欲望
1966年のイギリス、イタリア合作映画です。
とても分かりにくい映画である。
と言っても、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の作品に分かりやすいと言えるものはないかもしれないから、これは同監督の作品としては、分かりにくいながらも、強烈なインパクトを伴って心に残る作品と言っていい。
特にラストシーンである。この映画のラストは、私の映像体験としても突出したもののひとつだ。
作品の中には色々な要素が詰まっているのだが、物語のポイントだけを抽出し、私の解釈を交えながら、それをここに書こうと思う。
ロンドンのカメラマントーマス(デヴィッド・ヘミングス)は若くして成功をおさめていた。
ある日、車を飛ばして公園へ行く。
そこで、彼は美しい女と、中年の男が逢瀬を楽しみ、キスを交わしているのを見かける。
トーマスは、木陰にいる2人を興味本位に撮影する。
ところが女はあわてふためき、彼の家まで押しかけて、フィルムを返すよう迫る。
トーマスは別のフィルムを渡し、彼女が帰ったあと、公園で撮った写真を現像し、そして引き伸ばす(この映画の原題は引き伸ばし)。
するとその写真には見知らぬ男が銃を構えているのが写っている。そして、その向こうの藪の中には死体のようなものまで写っている。
彼は車を飛ばして公園へ行ってみた。するとそこに先ほどの中年男の死体が転がっている。
彼は殺人事件を目撃したのだろうか?
しかし家に帰ると、彼が引き伸ばしたはずの写真も、フィルムも無くなっていた。
彼は先ほど本当に公園に死体があったのか、もう一度確かめに戻る。
自分が見たものは本当に現実だったのか。写真に写っていたものは、本当に存在していたのか?
ファインダーの向こうに、現実と幻想の区別があるのか?
そもそも、現実とは何だろう。
公園に戻ってみると、やはり死体などないのだ。
そこへヒッピーの一団が車に乗ってやってくる。彼らはテニスコートでテニスを始める。といっても、ボールもラケットもない、テニスの真似だけをするパントマイムだ。
しかし彼らは、全員が一様に、同じところを飛んでいるはずの見えないボールを、同じように目で追っている。
と、ボールは突然テニスコートを飛び出し、トーマスの足元まで転がって止まる。
もちろんボールは誰にも見えない。ただ撮影しているカメラだけが、見えないボールを追っているのだ。
ヒッピーたちはトーマスにボールを投げ返すよう促す。
トーマスは、2、3歩歩き、ボールを拾うと、テニスコートへ向かって投げ返してやるのである。
カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。




