第一話
時間は遡り、尾口 鉄郎とヤタムナヤの両名が倭国第伍魔力研究所に現れる一週間前の五郎丸 漆の話。
それは今朝の事だった。
憲兵課の総合執務室に隣接する情報班の緊急秘匿回線用通信室。
戦闘課の私は呼び出され、魔王様の直轄領で研究所総本部が置かれている首都の本部長、メイ・ツオナウ閣下その人が映像通信で待たれていた。
『うん。君が五郎丸 漆ちゃん?』
「はい! 第壱研究所戦闘課前衛班機械係、五郎丸 漆であります!」
『うん。僕はメイ・ツオナウ。一応本部長やらせてもらってる。君、元気だねぇ? 嫌いじゃないよ。休め』
「はっ!」
敬礼を止め、手を後ろに回し、足を軽く開く。
『うん。君の情報は一通り、見せて貰った。訓練生時代は機械義手の効率的な運用方法、変形機構の改善の論文で校内表彰されてるね。
それに知識よりむしろ実戦の方が得意なのかな?
訓練校時代もだけど、各地の研究所、特に南での戦果や成績は、僕から見ても優秀と言えるね』
私は祝賀パレードで魔王様に手を振り、手を振り返された少女の様に叫びたい衝動を抑え込むのに必死だ。
顔には出ていない筈だが、内心は完全に舞い上がっていた。
自分の思っていたより数段大きい声で応えてしまった。
自分の憧れであり目標の『首都の戦乙女』が画面越しとは言え、本人に対面できた! しかも、私も知らなかった新たな事実!
彼女は僕っ娘だったのだ!
彼女は僕っ娘だったのだ!
彼女は僕っ娘だったのだ!
大事な事は再三確認する。戦闘課に身を置くものなら常識だ!
同期に聞かせる自慢が胸と筋肉、機械義手以外に出来たぞ! フフフフ……。
……しかし、なぜ閣下は私を秘匿回線でお呼出になられたのだ?
私の脳内にはそんな瞬間的に湧いた疑問すら微塵も消し飛び、ツオナウ閣下のご尊顔を拝している事しか考えられない。
画面越しでもなんて綺麗な金髪なんだ。
その髪のケアにはやはり本部で開発された特別製の専用シャンプーなのですか? トリートメントも同様ですか? それとも既存品ですか? そう言えば四年前に開かれた大陸統一後百三十年記念式典で行われ、圧勝なされた御前試合の際にお使いになられた多脚型の機械義足は専用機ではなく試作機だったと言う噂は本当ですか? お肌もお綺麗ですね? お手入れには何を使われているんですか? そのお洋服は首都限定のオリジナルブランドですか? 動き安そうでいいですね? 良ければ教えていただけませんか? お友達を前提にしたお付き合いをして下さい!」
何て質問と最後の私情をおいそれと言い出せる訳がない。完璧に抑え込んだ。無表情を貼り付けた。
『……取り敢えず今は黙ってなさい? うん』
「はっ! 了解しました!」
む、何やらツオナウ閣下の顔色が優れないな。
いけない、顔がにやけてしまう。私よりたった四つ年上の彼女との交友を頭の中で妄想してしまう。へへへ」
おや? 今度は額に手を当てて、お顔を隠されてしまった。どんな表情かは窺い知れないが、こんな仕草すら絵になる。
『……いや、まあ、うん。君に悪い事しちゃったかなぁ。なんて気持ちも今ので完全に消えたよ』
「?」
何の話だろうか? 呼び出しの案件についてだろうか? 私にとって悪い事?
『……単刀直入に伝えるよ。君には此処から別の場所に特別任務についてもらう』
「……(異動か? 首都防衛に力をつけねばならないこの時期に? 第一研究所の人間が?)」
そう現在、我が大陸内部には恐れ多くも魔王様に反逆の刃を向けた王族と協力者の末裔達が指揮、先導している抵抗軍が百三十四年の沈黙を経て、現れ始めたのだ。
奴らは百三十四年前に滅んだのではなく、一時的に身を隠し潜伏していた。と、いう事らしい。全くもって許し難い。今にも私の左腕の魔砲で消し飛ばしたい。
無論、魔王様は奴らの封じ込めの為に奴らの拠点としている南の土地と中央地帯との間にその御力で作られた長城を奴らにとっての檻、我らにとっての強固な盾とした。
心優しく慈悲深い方だ。あのお方は敵の血で汚れる我らの事を心より気にかけてくださっている。だからこそ我らもまたあの方に全力で忠義を尽くすのだ。
それに私にも無関係とは言えない事情がある。あの時の事を思い出すと、如何しても左腕の切断面が痛み出す。熱を帯び、虫が集って蠢いているかの様に不快感が襲う。どんな任務だろうと必ず完遂してみせる。奴らを殺す事になるなら、本望だ。
殺意と戦意を高め燃えていた私に、ツオナウ閣下は予想外の冷水を浴びせた。
『それに伴い、来週から君の勤務地は、今いる第壱研究所じゃなく大陸中央部にある休火山付近に設立されている倭国第伍魔力研究所になる』
「え?」
あの後はもう大変だった。
異動する事に対しては多少の、多少の! 葛藤があったものの、課長に直訴したり、課長に左手が唸りを上げたり、それを同僚数人がかりで制圧されたり、自分の机の周りの整理を此処に配属されてから初めてやったり、ヤオナウ殿と本人からご了承を得、閣下ではなく殿で呼ばせて頂けたり、職員用の寮から私物を全て纏め、引越しの手続きや必要な書類へのサインやメモなどで貴重な非番が一日潰れたり……。
私のフラストレーションは限界を迎えていた。
何故、首都にも近い第壱魔力研究所の戦闘課から、こんなド辺境の実験動物の古臭い賭け試合しか取り柄のない第伍研究所なんかに〜!
あぁ! 遠退いて行く……!お気に入りのブランドの新作が〜! あの素晴らしき甘味な日々がぁ〜! ツオナウ閣下との時間が〜!
「……しかし、私程度の新人の人事になぜ魔王様の勅命が下されたんだ?」
五郎丸 漆 さん 19歳。人生の転機まで残り四日。