SKY
独り暮らしのあたしの部屋は、とてもにぎやかだ。
今日も、窓辺のシュロチクが異国の言葉で話しかけてくる。
あたしは応える。
他愛もない会話だ。
突然、波の音が大きくなる。そろそろ満潮なのか。
サンドグラスの中の貝殻だ。貝殻たちは喋らない。ただ、波の音を時折ざわつかせる。
いったいいつの時代の波音だろうと不思議に思いながら聞いている。
話しかけたことはないけれど、いつか尋ねてみてもいいかと思う。
なんせ彼らは永遠にこの部屋にいるのだから。
「・・・・・」
ぬいぐるみがまた異国の言葉で語りかける。
この部屋の住人は皆、饒舌だが、異国の言葉を話す。他愛のないことを語りかけてくる。
だけど、このぬいぐるみだけは私の様子を尋ねるのだ。
「元気よ。えぇ、昨日よりずっと気分はいいわ」
この部屋がにぎやかになり始めたころ、あたしは漠然と生命の声が聞こえるのかと思っていた。
部屋のグリーンや、貝殻、グラスの中の水、カーテンを揺らす風や、太陽のひかり、ささやきのような星明かりや、寝言のような月影。
鳥の鳴き声、土の中の微生物。羽根布団の羽毛。
生命の息遣いに圧倒されて、息苦しいと思ったものだ。
日を追うごとに馴れてくると、生命の気配は異国の言葉としてあたしの心の中にするりと入ってきた。
だから、ぬいぐるみの言葉を聞いた時は正直驚いた。
そうか、生命はあるものではなくて、宿るものなのか・・・となんとなく納得した。
「・・・・・」
「どこにも行かないわ。ここにいる」
「・・・・」
「大丈夫よ」
少し空腹を感じて、遅い朝食を摂る。
胡桃の蜂蜜漬けの瓶を開ける。
「・・・・・・」
「そうなの?」
珈琲豆の入った缶を開ける。
「・・・・・」
「そうね」
あたしはのっそりと胡桃の蜂蜜漬けを器に移し、珈琲豆をグラインダーに入れて挽き始める。
もう彼らは話しかけてこない。
朝食を終えると、バイオリンを取り出す。
彼らのように饒舌に語れないあたしにできるのは、楽器を奏でることくらい。
G線上のアリア、タイスの瞑想曲、愛の夢・・・
促されるようにあたしは次々と奏でる。息苦しくて指が止まることがある。息継ぎのタイミングがうまくいかない。生きることに向かないのだろうかと考えて、考えることを放棄する。
向いていても向いていなくても、今あたしは生きている。
そわっと何かが耳元をかすめた。
貝殻がざわめく波の音でもなく、この部屋の住人の誰でもない。
バイオリンを弾く指が止まる。
耳を澄まし、息をひそめる。
これ以上なにも変わりはないだろう。
この部屋にたいした変化は起こらない。
天候が変わること、季節が移ろうこと、部屋が騒がしくなったこと以外の変化なんてそんなものだ。
「・・・・・」
「気のせいよ」
ぬいぐるみが語りかける。
そうだこの部屋に変化なんて訪れない。
「・・・・・・・・・」
「・・・・」
「・・・・・・・」
「静かにして。集中できないわ」
この部屋の住人が私の演奏を遮ることなんてなかったのに。
あちらこちらから異国の言葉が降り注ぐ。
あたしの時間なのに。
饒舌に語れないあたしが伝えられる精いっぱいの演奏なのに。
「聞いて。ちゃんと聞いてよ」
「・・・・・・・・・」
「・・・・」
「・・・・・」
「・・」
「・・・・」
「・・・・・・」
もう誰もあたしの演奏なんて聞いていなかった。
今までの演奏だって届いていなかったのかもしれない。こんなにも生命にあふれているのに、その中のたったひとつの生命もあたしに振り向いてくれない。まるで生命の重さだか大きさだかを測られているような気分になる。
あきらめよう。
あたしはバイオリンをテーブルに置こうと思った。
「・・・・・」
今では気のせいではないとわかる、あの声がした。
「・・・・・」
あたしはためらう。バイオリンを持つ手が震える。
演奏をしても、演奏を止めても、この部屋に変化はない。
そう決めたのは、あたしだ。
「・・・・・」
あたしは、バイオリンをテーブルに置き、車いすのハンドリムを強く握ると勢いに任せて回転した。
目の前には玄関のドアが閉じられている。
「どうしたいの?」
その声は、以前よりもはっきりとあたしの耳に響いていた。
終わり




