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3話 黒路

午前7時。

設定した時間ぴったりに鳴った目覚まし時計のアラームを止めた。

その独特な周波数が湊の寝惚けた頭に不快感を突き立てるが、そうは言っても起きなければ学校に遅刻してしまう。

また、孤独な1日が始まるのか―――と唸った矢先。


湊は部屋の『異常』に気づいた。


昨晩、言うなれば湊の部屋は整頓された普段の状態で、湊もそれに疑問を感じることはなかった。

しかしどうしたことか―――並べて立ててあった化粧品は床に散乱し、箪笥の引き出しに仕舞っていたはずの衣服や下着の多くはぐしゃぐしゃに放り投げられ、開けっ放しのドアの外、まるで何かが引きずったように廊下を転々を落ちていた。


―――泥棒?


湊は一番に最もあり得る可能性を疑った。

少なくとも、自分でないことは確かだ。

しかし部屋の窓を見てもきちんと二重に鍵が掛かっているし、どこかを破壊された痕跡もない。

そもそも湊の部屋は家の二階だ。外に伝って行けるようなパイプの類もない。


第一この惨状の発生源はこの部屋だ。

湊以外の誰か、元々この部屋にいた誰かがこれをやったのだ。


春だというのに湊の体は震えることをやめようとしない。

湊は恐怖に怯えたまま、時々背後を気にしながら押し入れをひっくり返し、何か武器になりそうなものを探した。

が、小学生の時に使っていた30㎝ものさししかなかった。

止むを得ず湊はそれを両手でがっちりと握り、恐る恐る部屋を出た。


ゆっくりと慎重に、落ちた自分の衣服をしるべのように辿っていく。


廊下、階段、一階の廊下。玄関には鍵が掛かったままだ。

外には出ていないらしい。

しかし昨晩閉めたはずのリビングのドアが、開いていた。


湊はできるだけ足音を立てないように、リビングの裏の壁と背中をすり合わせながら、ものさしを握り直し、意を決してバッとリビングに飛び込んだ。


「………!」


リビング自体、湊の部屋ほどは散らかっていない。

だが、テレビの前―――真っ黒な、一反木綿のようなヒラヒラした『何か』が蠢いていた。

どうやらその一反木綿には口があるらしく、独り言を喋っている。


「ほー…あー……ふん、なるほどなァー……お?」


と、急に一反木綿は振り返りドアの方を見た。

身を隠すことを考える余地も実行する時間も無かった湊は、それとしっかり、疑いようもなく確実に目が合った。


真っ白な目。大きく裂け尖った口。全長は随分と長く、体らしき部位が折りたたまれたり蛇行したりしてリビングの床半分を埋めてしまっている。

顔の横からは二本、触覚のようなものが生えている。

先端が五本の指らしき部位で形成されていることから、どうやらこれは手らしい、ということが、湊には分かった―――が。


逃げなきゃ。


お化けか妖怪かモノノケか、鬼か悪魔か地獄かなんだか分からないが、明らかに生物ではない得体の知れない何かがリビングを陣取っている。

脳は『走れ』という命令を既に体に下しているにもかかわらず、肝心の体は一向に動こうとしなかった。


怖い。


襲われる。


あんなのものさしじゃ敵いっこない。


頭では理解できているのに、実行に移せない。


―――ああそうか。


まるでいつもと変わらない。


緊急事態でも、自分は自分のままだ。


そうして結局損をする。


そうして結局誰かに助けてもらう。


だから私には、このくらいの不幸があった方がちょうどいいんだ。



湊の意図してか否か、固く握り締めていたものさしが手からすり落ちた。

カラン、と乾いた木の音がする。

乾いているのは、湊も同じだった。


「やーっと起きたかよ……オラ、早く朝飯食っちまえ。ガッコー遅刻すんぞ」


そう、私なんて、結局……


「? オーイ、聞いてんのか?」


結局……


「……オイッ! タカミナミナト!!!」


「っあひゃい!?」


咄嗟に湊の口から出た返事は、起き抜け関係なく間抜けな声だった。

一反木綿に名前を呼ばれた。

襲うでもなく。

食べるでもなく。


「お前……人の話を聞かねぇクセがあるな? 早く朝飯作って食え。いくら今日のガッコーが午前中で終わるっつっても、遅刻すりゃ意味ねぇんだかんな」


おまけに諭された。


「……あ、あの……あなた…は……? だれ……ですか………?」


まるで状況を理解できない湊が絞り出したのは、掠れるような声だった。


「言うと思ったぜ。そのために夜通しイロイロ調べたんだかんな。

オレは―――オマエの『心』だ。タカミナミナト」


風に乗って泳ぐように、湊に近づき見下ろす黒い一反木綿は、自身の裂けた口を大きく開き、そう言った。




※※※

フライパンに油を落とす。

火を入れて、時々回したりして油を全体に行き渡らせる。

加減を見たら、油はねには気をつけてベーコンを、そして卵を一つ投下する。

食パンが焦げないようにトースターを気にしながら、レタスやキュウリなんかの緑色の生野菜を皿に盛って、ドレッシングを一周、二周。

ものの十数分、湊のいつもの朝食はこれで出来上がる。


しかし今日は、卵の殻がフライパンに混入したり、食パンが7割がた焦げてしまったり、落ち着きのない慌ただしい用意となった。

その理由は実に明白―――湊はテレビの前を陣取っている『アレ』が気になって仕方なかった。


「しかしよォ、まさかオレの出所でどころが《《自分の体から》》って気づいてねぇとはなァ―――ミナトよ」


そう、アレの言う通り。


湊は気づいていなかった―――黒い一反木綿が《《自分の背中から》》生えるように伸びていた、ということを。

服を貫通して飛び出ていなかっただけありがたかった、と言うべきか。

その衝撃の事実に気づいた湊は、中学校の体育の50走以来の全力疾走で廊下を駆け、パジャマを脱いで脱衣所の鏡を凝視した。


すると、背中が大きく楕円状に黒ずんでいるのが確認できた。

まるで絵の具でも塗られたかのようにべっとりと、しかし擦っても引っ張ってもその黒ずみが消えることは叶わない。

夢だと思いたかったが―――正体不明の化け物が現実に存在すること、そしてそれが自分の体から生えていることは、逃れようのない事実だった。


用意した失敗気味の朝食をダイニングテーブルに並べ、湊は座る。

すると黒い一反木綿もテレビを見るのをやめ、湊の正面へと移動した。

足や腰があるわけではないので、椅子の上に浮いているようだ。


「あの……」


「どーした? 早く食えよ。オレの動力源はオマエの食事なんだからな。オマエが食わねぇとオレも動けなくなる」


「いや……そうではなくて………」


「違うのか? ならなんださっさと言え」


「……あなた……さっき……私の『心』って………どういうことですか……?」


湊は先程一反木綿が言ったきりそこで止まっていた言葉が、なんとなく引っかかっていた。

自分の体から出ているということと何も関連性がないわけではない……と思う。


「そのまんまだ。オレはオマエの『心』だ。それ以外はどれも違う。かと言ってオレはあくまで『心』であって『オマエ自身』ではない。オレはオレとして独立しているっつーことだけは最低限忘れんな」


解決には至らなかった。

これ以上訊こうとしても同じ答えで一点張りされるだけだろう。

湊は諦めた。


「それともう一つだ。オレに敬語は使うな。ムズ痒くてたまったモンじゃねぇ。次使ったから殺すから覚悟しとけよ」


「…は……うん……わかり……わかった……」


こんな脅迫がこれから毎日続くのだろうか。

病院なんかに行って取れる……ような代物ではないだろう。

それどころか誰かに見つかりでもすれば人体実験される可能性も……。


湊の体は大きく震えた。


誤魔化すように、半分以上焦げた食パンにバターを塗って、一口かじる。

焦げた味すらしない。


「他になんか訊きたいことはねぇのか」


と、言われるが何から訊けばいいのか分からない。

下手に質問すれば先程のように突っぱねられるのが関の山だ。


「えっと……じ、じゃあ………あなたの名前……かな……?」


「名前……ンなもんねぇな。どーせだからオマエが決めろ」


そんなこと急に言われても。

無頓着そうに見えて、気に入らなければきっと怒り出すだろう。

自分にネーミングセンスがあるとは思えない。

そもそもそんな経験もない。

どうしようどうしよう。

えーと………


「クロロ……とか……は……?」


黒色だからクロ、しかしあまりに単純すぎるしペットのようなのでもう一つ付け足してクロロ、だ。

さほど安直さは変わっていないようにも思えるが、果たして、と湊は上目遣いで顔を覗いた。


「クロロ……悪くねぇ。以外とセンスあるじゃねぇかミナト」


どうやら気に入ってくれたらしい。

湊はハムエッグの味を感じられるくらいには、ほっと胸を撫で下ろした。


「他は? 無ぇならオレはテレビの続きを見るぜ」


「……じゃあ……もう一つ………。クロロは……いったい『何』……? その、私の『心』とか………そういうのじゃなくて……」


そもそも生物なのか。

それともやっぱりお化けや妖怪なのか。

区別できる、というだけでも得体が知れないよりは安心できるはずだ。

どんな答えでも―――よほど変な答えでなければ。


「オゥ、それもバッチリ準備済みだ。イロイロ探してみたが、やっぱ『アレ』だな」


湊がクロロの親指が指差す先を見ると―――テレビのニュースが流れていた。


「昨日未明、O県総丘市の路地裏で、40代と思われる男の遺体が発見されました。遺体には激しい外傷があり、警察はこれをクレイザーの犯行によるものだと発表しました。犯人は見つかっておらず、警察、Ceoともに情報提供と警戒を呼び掛け―――」


昨日のクレイザー事件が繰り返し流れている。

しかし『アレ』というのは一体どれのことを指しているのだろう。


「……ニュースキャスター………?」


「ンなわけねーだろ! クレイズだクレイズ! オレを種類で分けるってんならクレイズになるってことだ!」


声を荒らげてクロロは言った。

成程、クレイズか。

それならこの不可思議な状況にも説得力が帯びる。

お化けじゃないのならそれほど警戒しなくても大丈夫そうだ。

よかったよかった。


………ん?


「ったく……っとそーだミナト、飯終わったら美容院の予約をしとけよ。ンな鉄格子みてぇな髪が目に掛かった状態じゃ見えるモンも見えな―――」


「ちょ……ちょっとまって……!」


「なんだァ? また話聞いてなかったとか言うんじゃねぇだろうな?」


「そうじゃなくて……!」


クロロは湊から出ている。

つまりクロロは湊の所有物、ということになる。

それは即ち―――湊はクレイズ能力を所持している、ということ。


「―――ああ、そうだな。オレがクレイズってんならオマエは『クレイザー』になっちまったわけだなァ。ま、これからよろしく頼むぜミナト」




本でしか見かけなかった『頭を打つような衝撃』―――。


湊はそれを今日、確かに実感した。

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