chapter8: パスティーユへ参る
「おばあちゃんから? 」
舗装されていないでこぼこ道を歩く。先行していたヨナが不機嫌そうに聞き返した。そんな彼女に俺は小さく頷いて答えた。
アンナさんから預かった手紙の宛先には、アーサー・ゴドロワ・シャルルマーニュと書いてあった。届け先はこの人で良いだろう。
腰に掛けた革袋はところどころ破けくたびれている。袋を開けて中を探れば型紙のようなものと、コインが数枚入っていた。どちらも俺が読めない文字で書かれていたので、ヨナに聞くと町への通行証と鉄貨と呼ばれる通貨だそうだ。
「おばあちゃんひどいよ! あんな言い方しなくたっていいのに。それに知っているならそんな回りくどいやり方しないで教えてくれればいいのに! 」
ヨナはぷんぷん怒りながらも、アンナさんの言う通り上の町へと向かっている。俺はそんな彼女にかける言葉がなくて、眼目に迫る巨大な門とその背後の街並みに視線をやった。
青空の中、豊かさという光に優しく包まれた町は人々で賑わい。その活気が町の外まで聞こえてくる。時より鼻腔をくすぐる風は、木々や太陽の自然の匂いと仄かに磯の香りを感じさせる。
町の門の前には長蛇の列ができており、町に入る人間をチェックしている様だった。俺とヨナもその列の最後尾に並んで歓談をしながら順番を待った。数刻が過ぎた頃、ようやく列の先頭までやってきた。
「おい! そこの子供止まれ」
門の前で鎧を着た男たちに呼び止められた。その手には槍が握られ、腰には立派な剣がかけられている。鍛えられた体は逞しく、この大きな町の入り口を守る門番だと理解した。門番の強い語調に言葉に詰らせていると重苦しい威圧感が周囲に漂ってくる。
「奈落の住人がパスティーユに何の用だ」
門番が俺たちを見定めるように視線をやって言った。自分より何倍も大きな大人の男性に、ヨナは小さく震えながら俺の後ろに身を潜めた。
「手紙を届けに来ました」
俺は用件を伝えて通行証を手渡した。門番の男は訝しむ様子でそれを受け取る。
「お前ら。俺の仕事がわかるか? 悪いやつが町に入らないようにしてるんだ」
「それがなに。通行証ならここにある」
ヨナが恐る恐るそう言った。
「これだから、貧民は困る。お前たち貧民はみんなそう言って町に入ると盗みを働く悪党ばかりだ。わかるか。お前らみたいな奴らを入れないことが俺の仕事なんだよ」
「そんな! ちゃんと通行証だってあるし。悪いことなんてしないよ」
たまらず俺は言った。奈落の住民だからといって決めつけないでほしい。ちゃんと中に入るために必要なものは持っている。町に入る権利は持っているはずだ。門番たちに不快感と怒りがお腹のあたりから熱を持って広がっていく。
「それに。横の餓鬼。よく見たらハーフじゃねぇか。お前は耳が少し長いな。オークとの混ざりものか」
「ハーフなんて人間ですらないからな」
門番たちが大声で下品に笑った。低劣で人を貶す言葉にヨナがどんどん縮こまっていくのを背中で感じる。
「違う! ハーフだってみんなと同じ人間なんだ」
俺はそう叫んだ。
「おいおい、きいたか? ハーフが俺たちが同じだってよ」
「「ワハハハッ」」
そう言いながら俺の手渡した通行証をびりびり千切った。
「おいっ! 何するんだ!! 」
「これは偽装の疑いがあるので処分したまでだ。後がつっかえているんだ。さっさと消えろ」
「なん、だと」
不条理な扱いに憤怒の感情を覚える。何か言い返すことができないかと考えるが、この状況を打破する方法は浮かばない。ここで引き返してしまえば、アンナさんから頼まれたおつかいは失敗だ。当然、ミルラの薬草を栽培するための情報は得られないだろう。それではここまで来た意味もないし、言われ損というやつだ。
「言うことが聞けないなら不敬罪で切られても文句はないな」
門番の男は俺たちを侮辱することに飽きたのか、面倒そうにあっちに行けと手を振った。ある男は槍を俺たちに向けて威嚇する。このままでは殺されても文句が言えなさそうな一触即発な雰囲気だ。しかも、周囲には町に入るため並ぶ人たちがいる。その人たちはじっと俺たちを見つめるだけで何も言わない。つまり、俺たちを助けてくれる人はいないということだ。その事実がとても悲しかった。
「や、やめないか! 」
一人の青年が声を震わせながらそう言った。ほかの門番たちと比べると貧相な体格で自信の無さが表情を染める。まるで、外敵に怯えて吠え続ける子犬のようだった。
「なんだお前。こいつらの肩を持つのか」
門番の一人が不快に顔を歪めて腹の奥底から唸るようなドスのきいた声で言った。
「こ、こんなの。まっ、間違っているよ」
仲間の迫力に押された青年はますます委縮した様子で、尻つぼみになりながらも、拳を力強く握りしめると勇気を絞り出すように言った。
「うるさい! ジャックのくせに先輩に逆らうとはいい度胸じゃねぇか」
「うぐっ」
仲間であるはずの青年に対して門番たちは殴る、蹴るの暴行が始めた。俺たちを助けてくれた青年が乱暴を受けている。助けなくては―― 。そう思っていても身体が動かなかった。背中に隠れるヨナが俺の服をぎゅっと掴んで言った。
「どうしよう。止めないと―― 」
町に入る来訪者たちは、門番たちの理不尽で横柄な態度を見てみぬフリをした。つい先刻まで自分が嫌だと思った行為を今自分がしている。そう思ったら自然と声が出ていた。
「やめて! 」
俺の声が周囲に木霊する。すると門番たちは、町に入るために列を成す人々から見られていることに気が付いたのか。最後に一言捨て台詞を吐いて仕事に戻っていった。
「これに懲りたら俺たちに二度と逆らわないことだ」
結局俺たちはうずくまる青年の元に駆け寄って回復するまで待った。幸い多少の打撲程度だったが、治癒を申し出ると青年は『大丈夫だよ』と言い。断られてしまった。
「ごめんよ。僕が不甲斐ないばっかりに」
門番の一人。青年ジャックが申し訳なさそうに言った。彼は何も悪くないのに、我がことのように何度も頭を下げた。
「いや、助けてくれてありがとう。
こちらこそすまない。俺たちのせいで…… 」
ヨナもお礼を言って深くお辞儀をした。
「ああ、いいんだ。いつものことだよ。もう慣れっこさ。
それにしても、先輩たちは間違っている!
君たちは本来町に入る資格があるはずだ。ちゃんと通行証をもっていたのだから。それを破り捨てるなんて―― 。
パスティーユの門番として、町に入る権利がある人間を無下に帰すわけにはいかない。だから、こっそり裏口から入れてあげるよ」
「えっ、いいの!? 」
予想もしない意外な提案だった。正攻法で門から入ることができなくなった以上、俺たちは町に入る代替案を探す必要があった。ジャックの提案は渡りに船だった。
「うん。本当はダメなんだけど…… 。あれは理不尽すぎると思うから」
暗い表情で俯きながら言った。でも、その正義感はとても素晴らしいものだと心からそう思った。彼のように考えられる人がたくさんいれば世の中はもっと平和になるはずだ。どうして世界には性根から腐ったあの横柄な門番みたいな人ばかりで、そんな人に限って権力を握っているのだろうか。ジャックのような人が権力を持っていれば公正に門番をしてくれただろうに。
「「ありがとう! 」」
俺とヨナは二人で何度も頭を下げてお礼を言った。ジャックは照れくさそうに笑いながら、お互い自己紹介をしつつ、彼の後に続いて門番たちの詰め所にこっそり侵入すると裏口から町の中へ入れてもらった。
そして、ジャックは『仕事に戻る』と言って俺たちに別れを告げた。そして俺とヨナはあてもなく道を歩き続けた。町に入るだけでどっと疲れてしまったのだ。
重たい雰囲気のまま歩いていると、ヨナが俺の前に出てくるとくるりと振り返る。進行方向を阻まれ立ち止まる。
「イリス、さっきは。その。庇ってくれてありがとう」
ヨナがはにかみながら言った。どこか気恥ずかしそうに目が合うと慌てて視線をそっぽに向ける。
「俺は思ったことを言っただけだよ」
どこか悲嘆さを秘めた瞳をじっと見つめて俺は言った。
===========================================
しばらく歩いていると町の市場のような場所に出た。先ほどまでの住宅街とは異なり、大勢の人々で賑わっている様子だった。
「ねぇ。見て見て。お店がいっぱいあるよ!! 」
「ほんとうだ」
出店がところ狭しと並んでいる。店に並んでいる商品は多種多様なものがあった。食べ物や剣に盾のような武器から、生活用品や工芸品まで売っていた。子供の体格では人の波に流されて行きたいところに行けない。でもこの人ごみの喧騒を肌で感じながら、俺たちはお祭りのような雰囲気を楽しんでいた。
「お肉だぁー。おいしそう。こっちはお魚が売ってる」
ヨナは目をキラキラ輝かせながら、あっちこっちに興味が移っていく。奈落のような廃墟みたいな場所から、整備された建物に発達した商業を見せられたらはしゃぐのは当然だろう。現代日本で育った俺でもこの町の活気にわくわくしているくらいだ。
「あっ、見て見て。可愛い洋服も売ってるよ。いいなぁ。私もああいうの着てみたい。イリスもそう思わない? 」
彼女が指さす先にはふりふりのドレスがあった。ヨナは自分のボロボロの服を見ながら、羨ましそうに綺麗な真紅のドレスを見ていた。俺はどこか心がチクリと痛んで言葉に詰まった。
ヨナも普通の女の子なんだ。ボロボロの服なんて嫌に決まっているし、綺麗な服だって着たいだろう。上の町の人間が当然にやっていることが、ヨナたちにはできない。ご飯だって一杯食べたいはずなのに、今日生きていく食料すらないのだ。改めて奈落の状況がどれほど異常なことなのか痛感した。
そして、上の町の豊かさを見る度に沸々と怒りが湧き上がる。同じ町の中なのにどうしてこんなに格差があるのだろうか。この町の豊かさが奈落の犠牲の上に立っているような構図に俺は反吐が出そうだった。
「うーん。俺はあんまり服に興味ないからわからないけど、ヨナが着たらきっと似合うと思うよ」
「ありがとー。イリスが着た方がもっと可愛いと思うんだけどなぁ」
ヨナが俺と洋服を見比べながら言った。俺でさえこの町のおかしさに心が揺さぶられているのに、彼女はいつも通りだった。それがとても不自然に見えた。とはいえ、いつまでも暗い気持ちでいても何も変えられない。ならば、今を楽しむのがベストだろう。
「そんなことないよ。それよりあっちのお肉食べてみない? 鉄貨1枚だって、アンナさんからもらったお小遣いで買えそうだよ」
「いいね! 二人で分け合いっこすればほかにも食べれそうだよ」
「おっちゃん、これください」
俺はヨナが指さしたお店の店主へ声をかけた。串にお肉を刺した酒のおつまみのようなものだったが、こんがり焼けたそれからは肉の香りが漂い。おかゆのような食事だけだった俺とヨナの食欲を刺激した。
「あいよーって。奈落の子供か。金はもってるんだろうな」
店主のおやじは愛想よく返事をした後、商品と客を仕切る板を覗き込んできた。背が小さい俺たちは仕切りに隠れて見えなかったようだ。そして、店主は客を確認すると大層不愉快そうに言った。
「ほら、あるよ」
俺はアンナさんから貰ったお小遣いを店主に渡す。
この町の住人は奈落から来た貧相な装いの者を見ると、誰も彼も不気味なほど嫌悪感をぶつけてくる。
「ふん。なら売ってやる」
そう言って肉を手渡してきた。ただ仕切り越しに手渡してくるので手が届かない。仕方がないので板をよじ登って受け取った。
さっきまではフレンドリーな雰囲気だったのに、一変して横柄な態度で接し始める店主に思わず愚痴を漏らした。
「ここの人たちは何なんだ。さっきから奈落から来たってわかるとあからさまに態度を変えやがって」
「おばあちゃんから話は聞いてたけど、こんなに悪意を向けられるんて思わなかったよ」
「どうして人間ってのはちょっとした違いがあるだけで人を蔑むのかな。みんな仲良く平和に生きていくのが一番いいに決まっているのに」
そう言いながら俺はヨナに肉を渡した。すると、ヨナは口の端から涎を垂らしながら言った。
「そうだね。私もそう思うよ。
それより、せっかくのご馳走なんだから楽しく食べようよ! じゅるり」
「そうだね。ヨナ先に食べていいよ」
「ありがとう! 頂くね」
ヨナは久々のご馳走で嬉しそうに頬を緩ませている。恍惚した表情で肉を凝視してかぶりついた。引きちぎられた肉から溢れ出る旨味の汁が滴り落ちる。それを零さないようにヨナが小さな舌ですくい上げた。
「これ! とっても、おいしいよ!! 」
ヨナが俺にも食べてと串を差し出しながら言った。リスのように両頬を膨らませながら満面の笑みで、むしゃむしゃと咀嚼する。
「どれどれ」
俺も串を受け取って食べようとするとヨナが言った。
「食べさせてあげるよ。はい、あーん」
「えっ、いいよ。は、恥ずかしいから」
前世で彼女いない歴年齢だった俺からすると幼女とはいえ、女の子に食べさせてもらうなんて刺激的すぎる。恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じる。
「あーん」
ヨナは微笑みながらどんどん近づいてくる。Noとは言わせないその圧力に負けて俺は口を開けて食べさせてもらった。
「ん、うまいな。肉食べてるって感じだな」
彼女の顔が凝視できなくて視線を逸らしながら言った。肉は塩と胡椒で味付けされたシンプルな物だったが、味付けのほとんどない貧相な食事だったからとてもおいしく感じた。調味料の数が少ないため深みはないが、羊の肉のようなあっさりとした感じでありながら噛めば噛むほど肉本来の旨味が溢れ出てくる。
「お肉なんて久々に食べたけど、これちゃんと塩で味付けされてるんだね。しょっぱくておいしー」
ヨナはご満悦な様子で言った。俺たちはご馳走を堪能した後、改めて町を探索し始めた。
===========================================
アーサー・ゴドロワ・シャルルマーニュという人を探すため、俺とヨナはパスティーユの町を練り歩いた。俺たちはお金もないので今日中にその人を探す必要があった。日が暮れれば止まる場所もない以上、奈落へ戻らなければならない。明日もう一度改めてパスティーユの町に入るためには、あの差別的な門番と対峙しなければならない。おそらく今回のように裏口から入れてもらえるというような幸運は望めない。となると、今回が最初で最後のチャンスとなるだろう。
慣れない町でしかも、町の人から良く思われていない状況下での人探しは骨が折れる。なんて言っても、話しかけても避けられてしまっては何も聞き出せない。非難や罵声のおまけもついてくる。人を頼れない以上自分の足で探すしかないのだが、この町とてつもなく広いのだ。
徐々に足が重くなっていく中、太陽は頭上から傾き始め徐々に空を朱色に染め始めた。眼目には巨大な塔があり、その最上部には鐘があった。それが町中に響き渡るような音を立てて鳴り響く。
「ヨナ。大丈夫? 」
隣をとぼとぼ歩く彼女に声をかけた。すると汗を拭いながら言った。
「イリスの方こそ息が切れてるけど大丈夫? 」
気を使ったつもりが逆に心配されてしまった。確かに俺はヨナ以上に疲労困憊で息も絶え絶えだ。だけど、ここで諦めたくないのだ。ちゃんとアンナさんのおつかいを果たして情報を聞き出したい。
「だい、じょう、ぶ。だよ? 」
心臓がバクバク音を立てて酸素を欲する。息を吸っても満たされることなく、言葉を紡ぐ余裕すらなかった。身体は限界でまるで鉄塊を身に着けているような足の重さだった。
「なんかダメそうだね。少し休もう」
ヨナが足を止めてそう言った。俺もつられて停止するとぷるぷる全身が震えている。でも、もう時間がないんだ。こんなところで立ち止まっていられない。
「いや、探さないと。もう時間がないし、俺たちには今日しかない」
「でも、だよ。無理しても仕方ないよ。今は休もう」
無理やりにでも進もうとする俺をヨナが優しく止めた。その後は崩れるように地面に座ると動けなくなってしまった。俺が思っている以上に身体にガタがきているようだった。
「うん…… 。わかった」
年甲斐もなく冷静さを欠いていたことに羞恥心を覚えた。まともにヨナの顔が見れないまま、這いつくばるように道の端によると二人で並んで座った。ヨナは自分の腰にかかった革袋から木製の水筒を取り出すと俺に手渡した。
「お水飲んだ方がいいよ」
俺はお礼を言ってそれを受け取り、少し喉を潤すとヨナに返した。彼女もまた水を飲んで休息をとる。
「それにまだ時間はあるから焦らず探そう! 」
ヨナの言葉に励まされながら俺は大きく頷いた。だんだん呼吸が落ち着いてくると、思考力も回復してくる。冷静になれば、一つの水筒を二人で順番に運びながらシェアしてきた。でも、当然足りるわけもなくそろそろ体力的にも食料的な意味でも引き返すタイミングにきていると理解した。
二人とも意気込み的にはまだまだいける。でも、時間も物資も残りわずか。帰りもある。先ほどの失態を取り戻すためにも、ここは帰路につく選択を示すべきだ。そう考えた時だった。
「その女だれよ! 」
甲高い声が耳をつんざく。声の主は女性で身なりも綺麗でその振る舞いもどこか上品だ。まるで貴族のような雰囲気を醸し出す女性、が見た目にそぐわない声で取り乱している。当然のように道の真ん中に視線が釘付けになっていた。
「あんたこそアーサーのなんなの? 」
貴族のような身なりの女性の向かいには、その女性よりも少し若い女がいた。その若い女もある程度綺麗な身なりで着飾っている。男性の腕に胸を強く押し付けるような形で挑発するように若い女性は返した。
「私は彼と将来を誓い合った仲なのよ」
「私だって契りを結んだわ」
女性と女性が一人の男性を巡って言い争いを始めた。老年の男性が女性を二人と同時にお付き合いをしていたのだろう。そのデート中に浮気がバレたと。童貞の俺には縁遠い世界だったが、今まさに目の前の老年の男性と取り合って修羅場が展開されている。
「おいおい、やめないか。二人とも」
普通の男性なら浮気がバレたら右往左往しそうなものだが、この老年の男性はしわで目尻が柔らかく歪めて落ち着いた様子だ。おしゃれに整えられた鬚に高級そうな着衣と立ち振る舞いがダンディな男性という印象を与える。歳を感じさせる白髪も男の前ではファッションの一つになっている。そのくらい老いを感じさせず、この状況でも平然としている胆力と溢れ出る自信のようなものが独特の雰囲気となって彼の周りに漂っている。
「「止めないで」」
女性二人は息ぴったりにそう叫んだ。
「あんたみたいなアバズレがなんでアーサーと婚約なんて嘘に決まってるわ」
貴族の女性が蔑む言葉を若い女に投げつけた。これがお互いの感情に火を点けたのかお互い罵詈雑言の応酬となった。
「人の婚約者とった性悪女のくせに生意気よ」
「きぃーーーッ。むかつく」
「あんたの方こそ鍋の底みたいな不細工顔で粋がってるんじゃないわよ」
「お前だってのっぺり顔じゃない。起伏もない貧相な体押し付けちゃって。アーサーが可哀そうよ」
「まぁまぁ。落ち着いて」
アーサーと呼ばれた老年の男性は、今にも掴み掛りそうな女性たちを宥めようとする。
「「これが落ち着いてられるか! 」」
「「どっちが本命なの? 言いなさいよ!! 」」
二人の女性は先ほどまで対立していたにも関わらず、以心伝心と言った様子で同じタイミングで同じ言葉言った。まぁ根本原因はあのおっさんだからなぁ。怒りを向ける対象がお互い一致して利害が一致しただけかもしれん。おっさんはどんな返答をするのかと好奇心をくすぐられて見ていると―― 。
「どちらも愛している」
優柔不断のヘタレのような発言だが、軟弱さは一ミリもない。一言で言うなら風格が違う。本心からそう思っていて、何も間違っていないというような圧さえ感じる。
「最低!!! 」
「信じらんないっ! 」
上品そうな女性二人からグーパンチと蹴りの連続攻撃をもらっておっさんが地面に倒れた。当然の帰結である。偉そうに言ってもやってたことはゲス野郎のそれである。
ずっと事の顛末を見ていた後ろめたさもあり、俺たち以外に通行人もあまりいないので目の前で倒れた奴を放っておくのは気が引けた。自業自得感があるので放置したいが良心がそれを許さなかった。
「おっさん、大丈夫か? 」
渋々俺とヨナおっさんの元へ駆け寄った。おっさんの口元を手で押さえながら答えた。
「ああ、怒った女性というのは怖いものだよ」
どこまでも深く低い。その独特の倍音が乗った声は渋いおじさんの声だった。声色でかっこよさを出せるのはすごいことだ。あの修羅場さえ見てなければかっこいいおじさんと評しただろう。
おっさんが口元を手で拭い去ると自然な動作で腕を下していく。ちらっと真紅の色に染まった掌が見えた気がした。
「二股かけるからいけないんだよ」
何事もなかったように上体を起こすおっさんを制止しながら俺は言った。
「お嬢ちゃんわかってないなぁ。男は女をどれだけ侍らせられるかだよ」
無性にムカついた。童貞に喧嘩売ってんのか? リア充め! しかも息子を使う前に女の子にさせられた俺に向かってなんてクズな事いいやがる!!
「あの人たちかわいそう…… 」
俺が怒りに震えているとヨナがボソリと言った。
「ヨナ。こういうのを下衆野郎っていうんだ」
「いや、お嬢ちゃんたち。私みたいのを紳士と言うんだよ」
俺とヨナが冷めた目で距離を取った。悟ったのだ。この人はアカン人間だと。俺は目一杯の嫌悪を込めて言った。
「色狂いでボコボコにされた奴のどこが紳士だよ! お前の辞書に誠実って言葉でも加えておけよ」
「わはははっ。これは手厳しい。」
おっさんが声を荒げて笑った。あんだけサンドバックみたいに攻撃を受けてこれだけ元気なら治癒はいらないかもと思ったが、先ほどの血の量は不自然だった。口を切っただけならあんなに血が出るだろうか?
それに、実は骨折していてそれが臓器に刺さっていて出血で後日亡くなりました。とかだと寝覚めが悪すぎるので念のため力を使うことにした。
「ほら、これで治ったはずだ」
聖救神愛と唱えると力は最初よりもスムーズに使うことができた。間近でおっさんを見ると身体のあちこちに大小様々な傷跡があった。しかも、左手の小指がなかったり、髪で隠れていたが耳も少し欠けている気がする。この人なんでこんな傷だらけなんだ。
「ふむ。その歳で信じられぬほど手練れた治癒魔法だ。それに興味深い。古傷まで治っているな」
保険でかけた治癒の力が古傷まで治したのは俺も驚いた。おっさんも驚いているようで、垂れ下がった瞼を見開いて鋭い眼光を向けてくる。とても威圧感のあるその眼差しに恐怖させ感じている自分がいた。
「義理は果たしたぞ。俺たちは用があるからこれで」
居ずらくなった俺は、逃げるようにその場を離れようとする。
「嬢ちゃん待ちな。その力人前で使ってはいけない」
「ひえっ」
背後からおっさんの声が聞こえたら変な悲鳴が漏れ出ていた。俺は足元のバランスを崩して尻もちをついた。すぐにヨナが駆け寄ってきて手を差し伸べてくれ起き上がると―― 。
いつの間にか目の前におっさんが立っていた。立ち上がると身長も大きく、全身が鍛えられているのか服の上からでも筋肉のラインがわかる。俺たちはビクッと震えて二人で抱き合った。
「譲ちゃん、大丈夫か。怖がらせてしまったのならすまない。つい、な。
それより、そっちの嬢ちゃん。そりゃ特別な力だ。見る人が見ればわかる。厄介ごとに巻き込まれたくなければ隠れて使うことだ。少なくてもこの町ではな」
おっさんが笑うと張り詰めていた。雰囲気がふっと軽くなった。俺を指さしておっさんは聖救神愛について忠告をした。見る人が見るとわかる力だったらしい。やっぱり、ゴモリーからもらったこの力はこの世界の普通の治癒魔法とやらより高性能なのだろう。言われなくても目立つつもりはない。でも確かに、今のは浅慮だったかもしれない。町中で堂々と使うものではなかったか。次は気を付けないと。幸いおっさんは他言無用でいてくれそうだ。
「それと私も紳士だ。恩義には報いたい。お嬢ちゃんたちの用事とやら手伝えるかもしれんぞ。奈落から来たとなれば苦労も多かろう。私がいればその用事容易かもしれんぞ? 」
俺たちの苦労を察した口ぶりでおっさんが言った。確かに、人に聞ければすぐに解決する可能性がある。せっかくの申し出なのでありがたく頼ることにした。
「なら、アーサー・ゴドロワ・シャルルマーニュって人知ってる? 」
「うん? それなら俺だが」