67.新天地でも精一杯頑張ります
「お待たせしました、鶏肉定食です!」
「おー、旨そう」
私はできたてホヤホヤの一皿を、カウンターへ差し出した。
既にいくつか小鉢の載ったトレーを手にした兵士が、思わずという風に声を上げる。喜々としてメインの一皿をカウンターからトレーへ移し、鼻歌交じりに去って行った。
王宮内の食堂。
お昼時の今、カウンターには長蛇の列ができている。
この食堂で働き始めて、早二か月が過ぎた頃。
以前、すっかり閑古鳥が住み着いてしまっていた食堂の面影はどこにもない。
セナさんが見たら喜びのあまり気絶してしまうのではないかというほど、筋骨隆々の男の人達が広いフロアに溢れかえっているのだ。
豪華なステンドグラスも、シャンデリア風の照明も、むさ苦しい男達の群れの前ではすっかり鳴りを潜めてしまっている。ここは本当に王宮内の施設なのだったかと、首を傾げてしまいそうになる程だ。
リックさんの定食屋での修行の成果は、この通り、如何無く発揮されているようだ。
以前からはメニュー自体を一新し、兵士受けする「おふくろの味」で勝負しつつも、作業効率を重視して一日のメニューは三種類に留め、更に、それぞれ全て定食の形をとることにしたという。
その改革が功を奏し、ご覧の通りの盛況ぶりということらしい。
盛況なのは何よりだけれど、一つ問題があった。
それは――、一気に客足が膨らみ、食堂側が対処しきれていなかったことである。
・ ・ ・
私がここへ通い始めた初日、真っ先に気づいたのはそれだった。
料理を提供するカウンターに人が溢れすぎている。最初は列ができていたはずなのに、人が増えるにつれてそれは崩れ、最終的には秩序もへったくれもないムサい男たちの山がカウンター前にできあがってしまうのだ。
メニューを絞り、更にサイドメニューまでセットになった定食の形にしたことはいいと思う。けれど、その代わりに皿の数は増え、それら全てをトレーにセットするまでに時間がかかっているようだ。
(これは、私でも役に立てるかもしれない)
そう思ったのは、学校の食堂の風景が頭に浮かんだから。
この王宮とうちの高校とでは天と地ほどの差はあれど、場所は同じ食堂だ。お腹をすかせた男子高校生達が群がる様は、実はこの食堂の光景と大差ないのかもしれない。
そこでリックさん達に提案したのが、サイドメニューのセルフサービス化だった。
「全てを食堂側で準備してからお客さんに渡すのではなくて、ある程度はお客さんたち自身で準備してもらうのがいいと思うんです」
「えっと……、ごめん、具体的に想像がつかないんだけど」
私の提案に、当初、リックさんや他の調理師達は微妙なリアクションを見せた。
であれば、実際に見てもらった方が早い。
私は、既に閉店して人気の無くなった食堂内で、長テーブルを勝手に壁際へ動かしにかかった。リックさん達は訳が分からない様子ながらもすぐさま手伝ってくれる。
「こんな風に、カウンターとは別に場所を作ってですね」
長テーブルの端に、空のトレーの山。そして、カトラリーの入った箱。その隣には、その日のサイドメニューを数種類。更にその隣には、日替わりでスープ。最後にお水。
「……という具合に並べておいて、やって来たお客さんが順番に自分でそれらを取っていく形にするんです。そうすれば、リックさん達はメインの一皿とパンもしくはご飯を提供することだけに集中できますよね」
「なるほど」
「それに、お客さんは必ずこの長テーブルに沿って歩いていくことになるので、自然と列が一本になります。そのうち列が膨れ上がってめちゃくちゃになる、ということもある程度防げると思います」
「……なるほど!」
よし、リックさんたちの食いつきが俄然よくなってきた。
「定食のおかずについては、定食によって中身を変えるのではなくて、最初から数種類を準備しておいて、注文したい定食に関係なく好きなものを一つ選んでもらう形にしてはどうでしょうか。定食ごとで中身を変えると、どの定食がどの程度出るかによって、おかずを準備する数も考えないといけなくなってしまいますし」
「ははあ、なるほどねぇ~!」
リックさんと他の調理師仲間達は、顔を見合わせてうんうんと頷きあっている。
「君、凄いね。よくそんなこと思いつくね」
「いえ、別の場所で、こんな風に運営しているところを知っていただけなんです。私の思いつきっていうわけじゃないので……」
「それでも凄いよ。いやあ、これまでずっと客数自体が少なかったから、効率のいい運営方法についてとか、考えたことがなかった」
それに、曲がりなりにも煌びやかな王宮の飲食施設で、「ご自身でお取りください」形式にしようとは夢にも思わなかったのだろう。カウンターまで客自身に取りに来させるだけでも、随分思い切った形だったのだと思うし。
「そういえば、王宮に弁当配達っていうのも、元は君の提案だったんだろ?」
「はい、まあ。……それも、他で見たことがあっただけなんですけど」
「あれも、すごくいいよね。ぜひまた何か思いついたことがあれば、遠慮なく言ってほしいな。まだまだ改善すべきところはたくさんあると思うし、これからこの食堂をもっといい場所にしていきたいから」
うわあ、嬉しい。
私には私なりに、できることが確かにあるんだ。
「はい! 頑張ります!」
私は気合を入れて頷いた。
・ ・ ・
……という流れで、今日に至るわけである。
当初の目論み通り、混雑はしているけれども列に乱れはない。私はカウンター内でリックさん達が準備してくれたメイン料理を提供しつつ、その光景にホッと胸をなでおろしていた。
定食屋の弁当との兼ね合いも、うまく行っていると思う。
もともと弁当の方は数に限りがあったので、買いたくても買えない人は多かった。だから、むしろ「買いそびれ客」をうまくフォローできているこの食堂の存在は、弁当配達サイドにとっても良かったのかもしれない。
「――うん、すごくいいね」
客の波が引き始めた時間帯、訓練場への弁当配達を終えたセナさんが、ひょっこりと食堂に顔を出して、昼食を取っていってくれることになった。
テーブルには、厨房から抜け出してきたリックさんも同席している。師匠の賄を毎日のように食べているセナさんの感想が気になってのことだろう。
「これ、美味しいよ」
「本当に?」
「うん。実際にこの食堂で出してるんだよね? うちの定食屋の良さを十分に引き継いだ味だと思うわ。よくこの質で大量に作ってるね」
「よ、よかった~」
その言葉を聞いて、リックさんは大きく胸をなで下ろした。
「でも、私が太鼓判なんて押さなくてもさ、あれだけお客さんが入ってるなら、十分ここの食堂の実力は証明されてるじゃない」
「いやあ、でもやっぱり、認めてほしい人達に認めてもらえることが一番の励みになるよ」
そういうリックさんの表情は晴れやかだ。
「ふふ。混雑してる時間帯から、こっそり様子見てたけど……。天国って感じだね、ここ」
「え?」
ニヤリと笑ったセナさんに、リックさんは首を傾げた。
残念ながら私には、セナさんの言わんとしていることがすぐに分かってしまった。筋肉的な意味での「天国」に違いない。
「ま、このままでもいいとは思うけど、ちょーっと女性は入りづらい感じよね」
セナさんは大きく伸びをしながら、周囲を見渡した。
もう随分人は少なくなったけれど、まばらに見える客層は、一般兵をメインに騎士や文官など、もれなく男性ばかりである。
「うちの弁当もさ、販売対象は基本的には訓練場の兵士達じゃない? でも実は、王宮で働く女性陣からも食べてみたいっていう声を貰ってるの。もともと数を作れないから、そういう声には応えてあげられなかったんだけど……。ここの食堂なら、それも可能かなあと思ったりしてね」
なるほど。
と、私とリックさんは顔を見合わせた。
「うーん、でも、難しそうよね。花を飾ってみるとか?」
「花かぁ……。花があるだけで女性が来てくれるかな」
「いい男達を給仕として雇うとか?」
「ここ、基本的に自分たちでトレー運んでもらう食堂なんだけど……」
ああでもないこうでもない、と、セナさんとリックさんが話している。
女性が入りやすい食堂、か。
「あ、それなら、こんなのはどうでしょうか」
私はポンと手を打った。
「女性専用の席を作るんです」
「女性専用?」
セナさんとリックさんは声を揃えた。
「はい。例えば、あっちの窓際の一角を女性だけの空間にしてしまうとか。女の人だけで固まることができれば、だいぶ入りづらさは軽減されると思うんですよね。あそこなら裏口も近いから、裏口も出入口として開放すれば、女性も多少は気軽に来店してくれる気がします」
「ははあ、なるほどね~」
「一番来客の多い時間帯は、男性客だけでも満席になっちゃいますから、少し早い時間帯か、今くらいの、お昼が終わりかけの時間帯だけ女性専用席を作るのもアリかな、と」
「そうか、そうすれば、客足の鈍い時間帯にも集客が見込めるね」
「あとは、そうですね。もうちょっと踏み込むなら、女性客限定で食後に甘いものをつけるとか」
「あー、いいねそれ! 私もだけど、女子って『限定』とかって言葉に弱いしね」
一つアイディアが浮かべば、どんどん話題が膨らんでいく。
この食堂で、どこまで思いつきが通用するかは分からないけれど、やってみる価値はあるかもしれない。
その思いは、リックさんも同じだったみたいだ。
「本来なら、そういう経営方針みたいなところまでは口出しできないんだけど。近々、王宮側に言ってみるよ。きっと食いつきはいいと思うよ」
「ぜひそうして! 男ばっかり快適な職場なんて、つまんないからね!」
セナさんは楽しそうに手を叩いた。
――けれど。
その次の瞬間、セナさんの表情に、寂しげな色が浮かんだような気がした。
「……セナさん?」
「ん?」
顔を覗き込めば、もう、いつものセナさんだ。
でも、何事もなかったかのように流してしまう気にはなれない。
「どうかしたんですか?」
真正面から指摘すると、セナさんは驚いたように目を見開き、それから少しバツの悪そうな表情を見せた。
「あー、ごめん。今、私ヘンな顔してた?」
「変っていうか。何だかセナさんらしくない様子ではありました」
「うん……」
セナさんは、何かを迷うようなそぶりを見せる。
本当に、らしくない。
それでも最終的には心を決めたというように、改めて居ずまいを正し、私を見すえた。
「ハルカなら、何かいい案出してくれるかもしれないね」
「え?」
「うちの定食屋のこと。ちょっと、悩んでるんだ」
「悩み……?」
うん、とセナさんは頷いた。
「ハルカ、覚えてるかな。前に、定食屋が同業から嫌がらせを受けたって話、したよね」
「え! そうなのか!?」
リックさんが素っ頓狂な声を上げた。
私はと言えば、もちろん覚えていないはずがない。ガラの悪い兵士を雇ってまで、うちのお店に嫌がらせをしてきたあの出来事。仕組んだのが同業者だと知って、私なりに、すごくショックだったんだ。
「今はもう、ああいう直接的な嫌がらせは全然無いんだけどさ。実はまだ、他のお店とはちょっと溝ができたままなんだよね。そりゃあ、それぞれ稼がなくちゃなんないんだから、商売そっちのけでただ仲良くやっていけるわけじゃないのは分かってる。でも、同じ地域の仲間として、協力できるところは協力して、楽しくやっていきたいじゃない?」
私は無言で、ただ頷いた。
自分のことで精いっぱいで、戻った私を明るく迎え入れてくれたご主人達が、そんな悩みを抱えたままだったことに、全然気が付かなかった。
「ご主人達もね、どうにか歩み寄れないかって考えてるみたい。こう、地域の飲食店が、それぞれの利益を邪魔しない範囲内で、協力し合えるような『何か』がないかなーと、思ってるんだけど」
利益を邪魔しない範囲で、協力し合う……か。
(む、難しい)
言われてすぐに思いつくような案はない。
弁当配達も食堂の流れも、全部、身近にあったものを見よう見まねで取り入れただけなのだ。結局のところ、ただの女子高生である私にできることなんて高が知れている。
(でも、ご主人達の役に立ちたい)
何か、何かないだろうか。私にできること。
「ごめんねハルカ、無茶なこと言って」
セナさんは、食事を終えて立ち上がると、ポンと私の頭を撫でてくれた。
「まずは何より、ハルカがあの定食屋に顔を出してくれることが、ご主人達の元気とやる気に繋がるよ。だから、こまめに顔を出してあげてね」
そう言いながら微笑むセナさんに、私は素直に笑顔を返すことはできなかった。