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71.あなたと私はすれ違う

 その次の瞬間、私は見知らぬ絨毯の上を転がっていた。

 目の前がちかちかする。


 転移の術はとても苦手だ。苦手なのに、こうして術に運ばれるのは、これで通算何度目になるのだろうか。いずれも好ましいシチュエーションではなかったことだけは覚えている。もちろん、自力では行けない場所に運んでもらえること自体はありがたいとは思うのだけれど。


 眩暈はすぐに収まったので、私は起き上がりながら恐る恐る周囲を見渡した。

 なんせ、ノエルのところへ飛ばされたはずなのだ。今目の前に彼がいてもおかしくない。


 しかし、予想に反して、そこは無人の部屋だった。

 おそらく王宮内なのだと思う。すっきりと広い部屋は、何となくフラハムティ様の執務室を思い出させる。無機質でどこか無骨な雰囲気だ。


(ノエルもいない……)


 少しがっかりしたような、どこかホッとしたような。

 しかし、冷静に考えてみれば、ノエルのいる場所にダイレクトに飛ばされずにすんだのはありがたかった。まだ日中と言えるこの時間帯、もちろんノエルも仕事中だろう。騎士団のど真ん中にでも転移していたら、ものすごく面倒なことになるところだった。


(あ、これ)


 一人掛けのソファの上に、無造作に上着が掛けられている。

 遠慮がちに手に取ってみれば、それは確かにノエルのものだと思われた。つい胸元まで引き寄せれば、強く胸が締め付けられる気がした。ほんのわずかな彼の残り香に、会えない日々を思い起こさずにはいられない。

 しかしこれではまるで変態ストーカーのようではないか。私は小さく咳ばらいをして、上着を元の位置へ戻しておいた。


 恐らくここは、ノエルの執務室なのだろう。

 改めて室内を見回せば、無駄なものがほとんどない機能的な空間である。

 机の上には、書類や本の類がいくつか。中身は見ないようにしながら、こっそりとイスに腰かけてみる。……ノエルは、普段こんな風にここへ座って仕事しているのかな。


 巫女だった頃は、ノエルが私のところを訪れるばかりで、逆に私が彼の仕事場に出向くことなどほとんどなかった。こうして彼個人の執務室が与えられていることだって知らなかったくらいだ。

 私は、ノエルのことをほとんど知らない。

 私の騎士であったノエル以外のことは、何も知らずに過ごしていたのだ。


(ノエルが、遠いな……)


 机の上に頬杖をついて、所在無げに窓の外を眺める。

 そのまま瞳を閉じれば、あっという間にまどろみの世界へと落ちてしまいそうだった。


 しかし。

 そうなる前に、事態が動いた。

 突然何の前触れもなく、部屋の扉が開いたのだ。


 ノックもなく入って来たのは――当然ながら、この部屋の主、ノエルだった。


 まさかこのタイミングで帰ってくるとは思わなかった私は、驚きのあまりそのまま固まってしまった。ノエルはノエルで、この場に私がいることがよほど想定外だったのだろう。同じように部屋の入り口付近で固まっている。

 あ、そうだ、私、勝手にノエルになりきって席に座っていたんだった!

 色んな意味で恥ずかしすぎる。私は大慌てで立ちあがった。


「勝手にごめんなさい!」

「ハルカ、どうしてここにお前が? 何かあったのか」

 ノエルは大股でこちらに歩み寄って来た。部屋の隅で小さくなっている私の腕を取り、その身のどこにも異変のないことを確認すると、わずかに息を吐く。

「その、ルーノさんが転移術で」

「そういうことか」

 ノエルは不機嫌そうに眉を寄せた。

「さっき、上官から、自分の執務室に至急戻るよう言い渡されたんだ。何事かと思ったが、ルーノ殿が仕組んだことだったんだな」

「本当にごめんね、仕事中だったのに。私がルーノさんに頼んだから……頼んだ? いや、頼んでない、けど、結果的にはそういうことになるのかな」

 何となく腑に落ちない気持ちでぶつぶつと呟いている私を、ノエルは静かに見下ろしている。

「何か、問題が起こったわけじゃないんだな」

「うん。本当に私は平気」

「ならいいんだ。最近また、お前の様子を見られなかったから、気になってた」

「……ありがとう」

 その優しさが嬉しい。けれど同時に申し訳なくもある。


「それで? 何か俺に話があったんだろう」

「あ……、うん」

「楽しい話じゃないみたいだな」

 茶化すようにも聞こえたけれど、ノエルの眼差しがとても真剣だったので、彼が決して気軽な気持ちでいるわけではないことを知った。


「わたし、その、ノエルに謝りたいと思っていて」

「謝る?」


 どうしよう。頭の中がグルグルする。

 考えがまとまっていない。なのに、このまま話し続けていいのだろうか。


「あのね」

 戸惑う私を、ノエルは辛抱強く待ち続けてくれた。

 きっと聞きたくない話だと悟っているのに、それでもなお、私に時間をくれる。

「前に、私、ノエルに待っていてほしいって言ったでしょ」

「告白の答えのことか」

 告白。

 はっきりそう言われて、私は顔に熱が集まるのを感じた。

 何を今更恥ずかしがっているんだ、私は。

「……うん。ちゃんと考えたいから、時間がほしいって、私言ったよね」

「ああ」

「でもそれって、すごく、失礼な話だったなと、今更ながら気がついて」

 ノエルは真っ直ぐ私を見下ろしている。

「私の『考える』っていうのは、この世界に残るかどうかっていうことだったから。この世界に残るなら、ノエルと一緒になりたい。そうじゃないなら、ノエルともさよならする。そんな風にしか、ノエルのことを考えていなかった。それなのに待っていてほしいなんて、あまりに勝手なことだったと思ったの」

「お前の境遇なら、それも仕方のないことだろう。どうしたって、この世界との繋がりを考えないわけにはいかない。それは俺も分かってる」

「でも、そんなの駄目だと思う。私はノエルの告白を受け入れるべきじゃない」


 言ってしまった。

 ノエルを拒絶する言葉。

 まだ最善の道が分からないのに、私はただノエルを傷つけているだけなのだろうか。


「私は今、この世界で生きていくのに精一杯になってしまってる。しかも、自分で望んでそういう状況にあることも、自覚してるよ。ノエルのことをちゃんと考えるって言ったのに、全然考えられてないんだ。ノエルはずっと私を待っていてくれるって、心の底にはそんな勝手な思い込みがあるんだと思う。本当は、そんなはずがないのに。ノエルにはノエルの気持ちがあって、考えがあって、いつ、私への気持ちが違うものに変わっていくかも分からない。それが当たり前のことなのに……」

「ハルカ」

「これまで散々助けてもらったし、今の暮らしだって、ノエルに援助してもらって成り立ってるって分かってる。アルディナ様の護衛さえ辞めさせてしまったのに、今頃こんなことを言い出すなんて、本当に私は最低な人間だと思う。でも、ごめんなさい。私、ノエルの気持ちは受け入れられない。一度ここで、白黒はっきりつけたいの」


「ハルカ」

 ノエルが私の肩を掴んだ。

 乱暴ではない。けれどとても強い力だ。


「本気で言ってるのか、それ」

「うん」

 私はすがるようにノエルを見上げた。

 この選択は間違っているのかもしれない。でも、このままズルズルとノエルの好意に甘え続けるのも違うと思うのだ。


「どうして、お前はいつもそう……!」

 ノエルの顔が歪む。

 そして私は、そのまま背後の壁に押し付けられた。

 わずかに咳込む。ノエルを少し怖いと思った。

 身を固くしても、ノエルは私を押し付ける手を緩めてくれない。こんなに感情を露わにして怒る彼を、私は初めて見た。


「もう二度と会えないはずの相手を、しつこく忘れられずにいたんだ。今更、あと一年待つくらい、苦になるはずがないだろ」

「でも、それとノエルを縛り付けておくことは違う」

「待つことさえできない方が残酷だと分かってるのか?」

「それは……」

「すぐ側にいるはずなのに、決して手に入らない。何でもない普通の女のはずなのに、お前はいつだって手の届かない存在なんだ」

 至近距離で私を見下ろすノエルから目が離せなかった。


「俺がお前に思いを伝えた時、お前は言ったな。俺は、お前を護らなければいけないという義務感を、恋愛と勘違いしてるんだって。でも、そうじゃない。一番近くにいた俺への依存心を、恋だと勘違いしていたのはお前の方じゃないのか」


 そんな――なんで。

 そんなはずがないじゃないか。


 私は握りしめた拳がわずかに震えているのを自覚した。

 自分の思いを、伝えたかった本人にまるで見当違いな方向へ受け止められることが、こんなにつらくて悔しくて、情けないことだなんて。

 ノエルも、同じ思いをしたのだろうか。


「勘違いなんかじゃないよ」

「分かってるのか? お前が距離を置こうとしているのは今が初めてじゃない。お前は、この世界に再召喚されたその時から、俺を必要とはしていなかったんだ」

「違う、そんなことない」


 苦しい。

 胸の奥に鉛を放り込まれたみたいだ。


 私がこの世界に出戻った時、どれだけノエルに会いたかったと思う?

 ノエルがアルディナ様の騎士になったと知った時、どれだけ悲しかったと思う?

 ノエルが遠くからでも私のことを気にかけていてくれて、どれだけ心強かったと思う?


 ノエルに頼ってばかりじゃいけないと思って自分で頑張ることは、そんなに駄目なことだった? 前の時みたいに、世界にはノエルだけだと、甘えて、縋って、頼っていればそれでよかったの? それだけが、ノエルを好きでいる証になったの?


 言いたいことが山のように積み上がって、体中からあふれ出しそうだった。

 でも、全然言葉にならない。

 どれだけ言葉を尽くしてノエルに伝えても、全部が言い訳になってしまいそうで。


「私はノエルが好きだよ」

 結局、それだけしか言えなかった。


「あなたが、好きだ」


 呻くように告げたその言葉の最後は、曖昧なままに溶けて消えた。

 ノエルが、ぶつけるように唇を合わせてきたからだ。

 間近で見上げていたはずの彼の顔が、視界いっぱいに広がって。はっと息を呑んだ時には、その息さえも彼の唇の奥へと吸い込まれていった。


「んっ」


 驚いてとっさにノエルの両肩を押し返してしまったけれど、ノエルはびくともしなかった。壁に押し付けられているせいでこちらから身を引くこともできず、わずかに身じろぎをするだけで精いっぱいだ。

 私はたまらずぎゅっと目を瞑り、ノエルの服を強く握った。

 温かく、柔らかい唇の感触は、しかしあまりに切なくもあった。深く口づけられるほどに、ノエルの苦しみがそのままなだれ込んでくるかのようだった。


 どれくらいの時間が経ったのだろう。

 ようやくノエルの唇が離れ、熱に浮かされかけていた私はうっすらと目を開いた。至近距離で私を見下ろすノエルの吐息が熱い。


「お前にとって、俺の気持ちが重荷になるならここで捨てて行ってもいい。でも、俺はきっとお前を待ち続けてる。それさえ拒むことはしないでほしい。ただ、それだけだ」


 苦し気な声。

 それは、他のどんな言葉よりも、ずっと切実に胸に響いた。


・   ・   ・


「……ハルカ、あんた、スプーンに何も載ってないよ」


 あれから数日。

 お祭りの打ち合わせも兼ねて定食屋へ足を運んでいた私は、ちょうど昼休憩に入ったセナさんと、店の裏で一緒にランチを食べていた。

 ご主人特製のまかないは、魚介類をふんだんに使って白米と一緒に炊き込んだ、いわゆるパエリアだ。見るからに美味しそうな色合いと香りに、私は大喜びでスプーンを運んでいたはず……だったのだけれど。

 セナさんに指摘されて視線を落としてみれば、確かにスプーンは空なのだった。


「言っとくけど、さっきから空のスプーンが何度も皿とあんたの口を往復してるから」

「えっ、ほんとに? ごめんなさい」

「いや、謝ることじゃないし。とにかく、冷めないうちに食べちゃいな」

「うん」


 背を丸めながら、私はおとなしくパエリアを口に運んだ。

 ……美味しい。

 どんなときでも、変わらず、ご主人の料理はとても美味しい。


「何かあったの? ハルカ」

 もうほとんど食べ終えていたセナさんは、世間話をするような調子でそう問いかけてきた。その軽い雰囲気とは裏腹に、明らかに様子のおかしい私を心配してくれているのが伝わってくる。

 いい人ができたら、報告しなさいよ。

 そう言ってくれたセナさんの笑顔が思い出された。


「……あのね、セナさん。実は私、好きな人が、いるんですけど」

 ぼそり、と蚊の鳴くような声で、私は話し始めた。


「うん、どうした?」

「どうやら、その人も、私のことを良く思ってくれていたみたいで」

「あら、嬉しいことじゃないの」

「でも、私、いつ田舎に帰るか分からないから、どうしたらいいのか分からなくて」

「その人はこっちの人なの?」

「はい」

「ハルカの田舎ってどこだっけ。遠いわけ?」

「遠いです。――すごく」

 どれだけ歩き続けても、その道はここへは続いていない。

 あまりにも遠いんだ。

「だから、その人に告白されたんだけど、応えられないって言ってしまいました」


 そこまで話すと、セナさんは難しい表情で黙り込んでしまった。

 すぐさま「バカ!」だとか「もったいない!」だとか威勢のいい言葉が飛んでくるかと思ったから、彼女の反応は少し意外だった。


「で、断って後悔してるの?」

「……正直、分からないんです。何が正解だったのかも、今、自分がどう感じてるのかも」

「ハタから見てれば一発で分かるけどねぇ。この世の終わりみたいな顔しちゃってさ」

「う」

 私は自分の頬に触れた。

「相手は? あんたに断られて何て?」

「告白のことは、忘れてもいいって。でも、ずっと待ってるって言ってくれました」

「……ははぁ~」

 セナさんは、感心とも呆れともつかない唸り声を上げた。

「ハルカ、あんたが羨ましいわ。どうやったらそんなおとぎ話みたいなこと言ってくれる男に巡り合えるわけ。大人しい顔してやるじゃないの」

「えっ、いや、その。自分でも、一生分の幸運を使い果たした気はしてるんですけど……」

「それなのに、告白は断った、と」

「うう」

 本当にもう、何も言えません。

 確かに、凄く嬉しかったしありがたかったのに、自分の都合で相手を突き放しておいて、それで勝手に落ち込んでいたんじゃあ世話がない。


「きっと、相手はハルカよりも大人なんでしょうね」

「……はい」

「物分かりがいいって意味じゃないわよ」

「え?」

「まあ、相手の言葉に甘えていいんじゃないの。思いっきり、あたふたして、右往左往して、悩んで泣いて苦しみなさい」

 情け容赦のない鬼がこんなところにも存在していた。

「そうしたら、見えてくる答えもあるわよ」

 そうなのだろうか。いつか、ちゃんと、答えを見つけられるのだろうか。


「ところで、その相手っていうのは、アルスさんではないのよね?」

「違います」

 自分で思った以上の低い声で否定して、私はパエリアの残りをかき込んだ。

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