただけさ」
そう、話題を剃らそとしてもリディは首を振る。
「そうじゃないの……セフィ。私は今まで何も知らなかった魔王が恥ずかしいの」
そう言って顔を覆うリディアールの頭を自分は落ち着くまで撫でるしか出来なかった。その時込み上げた胸の苦さを思い出したセフィは苦笑する。
“……まさか本当に知らなかったとは思わなかったんだよ”
そうじゃなかったら、自分には未来などないと教えなかった。あまりにも真っ正直に自分の行く末について聞いてくるので最初は“何の嫌がらせ”だと呆れたぐらい。こちらの理性を試しているのかと本気で伺ったぐらいだ。今ではリディを殺そうなどとは一切、考えていないが少し前の自分なら喜んで“聖剣”を召喚したことだろう。
なのに…………
「…………ごめんなさい……か」
自分の話す未来を聞いてどんどんと青ざめていった魔王が発したのはきっとこれまでどの勇者も聞いたことがなかったであろう謝罪。天敵である勇者にまで慈悲深い彼女は歴代の魔王の中でもきっと飛び抜けてよい王になるだろう。そんな彼女の治世が穏やかである事を願って過ごすのならきっと自分はどこに行っても孤独ではない。
「本当に俺の魔王様は優しすぎるな」
そう呟きながらセフィは空を見上げると夕陽の眩しさに目を細める。
“彼女の勇者が俺で良かった……”
今まで幾度となく呪った自分の運命と役割が無駄ではないと受け入れる決心がついたのは彼女が自分の魔王だから。こんな自分でも彼女を想うことぐらいは許して欲しい。
「………どこに居ても…いつまでだって愛してるよ………リディ」
それは彼女をこの世界で唯一殺すことを許された自分の偽りのない愛だった。
「ふぅ…………」
ここ数日、寝る間も惜しんで歴代魔王の残した手記を読み漁っていたリディアールは最後の一行を読み終えて、顔を上げた。
“少し疲れたわね…………”
いくら人間よりは頑丈な魔族ではあっても、数日寝食を忘れていれば体は疲労を覚える。軽い頭痛を覚えてコメカミに目を当てたリディアールは床に伸びる影に気づいて視線を窓に送る。
「もう……夕方なのね」
あの日以来、部屋に閉じ込もってしまった自分を心配したジュリアがそろそろやってくる筈だ。
ーなのに……
「……セフィは…どうしているかしら」
あれから姿を見せなくなった自分を彼は心配しているかもしれない。窓の外を見て脳裏に過るのは彼の事ばかり。また彼の事を考えてしまった自分に、リディアールは自虐的に微笑む。
「私はなんて薄情なのかしら……あんなに心配してくれるジュリアよりもセフィの事ばかり、考えてしまうんだもの」
『貴女の好きなようにしなさいよ…』
何かに取りつかれたように歴代の魔王が残した手記を読む自分はさぞかしおかしかっただろうにジュリアはそうため息を吐くだけで責めもしなかった。私はそんな彼女の優しさにも甘えているのだ。そこまで考えたリディアールはふと自分の手に抱えたままだった手記に目を落とす。長い年月に晒された表紙は色褪せている。
「………きっと………貴方もそうだったのよね」
そう口にしながら、リディアールは痛みを孕んだ瞳で表紙を撫でる。
「人と同族の期待を裏切る訳にもいかなくて、苦しんだ貴女は勇者の優しさに甘えるしか出来なかった」
自分と同じく女性の身で魔王となった彼女の苦しみが自分にはよく分かる。この世界を作った神様は本当に意地悪なのだ。
「魂の半身じゃないかと思うほどに引かれる相手を諦める苦しみは経験しないと分からないもの……」
彼女と自分の唯一の違いは王位を継いだか継いでいないか。王位も継いで、世界の安寧の為に選んだ婚約者もいた立場で自分の唯一の勇者を知った彼女の慟哭は、何百年たった今でも生々しい。
“『誰のものにもならないで……』か……”
唯一の存在である勇者にすがって懇願した彼女を自分だけは責めるつもりはない。同じ気持ちを知って彼女を責める資格はないのだから。
でも…………
「他の勇者まで孤独にしてしまったのは私達の歪んだ執着の慣れはてね……」
赤く妖艶な唇を歪めたリディアールがそう呟いた時。コンコンコンと自分の部屋がノックされた。