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64.懐かしい顔ぶれに再会しました

 フラハムティ様の執務室を後にした。

 扉を閉めて、人気ひとけの無い長い廊下に佇んで。


「か……、帰ってこれた……!」


 感無量とはこのことだ。

 私は思わず両拳を握り締めた。

 かつてこの地に乗り込み、そしてそのまま戻ることができなかった過去が、軽くトラウマになりかけていたけれど。

 私、フラハムティ様の執務室から生還できたんだ!


「ハルカ、本当によかったのか」


 私が一人浮かれている一方で、ノエルは真面目な表情を崩さぬまま、未だ緊張した声でそう問いかけてきた。

「一年後、もしもの時には、あの方は絶対にお前を逃さない」

「……うん」

 私も表情を引き締めて、今一度頷く。

 これが最善だったのかどうかは分からない。でも、このまま元の世界へ帰っても、私はきっとこちらの世界のことを引きずってしまっただろう。だから、一年の期限付きとはいえ、ここに残ると決めたのは、わたしの勝手とも言える。

 そして、残るにはそれなりの覚悟と対価が必要だったということだ。


「でも、大丈夫。私はアルディナ様を信じるよ」


「ハルカさん」

 アルディナ様は、私に向き直った。

「私、ハルカさんの期待に応えるためにも、全力を尽くします。一年後に、皆から巫女として認めて認めてもらえるように」

「はい、お願いします」

「……今の私は、ハルカさんに迷惑をかけるばかりで、支えあうことなど到底できていません。でも、いつかは私もハルカさんのお力になれるような、そんな巫女になりたい。だから今はどうか……見守っていてください」

「きっと、アルディナ様なら大丈夫」

 それは気休めの言葉ではなかった。

 奇しくも巫女巡礼という閉鎖された環境の中で、遠巻きながらもアルディナ様を見つめてきたから分かる。アルディナ様は、巡礼の間にも、皆に近づくための一歩を踏み出していた。きっとこれから彼女は変わっていける。


「えっと、そういう訳で。とにかく、この先一年は引き続きこの世界で暮らすことになったので。ノエルには特に、これからも迷惑を掛けちゃうかもしれないけど……、宜しくお願いします」


 照れつつも、私はノエルに向かって頭を下げた。

 ――が、ノエルは無反応だ。


 え、どうしよう。

 もしかして、やっぱり人質めいた役割を引き受けることには反対だったのだろうか。それとも、散々ノエルには頼らないと言い続けながら、今更「迷惑を掛けるかもしれないけど宜しく」だなんて、虫がよすぎると呆れている?


 恐る恐る顔を上げると、意外にも、何かをこらえるようなノエルの表情とぶつかった。


「……本当に、お前がここに残るんだな」

「え」

 絞り出すようなその声に、私は思わずうろたえた。

「でも、とりあえず一年だよ。それ以上のことはまだ……」

「分かってる。だが、明日お前がいなくなるかもしれないと思いながら毎日過ごしてたんだ。――だから、本当に、良かった」


 どうしよう。

 なんて答えればいいの。

 分からない。まだ、ノエルへの答えは見つかっていない。

 それでも、今はただ素直に嬉しかった。


「俺も、きちんとけじめをつけないとな」

 だから、唐突に告げられたノエルのその言葉に、私はとっさに反応できなかった。

 いつしかノエルの視線はアルディナ様へ向けられている。

「アルディナ、すまない」

 ノエルは真正面からアルディナ様に向き合い、言葉を続けた。

「俺はもう、側でお前を護り続けることはできない。護衛騎士の任は辞するつもりだ」

「……ノエル……」

 アルディナ様が、か細い声でノエルの名を呼んだ。


 とても傷ついたと言うように、その美しい顔が歪む。

 それでも、ぐっとこらえるように唇を噛んで。

 ――アルディナ様は、頷いた。


 アルディナ様は頷いたけれど、私はノエルの言葉をすんなりと受け入れることができない。

 私がこれから一年この世界に留まることと、ノエルがアルディナ様の護衛を辞任することは、全く別の話ではないのか。

 ノエルはきっと、巫女であるアルディナ様をこの先支えていくために必要な人材だ。……正直、個人的には複雑な気持ちだけれど、事実としてそうなのだから認めなければならない。暴漢から彼女の身を護るというだけじゃなく、巫女にとって、いつも側にいてくれる護衛が精神的な支えになることを、私は知っているから。


「ノエル、それは」

 口を挟もうとして、けれど視線でノエルにそれを止められた。

「ハルカを護りたいという気持ちを抱えたまま、巫女の護衛を続けることはできない。どちらもこなせるほど俺は器用じゃないんだ。それはこれまでで十分思い知らされた」

「で、でも、そんなの」

 上ずる声で反論を試みるが、続く言葉は思いつかなかった。

「ハルカさん、いいんです」

 そんな私を見かねたのか、先ほどの辛そうな表情から一転、どこか吹っ切れた様子のアルディナ様が声を上げた。

「全て、自業自得ですから。ここまで私を支えてくれたノエルには、感謝してもしきれません。確かに、この先も支え続けてもらえたらと……願ってしまう気持ちもあります。でも、その気持ちよりも、ノエルには自分の思う通りに動いてほしいという気持ちの方が大きいんです。だから私は大丈夫。いいえ、大丈夫でなければ。真っ直ぐ、自分の足で、歩いていくのですから」

「アルディナ様……」

「それに、護衛でなくなったとしても、ノエルはよき友でいてくれるでしょう。いつかはハルカさんとも、そうなれればと思っています。そのためにも、今は自分の力で頑張る時なのです。――だからノエル、これまで本当に、どうもありがとう」

 そう言って、アルディナ様はノエルに右手を差し出した。

 ノエルは神妙な面持ちで、その手を握り返し。


 そして二人の関係は、巫女と護衛騎士ではなくなったのだった。


・   ・   ・


 それから私は、魔術研究所へ顔を出すことになった。

 ノエルはアルディナ様を神官の居住区へ送り届け、その足で護衛辞退を申し出に行くというので、その間の時間を使ってオルディスさん達に挨拶をしておきたいと思ったのだ。

 なんだかんだで、オルディスさん(の腕輪)にはお世話になったことだし。これは早めにお礼を伝えに出向かなくては、後でオルディスさんから嫌味の嵐を食らうことになるのは目に見えている。


 フラハムティ様の執務室からは魔術研究所の方が近かったため、ノエルとアルディナ様も研究所の入り口まで付き合ってくれた。そこから立ち去る二人の背中を見ながら、この後の短い時間で二人が何を話すのだろうと少し気になってしまう。

(今の私に、何をどうこう言う資格もないのに)

 小さくなった二人の背に、ため息を落とす。


 ぼんやり佇んでいると、突如、研究所の扉が開かれた。

 完全に上の空だった私は、飛び上がらんばかりに驚いた。目を見開いたまま振り向くと、扉を開けたのは――


「コリーさん!」


 うわあ、凄く久しぶりだ!

 オルディスさんの魔術の弟子である彼は、あの厭味ったらしい腹黒魔術師に従事しているとは思えないほど、ほんわりとした優しげな青年である。この研究所でオルディスさんに精神力をガンガン削られている時、彼の存在が私の密かな癒しだった。


「あれーっ、ハルカさん!? びっくりした、久しぶりだね?」

 コリーさんも同じように驚いて、そしてすぐに嬉しそうに微笑んでくれる。

「はい、本当にお久しぶりです!」

「定食屋のセナさんからは、君がしばらく実家に帰ってるって聞いてたんだけど。いつ戻って来たの?」

「えっと、ついこの間のことで」

 私は若干慌てながらも、嘘にならない範囲で答えておく。

 そうか、コリーさんは私が元巫女だということを、今もまだ知らないんだな。ここ最近は既に知っている人たちとばかり一緒にいたから、何となくそれが当たり前のような気がしてしまっていたけれど。

(コリーさんは、純粋に「ハルカ」の私と接してくれてるんだ)

 それが無性に嬉しくて、つい顔がにやけてしまった。


「あ、もしかしなくてもオルディス様に会いに来たんだよね? さあ入って入って。オルディス様ならちょうど今ここに来てるよ。一緒に行こう」

「えっ、でもコリーさん、どこかに行こうとしてたんですよね?」

「オルディス様に使い走りにされるところだったから、構いやしないさ。君を連れて戻って来たなら、どやされたりしないだろうし」

 コリーさん、にこにこと笑って言うようなことじゃないような気がします。

 相変わらずオルディスさんは部下をいいように使っているんだな……。


「それにしても、オルディス様がこの研究所に顔を出すこと自体、久しぶりなんだよね。君が来るって知ってたから、それに合わせたのかな? それだったら、君が王都に戻ってること、僕やルーナにも教えてくれればよかったのにねえ」

 オルディス様と待ち合わせなの? と首を傾げられ、私は曖昧に笑って誤魔化した。

 待ち合わせではないけれど、大方、巫女巡礼から戻った私がそろそろ彼のところへ顔を出すとオルディスさんは踏んでいたのだろう。……やっぱり早めにこっちへ来ておいてよかった。


 どこか埃っぽい廊下を抜けて、懐かしの研究室へ。

 ああ、このじんわりと湿った空気さえも懐かしい。少し前までは気が滅入るばかりだった空気が、いっそ芳しいような気までしてきてしまうから私も重症だ。


「オルディス様、ルーナ。ハルカさんを連れてきましたよ」

 コリーさんは明るい声で宣言し、研究室の扉を開けた。


 私はと言えば、コリーさんの背中越しに中を覗き込み、その光景にまた心を打たれる。

 ごちゃっと散らかったこの部屋! そう、これだ。以前と全然変わっていない。でも、それもそうか。私にはとても久しぶりに感じられるけれど、実際はそれほどの日数が経ったわけでもないのだから。


「え、ハルカさん?」

 魔道具や魔術所の山から、ひょっこりと顔を出したのはルーナさんだ。

 相変わらずのふんわりとした猫っ毛に、ちょっとつり上がった大きな目。その目が私を捉えてますます大きく見開かれている。

「おやおやおや、まさかの客人がお見えですよ、オルディス様! ああいえ失礼、オルディス様はもちろんご存じだったのでしょうね! でなければ、最近めっきり足の遠のいておられたこの斜陽の研究所の埃臭い椅子なぞにふんぞり返って座ってらっしゃるはずがない! ああでもそれならば、どうしてもっと早く仰ってくれなかったのです? 全くもっていけずな方ですねえ!」

 ……コリーさんと同じようなことを言っているはずなのに、さすがのルーナ節だ。

 相変わらずの彼女のマシンガントークぶりに、また懐かしさが募る。


「うるさいぞ、ルーナ」

 そしてこの部屋のボス、オルディスさん――。


 気だるげに椅子に腰かけながら、こちらに向けられた彼の顔。その眉間には深い皺が刻まれている。それは視界に私を収めたであろう後でも全く解消される様子がない。久しぶりの対面だというのに、何とも失礼な人である。

 ああ、でも、私、あんなに嫌で嫌で仕方のなかったこの人に再会できたことすらも、ちょっと嬉しく感じているみたいだ。

「あの、オルディスさん、お久しぶりです……」

 コリーさんの背中越しに、小さく挨拶する。

 いくら嬉しく感じようと、このオルディスさん相手にフレンドリーに振る舞う勇気はさすがに持てない。


「遅かったな」

 一言、不機嫌さを隠そうともせず、低い声でオルディスさんは告げた。

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