62.答えを求めど五里霧中
ルーノさんとの面談のあと、私は王宮の客人として留め置かれることになった。
もう日も沈んでしまった後だということもあって、フラハムティ様との面会をその日のうちに取りつけることは難しかったのだ。……多分、裏ルートから接触すれば、すぐにでも彼と会うことはできただろう。でも、それじゃあダメだから。
「この部屋だ。好きに使ってくれ」
「わあ……」
ノエルに案内されたのは、ブラウンを基調とした可愛らしい一室だった。
木目調の床が広がる広めの部屋、その真ん中には見るからに寝心地のよさそうなベッドが一つ。扉側には、ソファとテーブル。そして窓際には、読書やちょっとした書き物に重宝しそうな小さな机があった。
王宮内に、こんな客人用の部屋も用意されていたのだと、初めて知った。
「フラハムティ様との面会は、明日以降になると思う」
「分かった」
「……で、あの方と何を話すかは、決まってるのか?」
ノエルは、ソファに座りながらそう尋ねてきた。
私も彼にならい、ベッドの縁に腰かける。
「……うん、一応は。ずっと考えてたから、こうしたいっていう思いはある」
私は慎重に答えた。
簡単に決められることではない。それに、出した答えをフラハムティ様に受け入れてもらえなければ意味がない。とても、難しい問題だ。
「それについては、明日か、それ以降でもいいんだけど、フラハムティ様と会う前に、アルディナ様も交えて話をさせてもらいたいんだ。私一人で決めていいような話じゃないと思うから」
「分かった。明日、時間を作ろう」
「ありがとう」
それからノエルは、わずかに逡巡する気配を見せた。
「……元の世界に帰らないっていう選択肢は、お前の中にあるのか?」
ノエルは、落ち着いた声で、けれど核心的な問いを寄越した。
「フラハムティ様と話をするってことは、必然的に、そういう話にも決着をつけるってことになる」
「……分かってる」
私は帰る。帰らなくちゃいけない。
ずっとずっと、そう思ってきた。
でも、今帰って、私は本当に後悔しないのか。
それに――ノエルは帰るなと引き留めてくれた。
昔の私みたいに、向こう見ずに感情だけで突っ走った告白の言葉とは違う。
ノエルは、きっと私のことをすごくたくさん考えてくれた。私の世界のこと、私を取り巻く人たちのこと、私自身の故郷への愛着。
だからこそ、彼の引き留める言葉はとても重かった。
(ノエルのこと、ちゃんと考えなくちゃ)
考えても考えても、結局は袋小路に突き当たる。
フラハムティ様へ向ける言葉にも散々迷っているというのに、ノエルの気持ちにどう応えたらいいのかが分からない。でも、考えなくちゃいけない。
この人に対して、あやふやなままでは済まされないから。
私は拳を握りしめて、ベッドから立ち上がった。
そのままソファの側まで近寄って、座ったままのノエルの顔を覗き込む。驚きに見開かれた彼の目が、とてもよく見えた。
「ノエル、私のことについては、もう少しだけ時間をちょうだい」
「ハルカ?」
「巫女時代の私は――すごく子供だった。多分、『恋』に憧れてた。ううん、ノエルのことが好きだって気持ちは、軽いものじゃなかったけど。でも、その気持ちをどう扱うか、私はきっと真剣には考えきれていなかったんだと思う。別れ際に、ノエルに気持ちだけ投げつけてさ。それで私たちは引き裂かれて、悲恋の主人公みたいだ、なんて浸ってたのかも」
あれから、短いようで長い時間が過ぎた。
今の私は、同じ私ではない。
「あの時のノエルは正しかった。それに、優しかった。私を突き放してくれてありがとう」
何でだろう、よく分からないけれど涙が零れそうになる。
「でももう、ノエルに同じことはさせないよ。今度こそ、私はちゃんと考える。これから自分が、どうしたいのか。私はやっぱり、元の世界に帰りたいのか。それとも、ここに残るのか。残るなら、それがどういうことなのかもしっかり考える」
「……ああ」
「今すぐは答えられなくてごめん。でも、曖昧に流してしまおうとしてるわけじゃないから、それは分かってほしい」
「分かってる」
ノエルは私の目尻にたまった涙を優しく拭ってくれた。
「待ってるよ。――お前の答えを」
・ ・ ・
翌朝。
与えられた部屋のベッドで、何事もなく目覚めることができたことに、私は密かな感動を覚えていた。
今日も天気はいいようで、大きな出窓からは燦燦と朝日が差し込んでいる。
カーテンを開けながら、私はこの平和な目覚めを神様に感謝した。
てっきりまた、アルスさん辺りが夜中に部屋に押し入って私を拉致でもするんじゃないかと危惧していたのだ。
だってここは、フラハムティ様のお膝元である王宮だ。
国王に次いで権力を持っているような凄い人が、その力を如何なく発揮できる場所。
そこへ、逃げ出した前巫女がのこのこと戻って来たわけだから、いかようにもできそうなものである。絶対、それが狙いだと思っていたのに。
私が「巡礼に紛れ込んだ一般人」としてそれなりに王宮内で目立つ存在になってしまったから、様子見をしているのか。それとも、ノエルやアルディナ様、ルーノさんなどが上手く取り計らってくれているのか。もしくは、長らく会っていないオルディスさんも、気にかけてくれていたりするのかもしれない。彼から預かった腕輪もまだ手元にあるわけだし。
いずれにせよ、居心地の悪いばかりだったはずの王宮が、ほんの少しだけ、私の中で様子を変えつつあることに気づかされる。
「ハルカさん、失礼いたします」
とりあえず身支度をしようと、用意されていた洋服に袖を通し始めたころだった。控えめなノック、それから女性の声が扉の向こうから響く。
「あ、はい、どうぞ」
慌てて着替えて返事をすると、入ってきたのはクインさんだ。
「おはようございます、ハルカさん」
「クインさん! おはようございます」
巫女巡礼で、世話役兼騎士見習いとして私のこともサポートしてくれたクインさん。まさかこの王宮内で、こんなにすぐに会えるだなんて。嬉しい驚きに、私は弾んだ声を上げた。
「本日は、私がハルカ様の身の回りのお手伝いをさせて頂けることになりました。引き続き、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
入ってきたクインさんは、手元にカートを引いている。カートには、大小たくさんのお皿。それらから得も言われぬいい香りがして、私は思わず鼻をくんと鳴らした。
「朝食の準備をさせて頂きますが、宜しいですか?」
「え、これ、私の朝食ですか!?」
「もちろんです。準備が整いますまで、よろしければ、お寛ぎになってお待ちください」
うわあ、これ、「一般人」に向けた待遇じゃないよ。この広い部屋を用意してもらった時から分かっていたことだけれども。
「あのー、ところで、クインさん」
「はい、なんでしょう?」
クインさんは、本業は騎士見習いのはずなのに、スムーズな手つきで朝食の準備を整えていく。一連の流れを感心しながら眺めつつ、私は話を続けた。
「その、昨日、アルディナ様達は大丈夫だったんでしょうか?」
クインさんは、一瞬、手を止めた。
「……そうですね、やはり、色々とあったようですが」
「『気脈』が正されたことは、国に報告したんですよね?」
「ええ、そのようです。ただ、レイバーン様のこともありましたから」
クインさんの表情は冴えない。
分かってはいたけれど、『気脈』が正されたからと言って、すなわち大団円というわけにはいかないようだった。アルディナ様の目の前には、まだまだたくさんの越えるべき壁がそびえたっている。
「私のことは……」
前巫女ハルーティアである私の存在も、公になったのだろうか。
「帰還の儀には、私も護衛として同席させて頂きましたが、その件については触れられませんでした。ハルカさまのことは巫女巡礼の参加者に対して厳しい緘口令が引かれましたので、すぐさま表立った問題としてはとりあげられないと思います」
「そうなんですか」
ほっとして、それからすぐに気を引き締めた。
安心している場合じゃない。私の存在が今後にどう影響していくか――それはまさに、これからのフラハムティ様との面会次第なのだから。
・ ・ ・
その日の午後、私は改めてノエルに時間をもらった。
忙しい合間を縫って来てくれたアルディナ様と三人、膝を突き合わせて、フラハムティ様との面会について話し合う。
私たちの誰も、正しい答えを持っているわけではない。
私たちの思いが正しいという保証もない。
それでも、立ち向かうと決めたからには、もう逃げることはできない。
フラハムティ様との面会は、その翌日の午後に決まった。
・ ・ ・
約束の時は、あっという間に巡ってきた。
「ハルカ様、失礼致します。フラハムティ様との面会のお時間です」
クインさんが、部屋まで私を呼びに来てくれた。
「はい」
背筋を伸ばして立ち上がり、私はぎくしゃくと部屋の入り口へと向かう。
クインさんはほとんど口を開かない。けれど私を気遣うように時折こちらを振り返りながら、フラハムティ様の執務室まで連れて行ってくれた。
以前は、オルディスさんの無理やりな転移の術で、心の準備もなくフラハムティ様と面会することになったのだっけ。
そしてその時は、もはや元の場所に帰ることは叶わなかった。
――今度はどうだろう。
(大丈夫、ノエルがついていてくれるんだから)
不安に捕らわれそうになる自分に、強く言い聞かせる。
そうすると、少し心が軽くなったような気がした。
(今度は、私ひとりじゃない)
その事実が、私を奮い立たせてくれた。
「ハルカ様、こちらです」
長い長い廊下を歩いた先で、クインさんは立ち止った。
大きな扉の前で彼女が一歩身を引く。相変わらず威圧感のある扉に、私はごくりとつばを飲み込んだ。
「ありがとうございます」
一歩、前へ。覚悟を決めて扉を開けて。
すると――扉の向こう、控えの間には、ノエルの姿があった。
彼だけじゃない。
何と、アルディナ様までもが私を待ち受けていたのである。
「え……、どうして」
予想外のことに、私はぽかんと口を開いた。
今日この場には、アルディナ様が同席する予定ではなかったからだ。
「ハルカさん、驚かせてしまって申し訳ありません。お邪魔かもしれませんが、やはり私もご一緒させてください。元凶は私なのですから、本来は私がきちんとフラハムティ様と話さなければいけないことだと思っています。私も彼に、直接自分の覚悟を伝えたいのです」
アルディナ様は、私の右手をその両手のひらで優しく包み込みながら、けれど眼差しだけは真摯に鋭く、そう告げた。
「アルディナ様……、いいんですか?」
フラハムティ様との面会は、そのままアルディナ様の進退に関する話と直結する。その場にアルディナ様自身が立ち会うということは、逃げも隠れも、誤魔化しもできないということになるのだ。
「はい。どうか、お願いします」
アルディナ様の決意は固いようだった。
私はしっかりと頷き返して、それから側のノエルを見上げた。
「行こう」
ノエルの言葉に私はもう一度頷いて、扉の向こうで控えているであろうフラハムティ様へと視線を送った。