水平線の向こう側
『アンタは本当に私がいないとダメね』
僕の傍らで砂浜にのの字を書きながらそう呟く彼女。その姿はなんだか何故だかとても様になっていて、日常の一コマがともすれば映画のワンシーンのようだった。
「いやさ、存外僕一人だってなんとかなるもんだよ」
僕の強がりに彼女は呆れたように、もしくはつまらなそうに鼻を鳴らすと視線を水平線へ遣る。そうして目を細めて何を見ようとしているのだろうか。果たして僕がその答えに届く前に彼女は言う。
『確かに人間ってのは強いものだから一人で生きていくことは可能でしょうね。でもそれでも人間ってのは脆いものだから一人で生きてはいけないのよ』
そうして彼女は振り向いてこう続けるのだ。
『だからアンタは私がいないとダメなんだし、私にもアンタが居ないとダメなんだよ。違う?』
その表情は水面に反射した夕陽とのコントラストのせいかとても魅力的だった。
「違いない」
僕も曇りのない笑顔で、そう言った。
あぁ、なんて幸せなんだろう。本当に暖かくて、心地よくて——だから。
「どうしてなんだろうね。どうして君は死ななきゃならなかったんだい?」
そう問いかけた傍らに、答えを返してくれるはずの君はもう居なかった。というより、元からここに彼女なんて存在していなかったのだ。
そう、さっきまで言葉を交わしていたのは僕の心が——過去への醜く鬱屈とした妄執が産み出した幻想。
在りし日の記憶をなぞることに果たしてなんの意味があるのだろう、そうは思っていてもどうしようもなかった。
何度も確認したはずの現実への悲嘆が止め処なく、そして行き場もなく頬を流れ続ける。もしかすると僕はここに——彼女との思い出の場所にこのどうしようもない恋慕の落とし所を探しているのかもしれない。
だとしたらなんて馬鹿なことだろうと我ながら思う。だってそんなの見つかるはずもないのだから。
「どうやら本当に僕は君がいないと何も出来ない男だったようだよ」
水平線の向こうへ沈む夕陽はこれまた彼女との記憶を掘り起こして、胸のあたりがズキズキと痛んだ。でも何故だか目を逸らしてはいけない気がして。
そうして完全に夕陽が沈んで、帳が落ちる。
夕陽の消えた水平線に視線を遣りながら僕は、せめて彼女がこの向こうに何を見ていたのかを探そうと、そう思ったんだ。
「好きだよ、愛してる」
『私もよ』
僕の耳には彼女の言葉が確かに届いていた。