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70.不誠実ではいられません

 グルメフェスティバルの準備が進んでいく一方で、当然ながら、毎日の仕事も手を抜くことなく続けなければならない。

 私は今日も食堂のカウンター前に立ち、列をなすお客さんたちをさばいている。


 リックさんによると、女性客の取り込み案は、王宮サイドにも大変ご好評を頂けたらしい。大幅に予算がかかるというわけでもないので、現場の裁量で好きに初めても構わないとのことだった。

 話し合いの結果、こちらはリックさんや他の調理師達にも参加してもらっているグルメフェスティバルが終わってから取りかかろう、ということになり、ひとまず保留となっている。今新しいサービスをスタートさせて思わぬ事態を引き起こしてしまっても、対処する余裕がないから、とはリックさんの弁だ。そこまでこのお祭りに本気で取り組んでもらえるというのは心強い。


 そんなわけで、食堂ではいつもと変わらぬ時間が流れていた――のだが。



「えー、お前それ、マジかよ!?」

「噂だけど、多分な」


 カウンター前までの長い列、思い思いに雑談する兵士達の中で、一際大きな声が上がった。


「ノエルさんが辞めたらどうなるんだよ」

「はっきりしたことは分からないけど、近々次の護衛騎士の発表があるって話だぜ」


 私は思わず手を止めた。

 気になる単語を耳が拾い、私は彼らへ視線を送る。


「いやいや、ないだろ。何で今更そんな話になるんだよ?」

「それは分かんねえけど」

「ああ、ノエルさんがアルディナ様の護衛騎士を辞任したって話だろ? 多分本当だぜ。騎士団長達がその話をしてるのを俺も聞いた」


 人目も憚らず大声で話しているのは、最近、ちらほらと兵士達に混じって見かけるようになった騎士の若者達だ。

 騎士クラスにもなると、立場的には上流階級の扱いとなり(実際貴族の身分を持っている人達がほとんどだが)、貴族御用達な感じのサロンが別に用意されているにもかかわらず、こちらの食堂の味を好んで通ってくれる人達が増えてきたのである。弁当の時もそうだったけれど、美味しい食事というものは、身分や立場に関係なく受け入れてもらえるものらしい。


 それはともかく、彼らの話の内容である。


「信じられないな。だってノエルさんは、前代の巫女の護衛も務めてただろ。あの人以上の適任なんていなさそうなのに、どうするんだ? まさか、何かやらかしちまったのか?」

「だよなぁ。巫女の護衛騎士って、最高の出世頭なのに。よっぽどのことがあったのか」

「あのお二人、付き合ってるって噂あったよな。それが上手く行かなくなって、別れ話になり、顔を合わせるのが気まずくて……」


 ガチャン。

 思わず私は手にしていたお皿をカウンターに落としてしまった。


「うわっ、姉ちゃん大丈夫かよ!?」

「あ、はい、すっすみません!」


 慌てて私はお皿を引っ込める。

 あああ、でも、まだ動揺が収まらない。

 ノエルの辞任の話、そんな波紋を呼んでるんだ!?


 でも、違うのに。事実はそうじゃないのに。ノエルが何か粗相をしたわけじゃない。だからと言って、痴情のもつれなんて理由でもない。そんな下世話な憶測で、二人の名誉を傷つけないで――!

 って、言えたらいいのに。

 何も言えない自分が情けない。


「おいおい、お前達。くだらない噂話を広めるもんじゃないぞ」


 その時、やきもきしていた私の気持ちを代弁するかのような声が列の後方から上がった。

 見れば、こちらもやはり騎士であろう三十代半ばくらいの男性だ。


「すぐに公になることだから、伏せておく必要もないだろうが。ノエル殿は、ご自身の意思で護衛騎士を辞任されることになったのだ。アルディナ様とは辞任後も良好な関係を続けておられるのだから、お前達が邪推するようなことは何もない」


 ――よく言ってくれた! 騎士のおじさま!


「そ、そうですよね。すみません……」

「大変失礼しました」

 噂話をしていた騎士達は、メイン料理を手にすると、そそくさと列を離れていった。


 ……でも、そうか。ノエルのこと、噂になっていても不思議ではない。

 だってそうだよね。巫女の護衛を辞任するって、割ととんでもないニュースだし。しかも、辞める理由が全然見当たらない中での辞任とくれば、皆の憶測を呼ぶのも仕方がない。


(私の時も、変な噂が立ったりしたもんなあ)


 その時は、今とはむしろ逆の理由で皆にあれこれ陰で言われたものだけれど。

 巫女だった当時、私がノエルに頼りきりだったこともあり、私とノエルの関係を邪推するような声が密かに上がっていたのだ。それを知らされた時は、当然ながら、ものっすごく落ち込んだ。私のせいで、真面目に職務をこなしているだけのノエルに迷惑が掛かってしまうなんて、全く望んでいないことだったし。

 ノエル本人は、そんなくだらない噂話は気にしないと一蹴してくれたけれど、きっと私が元の世界へ帰るその時まで、噂は絶えなかったことだろう。……もしかしたら、帰った後まで、ノエルはその噂に悩まされ続けたのかもしれないな。


 あの人は、とにかく我慢強い。

 私が弱音を吐くことは山のようにあったけれど、ノエルが私に弱音を見せることは全くなかった。いつも真っ直ぐ背を伸ばして立っていて、控えめなのに、静かな自信に満ちた人だった。きっと今でもその本質は変わっていない。だから、彼の側にいることはとても心地がいい。


 だからといって、ノエルが完璧な超人だというわけじゃない。

 アルディナ様がそうだったように、ノエルだって、一人の普通の男の人なのだ。

 不安に思うこともあれば、心細く思うこともあるだろう。


 それに、ノエルは、今の私には見せてくれたんだ。彼の弱い部分を。


 ――明日お前がいなくなるかもしれないと思いながら毎日過ごしてた。


 ふと、ノエルの絞り出すような声を思い出す。

 ノエルはこんな私を好きでいてくれて、私を側に置いて護りたいと言ってくれた。でも、私はその手を拒み、独り立ちすることを決めた。ノエルはそれを受け入れてくれたけれど、私が突然いなくなるかもしれないという不安をずっと抱えて過ごしていたのかもしれない。

 自惚れかもしれないけれど、今もノエルは不安に思っているのだろうか。

 私が、どんな結論を出すつもりなのか。

 約束の期限が来た時、私はこの世界に残るのか――。


(私、ズルいな)


 私はノエルを待たせてばかりだ。

 

 この世界に出戻り、彼の手を取らなかったあの日の晩から、私はずっとずっとノエルを待たせ続けてきたのだと、改めて実感せずにはいられなかった。


 私はいつも自分のことばかり考えていて、ノエルのことを全く顧みようとはしなかった。ノエルに気持ちを打ち明けられ、もう少し俺のことを考えろと面と向かって言われてなお、私はきちんとノエルのことを考えてこなかったのだ。

 それで答えが出せずに、もう少し待ってほしいだなんて――ああ、なんて不誠実な答えを返してしまったのだろう。


(その上、待ってもらっているくせに、私、ノエルのことをちゃんと考えたことあった?)


 今、こうして民間人としての暮らしを望んだことで、ノエルと過ごせる時間は再びなくなってしまった。それで私はと言えば、この食堂や定食屋、お祭りのことに夢中で。

 確かに少しずつ、私はこの世界と向かい合い始めていたかもしれない。でも、そこにノエルの存在はあったのだろうか。


(私はいつまでノエルを待たせ続けるつもりなんだろう)


 約束の一年が過ぎ、もしこの世界に残ることを決めたとして。そうなったなら、その時初めてノエルの手を取るつもりだった?

(でも、それって、ものすごくズルいことじゃないの?)

 あまりにも都合が良すぎる、と言い換えてもいい。

 それでいて、もし元の世界へ帰るとなれば、やっぱり帰るからノエルの告白には答えられない、ごめんなさい、だなんて。どちらにせよ最低だ。

 ノエルのことを曖昧にはしない、ちゃんと考える、だなんて、ただ聞こえのいい言葉を並べていただけだった。


(馬鹿じゃないの、私)


「う、うわ~、ハルカちゃん! 皿、皿!」


 その時、リックさんの慌てた声が耳に飛び込んできて、私はハッと意識を引き戻した。

 手元を見れば、深皿に盛っていたシチューが溢れださんばかりの海と化している。


「わぁっ!」

 驚いて皿を揺らした拍子に、とうとうシチューがこぼれてしまった。

「あっつ!」

 思いっきり手にかかってしまい、私は悲鳴を上げて皿をテーブルの上に投げ出した。シチューを床にぶちまける失態だけはなんとか免れたけれど、仕事中にぼんやり考えに耽るだなんて、ああもう、本当に自分が嫌になる!


「だ、大丈夫か、姉ちゃん」

「火傷しただろ、今の!」

 お客さんにまで心配されつつ、リックさんに赤くなった手を取られ、急いで水につけられた。

「ごめんなさい、リックさん……」

「いいから、しばらくそうしてるんだ。それが済んだら裏で座って休んでて」

「いえ、大丈夫です。働けます」

「さっきから様子がおかしかったろ。無理して更に具合が悪くなったら元も子もない。休む時は遠慮なく休んで、それで早く良くなってくれた方がいいんだから」

「違うんです、ちょっと考え事をしてしまっていて」

「いいから。最近、根を詰めて仕事してくれてたし、今日は休んだらもう上がって」

 心の底から申し訳ない。

 男の人のことを考えて気もそぞろになっていただなんて、まさかリックさんも夢にも思っていないだろう。


 駄目だ、私。

 色々駄目だ。


・   ・   ・


 早い時間に自室へ戻った私は、ベッドの上に転がって、わずかに薄汚れた天井を眺めていた。


 このままじゃいけない。

 それだけは分かる。

 むしろ、どうして今まで平気でいられたのだろう。

 自分に好意を寄せてくれている人を、キープするような真似を続けている。頭の中で文章にしてみれば、それだけでもとんでもなく嫌な女ではないか。


 ノエルに会わなくちゃ。

 ぼんやりと、そんな考えが浮かんだ。


 今更だ。

 これまで好き勝手やらせてもらって、ノエルの力を借りて今の暮らしを手に入れて、それなのに、全然彼を顧みなかった。――本当に、今更だ。

 こんな状況になってやっと彼に会おうと思っても、どうすれば会いに行けるのかすら分からない。


(あ、でも、そういえば)


 私はのそのそとベッドからはい出し、机の小さな引き出しに手をかけた。

 引き出しの中には、可愛らしい鈴が眠っている。


 これは、召喚士のルーノさんから貰った魔道具だ。

 この生活に落ち着いてから一度、彼と個人的に会って話す機会があった。例のごとくルーノさんの方から押しかけて来たわけだけれど、その時にこの鈴を渡されたのだ。

 曰く、一年を待たずに帰りたいと思ったら、その気持ちを込めて思い切りこの鈴を振るように、と。そうすればルーノさんが私の元に駆けつけてくれて、全てのしがらみから解放してくれる――つまり、元の世界に帰してくれるということだった。


 以前、私が勝手にフラハムティ様の前で切った啖呵を、きちんとルーノさんが「本物」にしてくれたというわけだ。

 ありがたくも、今日までこれを鳴らす機会は巡ってきていない。

 むしろ、毎日が充実しすぎて、鈴の存在を忘れかけていたくらいだ。


 私はそっと鈴を取り出し、目の前にかざしてみた。

 ……こんな形でルーノさんに頼ったりしたら、怒られてしまうかな。


 迷いと共に、ほんのわずかに指先が揺れて。

 ちりん、と頼りなげな音が部屋に小さく響いた。


 慌てて鈴を握りしめて周囲を見回すが、何の異変もない。

 気持ちを込めて思い切り鈴を振れ、と言われていたから、きっと今のはノーカウントなのだろう。危ない危ない。

 ふう、と息をついた時だった。


「ハルちゃん、呼んだ~?」


 突如部屋に響いた、気の抜けた声。

 そして現れたのは、思いもよらず耳聡いルーノさん本人だった。


「うわあ、ここ、狭い部屋だね」

「ルっ、ルーノさん!」

 来ちゃった。本当に来ちゃったよこの人。


「こないだぶり~、ハルちゃん」

「今ので呼んだことになっちゃうんですか! ちょっと揺らしただけなのに!」

「えー、だって。ハルちゃん、僕の力を必要としていたんでしょ」

 笑みを深めるルーノさんは、相変わらずミステリアスな人だ。呼ばれてほんの数秒で来てくれるなんて、この人仕事はちゃんとしているのだろうか。

「それで、どうしたの? やっぱり元の世界へ帰ることにした? 残念だけど、それなら仕方ないよね」

「違うんです! そうじゃなくてっ」

 問答無用で元の世界に帰されてはたまらない。私は大慌てで否定する。

「うそうそ。分かってるよ~、毎日充実してるらしいしね」

「それは、お陰様で、そうなんですけど……」

「うん。それで? どうして僕を呼んだの?」

「ええと」

 真正面から問われると、うまく言葉が出てこない。

 そんな私に、ルーノさんの笑みはいつしか苦笑に変わっていた。

「ノエル君に会いに行きたいんじゃない?」

「う……」

「当たりでしょ。フラハムティさんに閉じ込められてた時と、同じような顔してるもん。会いたい時にすぐに会いに行けないなんて、かわいそうにねえ。なんなら、ハルちゃんも転移の術習得してみる?」

「習得できるのがいつになるのか見当もつかないので、止めておきます」

「なら、僕が力を貸してあげるしかないね」

 そう言って、ルーノさんは右手を私に差し出した。

 私はその手を見つめ、少しためらう。


 ノエルに会ったら、私は何を話すつもりなのだろう。

 ノエルに会いたい。でも、会うのが怖い。


 私は自分の手も同じように差し出して、けれどなかなかその手をルーノさんのそれに重ねることができなかった。

 宙に浮かんだままの私の手。

 その手をルーノさんは容赦なく掴んできた。


「えっ、ちょっと待って、まだ心の準備が……」

「考えるよりも、まずは行動! さあ、行ってらっしゃい!」


 鬼だ!

 いつものことながら、容赦がなさすぎる。

 抗議の声を上げようとしたけれど、その声と共に、私は空間の狭間へと飛ばされた。

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