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68.理屈じゃない時がある

 それからしばらくは、大きな動きもないまま時間が過ぎていった。

 基本的には、王宮の食堂で下働き。そして週に一度は定食屋に顔を出して、ご主人達と一緒に働いて。仕事の後には、魔術研究所へ出向いてコリーさんやルーナさんに初歩魔術を教えてもらう――そんな毎日を数えて、今日で三か月ほどになるだろうか。


 今日も、食堂での仕事の後、魔術研究所に顔を出すことにしていた。

 今、リックさん含む調理師の皆さんは、女性向けに提供するスイーツを研究中だ。その試作品を持って魔術研究所を訪れると、ルーナさんの機嫌が格段に良くなることを、私は学んだ。


「こんにちはー」


 慣れた手つきで研究室の扉を開ける。

 ――するとその扉の向こうには、思わぬ先客の存在があった。


「ソ、ソティーニさん!?」


 そう。アルディナ様のお付きの神官であるソティーニさんが、古ぼけた椅子に縮こまりながら腰かけていたのだ。

 そして何と、その向かいには、オルディスさんが。


(こ、この取り合わせは初めてだ)


 私は思わず入り口で固まった。

 ソティーニさんがオルディスさんに惚れて惚れて惚れまくっているというのは、もはや周知の事実である。ソティーニさん自身の口からもその想いを聞かされたことがあるし、あまりに彼女に追いかけまわされたオルディスさんが、珍しくも「苦手な人物」として彼女をカテゴライズしているらしいことも分かっている。


 その二人が、何故にこんなところに揃って座っているのか。


 しかもソティーニさん、かつて彼を追いかけまわしていたとは思えないほどしおらしい様子で縮こまっている。借りてきた猫もかくや、というほどだ。

(これは……私、邪魔だったのかな?)

 回れ右して退散しようか、という考えが脳裏を横切った時だった。


「そんなところに突っ立っていないでさっさと入れ」

 オルディスさんの冷ややかな一声により、私の帰り道は見えない壁で塞がれた。


「は、はい。すみません。失礼します」

 私は観念して、部屋の中へと歩みを進めた。

「あの。ソティーニさん、お久しぶりですね」

「ええ、久しぶりね、ハルカ」

 どこか疲れた様子のソティーニさんは、気だるげにそう返した。

 オルディスさんと二人きりで気疲れしたのだろうか。……ううん、きっとそうじゃない。彼女が纏っている疲労感は、どうやらそんなささやかなものではないようだった。もうずっと何日も、気の休まる時がなかったとでも言うようだ。


「今日は、どうされたんですか?」

「少し時間ができたから、ハルカと話がしたいと思ってここへ来たの。この時間なら、大抵あなたがここにいると聞いたものだから」

 ははあ、そうしたら、珍しいことにオルディスさんまでもが研究室を訪れていたため、二人鉢合わせたという流れか。

「もっと早くに、あなたとは話をしたかったのだけれど。色々あって、ここ数か月、自分の時間が全然取れなかったものですから。今更急に、ごめんなさい」

「いえ、私は全然、暇人なので」

 私は慌てて両手を振った。


 ソティーニさんがこんなに控えめな様子を見せるだなんて、よほど参っているのだろう。

 その理由は、何となく想像がつく。忙しいというのは、きっとアルディナ様周りのことではないだろうか。アルディナ様にとって腹心の部下とも言えるレイバーンさんが罪を犯したことや、『気脈』の歪みを正してからのこと。色々と、神経をすり減らすような後片付けが多すぎる。

 私のような一般人のところまでは、今回の騒ぎについて全く聞こえてこないけれど、王宮の上層部では、ごくごく水面下で、様々な動きがあるのだろう。


「少し、風を浴びたいわ。散歩がてら話に付き合ってくださらない?」

 ソティーニさんの提案に、もちろん私は頷いた。

「では、オルディス様。突然お邪魔しまして申し訳ございませんでした」

「ああ」

「失礼いたします」

 丁寧な所作で頭を下げて、それからソティーニさんはややおぼつかない足取りで部屋を出た。私も無言でそれに続く。


「……はあ」

 しばらくして、ソティーニさんの小さな唇から、深い溜息。

 人気ひとけのない小さな坪庭に出て、私たちは立ち止った。

「ソティーニさん、大丈夫ですか?」

「ああ、ええ。大丈夫よ。でも、疲れの溜まっている時にオルディス様にお会いするものじゃないわね」

 気力が尽き果てたとでも言わんばかりのやつれ具合である。

 これが、好きな人に思わぬところで出会った時の、恋する乙女の様子なのか。

「あの方の前に立つと、いつも緊張で身がすくんでしまうのよ」

「え、そうなんですか?」

「だって、私のことなんてどうでもいいと、その目線も、その声も、その表情も、全身全霊で語っていらっしゃるんですもの。その無関心を打ち破ってまであの方の中へ踏み込んでいくのは、とっても気力がいることなのよ」

「そこまでして……」

 どうしてオルディスさんのことが好きなのか、と。

 つい尋ねてしまいそうになる。

 さすがに口をつぐんだ私だけれど、私の言わんとしたことなど、ソティーニさんはすっかりお見通しのようだった。


「理屈じゃあ、ないんですのよ」


 理屈じゃない。

 そう言われてしまうと、何も言えない。


「あなたはどうなんですの。最近また、ノエル様と会っていないのではなくて?」

「う」

 その通りだ。

 一般人としての暮らしを選択したことで、ノエルとの接点は再び少なくなってしまった。


「何故そう遠回りをしているのか、私には理解に苦しみますわね。片恋ならばいざ知らず、相手もあなたのことを憎からず思っているのなら。全部かなぐり捨てて、その腕の中に飛び込んでしまえばいいのに」

「……」

 ソティーニさんなら、確かにやりかねないのかもしれない。

 オルディスさんと一緒になるためならば、高い神官の地位も捨ててしまって構わないと、迷いもなく言ってしまえる人なのだから。


(あ――、そうか。ソティーニさんは、やっぱり初めから、巫女になるつもりなんてなかったんだな)


 今頃になって、そんなことに思い当たる。

 巫女になってしまえば、それこそ好きな人と一緒になることなんて絶対にできなくなってしまうから。そんなことを、ソティーニさんが望んでいるはずがなかったのだ。

(巫女の座を狙っていたなんて、本当に、根も葉もない噂話だった)

 彼女はただ純粋に、アルディナ様を支え続けてきたのだろう。


「ハルカ、あなたには、ずっとちゃんと謝りたいと思っていたの」

「え?」

「私達の都合に巻き込んで、あなたの人生を弄んでしまってごめんなさい」

 そう言って、ソティーニさんは深く深く頭を下げた。

「ちょ、ちょっと、ソティーニさん!」

「神官達の代表として、謝罪いたしますわ」

「そんな、大げさな」

「大げさなんかではありません。むしろ私の謝罪なんて、鳥の餌にもならないことは分かっていますわ。しかも、こんなに月日が経ってから。よくも顔を見せに来られたものだと思われても仕方がありませんわね。……それでも、謝らなければならないの」

「分かりました、気持ちはもう十分、頂きましたから」

 顔を上げて下さい、と懇願すれば、ようやくソティーニさんは折り曲げたままの腰を伸ばしてくれた。


「ハルカ、あなたは本当にどうしようもないお人よしですわ」

「何だかもう、自分で自分が分からなくなってきました」

「私の謝罪一つでもう十分、だなんて、無欲にもほどがありますわ」


 ……ソティーニさんは、私に謝りに来たのか、それとも私をけなしに来たのか。


「だからハルカ。この先、あなたには誰よりも幸せになってもらわなければ気が済みません」


 突然の宣言に、私は呆けた表情を返すので精いっぱいだった。

「今の、慎ましやかな生活が幸せだというのなら、それもいいでしょう。本当は左団扇の生活がしたいというのなら、私が保証いたしますわ。元の世界へ帰った方が幸せになれるというのならば、一年を待たずに帰っても構いません。……だからとにかく、幸せになって、ハルカ」

「ソティーニさん」

「いいこと、ハルカ。あなたはあまりに無欲で控えめで、物事を筋通りに考えすぎなのですわ。一年かけて何を考えようとも構いませんけれど、人生も恋も、理屈じゃない時があると、ようく胸に刻んでおきなさい」

 ソティーニさんは、難しい顔をしながら訥々と持論を説いた。

「これまで散々理不尽な目に遭ってきたあなたならばお分かりね。筋書き通りに行かないのが人の世なの。自分の気持ちだって同じ事ですわ」

 自分の気持ちも、思い通りにはいかない。

 そうかな。そうなのかも。


「ソティーニさんは、まだオルディスさんのことを諦めないんですか?」

「まだ、って何なんですの。まだって」

「あっ、ごめんなさい」

 うかつなことを口にしてしまった。

 ソティーニさんは私をじろりと睨んだ後、ふんと鼻を鳴らして。

「諦めたりするもんですか。いつか絶対に、あのお方を振り向かせて見せますわ」

 力強く、宣言してくれたのだった。

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