8-2 僕と家主 [◆]
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翌日。
「んー、海なんて久しぶりねー!」
ぐぐっと背伸びをする姫奈ちゃん。
そんな彼女の背景には、どこまでも続く真っ青な海が広がっていた。
「まさかオレたちやリリアンさんの分まで手配してくれてるなんて思わなかったな」
「僕もびっくりしました。ツインルームを2部屋取ってくれていたとは」
ミヤコさんから依頼を受けた次の日から、早速僕たちは海にやってきた。
「宿の入口がとても綺麗で、思わず見惚れてしまいましたね」
「ええ。僕なんかが入って良いのかと思うくらいでした」
ミヤコさんが手配してくれたのは、セレブが泊まると言われる幻界の有名な宿だ。
ここに来るまでに姫奈ちゃんから聞いた話だが、実界の有名人なんかもお忍びで止まることがあるようだ。
芸能関係には疎いので僕にはピンとは来なかったが、姫奈ちゃんは僕の聞いたことのある人名をいくつか挙げていた気がする。
幻界と実界は二界統合のこともあって相容れない部分が多いが、どうやら芸能やメディア関係は相互に受け入れているみたいだ。
「ほんまになあ。お偉いさんやら芸能人やらが泊まるようなとこよう抑えたなあ」
「だよね。さすが町長のお母さん」
うんうんと頷き合う僕と関西弁のお兄さん。
青い髪に、深みのある緑色の瞳はまるで深海を思い起こさせる。
――いや、というか。
「……なんでお前までここにいるんだよ、隆一」
「そらお前、港町から宗治たちが見えてん。知り合いがおったら混ざりたくなるやろ」
僕たちのいる浜辺から港町までは目と鼻の先で、彼――飛鳥隆一は先程宿から出てきた瞬間に全速力でこちらへ向かってきた。
ネタでそう振る舞ったのだろうが、背筋を真っ直ぐに伸ばして腕を直角にしながら迫ってくる姿は正直ちょっと怖かった。
「まあせっかくの海やし、みんなで遊んどこうや!」
そう言って何処から持ってきたのか、手に持ったビーチボールを僕の頭に乗せる。
「遊ぶって……俺は依頼でこの海に来たんだよ」
などと言いながら、頭からボールが落ちないようにバランスを取っている僕。
転がって地面に落ちそうになったボールを、思わず右腕で高く打ち上げる。
「そうそうその調子や! へいパス!」
「えっ、アタシ!?」
打ち上げたボールを今度は隆一が拾い上げ、姫奈ちゃんへとパスをする。
「龍斗ぉー!」
「ちょ、これは無理だって!」
うんと高く飛んだボールは龍斗くんの頭上を通り過ぎ、ぽしゃんと海に浸かった。
「よっしゃ、俺が坊ちゃん嬢ちゃんを鍛えたる!」
「二対一なら余裕だな」
「負けたチームが罰ゲームよ」
気付けば目の前では、二対一のドッチボールのようなゲームが繰り広げられていた。
「真田さんは行かれないのですか?」
「僕は遠慮しておきます。夜まで体力を温存したいので……」
ミヤコさんの情報によると、金幸魚が現れるのは夜の海らしい。
先ほど昼食をとったばかりで、時刻は午後一時。夜までまだまだ時間がある。
しかし三人の中に混ざろうとも思えなければ、他に特にやりたいこともない。
浜辺の階段に腰を下ろし、二対一のビーチボールをぼんやりと眺める。
「運動はお好きでないのですか?」
リリアンさんが僕の隣に座り、尋ねてきた。
「自分を鍛える目的以外では、あまりしないですね」
「真田さんは、とても真面目なんですね」
リリアンさんはふわりと笑いかける。
「……真面目というか、鍛えないでいるのが怖いだけですよ」
「怖い、ですか?」
平穏な空気に当てられたのか、つい本音が口から出た。
「平和を維持するための力というか、自分の力不足が原因で何かが壊れていくのが怖いんです。それが僕の原動力なんです」
どうしてこうも、余計なことを口走ってしまったのか。
声に出してから後悔するが、隣の彼女は優しい笑みを浮かべたままだ。
「優しいんですね」
見守るような、暖かい瞳をこちらに向ける。
姫宮リリアンの表情は、春の陽だまりのように柔らかく、暖かかった。
「ずっとこんな平和な日が、続けばいいな」
浜辺ではしゃぐ三人を見る。
大の大人は体力の限界を迎え始めたのか、気付けば少年少女に返り討ちに遭っていた。
なんでもないこの日常が、酷く心地よい。
それがどうか壊れぬようにと、心から祈る。
「きっと、続きますよ」
優しくも、真っすぐな声が、僕の耳に響いた。
「誰かが望む限り、きっと続きます」
その声に静かに耳を傾け、僕は紡がれていく言葉を待つ。
「たとえそうでない時があったとしても、きっとまた戻って来られます」
とくんと一拍の鼓動が、全身に温かい血液を運ぶ。
此処ならば、過去の自分も受け入れてくれるのではないか。
甘えか信頼か分からないけれど、そんな想いがよぎった。
「あなたのその言葉が、今は僕の救いです」
そのとき縋るように絞り出した自身の声は、少し震えていたように思う。
それでも僕は、自分を強く見せようとしていた。
「平穏を守るためにも、僕はもっと用心棒としての役割を果たせるようにならなくちゃいけませんね」
いつものように、こちらも笑みを返してみせる。
そうすれば、このまま彼女もいつものように静かに笑ってくれるだろう。
だが、
「もう少し、寄り掛かったっていいのですよ」
「――――。」
予想とは裏腹に、姫宮リリアンはそんな言葉を僕にかけた。
「用心棒にも、立てかける柱が必要だと思うのです」
彼女は、いつもと違う寂しそうな笑みを浮かべる。
そんな彼女につられて、自身の口角も下がっていくのを感じた。
「だから……もっと私たちに甘えてください、真田さん」
困ったような笑みをこちらに向けるリリアンさん。
常に穏やかな感情を抱いているように見えた彼女の、新たな一面を見た。
姫宮リリアンは、こんな複雑な表情をすることもあるのだと。
「そろそろ、おやつの準備をしてきますね」
ふわりと立ち上がり、リリアンさんは宿へと向かっていった。
残された僕は、遊び疲れて砂浜にしゃがみ込む三人をぼんやりと眺めていた。




