chapter7: 夢を追うということ★
そろそろ太陽が頭上に近づき始めた。昨日は今日が楽しみすぎてヨナと二人で寝られず夜遅くまで話していた。あまりにも遅くまで起きていたものだから、アンナさんの雷が落ちたのは言うまでもない。
それから布団で目を閉じて睡魔に襲われるのを待っていたが、なりやまない拍動がうるさく木霊して一睡もできなかった。
「「ふぁああ」」
俺とヨナは二人同時に大きな欠伸をしながら、速足で荒地へ向かう。
徐々に薬草を埋めた場所に近づくにつれて歩調が速くなってゆく。
「あっ!? 」
どちらが先に声をあげたのか。俺たちの目の前には、元気に育つミルラの薬草があった。時折、風に揺られてざわめく音と甘く濃厚なはちみつの匂いが鼻腔に広がってゆく。
「イリス。育っているよ!! 」
「ああ! 育ってる!! 」
ヨナが両手を大きく広げて喜びながら抱きついてきた。ようやく薬草の栽培に成功したんだ。心の奥底から嬉しい気持ちがわき上がる。俺とヨナは喜びを確かめ合うように笑顔で見つめあった。
「いま精霊眼でマナを見てるんだけど。
マナの輝石を埋めたとろこのミルラの薬草は生き生きとしているけど、そこから離れた薬草はちょびっと元気がないみたいだね」
俺は精霊眼の青いフィルタのかかった世界のなかで、薬草のマナを見ていた。マナの輝石との距離に比例して青色が薄くなっていく。
「マナの輝石の近くに薬草を埋めないとダメなのかも。
マナの輝石が薬草の栽培に大事みたいだけど、マナの輝石はどうなの? 」
ヨナが手を顎に当てながら言った。そう、問題なのはミルラの薬草が低コストで栽培できるかである。マナの輝石のおかげで栽培はできた。
でも、マナの輝石は高価で常に手に入るものじゃなさそうだ。輝石の内部にあるマナを補充する術がなければ、薬草を栽培できても利益が望めない。だが、俺は精霊眼で面白いものを見つけていた。
「そうだね。ヨナがマナの輝石と魔石を埋めたの覚えてる?
そこだけ輝石のマナが減ってない」
「へ? どういうこと」
ヨナがきょとんとした瞳で可愛らしく首を傾げてこちらを見る。
「つまり、魔石と一緒にマナの輝石を埋めておけばマナの輝石自体は使いまわせる! 」
ヨナが思い付きで魔石とマナの輝石を埋めた。その場所に埋めた輝石だけ内部のマナが減ってなかった。つまり、魔石を肥料代わりに埋めておけば輝石は使いまわせるということだ。闇夜に一筋の光明が見えたような気持だった。
「おぉ! 」
ヨナは感嘆の声を漏らす。
そして補足するように、魔石は魔物の内部に必ずあるもので比較的容易に手に入ると説明してくれた。
「ヨナの思い付きのおかげだね。よしよし」
彼女の思い付きですべてがうまく動き出した。俺は感謝を込めてヨナの頭を優しく撫でた。
「うふふっ。褒められたのらぁ~」
蕩けるような表情でヨナが嬉しそうに声をはしゃがせている。
「あとは薬草を繁殖させれば、薬とお金が手に入るね! 」
「うん! そこはおばあちゃんに聞いてみようよ!
おばあちゃんならきっと知っているはずだよ。なーんでも知ってるんだから」
合理的に考えればアンナさんなら知っていいそうだし、聞くべきだと思う。でも、嫌われている節がある俺はヨナの提案に二の足を踏む。でも、自慢げに話す彼女の姿を見ていたら断ることなんてできるはずもなく。
「そ、そうだね」
気が付けばそう答えていた。
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太陽が頭上から地平線へと少しずつ傾き始めたころ、まだまだ強い日光の日差しが大地を温めている。俺とヨナは駆け足で自宅へと急いだ。
呼吸器が酸素を求めてせわしなく鼓動する。全身が火照っているなか、汗ばんだ皮膚に心地よい風が撫でる。
少し落ち着いたところで家の中から声が聞こえてきた。ヨナの家に住んでから数日立つが来客の類はまったくなかった。まぁ、こんな貧しい町でお茶会みたいなことはないだろうし、人付き合いよりもその日を生きることで精一杯なんだろう。
俺とヨナは来客の邪魔をしないように、静かに窓から部屋のなかを覗き込んだ。
「アンナ様、どうかご再考ください! 」
青年が演説のような熱のこもった様子でアンナさんに何かを説得しているようだった。青年が先日中央通りで出会った商人ノアだと気が付くのに少し時間がかかった。それほどに別人のように見えたのだ。
「しつこいねぇ。わしぁ。そんなものに意義があるとは思えないでね。
さっさと帰ってもらえるかい」
アンナさんはいつも以上に面倒そうにぞんざいな扱いであしらっている。
「異人どもの暴挙を見過ごしたままで良いのですか!
この町の貧富の差。町の異人と政治家たちは、どいつもあぐらをかいて満ち足りた生活をしている。
民たちは今この瞬間にも飢えて苦しんでいるんだ。このままじゃ、ここの住人はみんな死んでしまう。
貴方は止めようとは思わないのですか!? 」
ヨナと同じように奈落の現状を変えようと思っている。そんな人がいたことに驚いていた。
考えてみれば、ヨナのような子供でも現状を変えたくなるような状況なのだ。他にも同じ気持ちの人がいてもおかしくない。
そう思い至と次の疑問が浮かんでくる。じゃあ、彼は何をしようとしているのだろうかと。やけにアンナさんの言い方が厳しいのだ。俺に言うそれよりも何倍も。そしてノアの提案を検討するまでもなく一蹴している。
「小僧。思い上がるじゃなよ。お前さんの手段では悲劇しか生まんわい」
「他にどんな手段があるというのですか!? 政治家どもには意を尽くした」
雲行きが怪しくなってくる。徐々にノアの熱弁に憤怒の感情が混じりつつある。男性特有の低くて威圧感のある声になってゆく。
いつ殴り合ってもおかしくないような険悪な雰囲気で言葉をぶつけ合う。
「お前さんの目が曇っておらねば、わしとて潜考した。この意味がわからぬか」
「偉大なる元予言者。曇ってしまったのはあなたの方だ。
先見の力も使わなければただの宝の持ち腐れだ。思慮深い偉大な人物と聞いていたが所詮はただの噂。ただ変化を恐れる偏屈な老婆に未来を導くことなどできようか。」
「言ってくれるね。小僧、貴様こそ人を導くにたると言えるのかい。わしには大儀名分をかざして暴れまわる小童に見えるがね」
「うるさいっ! 」
ノアは怒りに打ち震えながら叫んだ。
「おぉ。こわいこわい。そうやって怒り散らして何ができるっていうかね」
気が付けば俺とヨナは怖くなって身を寄せ合っていた。
それくらいノアの怒気は凄まじいものがあった。それなのにアンナさんは涼しい表情で何事もなかったように毅然としている。
「ぐっ。あなたの言う通りだ。事を急いで冷静さを欠いていた。
失礼お詫び申し上げる。頭を冷やして出直すことにします」
挑発に乗って失態を晒したことに気が付いたのだろうか。急に冷静になったノアは、頭に巻いた布上の帽子を取ると改まって深く一礼した。
「二度とくるんじゃないよ! 」
俺は心の中でアンナさんの言葉に賛同した。あんな鬼みたいに怒る。怖い人がまた家に来るのは嫌だった。ノアが家を出ようと踵を返した時だった。
「み、みみっ!? 」
ノアの頭にぴんっと三角の犬耳があることに気が付いた。異世界の定番のケモミミの登場に俺は思わず声を上げてしまった。
「うん? 君はこの前の」
ドアを開けようとしていたノアが、窓越しに俺とヨナを見つめながら言った。
そして俺が彼の耳に好奇心を示していることを察したようで続けて問いかけた。
「イリスちゃん。獣人族を見るのは初めてかい? 」
「じゅうじんぞく。尻尾もあるの? 」
驚きに打たれた俺は口をパクパクさせながら言う。
「ああ、といってもヒューマンの町では獣人族は良く思われてない。だからこうやって隠しているんだ」
ノアが純白の毛束を俺たちに見せた。狐の尻尾のような太さがありつつ、犬のような機敏な動いていた。もし女の子だったらモフモフを堪能したかった。内心彼が男であったことを残念に思いなら、涙を飲んで観察するだけに留めた。
「イリス。あの人だれ? 」
ヨナが俺の背中から顔をのぞかせる。
「ああ、あの人だよ。急に抱き着いて号泣した人 」
そう説明すると、急にヨナが俺を庇うように前に出て叫んだ。
「イリス隠れて! この人ぼうかんだよ!! 」
「誰が暴漢じゃ! 違うわ」
ノアが慌てた様子でちぐはぐな動きをしながら言った。
「あれ、家をつけてりしないって言ってたのに。家まで押しかけてきてる…… 。 やっぱりただの変態だった? 」
俺はそんな彼の慌てふためきようを見ているとき過去の会話が頭を過った。それをそのまま口にするとノアの顔から血の気が引いていった。
「ぐっ。結果だけ見るとそうなるが…… 。断じてイリスちゃんを追いかけたわけじゃないっ! 」
俺とヨナは二人で顔を見合わせてから、疑いの眼差しを向けた。認めたくはないが俺は今女の子の身体だ。そんな俺に街中で堂々と抱きついてきたり、家まで追いかけてきたりしている。普通に気持ち悪いストーカーじゃないか! そう考えたあたりで背中に氷嚢を詰め込まれたような心地だった。
「ご、誤解だ!! 俺は変態なんかじゃないんだぁーーーー」
居たたまれなくなったのか。そう叫びながらノアは逃げるように立ち去って行った。
ノアがいなくなるとしばらくの間静寂が訪れた。まるで台風のような奴だった。
気が付けばアンナさんはぎょろっと皺で垂れ下がった瞼から鋭い眼光を俺たちのいる方へと向けていた。
「ヨナ戻っておったのかい。まだ夕餉の時間ではないぞえ」
アンナさんが俺にはかけないような優しい口調でヨナに言った。
「まぁおやつぐらいは作ってやれるわい」
続けてそう言うと、いつも夕食のスープに入っている草を片手に調理場へと向おうとする。
「おばあちゃん! ミルラの薬草育てられたの!! 」
ヨナが嬉しそうにアンナの元へと駆けてゆくと、そのままの勢いで抱きついた。かなりの高齢なのにアンナさんは微動だにせず受け止めると、珍しく表情を緩ませてにこにこしながらヨナの頭を撫でていた。
「ん? 本当かえ?? 」
「うんっ! ほんとうだよ」
「そりゃあ、たまげた。よく見つけ出したのう。さすがはわしの孫じゃ」
アンナさんはヨナの話を聞いただけで疑うことなく信じた。目を大きく見開いて歓声を上げて我がことのように喜んでいた。
「えへへ。 でしょ! 」
「じゃ、が。森には行くなと言ったはずじゃが? 」
「あっ、そ、それは…… 」
アンナさんが急に冷めた声で言うものだから、ヨナは何も悪い事をしてないのに声を詰まらせた。確かに無断で森に入ってこっぴどく怒られた前科がある以上、疑われても仕方ない。俺はヨナに助け船を出すべく言った。
「俺が商人から貰ったものを使ったから、今回は森には行ってません」
「もらったじゃと。まぁよい」
アンナさんは一瞬語気を強めたが、ヨナと俺の顔を順にみてそれ以上の追及はしてこなかった。
「それでね。おばあちゃん。ミルラの薬草を繁殖させていんだけど何か知らない? 」
話題が落ち着いたと判断したヨナは、この好機に本題をぶち込んだ。
「そうじゃのう。それを知ってどうする」
「おばあちゃん。わたし皇帝になりたい。それでこの町を救いたいの。
だからこの薬草で傷ついた人たちを癒すことができる。私の夢の最初の一歩なんだ! 」
家の中に差し込む柔らかな光がヨナの元に集まってゆくような光景だった。
「まだそんな幻に捕らわれておったか」
アンナさんは冷たくそう言った。
「そんな言い方しなくてもいいじゃない!!
実現してみせるよ! いつかきっと!! 」
ヨナが両手をぷるぷると震わせながら強く握りしめながら叫んだ。感情が顔面を赤く染めている。
「ヨナ、否定などしておらんよ。意気込みは認めておる。じゃが、薬草で人々を治してどうする? 病気は治っても飢えは治せない。すぐ乾きに殺さてしまうだろう。無闇な延命ほど残酷なことはないと知っておろうが」
瞳を少し潤ませながら語気を強めるヨナにアンナは諭すように言った。
「わかってるよ! 」
「それは俺に案がある。薬草を売ってお金にする。それで食べ物を買えば飢えからも救うことができるはず。」
俺はヨナを応援する者として言った。本来親子の会話によそ者が口を挟むべきではないと躊躇もあったが、言わずにはいられなかった。
「お前たちは甘いのう。それだけでこの奈落を救えると思うのかえ」
「やってみなくちゃわかないよ! 最初からできないって決めつけないで」
「事実そうじゃろ。ヨナ。お前の夢は骨組みのない張りぼてみたいなものじゃ。中身をかたどる知識も経験も足りなさすぎる」
「なんで、そんなに私の夢を否定するの! おばあちゃんの馬鹿!! 」
「あっ! ヨナ」
あふれ出る感情に耐え切れなくなったヨナは家を飛び出した。
俺はその後を追いかけようと―― 。
「お前さんもだ。イリス。土人形と一緒じゃ。中身が空っぽだ。そうやってヨナの後だけ追いかけて。
本当にあの子の力になれると思うておるのかえ」
「なっ」
言い返せなかった。俺はまた誰かのひいたレールを歩んでいるのだろうか。いや、今回は違う。俺自身の意志でヨナの夢を応援すると決めたのだから。
でも、反論する言葉は浮かばなかった。俺は逃げるように駆けだした。
「待て」
ボロボロの扉を開けて外に出ようとするとアンナさんに呼び止められる。
「薬草の繁殖方法は知らんが、あの薬草の種子のようなものがどこにあるかは知っておる。じゃが、知りたければこれを上の町までもってゆけ」
アンナさんから放り投げるように乱雑に手紙とボロボロの革袋を渡される。
「誰まで届ければいいの? それに上って入っちゃいけないんじゃ」
「それぐらい自分で考えな。なんでも人に聞けばいいってものじゃないんだよ」
アンナさんは俯いたまま口を強く結んで俺を見つめる。その姿はいつもよりも小さく見えた。
俺はアンナさんに一礼すると、扉を開けて急いでヨナを追いかけた。