第五話
「全く無茶をするな、お主」
寝転がっている僕の傍に佇み、顔を覗き込む老人。
朝一に見るのが朝のニュースでも、美人キャスターでもなく、髭を生やした老人とは……。
最悪だ。取り敢えず疑問は解決しておこう。
「……人の方って事はヤタムナヤは寝てるんですか?」
「……お主、確信犯じゃろ?」
「もちろん!」
何故、もちろん! と言ったのか。それは僕の胸に答えがある。
ヤタムナヤは今現在、涎を垂らしながら気持ち良さそうに寝ている。この世界が漫画なら鼻提灯が描写されてるだろう。それ位、熟睡している。僕の身体を枕にして。これなんてラノベ? それともエロゲ?
正直に言おう。涎が冷たいが、実に素晴らしい! 少女の体温と、時折鼻をくすぐる少女の香りが僕の脳へと伝わり、意識をより覚醒させる。とても、良い!
「やはり、ロリコンだの……」
「いつまでそのネタ引っ張るんですか」
この妖精、ユーモアセンスはあまり無いらしい。あの説教だって、本気でぶっ通しで喋りっぱなしだったし……。
そう言えば居なくなってるな、あの性悪蜘蛛女。あの凶暴な痴女は何処に行った?
「と、テツローは考えとるぞ、もーる?」
「クリクリの力はあんまり好きじゃないけど、今はお礼を言っとくわ、一応!」
「……ごめんね、お嬢ちゃん。僕が探しているのは、世にも珍しい巨大蜘蛛の肛門から生えている、真っ裸の人を拘束して年下の少女に本気で欲情する犯罪者予備軍の女性であって、君のような和服を着た女の子じゃないんだ?」
「わ・た・し・が! もーるよ! 分かった!? 豚!」
何て事だ。あの痴女の真似をして、こんなに高飛車で耳年増な少女が出て来てしまうなんて……。
これがあの犯罪予備軍の成せる業なのか?それとも、あの女郎の餌食になってしまったのか……!
と、今だに僕の胸の上で眠るヤタムナヤを起こさない様に退かし、立ち上がって、劇団員のような派手な動きをする。
気障な台詞と棒読みの内心模様〜。
「と、内心ではちゃんとお主の事を理解しとるぞ、こいつ」
「きぃぃぃ! 豚の癖にぃ!!」
はっはっはっ!! 愉快愉快!! 目の前のちんちくりんに成り下がった、もーる女史には僕を拘束するだけの力などぅ!?
「姿は変わっても、糸自体は出せるし、操れるのよ? 豚?」
「調子に乗りよって……」
も、もーるさん? にこやかな素晴らしい笑顔なのに、寒気とかがするのはどうしてでしょう? ほら? 僕達には言葉と言う素晴らしい文明の結晶があるじゃないですか?クリクリさんも傍観してないで助けて! そ、それに、く、首とか二の腕が心なしか、締まってきてるような……?
「もーる。その辺にして置け。また気絶されたら面倒だ」
また? またとはどう言うことだろうか?
首の息苦しさから解放され咳き込む。両膝に両手をついて息を整えるが、呼吸が浅い。動悸も早い。全身が休眠を欲して後ろに崩れ落ちそうになる。別に激しい運動や飲酒などは行っていない。なのに何故? その疑問にクリクリさんが答えた。
「記憶から消し去る程の激痛に耐えられなくなったお主は、幾度となく気絶と覚醒に伴う痛みによる慟哭で死に掛けていたのだよ。要するに、起きる、叫ぶ、気絶を六時間ずっと繰り返していたのだ」
「え? そんな事……!? う、おぇぇええええええぇ!」
吐いた。無様に。床に思い切りぶちまけた。呆れた様子で駆け寄るクリクリさんを右手で制す。
「……思い出しましたよ。まず、二つ言わせて下さい。一つ、もーるちゃん」
「また首締めるわよ!?」
「腕とか喉の諸々の治療、ありがとう」
そう、この幼女、健気にも僕の治療をしてくれていた。
叫び過ぎて出血した喉、鎖に蹂躙され原形を留めていない腕を必死に糸で繋いでくれていた。腕から出たであろう夥しい量の血は、……乾燥して床にこびりついてるな。
「え……、べ、別にヤタムナヤの為なんだから……、お礼なんて……」
性格変わってないか?
「二つ、じじぃ、あんたを殴らせろ。好きなだけ殴らせろ」
「別にいいぞ」
言質は取った。なら即実行。
まずは右ストレートをクリクリさん人間体の顔に放つ。
特に防がれる訳でも避けられもせずに、まともに入った右拳は相手の鼻を捉え、独特の耳障りな音を出して鼻骨を折った。驚く事に右腕を戻した時には、鼻血すら出ていない綺麗な老人の顔があった。
関係ない。今、僕は怒っているのだ。
そのまま左拳で相手の顎を打ち上げる。アッパーカット。と言うのだったか。それも諸に受けた老体は1mは浮き、そのまま床に倒れる。
疲れている己が体に鞭打ち、すかさずクリクリさんの上に馬乗りになり追い打ちをかけようとするが、右腕を振り上げた状態のまま身動きが取れなくなる。もーるの糸だな。
「一発、二発までは許すけど、それ以上は他の場所でやってくれない!?」
「幼女もーる」
「幼じ……!? バラバラにするわよ!?」
やれやれ、沸点の低い幼女だ。
「分かったから、離してくれ。殴らないから、絶対に」
「本当でしょうね?」
「なんなら指切りげんまんでもしようか?」
「何よ、それ?」
「もう殴るのは止めにしたのか?」
僕にマウントポジションを取られていた筈のクリクリさんが何も無かったかの様な涼しげな雰囲気でヤタムナヤが眠っているソファの近くに立っていた。僕は急ぎ足でクリクリさんに詰め寄り、両手で胸ぐらを掴む。
「あんな事になるなんて聞いてないぞ!!」
「そうか」
「っ!! もう一発、殴りますよ!?」
「好きなだけ殴るのではなかったのか?」
クリクリさんの発言に収まりかけた怒りが再度、爆発した。
「揚げ足取りみたいな事をすんじゃねぇ!!
大体、あの鎖はどうなった!? どうして僕の体に入ってきた!? 最初から最後まで詳しく話せ!!」
「『黙れ』」
「……!(何を言って!) ! ……!? (!声が!?)……!!(何をした!!)」
「お主の脳に声で命令を出した。言うなれば催眠じゃな。リスクも制約もない。ちなみに先程は『黙れ』と言った。暫くは喋れんぞ?」
なんて出鱈目な!? 特定の言葉の意味をそのまま他者へ無条件で従わせるなんて!
「お主に対して何一つの助言もせずに解除方法を教えたのは確かに拙かった。それは謝ろう。
しかし、お前は自分で決めて鎖を壊す覚悟を決めた筈。それをお前は今更、撤回しようと言うのか?
それに実行する前に幾つかの実験のような物はするのが普通じゃろ? 儂に非が無いとは言わんが、お主にも同等の責任も在ったのでは無いかね?」
……確かに。冷静に考えれば、あの時の僕はどうかしていた。急に感情的と言うか、本能で動いたような感覚だった。
何も考えず、死んだ恋人への想いと、ただ目の前の鎖を壊してヤタムナヤを救う。それだけに囚われていた。
まるで、誰かが書いた出来の悪い物語の、筋書き通りに動く登場人物の様に。
「その認識は間違っとらん。
確かにこの世界はお主を自分に馴染ませる為に、お主の脳に介入し判断力を欠如させ、結果、あれを引き起こした」
「ク、クリクリさん、つまり、それは世界そのものに意思が有って、意図的に僕の意識を操った。で、良いのかな?」
「世界。と言うよりも、この惑星の意思。と言った方が正しいのぅ」
わ、笑えない。異世界に来て、まさかガイア理論のお世話になるとは……。確か地球を一個の巨大な生命体と見る考えだったか。
それなら、ある人が自分で選択したつもりでも、全部、住んでいる惑星の好き勝手で、極端な話、生死すら決められてるって事じゃ……。
「それは違うぞ、テツロー。人の意思は星の意思と同等。地球の意思を仮に運命と呼ぶなら、人間の意思は奇跡。奇跡は運命を覆し、時を超え、世界を震わせる。星すら包み込む程に強い力を人間は持つのじゃ」
「……心を読んでまで、励まさないで下さい。まぁ、ありがとうございます」
「ふむ、分かればよろしい。さて、知りたい事が色々あるじゃろうが、如何せん時間がない。一つだけなら答えよう」
どうしようか? 自分がこの世界に呼ばれた理由? 鎖について? それとも姫について? いや、そんなのヤタムナヤにまた召喚してもらえれば済む話だ。それなら……。
「僕が気絶している間のヤタムナヤの様子を話して下さい」
僕が救った筈のお姫様が眠っている訳を聞こう。
それからクリクリさんにヤタムナヤに何が起こったのかを詳しく聞かせてもらった。
ヤタムナヤだが鎖が壊れて尻餅をついた時に、昏睡状態に陥ったらしい。何でも無限大の魔力を数年ぶりに認識した結果、脳が魔力を恐らく視覚化しようとして処理落ち。
クリクリさん曰く、「死ぬ可能性も一握りではあるが、確かに会ったぞ。この子は本当に運の良い子だ」、との事。
その時に見せた顔が憔悴し切り、尚且つ、僕を親の仇でも見るような目で見ていたのには、背筋が凍った。
僕の行動によって、一人の女の子の命を奪うところだったのだと思い、肝が冷えた。あの時に驚いていたのは鎖ではなく、自分の魔力を視覚化しようとして意識が飛んでいたからだったのだ。
その時になって、無限大の魔力を感知したクリクリさんが慌てて魔力を吸い上げ顕現。もーるさんと協力し、ヤタムナヤと僕の治療に当たってくれたらしい。
ただ、その三時間後にはヤタムナヤは意識を取り戻し、そして、僕の苦しんでいる姿を見て混乱してしまい、僕に縋って泣いてくれたと聞いた。
泣き止むともーるさんの手伝いをして、クリクリさんの指示の元、腕の治療を見守ってくれていた。僕はその事を聞いて薄っすらとヤタムナヤが話しかけてくれたのを思い出した。何を言っていたのかは意識が朦朧としていてうまく聞き取れなかったが、涙を流した彼女のくしゃくしゃに歪んだ顔は覚えてた。
そして、最後に光の粒子となって消えていくクリクリさんに告げられた。
「テツローよ。お主は見事、二万八千四百三十人目の姫、ヤタムナヤを救った。お主に与えられた異能はこの世界の異能。お主のその身は異世界そのもの」
「今は力弱くとも、更なる姫達を解放して行けば、徐々に鎖と身体の力を引き出せるだろう」
「しかし、忘れるな』
『お前の人生、お前の命、お前の存在すらこの世界は捕らえ、受諾し、呑み込んだ』
『つまり、この世界に囚われたお前はお前の世界に帰れない。一生だ』
つまり僕は異世界に囚われた。囚われている姫達を助ける為に。
今の僕は現状に戸惑っている。何故なら……。
「お〜い? 小綺麗な兄ちゃん? 何処から忍び込んだかは知らないが、この倭国魔力研究所の被験体管理室特殊武装隊の目の前に反応の消えたモルモットと一緒に出て来るとは、お前、何者だぁぁぁぁぁぁぁぁ?」
初接触の第一異世界人は、僕とヤタムナヤに槍や剣を突きつけながら、僕らの周りを取り囲んでいる兵隊さん達の隊長さん。です。