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75.その答えの先に

 息が、止まった。

 一瞬、フラハムティ様が何を言っているのかが分からなかった。

 聞こえた「音」を、「言葉」としてようやく理解し始めた時――体中からどっと冷汗が噴き出すのを感じた。


「ハルちゃん、ごめんね。アルディナちゃんをこの先も巫女にするって決めたからには、不穏な要素は極力排除しておきたいんだ」


 ルーノさんが、いつもと変わらないのんびりした調子で話し出した。


「彼女が不安定な時期は、君を代わりに据える必要が出てくるかもしれないから、危険を承知で君にこっちで暮らしてもらっていたんだけど。君のお陰で、アルディナちゃんも随分安定してきたしね。逆に、君にはやっぱりもう巫女としての力はないみたいだからさ、帰ってもらった方が安心だってことになったんだよね~」


「そんな、勝手な……」


 心底腹が立つと、力が抜けるものらしい。


 私のことを散々利用しておきながら、用済みになったら早速処分だなんて。

 そのあまりの身勝手ぶりに、却って抗議の声が出てこなかった。


「少しずつ、『異界の巫女』の存在がこの王宮内に認知されつつあるのはご存知でしょうか。あなた様の存在が本格的に知られる前に、我々は手を打たねばならない」

 ルーノさんの言葉を引き継ぐようにして、フラハムティ様が告げた。

 他の男の人達は無言だ。

「何も、あなた様に危害を加えようというのではない。元の世界に帰れるのです、あなた様にとってもよいことでしょう」


 元の世界へ帰る。

 もう何度も思い描いた結論が、今一度頭を駆け巡った。


 ――悔しいけれど、フラハムティ様が言っていることは間違っていない。

 私は確かに、もはやこの世界にいるだけで邪魔な存在なのだろう。安定した国造りを続けていくにあたって、抱えていくには大きすぎる爆弾だ。


 ならば、言われた通り、元の世界へ帰ってしまえばいいだけの話。

 邪魔だと切り捨てられてしまうのならば、私だって捨ててしまえばいい。


 帰って、もう一度、受験生の夏をやり直すんだ。

 前だって、そうやって元の生活に馴染んでいった。

 それと同じことだと思えばいい、ただそれだけのことなのだ。


(同じ、こと――)


 私は拳を握りしめた。


 小さな定食屋の、少し古ぼけた建物が頭に浮かぶ。


 その扉を開けて、笑顔で私を迎え入れてくれたご主人とおかみさん。

 彼らの隣には、姉御肌で、いつだって頼もしく、そして優しく話を聞いてくれたセナさんもいる。

 定食屋の美味しい食事を気に入ってくれた、たくさんの常連さん達も。

 同じ年頃のミディさんや、その女子仲間と行ったパーティーでの、いつもと違う夜の空気は今でも覚えているし。

 埃っぽい魔術研究所――そこでふんぞり返っているオルディスさんの姿なんて、忘れたくても忘れられないくらいのトラウマだ。

 彼とは対照的に、癒しに満ちたコリーさん、そして口達者で知識豊富なルーナさん。

 食堂で共に働いたリックさんとは、ただの仕事仲間というよりは、もはや戦友のような気持でもあるし。

 ああ、巫女巡礼での辛い経験だって忘れられない。

 アルディナ様をあまりに妄信して道を誤ったレイバーンさん、彼は今何を思っているのか。

 そして、厳しいようで本当は優しいソティーニさん。幸せになってと、素直じゃないはずの彼女が、まっすぐ私を励ましてくれたあの言葉。

 そうだ、最初は怖かったけれど、巡礼の間、色々と助けてくれたエリオットさんにシズルさん。女性の騎士見習いとして私を護ってくれたクインさんにも感謝している。


 そして――ずっとずっと、離れていても、いつも想わずにはいられなかったノエル。


(――同じなわけ、ないじゃないか)


 前と同じようには、元の暮らしに戻れない。

 だって私は、二度目の召喚で、大切なものが山のようにできてしまった。


 この世界が好きだ。

 綺麗なだけじゃない、でも、温かさで満ち溢れたこの世界が、私は大好きなんだ――。



「それじゃあ、ハルカちゃん、バイバイ」


 ルーノさんの、こんな時でさえどこか楽しそうな声。

 その瞬間、私の足元から眩い光が立ち上がった。


 これは――召喚の魔方陣だ!


 部屋が暗くて気づかなかった。複雑な文様を描く、大きな丸い円陣。そうか、私をこの陣の上へ誘い込むために、わざわざ部屋の照明を落としていたんだ。

 最初から、私を元の世界へ帰す準備は整っていたのだ!


「ハルカちゃん、君ともう一度会えて楽しかったよ」

「ま、待って」

「待たない方がいい。時間があるほど、君は迷うことになる」

「でもっ」

「未練が残るくらいの方が、いい思い出になるものだよ」


 そんなの、嫌だ。

 このまま、こんな形でこの世界から去るなんて。

 全てがただの思い出になってしまうなんて。


「そんなの、嫌だ!!」


 私はほとんど無意識に、踵を返していた。

 けれど、当然ながら、フラハムティ様は私を見逃してはくれない。


「彼女をこの部屋から逃がすな!」


 フラハムティ様の鋭い一声で、控えていた男達が動きかけた。

 だがしかし、すかさずそれをルーノさんが制止する。


「君達は魔方陣に入ってはいけない! 術式が乱れる!」


 そう言われれば、彼らも動きようがないのだろう。

 男達が戸惑って足を止めた隙に、私は部屋の扉へ向かって駆け出した。このままこの部屋から出られれば――ああ、でも駄目だ。扉の前にはアルスさんがいる!


「アルスさん、お願い、見逃して!」

「そう言われてもね」


 当然ながら、アルスさんが道を譲ってくれる気配はない。

 でも、他に出口はないのだ。アルスさんをぶん殴ってでも、ここを通してもらう他には!


 私は渾身の力を込めて彼に体当たりを仕掛けた。

 もちろん、それで飛んでいくようなひ弱な人ではない。アルスさんに簡単に腕を取られて、それでも私は抵抗を止めなかった。


「嫌だ、放してよっ」

 がむしゃらに手足を振り回し、身をよじる。

「ハルカちゃん、諦めな」

「嫌っ、諦めたりするもんか!」

 同情めいたアルスさんの声が、またものすごく腹が立つ。

 あなたに可哀想だなんて思われたくない、いいように扱われるのも癪に障る、友達みたいに親し気に接してきたのはそっちなのに、何度私を裏切れば気が済むんだ!


「アルスさん、私、あなたに死ぬほど腹が立つ!」


 最初から分かっていた。笑顔の下に企みがあるって知っていた。

 それでも、アルスさんと交わす他愛のないやり取りが少し楽しいだなんて思って、本当に損をした。悔しい、すっごく、すっごく悔しい!


「アルスさんのバカ!」


 無我夢中で繰り出した私の蹴りが、なんと、アルスさんのすねに直撃した。


「いって!」

 アルスさんの悲鳴が上がる。

 その瞬間、わずかに拘束の力が緩んだ。


 ――今しかない!


 全身全霊の力を込めて、私はもう一度アルスさんに体当たりした。

 バランスを崩したアルスさんは、その場に崩れ落ちる。


「アルス、何をしている!」

 フラハムティ様の怒号が飛ぶ。

 それにも構っていられない。

 今、この瞬間しかチャンスはないのだ。


 私は思い切り扉を開け放った。


 瞬間、廊下に差す日の光の眩しさに、目がくらんだ。

 でも、立ち止まっている暇はない。今はとにかく、走るんだ。


 走れ、走れ。


 とにかく走れ――!


(でも、走って私はどこへ行くの)


 後ろから、すぐに男達が追いかけてくるのが分かる。


(どこにも逃げられる場所なんてない、この世界にいる限り)


 こんなに全速力で走るのは久しぶりのことだ。


(元の世界へ帰らないと、義両親が心配する。友達にだって会えなくなってしまう)


 すぐに息が上がって、苦しさに顔が歪む。


(帰った方が、楽になる。なのに私はどうして走っているの――)


 どうにか別館の出入口が見えてきた。

 ここまで来れば、わずかながらも人の姿を見かけるようになる。

 でも、見ず知らずの彼らに頼るわけにはいかない。頼ったところで、フラハムティ様に突き返されるのが関の山だ。


(もう、自分がどうするべきなのか、分からないよ)


 走りながらわずかに後ろを振り返れば、すぐ側まで迫る男達の姿が目に入った。

 もう駄目だ――。


「ハルカ!!」


 その時、呼ばれた声に私は思わず足を止めて、すぐ側の階段の下を覗き込んだ。

 吹き抜けの一階に――ああ、どうして、ノエルの姿がある!


「ハルカ、――来い!!」


 ノエルが両腕を差し出して、そう叫んだ。

 何事かと注目する人達の姿が見える。

 そしてすぐ後ろには、私を追いかけてくる男達も。


 頭が真っ白になった。

 何も考えられない。


 何も――。


 ――理屈じゃあ、ないんですのよ。


 そんな中で、何故だか突然、ソティーニさんの言葉がよぎった。



 次の瞬間。

 私は手すりを乗り越え、迷いもなく身を投げ出していた。

 ただただ、無意識だった。


 体が落ちていく感覚。

 ぞくりとしたのは一瞬で、すぐさま私の左手のブレスレットが光を放った。目に見えない力が働いて、落下する私の体を引き上げるように、その衝撃を和らげてくれる。


 そして――。

 私は、ノエルの腕の中に飛び込んだ。


 全てがあっという間の出来事だった。


 私はとにかく無我夢中だった。

 ノエルが受け止めてくれたその腕の温かさと、すぐ側で聞こえる彼の息遣いに、急速に現実感が舞い戻ってきた。それと同時に、無性に胸が苦しくなる。

 私はノエルの首元に回していた両腕に力を込めて、必死でノエルにしがみついた。ノエルも強く抱きしめ返してくれたので、ますます離れがたくなる。


「ノエル……、ノエル! 私、やっぱり、帰りたくない!」

「ああ」

「ずっとずっと、ノエルの側にいたいよ!」

「ああ」


 この腕の中に抱きしめられて、それが全ての答えなのだと分かった。

 私は、なんて遠回りをしていたんだろう。

 もうずっと前から、答えなんて出ていたのに。

 私はこの世界が好きで、ノエルが好きで。

 離れたくないって、ずっとずっと、思っていたんだから。


「離さない。絶対に、お前を離したりはしない。もう二度と」


 ノエルのその言葉を聞いて、私は今度こそ何も言えなくなった。

 代わりに涙が溢れ出て――そうして私は、そのままノエルの肩に顔を埋めた。

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