2-6 嘘つき少女と約束破りの少年 [◆]
少女は走った。彼に追いつくために。
しかし、いくら走っても龍斗の姿は見えなかった。
結局、散歩の目的地まで辿り着いてしまった。
息を切らしながらほとりの方までやって来て、辺りを見回した。
やはり少年の姿は見当たらない。
「――最低」
それは怒りか悲しみか、姫奈はやり場のない感情をこの一言にぶつけ、唇を噛みしめた。
姫奈は体育座りをして水面を見つめる。
水面には星々が散りばめられており、池を天の川が横断していた。
雲ひとつない夜空は、澄んだ水面に鏡のように映し出されていた。
さわさわと池を囲む木々が風にざわめく。
池のほとりで膝を抱える少女は、涙とともにあふれそうな想いを心地よい夜風で乾かそうとした。
――約束破るなんて、最低。
暗闇の中、一人の少年の顔を思い浮かべる。
黒髪、黒目。猫のような瞳の、八重歯が特徴的な少年。
彼の笑顔は一見やんちゃに見えるが、実のところ大変にぶっきらぼう。子供らしい振る舞いを見せることは滅多にない。
彼は彼女にとって長い付き合いの幼なじみだ。口喧嘩は絶えないが、最も信頼のおける存在でもあった。
そんな存在に彼女は裏切られ、普段の口喧嘩以上の憤りを感じていた。
――もう、絶交してやろうかな。
帰ってきたらなんて言ってやろうかと考えていたとき、雑草を踏みしめる足音が姫奈の方へと近づいてきた。
それは少しずつ、明らかに姫奈に近づいてきた。
足音は姫奈の真後ろでピタリと止む。ただの通りすがりでも何でもなく、彼女に用事があるということが明確だった。
「……今日は星が綺麗だな」
木々のざわめきに混じって、聞き慣れた声が姫奈の背後から聞こえた。
姫奈は涙を拭い、怒りの表情で声の主の方に振り向く。
と同時に、主は屈んで姫奈の額を小突く。
「い……ったぁ……」
額を抑える姫奈に、主はいたずらっ子の表情を浮かべる。
「お前、悲しいのか怒ってんのか分かんない顔してるぞ」
声の主こと黒井龍斗は数歩後ろへ下がって姫奈と距離を置くと、彼女の斜め後ろでしゃがみこんだ。
「まあ、そういう顔すんのは予想してたけどな」
からかうような口調でそう言って見せるが、声色はその口調とは逆の感情を含んでいるようだった。
そして、一呼吸置いて、少年は黙ったままの幼なじみに一言告げる。
「ごめん」
いたずら少年とは違う彼の、謝罪の意を強く感じる弱気な声色。
「――らしくないなぁ」
ずっと黙り込んでいた姫奈は、素直に謝る龍斗にそう言い放った。
「なんつーか。一人でのんびり散歩したかっ――」
「はいはい、あんたは一人になりたかったらアタシとの約束も破るのね。どうしようもなく独りよがりな思考回路ね」
姫奈は黙り込んだ分を吐き出すかのように龍斗を責めたてた。
龍斗も言われるがままでなく、彼女に言い返す。
「姫奈だって一人になりたい時はあるだろ、たまたまお前と約束した今日がそうだっただけだ」
彼はそう言ってすっと立ち上がり背伸びをすると、姫奈を見下ろした。
立ち上がればそういう形になるのは当たり前のことだが、今の姫奈からしてみれば見下されたような感覚で黙っていられない。
「自分の都合で人振り回すなんて最低。感情のコントロールくらい出来るようになんなよ。そういう修行も必要よ」
姫奈は立ち上がり、自分より少し上の目線の龍斗を睨みつける。
「無茶言うなよ。今日は特別、泣きたいくらいに落ち込んでる日だったんだよ」
「だったら最低でも一言言うべきよ! 落ち込んでたってそれくらいできるでしょ?」
「いいや、それすらできない状態の時だってあるね」
二人が言い争いをしていると、池を囲む木々の向こう側から、二人の名前を呼ぶ声がした。
声の方向には、宗治が緑色の袖を振って少女たちの方へ駆けてくる姿があった。彼の背後にはリリアンもいた。
「大丈夫ですか?」
近づいてきた宗治の表情はあまり穏やかとは言えず、二人を心配しているようだった。
しかしその表情は、明らかに単に二人の帰りが遅かったからという心配だけから現れるものではなかった。
仮にそうだとしたら、それにしてはあまりにも駆けつけてきた二人の空気が重かったのだ。
その彼の表情から、少女たちは何か町で異常が起きているということを察した。
「何かあったの?」
「鎌鼬が町に来ているようなのです。お二人ともお怪我はありませんか?」
特に、と龍斗は答えると、真っ直ぐに宗治とリリアンの方へと歩み寄っていく。
かと思いきや、宗治の横を通り過ぎていった。
その目は真っ直ぐで、何かに立ち向かっていくようだった。
「龍斗――!」
姫奈がそう言うや否や、少年は走っていった。
「……龍斗くんらしい判断ですね」
宗治は微笑ってそう言うと、同様に姫奈たちに背中を向けて少年の後を追いかけた。
「あ、ちょっと待ってよ!」
姫奈とリリアンも彼らの後に続く。
四人は、町へ急いで戻った。




