第七話
その日も化け物は飢えていた。
ずっと昔、自分がまだ今より少し小さくて弱かった頃。
お前は戦争用の殺戮兵器だ。
と、|一個(一人)の喋る|骨付き肉(研究員)が自慢げに鉄で出来た檻越しに喋っていたのを覚えてる。
勿論食ってやった。
何故か胸の辺りからとても熱くて重い何かを感じたからだ。
思えば、この場所で最初に覚えたのは物を食う事と殺す事。
殺すとは、物を食べる為に物を食べ易くする行為だと、顔に透明な丸い何かを一つずつ目に付けている肉の牝に教わった。
本当なら食ってやりたがったが、そいつは訳の分からない力で俺を痛めつけやがった。怖かった。
だから素直に降参した。腹を見せて、必死に媚を売った。その時の俺にはプライドは無かった。
それからは毎日、肉を食べる事が出来た。来る日も来る日も、一日に一個、多い時は三個。新鮮な肉がやって来ては俺を見て、楽しませる為の余興をしてから、食い物になった。
とても楽しかった。
ある時は、泣きながら鉄で出来た細長い何かを振り回して遊んだ肉。
そいつは細長い物が俺の皮膚で折れたのを見て小便を垂らしやがった。だから、俺の手で上と下に裂いて、上だけ食べた。裂けた時の顔は傑作だった。
またある時は、震えながら無言のまま地面にへたり込み、黒い服を着た両手を合わせて何かをつぶやいていた肉の牝。
そいつは遊びで交尾して、一週間後に腹の中から俺の子供に貪り食われた。その時の様子はとても面白かった。自分の腹を血が出るまで掻きむしって、穴と言う穴からいろんな汁を噴き出しながら死んだ。俺に手を伸ばしてきた。俺がその手を食ってやったら泣いて喜んでいた。
その時の子供がどうなったのかは分からない。
ここは良い場所の筈だった。それなのに最近は何日も肉を食らえずにいた。
最後に食ったのは肉の子供三十人。今の俺にはおやつ程度の量だった。それから十日?それとも、ひと月? 経った今日、俺専用に新しい肉がやって来たらしい。
腹一杯ではなくても、この飢えは満たせる量なら嬉しいな。
《「大ぃ変! なぁがらくお待たせいたしましたぁ!!
本日のメェェェエインバァトォ!! 『人魔血闘』のぉ……『人』!!
今回はぁ我らが倭国魔力研究所に侵入してきたスパイとぉ! その人質の可憐ぇぇぇぇぇぇぇぇぇんな汚らしい小娘ぇぇ!! この二名がぁ!! 皆様方の血肉湧き上がらせる名勝負をお約束しまあぁぁす!!」》
通された場所は床は乾いた土、周りは高さ6mはありそうな壁に囲まれた円形の闘技場。その事に気付いたのは、変な抑揚の喋りによる勝手な自己紹介と、鉄でできた出口の門が完全に降り切った後ろからの落下音で正気に戻された時。
急いで駆け寄り無意味と知りつつも門を手の平で叩く。叩きながら「開けろ!」と叫ぶ。
《「そぉしてぇ!!」》
アナウンスの声に反応した壁の上の人間達の一際大きな歓声によって、門の内側の人間に向けられた抗議の声は簡単に消された。その歓声は僕達が入って来たからではなく、反対側の門から出て来た化け物に対する物だった。
《「対するはぁ! 同じく! 我らが倭国魔力研究所が暇と予算と婚期を持て余して作り上げたと言う、十ぅぅぅ年無敗の、伝ぇぇぇぇぇぇぇぇぇん説のぉ怪物ぅ! 『メアリーちゃん』!!」》
おかしい。『メアリーちゃん』と呼ばれたあれはどう控えめに見ても性別が雌には見えない。
ゴリラやオランウータンのような逞しい霊長類の両腕。
漆のように黒い肌に鍛え込まれたボディビルダーのような身体。
メアリーちゃんの顔の倍はある太ももを搭載したネコ科を思わせる下半身。
手を地面につきながら歩く姿は四足獣そのものだが、極めつけは顔。
丸く黒い瞳は真っ直ぐ僕達を射抜き、ヤタムナヤは身を強張らせる。
荒い息にはかなり離れているのにアンモニア臭いと分かる程の強烈な臭いが漂う。
尖った鋭い歯並びは咀嚼ではなく獲物の肉を食いちぎる為。
その体長3mはある化け物の顔は…。
「何でそこで魚類来た!?」
と、思わず大声で突っ込んでしまう程の鮫顔だった。
「がおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
それに反応したのかメアリーちゃんはこちらに向かい咆哮した。
何で鮫が叫べる!? と言うか今からこいつと戦うのか!? 素手で!? 僕とヤタムナヤの二人が!?
頭に様々な感情? 感想? みたいなものが溢れ出ている。
無理もないと思う。要するに今の状況は命懸けの賭け試合、実質的な処刑目的の為にこの場に立たされたのだ。
しかし、彼女は事態を把握していないのか、それとも肝が相当太いのか、メアリーちゃんを見ても彼女? の大きさに目を丸くさせている。
その為に声を荒げて言ってしまった。
「ヤタムナヤ! 僕が引き付けるから壁際まで走れぇ!!」
両腕をルビーレッドの籠手に変えて、ヤタムナヤを出来るだけ怪物から離させようとする。
その声に反応して一瞬ビクついてしまった。
それを見たメアリーちゃんは両手を地面につけ頭を低くして口を開けた。
ヤタムナヤに向かって。
嫌な予感が身体を動かしてくれた。
僕から見て右に3m離れてる棒立ちのヤタムナヤに右手を伸ばす。
すると腕を覆う籠手から鎖が五本飛び出した!
そして、何かが、自分の内側にあった物が丸ごと鎖にごっそり持って行かれる感触。
膝を着きそうになるが唇を噛み、気力を振り絞り立て直した。
その間にも籠手から伸びた鎖はヤタムナヤを優しく迅速に掴んだ。
すかさず思い切り腕を引いて僕の方へと引き寄せ、ヤタムナヤを尻餅を着きながらも、なんとかキャッチする。
その直後に発生した甲高い爆裂音と地震。砂埃が津波のように上から降って視界が遮られる。砂がヤタムナヤに被らないように抱き締める。
《「ずあぁぁぁぁぁぁぁと!! 出ましたぁ!!
メアリーちゃんの必殺技『バレット』!! 分からない方、始めての方に説明しましょうぅ! 今のは言わば肉体の能力に物を言わせた力任せの突進!!
しかぁし! 上半身の大きさ故に下半身の予備動作は見えず! そのあまりの速さゆえに! 普通の人間の目にも見えず! これを避けれた人間は二年前に一人! 七年前に二人! それ以外はゼロだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」》
つまり、初見殺しの技って事か…!?
砂埃に塗れながらもアナウンスの解説、実況に耳を傾けられるのだから自分はまだ冷静だろう。
でも、腕の中のヤタムナヤは完全に怯え切っている。頭を両手で抱えて下を向いているので表情は分からないが、嗚咽の声が聞こえるのだ。想像は難くない。
《「さあぁぁぁて! スパイ男と少女はどうなったのか!? ミンチか!? それともメアリーちゃんの腹の中かあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」》
いちいち五月蝿いマメなアナウンサーだ。
しっかりと観客を煽るのを忘れていない。どこに居るのか、今は分からないが必ず殴ろうと思った。
それよりも厄介なのは砂埃が完全に落ち着き、壁にめり込み気味に突っ込んでいたメアリーちゃんが振り返った、その表情だった。
「ふぅ、ふっ、ふっ、ふひ、ふこごこごおぉぉ……。」
笑っていた。まるで久しぶりに手応えのある獲物に出会った獣のように。不敵に。
尚且つ、相手を侮らぬように。今の内に笑って好敵手に出会えた喜びの感情を押し出す為に、全力を持って冷酷に機械的に相手を潰そうとする準備の笑い。
そんな危険な雰囲気を孕んだ化け物らしい極悪な冷たい笑い方だった。
「戦いは、これからだ、って事かよ……!」
《「おぉぉぉと!! 生きていた!! 二人とも無事だぁ!!
しかも! いつの間にか男の方は武器を装備している!! 何と見る限り、ひ弱そうな外見とは裏腹に徒手空拳の使い手らしいぞぉ!! こいつぁ最高に面白くなりそうだぁ!!」》
勘違いしたアナウンサーの解説だが、的を得ている部分もある。正に、素人の人間の武力と、玄人の魔物の暴力のぶつかり合い。
人魔どちらの血も流れるのは明白な決闘。決着はお互いの死を持ってのみ許されると言う暗黙の了解。化け物の突進によって破壊された壁の崩壊音が、死合い開始のゴングになって戦いは始まった。
密かに笑っている自分に気付いたのかは、秘密だ。