57.旅路の果てに
かくして、『気脈』は正された。
正されたという確信を持つことができたのは、今のところ、私とアルディナ様だけだ。
本当に『気脈』が正しい在り方に導かれたのかどうかは、これから国のお偉方によって検分され、証明されていくことになるだろう。
あれから私たちは、宿へと戻り、言葉少なに夜明けを待つことになった。
皆を昏倒させる魔術を使っていたのは、ソティーニさんだった。
アルディナ様と私を二人きりにするためにやったのだと、彼女は告白した。もちろん彼女にもアルディナ様にも、私に危害を加えるつもりは全くなかったのだろう。けれど、悪いことに、そのタイミングをレイバーンさんに狙われて――この有様となってしまった。
はじめ、ソティーニさんは私を『聖域』へ案内してから、出入り口付近で待機していたのだという。
しかしまもなく、自身がかけた術にわずかな違和感を覚えた。それどころか、術を上手く制御できなくなっていると気づいた彼女は、様子を見るため各々が眠る宿へと舞い戻ったのだ。
その隙を、レイバーンさんに狙われたわけである。
実際のところ、どうやらレイバーンさんは、ソティーニさんの昏倒の術に便乗して、術の上塗りのようなことをしたようだ。いよいよ状況がおかしいと悟ったソティーニさんは、無理やりに術を解除して――その解除には想像以上の時間と体力を要したようだが――なんとかノエルとアルスさんに異変を伝え、三人で再び『聖域』へ駆けつけた、という流れだった。
「言ってしまえば、私はあの男の悪事の片棒を担いだようなものですわ」
宿の談話室、ソファに身を沈めたソティーニさんは、疲れたようにそう呟いた。
今、この場には、旅のメンバーのほとんどが集まっている。
皆、何とも言えない表情で黙り込んだままだ。
そんな中に落とされたソティーニさんの独白は、思いのほか部屋に響き渡った。
「ソティーニさん、そんなことを言わないで下さい」
私は弱々しい声で、それだけ言うのが精一杯だった。
気の利いたことの一つも言えない自分が情けない。でも実際に、ソティーニさんにも責任があるだなんて、私は全く思っていなかった。むしろ彼女が機転を利かせてノエル達を呼んできてくれたからこそ、私はこうして助かったのだ。
談話室に集まった面々の中に、当のレイバーンさんはいない。
彼は今、別室に軟禁されている状態だ。もはや抗うつもりもないだろうが、見張りとしてエリオットさんとシズルさんについてもらっている。
そしてまた、アルディナ様も自室へ戻っていた。
本人は、自分ひとり休むことに抵抗したのだが、どうやら『気脈』を正すのに力を使いすぎてしまったようで、部屋に戻るなり気絶したように眠り込んでしまったのだ。
そんな彼女の側には、護衛を兼ねて、世話役の一人であるクインさんがついている。
残りのメンバーは、思い思いに談話室の椅子に腰掛けていた。
ついに『気脈』が正されたと喜びに湧いてもおかしくない状況だというのに、皆の顔に、明るい色はまるで見えない。
皆が手放しに喜ぶことのできない大きな要因、それはむろん、レイバーンさんのことがあるからだ。
これまでこの旅路を率いてきた彼の、裏切りともいえる罪深い行為。『気脈』が正されたことよりも、その事実が一番に皆を驚かせたといっても過言ではないかもしれない。
彼が故意に『気脈』を歪ませただなんて、最初は誰一人として信じようとしなかったほどなのだ。けれど、彼の成したことがただただ偏にアルディナ様を思ってのことだったと知らされて、誰しもが続く言葉を失うことになった。
そして、皆の口を重くさせている原因が、もう一つある。
――それは、私自身の、存在だ。
私がかつての『異界の巫女』であるという事実が、とうとう皆に知らされた。
やはりこちらも一行を驚かせたようだが、それも束の間のことで、「言われてみれば、ある意味ストンと納得できた」と、警備兵のリーダーであるガンヌさんなどは言っていた。
確かにそうかもしれない。
これまで不自然な形で私が巡礼に参加していたことや、何よりノエルがやけに私を気にかけていたことなどが、どれだけ皆に疑念を植え付けていたことか。彼らの中に渦巻いていた不信感が、今ここに来て、ようやく僅かながらに解消されたということだろう。
しかし、それはそれ。
ならば、私という存在をどう扱えばいいのだろうかと、皆は新たな困惑をもって私を遠巻きに眺めている。
私は、居心地悪く部屋の隅で背を丸めているしかできない。
……いや、本当は私自身も、色々と混乱しているのだ。
混乱というよりは、落ち着かないと言うべきか。
私の中でも、全てがようやく一つに繋がった。
何故『気脈』が歪み、何故アルディナ様がそれを正せず、何故私が呼び出されたのか。そして何故私がこの巫女巡礼に巻き込まれ――この晩を、迎えたのか。
たくさんの“何故”にようやく答えを見出すことができたのだから、本来ならば、スッキリとした気持ちでこの旅を終えることが出来るはずなのに。
でも、現実は、全くもってそうではなかった。
私は自分でもよく分からない不安にとりつかれている。
私の役目は、終わったのだ。
私を再召喚した人物も、明らかになった。
私はいつだって、元の世界に帰れるんだ――。
いや、帰らなくてはいけない。
どくどくと、鼓動がやけに存在を主張し始める。
当たり前のような顔をして、今、私はこうして皆と座っているけれど。いつまでこうしていられるのだろう? アルディナ様が元気を取り戻したら、私は彼女の手によって、すぐに帰されることになるのだろうか。
私はこの場の異分子だ。
この世界にいる限り、ずっとずっとそうだった。
だから早く帰りたい、帰らなければと、――「巫女」だった当時の私はそう思っていた。
唯一、そんな私の後ろ髪を引いたのが、ノエルという存在で。
(そして今も、やっぱり同じ)
私は、窓際の壁に背を預けて佇んでいるノエルを、ちらりと盗み見た。
途端、目ざといノエルにすぐ気づかれて、互いの視線がしっかりと絡んでしまう。
私は慌てて目を逸らし、意味もなく自分の両手を弄んだ。
(それに、定食屋のご主人やおかみさん達にも、会いたいし)
これまで散々お世話になった彼らに、きちんと挨拶もできないまま別れるのは嫌だ。
ちゃんとお礼を伝えて、皆の元気な顔を見て、この世界を離れるのはそれからがいい。
(でも……、帰ったら、もう二度と、ご主人達にも会えないんだよね)
当たり前の事実が、ずしりと胸の底に重く沈んだ。
そんなことは、よくよく分かっているはずなのに。帰ったら、皆にはもう会えない。
でも、それも仕方のないことなのだ。だって私はこの世界にいるべき人間ではないのだから。
――分かっている、分かっているはずだ。
だからと言って、この煮え切らない「想い」の始末を、他の誰かに託してしまおうという気にもなれなかった。
あの日、最後の時に、私がノエルにそうしたようには。
さよならの言葉と共に投げつけた私の想いは、ノエルにとってはとんだ重荷以外の何物でもなかったことだろう。
それなのに、結局、あの日のノエルは、私が望んだ通りの答えを返してくれた。
そうだ。私は何だかんだ言って、ああしてノエルに突き放してほしかったんだ。そうして背中を押してほしかった。送り出してほしかった。そうでなければ帰れなかった。
(ああ、私って、……ホント最悪)
この件で、私は何度自分に幻滅しなければならないのだろう。
でも、今度は、今度こそは、間違えたりはしたくない。
自分の意思で、本当の自分の言葉で、皆にお別れを告げて、自分の足で帰るんだ。
「それで、これからどうする?」
不意にアルスさんが口を開いたので、私は意識を引き戻し、顔を上げた。
アルスさんは、ぐるりと一同を見渡し、それから私に目を留めた。とは言え、特別誰か一人に向けて問いかけたというわけではなさそうだ。誰もこの先のことを話し合おうとはせず、鬱々と口を閉ざしているだけの時間を無駄に感じたのかもしれない。
「アルディナ様の体調次第だが、問題ないようなら、明日……と言ってももう今日だが、なるべく早く街を出て、王宮に戻るべきだろう」
ノエルが冷静にそう答えた。
続いて、警備兵のリーダーであるガンヌさんも賛同を示す。
「それが一番でしょうな。無事に『気脈』が正されたのであれば、お上への報告は早ければ早い方がいい。それに、レイバーン殿の処遇についても、我々の手には余るというもの。とにかく王宮に戻ることが先決でしょう」
「王宮に戻れば、アルディナ様が無碍に扱われることも、もうないのですよね」
アルディナ様の世話役の一人、ナタリエさんが、控えめながらも期待に満ちた眼差しで呟いた。
「やっと、アルディナ様が正当な評価を受けることができるのですよね? でしたら、私も、一刻も早く王都へ戻りたいと思っております」
彼女は、盲目的と言えるほどにアルディナ様を信奉している女性だ。
そんな彼女にとっては、これまでのアルディナ様の立場が、何より歯がゆく感じられていたことだろう。日陰で涙を呑んでいたアルディナ様が、ようやく正当な評価を受けることができる。それはそのまま彼女の喜びに違いない。
「まだ、ですわよ」
でも、そんなナタリエさんの希望をつれなく否定する声が上がった。
ソティーニさんだった。
彼女は、ややうな垂れたまま、それでも冷静に言葉を続ける。
「そもそも、今度の『気脈』の歪みを引き起こしたのは、アルディナ様に仕える神官であったレイバーン殿なのですから。彼の行動の責任をアルディナ様に問う声は、必ず上がることでしょう」
「そんな……。でも! アルディナ様は、立派に歪みを正されたのですよ。巫女様としての責務を全うされたのです。他に代わりなどいない、かけがえのない方なのに……」
「私ももちろんそう思っていますわ。けれど、同じように思わない方々が存在するのもまた事実。レイバーン殿の件で、ますますアルディナ様の立場は悪くなる。……それに、代わりがいないわけではありませんしね」
ソティーニさんの言葉に、場は水を打ったように静まり返った。
「巫女の要件を備えた娘ならばいくらでも存在しますわ。――いいえ、『気脈』の歪みを正せるほどの力を持った娘というのならば、そうはいないかもしれない。けれど」
そして、ソティーニさんはゆっくりと顔を上げ、私を見据えた。
「……ちょ、っと、待ってください」
何となく、ソティーニさんの言いたいことが分かってしまった。
でも、待って。
「私は、絶対に、もう一度巫女をやるつもりなんてないですよ。第一、今はもう、何の力も残ってないですし」
「あの時、『気』の歪みを見ることができたのは、あなたも同じだったでしょう」
「や、それは多分、能力を発揮したアルディナ様に触れていたからで、その、私の力じゃなかったはずです。それに、『気脈』を正したのは、正真正銘アルディナ様だったじゃないですか。私はただその場にいただけで」
頼むから、巫女云々の話に私を巻き込まないでほしい。
私が巫女だった時代はもう終わったのだ。
もう、新しい時が流れているのに。
「あなたにそのつもりがなくても、周りがどう捉えるかは分かりませんわ、ハルカ」
「……っ」
「もちろん私は、アルディナ様を支え、戦うつもりです。けれどあなたも、自分の意思を強く持ってもらわなければならないの。でなければ、王宮の狸どもにいいように使われてしまいますわよ」
「そんな、そんなことには」
ならない。
そう強く、言い切れなかった。
宰相のフラハムティ様の顔が、脳裏に浮かんできたからだ。
あの人が、もしアルディナ様を切り捨てて、私をその後釜に据えようと動いたら――。
ぞくりと、私の背中を冷たいものが走った。