遠い祈り
少年は広い丘を駆けていく。
小さな体を一生懸命に動かして、うんと遠い青年のもとへ。
「兄さん!」
短い腕を目一杯伸ばして、少年は青年に飛びついた。
ドッジボールのように勢いよく飛び込んできた少年を、青年はしっかりと抱きとめる。
「ただいま。ちゃんといい子にしてたか?」
強く抱きしめてくる小さな腕に応えるように、大きな腕が少年の頭をくしゃくしゃと撫でる。
少年はぱっと青年を解き放ち、どうしようもなく嬉しそうな目で見上げる。
「悪いことなんてするわけないだろ。オレ、兄さんの留守中はちゃんとみんなを守ってたんだから」
首が折れんばかりに元気よく頷く少年。
誇らしげにえっへんと胸を張る。
「そうか、さすが俺の弟だ」
青年は穏やかに微笑って、もう一度少年の頭を撫でまわす。
「兄さん、今度はいつ戻ってくる?」
「……きっと、近いうちに帰るよ」
そう言って、少し申し訳なさそうに笑って見せた。
青年の曖昧な返答に、少年は不安げな表情を浮かべる。
「どこに行くの?」
「どこにも行かない。俺はちゃんと幻界のどこかにいるさ」
青年は、真っ青な空を見上げる。
「知ってるか? 幻界の上には実界があるだろう?」
少年も兄を見てから、同じように空を仰ぐ。
「うん。オレたちのいるこの世界が幻界で、あの空の上に実界があるんだろ?」
「ああ、その通り。じゃあ、実界の空の上にももう一つ世界が存在するって話は知ってるか?」
「え、ほんとに?」
「信じがたい話だけどな。それは神界って呼ばれてて、いわゆる神様的な存在がいる世界なんだそうだ」
「へぇ……」
「神様が存在するかどうかも怪しいんだから、神界の話もどうなんだって感じだよな」
「もしあったとしたら、二界史じゃなくて三界史を勉強しなきゃいけなくなるね」
「はは、そうだなー! 勉強することが増えちゃうのは困るな!」
青年と少年の笑い声が、広い丘に響いた。
ひとしきり笑った後、青年は、少年へと視線を戻す。
「でもさ、俺はどの世界にも行かない。お前がいるこの世のどこかに必ずいるよ」
力強くも優しい眼差しを、真っすぐに少年へと向ける。
「絶対だよ。帰ってこなかったらオレが兄さんを迎えに行くからな」
それに応えるよう、少年も真っすぐに青年を見て言った。
「ああ、そのときはそうしてくれ」
そう言って青年は少年の頭をもう一度撫でると、背中を向けて丘を降りて行った。
空は青くて、雲一つない。
快晴の空を見上げる。
二つの世界がこの上にある。
少年は、快晴の空に祈った。
兄が無事に帰ってくるように、と。
実界のさらに上――神界の神に、遠い祈りを捧げた。