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59.呼び止める声が聞こえる

 前巫女である私が、現巫女であるアルディナ様と話をする。

 そう言われれば、クインさんには止めようもなかったのだろう。困惑した様子の彼女に一言詫びて、私は夜の廊下へと身を滑らせた。


 廊下はしんと静まり返っていた。

 暖かい色合いの照明が、頼りなげに廊下の先までを照らしている。

 左右を見渡しても、人影は見えない。


 この近辺の数部屋は、アルディナ様の世話役の女性たちに宛がわれている。

 アルディナ様本人の部屋は知らされていないけれど、恐らくは宿の一番奥の方だ。扉の前に護衛の兵士が交代でついているはずだから、見ればそれと分かるだろう。


(でも、私、今アルディナ様と会って、それで何を話すつもりなんだろう)


 今すぐ元の世界へ帰してもらいたい、と。

 そう告げる決心は、未だついていないのに。

 それでも、そうするべきだという声が、頭の中、どこか遠くから私に呼びかけてくる。明日の夜には、もう王都に入ってしまうのだ。それを考えれば、王宮へ戻る前にアルディナ様が私を元の世界に帰すことのできるタイミングは、今夜が最後になるだろう。


(定食屋のご主人達に直接挨拶ができないのは、仕方がない)

 そう思って、納得しなくては。

(オルディスさんや……魔術研究所のコリーさんやルーナさんにも会いたかったけど)

 それも、仕方がない。何だかんだで助けられてきたあの人達に、お礼を言えないことも。

(学校の制服も、鞄も、この世界に置いたままになっちゃうけど)

 それは少し、まずいかもしれない。でも、それも仕方がないんだ。


 納得しなくちゃ。そして私は帰らなくちゃ。

 そうすることで、色々なものが丸く収まるのならば。


(ノエルにも――もう会えなくなるんだ)


 そこまで思考が流れ着いた時、ぐっと胸を締め付けられる心地がした。

 かつて一度、味わったことのある痛みだ。

 あの当時は、四六時中、片時も離れずノエルの側にいて。それに比べて、今は一緒に過ごす時間なんて数えるほどしかなかったのに。


(……苦しい思いは、同じなんだなぁ)


 涙が滲みそうになる。

 でも、なんとかこらえた。


 その時だ。

 廊下の向こう側から、人の話し声がほんのわずかに聞こえてきた。どちらも男の人の声だ。宿の人か、それとも、見回りをしている警備兵の誰かなのかもしれない。

 いずれにせよ、夜更けに私一人で廊下をふらついているところを見とがめられるのは避けたいところだった。今、あまり人と話したくない気分だったというのもある。

 その話し声がこちらに近づいてくる前に、私は近くの通用口から裏庭に出た。


 裏庭にはあちこちに灯りがともされていて、夜更けの割には明るく感じられた。

 私は音をたてないように注意深く通用口の扉を閉めると、そのすぐ側の壁に寄りかかり、ずるずるとしゃがみこんだ。


 ぼんやりと、夜の庭を眺める。


 静かだ、と思った。

 聞こえるのは、風に揺れる木の葉や草の音ばかり。

 そっと目を閉じれば、自分が今どこにいるのかも定かではなくなっていく。


 長いような、短いような、この世界で過ごした日々。

 それは人生の中でもほんのわずかな期間だったはずなのに、あまりに色んなことがありすぎて、とてもそうは思えなかった。

 全てが現実離れしているようで、それでいて、こうして頬に感じる風は、私の世界と何一つ変わらず気まぐれで。

 この毎日が、夢の中の出来事だったなんて、思えない。

 私にとっては、やっぱり、現実なんだ。


 どれくらいの間、そうしていただろうか。

 おそらく大した時間は経っていなかった。

 いつしか私は、人目をやり過ごすためではなく、ただ夜風に当たるためだけにその場にとどまり続けていた。腰を上げるのが億劫だと思った。このままずっと、動きたくない。


 やがて、微かな音と共に、通用口の扉が開かれた。

 はっとして座り込んだまま顔を上げれば、扉の向こうから姿を現したのは――ノエルだ。


 どうしてノエルがここに、そう思った。

 それと同時に、もう一度彼と会えたことに安堵している自分に気づく。


「お前は何をやってるんだ、こんなところで」

「……ノエルこそ」

 ノエルは呆れたようにため息をつくと、後ろ手で扉を閉めて、私の前に立ちふさがった。

「クインから報告を受けた。お前が一人、部屋を出たと」

「……」

「アルディナのところへ行くつもりだったんだってな」

 そこまでバレているのならば、もはや何も言うことはない。何のためにアルディナ様のところへ行こうとしていたのかも、きっとノエルは理解している。そして、こうして一人裏庭で座り込んでいる私が、アルディナ様の元へ乗り込む勇気さえ出せなかったのだということも。


「昼間、ナタリエに何を言われた?」

 ノエルは、本当によく見ている。

「……巫女になる気はないという言葉を、信じてもいいのか、って」

「それだけか?」

「あとは、まあ、色々」

 顔を上げ続けているのに疲れ、私は答えながらも視線を落とした。それが気に入らなかったのか、ノエルが一瞬口をつぐむ。そして彼は、私の前に膝をついた。

 目線が合うと、いよいよ彼から逃れられない気がした。

「今のうちに元の世界へ帰ってくれと、言われたんじゃないか」

「……」

「あの侍女の言いそうなことだ」

 刺々しい物言いに、ノエルの怒りの深さを感じる。怖い。

「それで、アルディナのもとへ?」

 その通りなのだから、頷くしかない。

 でも、私にだって言い分はあった。

「ナタリエさんに言われたからっていうわけじゃなくて、自分なりに考えた結果だから」

「誰にも何も告げず、密かに立ち去るのが一番だと?」

「……だって、私がいると、それだけで色々と問題が起こるだろうし」

「お前がいない時から、問題だらけだったけどな。あの王宮は」

「フラハムティ様のことだって。分かるでしょ。あの人はきっと、私を都合のいい道具として手元に置こうとしてる。それに抗う方法が、私には分からないよ」


 最初からずっと、結局は、あの人の手のひらの上で転がされていた。

 唯一フラハムティ様の想定外だったであろう出来事は、召喚士ルーノさんが、私を巫女巡礼の場へ飛ばしたことぐらいだ。流石の彼も焦ったのではないかと思えば多少は溜飲も下がる。

 色々散々な目に遭ってきたけれど、ほんのちょっとくらいは、ルーノさんを褒めてあげてもいいかもしれない。……いや、やっぱり一度、張り倒してやりたいわ。


「もしお前が、アルディナのために今帰ろうと考えたのなら。王宮へ戻ることなく元の世界へ帰還するのは、却ってまずい」

 私が頭の中でルーノさんを張り倒している間にも、ノエルは冷静に言葉を続けた。

「え、どういうこと?」

「お前がこの世界へ出戻りしたことを、フラハムティ様は知っているんだぞ。今はその事実を伏せていた方がいいと考えているから、あの人も沈黙を守っているのかもしれない。だが、アルディナが独断でお前を帰したとなると……フラハムティ様ももはや黙っていないだろう。どころか、今度はそれを『武器』にしようとするに違いない」


 あ、と声に出しそうになった。

 独断で異界の巫女を再召喚し、さらにそれを独断で帰してしまったアルディナ様。

 もしそんなことが公になったら、彼女の立場はますます悪いものになってしまうだろう。決定的な弱味を、フラハムティ様に握られることになってしまうんだ。

 そもそも、私を勝手に再召喚してしまった時点で、アルディナ様は既に相当まずい状況にあることは間違いない。結局きちんと『気脈』を正すことができたわけだから、結果オーライという話に……ならなくもない、のかもしれないけれど。

 いや、それも、フラハムティ様の気持ち次第か。

 なにせ彼は全てを知っているわけだから、アルディナ様の進退を決めてしまえるのは彼をおいて他にはいないといってもいい。

 アルディナ様にこれからも巫女を続けてもらうには、私がちゃんと王宮に戻って、他の誰でもない、フラハムティ様としっかり話し合わなければならないのかもしれない。

 私が帰った後のことなんてどうでもいいと、割り切ってしまうことができないのなら。


(私、フラハムティ様と対峙する自信がないんだけどなぁ)


 どこにも立つ瀬がないというのも、つらいものだ。

 勝手に帰るのもマズいし、王宮に帰るのもマズい。どちらも覚悟のいることだ。


(……でも)

 私一人きりだったら、フラハムティ様の前になんて立てないと、全部見捨てて元の世界に帰る道を選んでしまっていたかもしれない。

 だけど、今の私は、一人じゃない。

 ううん、昔から、私はこの世界でも一人きりじゃなかった。

 他に誰がいなくても、ノエルだけは、ずっと側にいてくれたから。


「――ノエル、やっぱり私、王宮に戻って、フラハムティ様と話をするよ」

 私は正面からノエルの目を見つめて、そう告げた。

「ただ、フラハムティ様と対等に話をできる自信がないから……ノエルに一緒にいてほしい」

 目を逸らさないように、気をつけて。

 はっきり告げれば、ノエルは驚いたように目を見開いた。


 ごめんなさい、ノエル。

 ずっとあなたが私を見守っていてくれていたことを知っていたのに、私はずっと、ノエルから目を逸らし続けてきた。頼らないように、甘えないようにって、呪文みたいに唱え続けてきたくせに、結局はあなたの優しさに支えられていた。

 それで自立した気になって、いざ自分ではどうしようもない場面に直面したら、ノエルに助けてもらえるのを心のどこかで期待して。そんな時はいつも、本当にノエルは、何も言わなくったって助けに来てくれた。


 でも、そんなの、素直に頼るよりもずっと情けないことだったよね。

 最後くらい、ちゃんと自分の言葉で、ノエルの力を貸してほしいと伝えたい。


「お前――、やっと俺に、頼ったな」

 驚いた様子を見せたのもつかの間、ノエルはすぐに目を細め、それから、ポンと私の頭に右手を乗せた。

「うっ、そうだっけ」

「そうだよ。一人で大丈夫なんだって見せつけるように、散々人のこと蔑ろにしやがって」

「いや、前みたいに甘えてばかりじゃアレだなって思ってね? 自立を目指してみたんだけど、やっぱり自立しきれないみたいで、あの、ごめん」

 何だか、ノエルが優しく微笑んでるって珍しすぎて緊張する。

 というか、今気づいたけど、全体的に、ちょっと距離が近すぎやしないだろうか。


「嘘だよ。お前は何も悪くない。むしろ……俺の方こそ、ごめん」


 えっ!?

 今度は私が目をひん剥く晩だった。

 だって、ノエルが、謝った!? 私に!? ごめん!?

 え、でも、何で!?


 驚愕の眼差しを遠慮なくノエルに向けると、彼はそれまでの微笑みを引っ込めて、急に真面目な顔つきになった。頭の上に載せられていたはずの右手が、いつの間にか私の頬へと滑り落ちている。


「今が、お前が元の世界に帰る絶好の機会だって、分かってて引き留めてる」

「――」

 ノエルの指先が熱い。

「お前の身の安全を最優先にするなら、今帰るべきだ。これ以上この世界に留まっていても、お前にとってはいいことなんて何もない。第一、その義理もない。それに、お前はずっと帰りたいと言っていたんだしな」

 どうしよう。

 何で私は、こんな夜更けに、ノエルと至近距離で見つめあっているんだろう?

 恥ずかしくて死にそうなのに、目が逸らせない。ノエルの言葉を一言でも聞き漏らしたくないと思ってしまう自分がいる。


「でも、俺は、お前を帰したくないんだ」


 それはとても小さな呟きだった。

 もしかすると、夜風に連れ去られてしまいそうなくらいに。


「二度はお前を諦められない」


 囁かれた声の近さに、私は眩暈を感じた。

 

 ――今、ノエル、何て言った!?


「ああああの」

「なんだ」

「確認したいんだけど」

「ああ」

「これ、やっぱり夢じゃないよね」

「夢の中の話にされちゃ困る」

「ええと、何で急に、こんな話になったんだっけ?」

「そうだな、もっと早くに伝えておけばよかった」


 ノエルはまたわずかに瞳を細めた。でも、今度は笑ってはいない。


「俺は、お前が好きなんだ」


 とうとう、頭が爆発するかと思った。


「……うっ、うそだ」

「嘘じゃない」

「だって、私、あの時、告白して振られたのに」

「餞別代りに、お前の望む答えをくれてやっただけだ。もう二度と御免だけどな」

「えっ、どういうこと?」

 あの当時から、ノエルは私を好きでいてくれたってことだろうか?

 いやいや、まさか。私の思考回路は、今ちょっと調子に乗っているようだ。


 ああ、でも、私、完全に混乱している。

 前に、俺のことをもっと考えろってノエルに言われておきながら、結局ちゃんと考えていなかったツケが、今ここで巡ってきているんだ。

 私は本当に、色々な意味で、ノエルから目を逸らしてきた。


「あ……あのね、ノエル」

 私は努めて冷静に声を出した。

「ノエルは多分、勘違いしてるんじゃないかな」

「勘違い?」

「私ずっと、ノエルに頼ってばかりだったでしょ。それでノエルは、自分がいなくちゃ私が駄目になるって思い込んでて、その義務感を、好意と勘違いしてるんじゃないかと」

「お前が俺に頼らなくなって、どれだけ経ったと思ってる?」

 ノエルは一歩も引いてくれない。

「第一、俺は自分の気持ちくらい、ちゃんと自分で分かってる」


「でも……、アルディナ様が」


 思わず、そんな言葉が口をついた。


「もういい、もう何も言うな」


 不意に、ノエルの右手が、私の頬から離れた。

 それを寂しいと感じる暇もない。

 その次の瞬間には、ノエルに強く抱きしめられていた。


「今更、すぐに受け入れてもらえるとは思ってない。ただ、伝えておきたかった。お前を――この地に留めておきたかった。ずるいことだと分かっていても」


 声が近い、近すぎる! 耳元で吐息が!

 早鐘のように激しく打つ鼓動が、ノエルにも絶対に伝わってしまっているに違いない。


「ノ、ノ、ノ」

 ノエル、と名前さえ満足に呼ぶことができなかった。

 ちょうど彼の肩口に私の顔面が押し付けられているためという、物理的な原因もあったのだけれど。


 もうこのまま気絶してしまおうか、そんな風に思考が明後日の方向へ飛びかけた時だった。

 私の背中に回ったノエルの腕の力が、不意に緩められる。

 ほとんど涙目でノエルの様子を窺うと、彼は打って変わって厳しい表情を浮かべ、鋭く後ろを振り返ったところだった。


「話は終わったかい、お二人さん」


 いつの間に、ここへやって来たのだろう。

 アルスさんが、私たちの背後に佇んでいた。


 その手には、月の光を反射して、妖しく光る長剣があった。

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