76.私は私の道を歩いていきます
私が『異界の巫女』であるという事実は、ついに王宮中に知れ渡ることになった。
あれから、私の後を追いかけてきたルーノさんが、大きな声で宣言したからだ。
――その娘は『異界の巫女』だ、誰か捕まえてくれ、と。
もちろんそれは、確信的な宣言だったのだろう。
結局のところ、初めからルーノさんはそのつもりだったのだ。
全ては、私を焚き付けるための演技だった――なんて、後から知らされた時の私の気持ちといったら。もはや言葉も出てこない。
あの場ではとにかく必死だったからそれどころではなかったが、ルーノさんがフラハムティ様に味方して、私のことを邪魔者扱いしたという「事実」は、思った以上に私の心に深い傷を負わせたみたいだ。
「だってハルちゃん、一年間ホントにずーっと悩んでるんだもん。あれくらいのことがないと、覚悟決められなかったでしょ?」
そう言ってニコニコと笑うルーノさんに、もはや殺意が湧くほどだった。
そしてアルスさん。
彼もまた、ルーノさんのお仲間だったようだ。
そもそもあの場にノエルが駆けつけることができたのは、アルスさんがノエルに報せを送ってくれたからだそうだ。
魔法陣から逃げ出した時、私がアルスさんを出し抜けたのだって、私の実力でも何でもなく、彼がわざと手を抜いてくれたからだったのだろう。
最後の最後で、彼は私を裏切らなかった――でも、素直にお礼を言うのはちょっと癪だ。
そんな中、フラハムティ様だけは本気だった。
彼は本当に本気で、私を元の世界に帰すつもりだったのだ。
ルーノさん、そしてアルスさんが手のひらを返したことは、彼にとっては大きな誤算だっただろう。それは何だか、申し訳ない気がしないでもない。
彼は、宰相としてやるべきことをやっただけなのだから。
最初から――二度目の召喚で再会した当初から、彼の行動が間違っているとは思っていない。もうちょっとやり方があるだろう、とは激しく思ったりもするけれど。でも、そういった黒い部分も含めて、それが宰相の仕事ということなのだろう。
それでも、私は物言わぬ駒ではないから。
彼が国にとっての最善を常に選択し続けてしたとしても、自分を押し殺して、ただそれに従うことなどはできない。いつかは、駒としてではなく、同じ人として彼と向き合い、そして協力し合うことができればいいと思う。
とにかくも、私の存在が公になってしまった今、密かに私をこの世界から追い出すことは難しくなってしまった。
フラハムティ様は、さすがに頭の切り替えも早い。
これ以上無理を通すと後に響くと判断したのか、あの場ではすぐさま私兵を引かせ、私の身をノエルに預けてくれた。それから今まで、不審な接触はない。恐らくは、また別の形で私の『異界の巫女』の肩書を活かそうと、策を練り始めたところだろう。
そして――ノエルだ。
あの時、ノエルが来てくれたのは、私にとっては奇跡のようなものだった。
私が飛び込める場所は、結局は、彼のところしかなかったのだ。
ノエルに抱き留めてもらった時、ああもうこれで大丈夫だと、心から安堵することができた。
一度目の帰還の時、私の想いは、ノエルによって拒まれた。
あれから三年近くの年月を経て、とうとうノエルの腕の中に飛び込んだ瞬間、まるで三年分の時を飛び越えてきたかのように――置き去りにされていた私の中の「何か」が帰ってきたような気がしたのだった。
それで私は確信した。
私の選択は間違っていなかったのだと。
……しかし、あれは少しやり過ぎだったかもしれない。
階段の手すりを乗り越えて二階から飛び降り、ノエルに受け止めてもらう、だなんて。
そんなド派手な行動に出てしまったことで、私が元巫女だということだけでなく、私とノエルの関係についてさえも王宮中に知れ渡ることとなってしまったのだ。
実は『異界の巫女』がこの世界に出戻っていて、実は一年以上も普通に暮らしていて、実は当時の護衛騎士であるノエルとも繋がっていた――なんて、これ以上のゴシップネタには、この先しばらくお目にかかれないのではないだろうか。
でも、それはまだよかった。
ただ恥を忍んでいれば済む話だ。
それよりも、私の心にずしりと重くのしかかるのは、街での私の評判だった。
もっと言ってしまえば、定食屋のご主人達に会わせる顔がない。
私は結局、彼らを欺き続けていた。
皆の優しさに甘えて、付け込んでいたのだ。
全てが露見してしまった今、どれだけ謝っても、きっと彼らの不信感をぬぐい去ることはできないだろう。
そして、もはや私は、彼らにとっても『異界の巫女』でしかありえない――。
それが一番、苦しかった。
・ ・ ・
「ハルカ、挨拶に行けるか」
一連の出来事から一週間と少し、ノエルが定食屋のご主人達と約束を取りつけてくれたので、改めて彼らの元へ挨拶に向かうことになった。
私は今は、ノエルの自宅でお世話になっている。
『異界の巫女』だと王宮中――いや、王都中に知られてしまった関係で、普通の使用人として働き続けることが難しくなってしまったからだ。同じ理由で、定食屋にも顔を出せない日々が続いている。
それでも、このままではいられない。
たとえこれが最後の機会になってしまったとしても、ご主人達とは、きちんと会って自分の口から話がしたかった。
「うん、もちろん、行く」
私はしっかりと頷いた。
ご主人達から貰ったいつもの服を身にまとって、いつものように髪を一つにまとめ上げる。そしてミディさんから貰った花の髪飾りを差せば、定食屋のハルカの出来上がりだ。
――これが、私なんだ。私は、これ以上の何者でもない。
定食屋までは馬車で向かうことになった。
歩いて行っても十分もかからない距離だ。けれど、今の私には、街の大通りをほんの数分歩くだけでも難しいことだった。
「そういえば、ノエル、一度定食屋に行ってみたいって言ってたよね。こんな形で実現することになっちゃうなんて、夢にも思わなかったね」
馬車の中、私は重苦しい雰囲気になるのが嫌で、あえて軽く笑って見せた。
向かいに座ったノエルは、そんな私の心情を察してくれたのだろう、「今日は自慢の料理を食べられそうにないけどな」と、やっぱり軽い調子で返してくれた。
今は、ちょうど夜の営業までの中休みの時間帯だろうか。
いや、王宮から『異界の巫女』が来るのだから、一日店を閉めておくことにしたのかもしれない。だとしたら、ちょっと申し訳ないな。
そわそわと、思考の中まで落ち着かない。
定食屋が近づくにつれ、私の鼓動はますます大きくなっていった。
そして、覚悟を決める間もないほどにあっさりと、馬車は定食屋の前まで辿り着く。
ノエルに手を借りながら馬車を降り立つと、それだけで店の周囲からざわめきが湧き起こった。
私の大好きな定食屋。
その扉を、怖くて開けることができない。
開けた先に、どんな表情のご主人とおかみさんが待っているのか。
「ハルカ、大丈夫か」
気遣うように声を掛けてくれるノエルに、頷きで答える。
意を決して、そのドアノブに手を伸ばした時――。
中から、扉が開かれた。
そして姿を見せたのは、ご主人、そしておかみさんだ。
私は驚いて手を引いた。
ご主人達も、ひどく驚いたような表情を見せる。
ああ――、どうしよう。
拒絶されるのが、怖い。
「――ハルカちゃん」
次の瞬間、木漏れ日のような暖かな声で名前を呼ばれた。
「お帰り、ハルカちゃん」
「ハルちゃん、よく、戻ってきてくれたね」
「……ご主人、おかみさん」
私は目を瞬いて、目の前の二人を見つめた。
二人はゆっくりと頷き、微笑んだ。
「あの、私」
「おやまあ、どうしたんだい、そんなに震えて」
おかみさんは、私の手をそっと握った。肉付きのいい、少し固い大きな手。ほんのりと熱を持ったその手に包まれると、途端に泣きたい気持ちになった。
「ご主人、おかみさん。私、あの、お二人に、お詫びを伝えたくて。これまでたくさんお世話になっていたのに、ずっと本当のことを言えなかったから、それで、私」
「ハルカちゃん、落ち着いて。大丈夫、私達はここにいるから」
ご主人が、励ますように私の肩に手を置いた。
二人の温かい体温に、私は少しずつ落ち着きを取り戻していく。
「――本当に、ごめんなさい。ずっと黙っていてごめんなさい。お二人の親切心に甘えて、私はお二人を欺き続けていました」
「何を謝ることがあるんだ、ハルカちゃん」
ご主人は鷹揚に笑う。
「私達には、難しい話は分からないんだ。なんせ、ただの定食屋の夫婦だからね」
「だよねえ、おまえさん。どういう複雑な事情があったのかは分からないけれどさ。ハルちゃんに欺かれただなんて思ったことは一度もないよ。だって、私達の前にいたのは、いつどんな時でも、ずうっと『ハルちゃん』、あんただったじゃないか」
そしてお二人は顔を見合わせ、頷き合った。
「それにね、ハルカちゃん。君が何者であろうと、君は私たちのもう一人の娘だと、ずっと前から思っていたんだから」
もう一人の、娘。
その言葉が温かくて嬉しくて、私はついに泣き出してしまった。
「ほらほら、泣かないで、ハルちゃん。あんたにはやっぱり笑顔が似合うよ。しんどいことがあったのなら、いつでもここに帰ってくればいいさ。もちろん、しんどいことなんてなくてもね。楽しい時も、嬉しい時も、いつでもうちに顔を出しなさい」
そういうおかみさんの声も、どこか涙声だ。
そして、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。私はその胸にしがみついて、しゃくりあげながら泣き続ける。こんなに涙を流してしまって、脱水症状にでもなるんじゃないかというくらい、後から後から涙がこみ上げてくる。ああもう、私、この二人の前では泣いてばかりだ。
「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「私たちは、いつでもここにいて、ハルカちゃんの帰りを待っているよ」
――私の、帰る場所。
かけがえのない場所。
私が私でいられる場所――。
それからずっと、私は涙が枯れ果てるまでおかみさんにしがみついていた。おかみさんは呆れることなく、まるで本当の母親のように、優しく私をあやし続けてくれて。
ここが、私の世界になるんだ。
毎日を暮らし、少しずつ歳をとって、そしていつか還る世界。
とても幸せなことだと、心から思った。