第二話
「不問、ですか?」
「そう、姫と思われる少女と姫に匹敵する異能を持った青年の保護、及び彼らに対する情報の漏洩などの売国行為の全ては、君自身、命の危機にあった為に不問とする。
と、首都から通達が。
……何故かあの日の事件が起こる前に来ていてね」
私は今、一昨日から配属された第伍研究所の所長室にて、不破 息吹所長の言っているあの日、二日前の事件、「姫事変」に於ける処分を言い渡されていた。
彼は声の感じと座っている時の姿勢から、私の死んだ父と同年代と言った所だろうが、明らかに実年齢より老けている。
此処にも左遷されてきた苦労人と言ったところだ。白髪の頭が彼の何とも悲壮な現実を表している様だ。
……が、余りにも不可解。私は奴らに脅されていたとは言え、姫の封印に関しての情報を一部漏らし、更には第壱研究所特製の機械義手を破壊され、……信じたくないが魔弾精製と発射の技術まで奪われた。
そんな私に下されるべき処分が皆無とは……。
しかもあの日の内に? 事件が起こる前に?
あり得ない。
周りの山の発する特殊な電磁場の影響で、無線通信が不可能な第伍研究所。
すなわち盗撮、盗聴、上空からの撮影及び録音。研究所内からの外部への通信は不可能と言うことだ。
そう言った理由でも人気の無い、左遷用の研究所として有名な此処は、外部とのやり取りを担う連絡所のある麓まで半日、往復の移動を合わせて丸一日は掛かるんだぞ?
首都までの距離を考えれば、あの日の内に情報が研究所本部に届いたのは確かだろうが、その通達が此処に届くのにもう半日。
つまり、昨日届くべき通達がなぜ当日に?
今すぐにでもこの場で体を抱きすくめたい。
自分の中に沸き起こった疑念と不信感。
魔王様の勅命、私は最初から此処にくる事を仕組まれていたのか?
敢えて処分は下さず奴らの監視に最適な人材、私を選んだ?
その時、私は喉元に突き付けられた見えないが、確かに存在する陰謀と悪意という名の刃を感じた気がした。
しかし、それよりも、所長の言葉に引っ掛かるものがあった。
「あの、所長。失礼を承知で伺わせていただきます」
「……うむ」
「先程、姫と思われる少女。とおっしゃられておりましたが、あれは正しく……」
「姫だ。と?」
「はい」
そう、あれは姫だ。間違いない。
私の左腕が訴えていたからだ。小さい、細い腕を懸命に伸ばして人差し指で奴を指して、教えたからだ。あれが姫だと。
「五郎丸君。我々が姫狩と呼ばれたのも、もう百年も前の話。理由は君も知っているよね?」
「……百年前に奴らを封じ込める檻が製造され、それにより捕縛した物については全て封印完了。と、記憶しております」
「そうだ。我々の生活を脅かし、魔物を生み出す人類の永遠の敵。それが姫だ。いや、だったと言うべき、か」
だった? この男は何を言っているのか自分で分かっているのか?
「だった。とはどういう事ですか? あの姫は得体の知れない、私の知る限り未発見の異能を私の眼の前で使い、付随していた男の治療をさせました!
私程度の新人の証言では根拠に欠けると仰りたいのですか!?」
執務机の前に立って、説明を聞いていた私は人の腕に近い精密タイプの機械義手で所長の机を力任せに叩く。
机の叩かれた部分が凹み、徐々に亀裂が走り、最後には亀裂に沿って二つに割れた執務机だった物が、木製の執務椅子に座っていた所長の前に出来た。
「お、落ち着きなさい。さ、最後まで話を、聞きなさい」
話にならない。
そう思った私はそのまま無言で所長室を後にする。
向かう先は決まっている。腹立たしい。
訓練室だ。
だから、私は聞き逃してしまった。
所長が私の背に向けて言い放った「保護した二人は私の部下になる」という弱々しいか細い声の戯言を。
訓練室。とは読んで字の如し。訓練や鍛錬を受ける部屋。訓練を受ける側にとっては辛く厳しい時間。だがそれは訓練をつける側にとっても言えるだろう。
特に相手が自分より遥かに年下の美少女なら。
更に言うなら、自分達が子供の頃から教えられた、恐ろしい人外なら。
「だ、だから、な?お嬢ちゃん。君の異能を見せて欲しいんだが……」
「……みんなの声は聞こえます!」
「それはさっきも聞いた。だからその声の主達を呼んでくれないか?」
「できないです!」
「……休憩にさせてくれ」
「はい!」
髭を生やした歴戦の傭兵風の渋い初老の男が、年下の純真無垢な美少女に怯えながら話しかけ、「な、なぁ、お嬢ちゃん、……何が出来る?」「みんなを呼べます!」「……なら、呼んでみろ」「……できないです!」「……なに?」から始まった三十分続いた会話に、遂に匙を投げた。
て、忘れてるじゃん。ヤタムナヤ。
「ヤタムナヤ?」
「あ! ……ありがとうございました!」
「……いや」
訓練室に行くまでの間に、教えておいた訓練終わりのお礼を何とか言えたな。課長は照れ臭そうにかぶりを振る。
そんなやり取りを訓練室、と言うよりも訓練場と表すべき広い空間の壁際で金属製の車椅子に座りながら見ていた僕の感想は。
「平和過ぎだろ」
何とも的外れで、平和な国、日本育ちの日本人としては異常な答えだった。
あの後の僕達、と言うか主に僕の行動は至極簡単な物で、五郎丸さんを人質に此処、倭国第伍研究所に突貫を仕掛け、所長室へ侵入し所長その人に交渉を持ち掛けた。蛇の様に蠢めく鎖を見せながら。
因みに僕が背負って運んでいたヤタムナヤの目は瞑らせていたので、途中で何人か吹き飛ばしたり、向かってきた男達を窓の外に投げたり、壁を『顎門』に壊させて直進したりなどの暴力的な物はなるべく見せてない。
五郎丸さんは引きずって運んだ。流石にあれ以上怪我をしない様に鎖でソリを作ったが。
……うん、極悪人である。もし此処が日本なら犯罪である。SITとかSATのお世話になってもおかしくない重罪である。
良い子も悪い子も真似するなよ! 犯罪だからな!
ただ気になる事もあった。
吹き飛ばしたり窓の外に投げたりした以外に人に遭遇する機会が皆無だった。
所長室に「お邪魔しまーす」と軽いノリで木製の扉ではなく、その隣の壁を破壊して入室した際には、「やぁ、いらっしゃい」なんて軽い調子でお茶を出され、交渉もこちらの条件をあっさり受け入れ、失神していた五郎丸さんを傷つける事なく受け渡しが出来た。
提示したこちらの条件は、
一、「僕達を匿う事」
二、「僕達にあらゆる状況でも危害を加えない、加えさせない事」
三、「僕達に自由行動を許す事」
四、「そちらが提供出来る全ての情報を隠さず詳しく教える事」
五、「僕に戦闘経験を積ませる事」
六、「全ての条件を所員に徹底させる事」
こんな無茶な要求を不破所長は、
一、「五郎丸さんを返す事」
二、「条件を飲む代わりに、僕達を五郎丸さんの部下にする事」
の二つの提案を僕達が受け入れるだけで了承すると言った。
実際はこの時に所内にいた戦闘課の所員が五郎丸さんだけで、吹っ飛ばしたり、外に投げられた人達は憲兵課の人だけで、僕に対抗出来る所員が皆無だったという理由があるとは知らずに、とんとん拍子で順調に進んだ交渉に一つの疑問を持つ事なく、彼と熱い握手を交わしてしまったのだ。
そして、そのまま気絶。
体力的にも精神的にも限界だったのだろう。
気が付いた時には知らない天井の部屋のベッドでヤタムナヤに添い寝されてる形で丸一日寝ていた。
気が付いたら異世界生活三日目の朝に突入していたのだった。
そして、起きるのを待っていましたとばかりに鳴らされた呼び鈴の音と共に部屋に入って来た所長に、
「やぁおはよう。早速で悪いんだけど、新しく入った仲間の実力を知る為に訓練室で待ってる戦闘課の課長さんに会いに行ってくれない? 勿論、自由行動だから、行かなくてもいいけど、ヤタムナヤちゃんはどうする?」
と、態々襲来して、寝起きで寝惚け眼のヤタムナヤを煽ってくるとは思わなかった。
その後のヤタムナヤの反応は決まっていた。
「訓練室ってなに? テツロー?」
僕に対する寝起き質問攻めの後、物の見事にヤタムナヤの興味に触れた「訓練室」という言葉。僕達が訓練を受ける事が確定した瞬間だった。
確かに僕達の自由行動を害してはいない。しかし、こうもやられっぱなしは性に合わない。
と、僕に向かって跳躍したヤタムナヤを受け止めて、訓練の感想を聞こうとした僕に課長さんが声を掛けてくる。
「次、あー、そこの車椅子に座ってる奴、名前は?」
「尾口 鉄郎です」
「なら座ってないで、早く来い! お前の番だ!」
と言って、何やらヤタムナヤの時には開けていなかったコンテナの扉を開けた。
そしてその中から腹に響く駆動音を出しながら現れた物体。
「こいつをどう思う? 尾口?」
いたずらが成功した子供みたいな笑顔で問いかける課長。
「ロボッ……ト?」
それは短いずっしりとした太い足で二足歩行を行い、人間の頭部分に一つ目の赤く燃える炎を宿した顔を有し、鉄のプレートに「EMETH」と鈑金された物を胸部分に螺子で固定している。
音の正体は胴体部分の動力源が原因だろう。
背中からは排気のための筒が左右二本ずつ出ている。しかも、両腕の構造は完全に僕の世界の銃器、それも重機関銃と呼ばれる高威力の機関銃のものと酷似している。
「なんだそりゃ? いいか? こいつは魔王様が百三十六年前に作った最初期型のゴーレムだ。燃料は……」
「人間の魂だ」
この世界は優しくなんて無かった。