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56.あなたしかいない

 死ぬのかな。私、ここで死ぬのかもしれない。

 そう思ったときに口から飛び出してきたのは、命乞いでも悲鳴でもなく、子供の癇癪のような喚き声だった。


「――このっ、わからずや! こんなの、絶対、アルディナ様のためになんかならない! アルディナ様は一生自分を責め続けるよ、あなたのこの行動を! たとえ世界中の人がアルディナ様を崇め奉るようになったって、自分のために手を汚したあなたを思って、アルディナ様は毎日一人で泣くことになるのに、何でそれが分からないの!?」


 やけくそとはまさにこのことだ。

 感情の赴くままに大声で叫ぶと、レイバーンさんは冷たい瞳を私に向けたまま、しかしそれでも動きを止めた。


「必要なことなら、アルディナ様が望んでないことでも勝手にやってやろうって、何なのそれ、意味が分からない! それじゃあ、アルディナ様の気持ちはどうなるの? どうでもいいの? 傷ついて一人で泣いていても、構わないっていうの?」


「私は――」


「アルディナ様が、一人で苦しみを抱えてしまう人だって、あなた知ってるんでしょう! だったら、その苦しみの種を少しでも減らしてあげたいって、私だったらきっとそう思う。たとえアルディナ様のためにならないことであったとしても、どんなことだって、どんなバカみたいなことだってしてあげたいって、思うじゃない! アルディナ様の笑顔が見たい、ただ喜んでもらいたいって、そうじゃないの? 違うって言うなら、あなたが見てるのは、今目の前にいるアルディナ様じゃなくて、理想の巫女様の虚像だよ!」


「黙れ、私は――」


「そこまでだ、レイバーン」


 レイバーンさんの口からこぼれかけた言葉は、その途中でかき消えた。

 彼の首筋に、ぴたりと添えられた――硬質な光を放つ、二振りの剣の刃。


 レイバーンさんの背後には、ノエルとアルスさんが並んで立ち、剣を構えていた。

 彼らが突きつけた長剣は、レイバーンさんの首をとらえて交差している。ほんのわずかでもレイバーンさんが私に近寄ろうと身じろぎすれば、その刃の餌食となってしまうことだろう。


 一体、いつの間に。

 あまりのパニックに陥っていたからか、二人がこの『聖域』内に入ってきたことにも、レイバーンさんの背中を取っていたことにも、全然気がつかなかった。

 それに、彼らの更に後ろには――ソティーニさんの姿もある。

 ああ、良かった。ソティーニさん、無事だったんだ。ノエル達を呼んできてくれたのもソティーニさんなのかもしれない。


 予想外の闖入者に驚かされたのはレイバーンさんも同じだったはずなのに、彼はといえば、この状況にも全く表情を変えなかった。驚きに目を見開くこともなければ、悔しげに眉を寄せることもない。感情が欠如してしまったかのようなレイバーンさんの様子に気付いて、私は再び身を固くした。


「右手を下ろせ」

 ノエルが短く命じると、レイバーンさんは抵抗を見せるでもなく、ゆっくりと私の目の前から右手を下ろした。

 目前まで迫ったレイバーンさんの手が消え去ったことで、冷え冷えとした彼の眼差しが真正面から私を射抜く。


「……上手くいかないものですね」


 レイバーンさんは、私を視界から外すことのないまま、ぽつりと呟いた。


「ノエル殿、あなたは知っていたのですね。この娘が、前巫女ハルーティアであることを」

「……」

 ノエル達は、まだ剣を構えたままだ。


「私には、理解できません。この娘の、何があなたの心を捉えるのです? なぜアルディナ様では駄目なのです。あのお方のほうが、この娘よりもずっと巫女に相応しく、人となりも素晴らしい。アルディナ様が劣るところなど、何一つないではありませんか」

「……」

「なぜアルディナ様の気持ちを受け入れて差し上げなかったのか」

 どくん、と鼓動が跳ね上がった。

 今、この時にどうしてこんな話を始めたのか、レイバーンさんはやはり正気ではないのかと疑いたくなる一方で、彼の赤裸々な問いかけに、無関心ではいられなかった。

 ノエルは、彼とアルディナ様の間には何もなかったと言っていたけれど。


「アルディナ様を笑顔にして差し上げられるのは、私ではなく、あなただったのに」


 ――そうか。

 アルディナ様は、やっぱり、ノエルのことを。


「前巫女ハルーティア」

 静かな衝撃に打たれている中で、レイバーンさんは再び私に語りかけた。

「先ほど、あなたは言いましたね。アルディナ様は、私の所業に心を痛められ、一生ご自身を責め続けると」

「!」

「しかしそれはあり得ない。私は彼女にとって、そう特別な人間ではありません。確かに彼女は私のことを慈しんでくださいますが、それは『私』だからではないのです。彼女の慈愛は、全ての人間に注がれるもの。その中で、本当に彼女にとって特別な存在がいるとすれば、それは私ではありますまい。だから私は、彼女に必要な『負』の部分を代わって請け負うことができるのです。確かに、私の行動に彼女は悲しんでくださるでしょう。けれど、たくさんの慈愛の中に、やがてそれは埋もれていくもの。アルディナ様にとって、一生忘れ得ぬものではありません」


 何を、と戸惑った。

 混乱した。

 でも、次の瞬間には体が勝手に動いていた。


「だめっ――!!」


 レイバーンさんの体が、前へ倒れ込もうとしたことに気がついたのだ。

 目の前には、むき出しの刃が二本も光っているというのに。

 私は両手を伸ばし、レイバーンさんをその背中のがわへと突き飛ばした。その拍子に、自分の体ごとレイバーンさんを押し倒す形になってしまう。


 ソティーニさんの悲鳴が聞こえた。

 ノエルとアルスさんは、すぐさま剣を引いてくれたようだ。それでも、もつれながら倒れこんだ私とレイバーンさんは、わずかばかりその刃に触れてしまった。レイバーンさんは、その首筋に。私は、両手の指先に。

 ちくりと指先を刺す刺激に、私は顔を歪めた。

 でも、ほんの少しのかすり傷で済んだのだから、逆に幸運だった。

 私はレイバーンさんに思いっきり圧し掛かりながら、涙目で肩を震わせた。


 だって、レイバーンさん、今、死のうとしたんだ。


「何てことするんですか、レイバーンさん!」

「くっ、退きなさい……!」

「あなたのやってること、全部、ただの自己満足ですよ。普通のそこら辺の人だってねえ、自分のせいで誰かが悪事働いたり死んじゃったりしたら、一生モノのトラウマになるに決まってます。私みたいなつまらない小娘だってそうですよ。優しいアルディナ様なら、ますますそうなるに決まってるじゃないですか! 勝手に自分の価値を、決めつけないで下さいよ!」

 私は勢いのままレイバーンさんの胸倉をつかんで、激しく揺さぶった。

 私の血がレイバーンさんの白い衣装を汚してしまったけれど、もはや構っていられない。


「ハルカ、もういい。危ないから下がっていろ」

 ノエルは、まだ興奮冷めやらないでいる私を、そっとレイバーンさんから引き剥がした。

「後は俺達に任せておけ」

 こんな時ですら落ち着いているノエルに腹が立つような、ああでも、こんな時ですらノエルが落ち着いているからこそ、私もぐちゃぐちゃな感情をどうにか押しとどめることができるような。

 私は幾分か冷静になって、ノエルに肩を引かれるまま、レイバーンさんから距離を置いた。

 こんなに誰かに対して頭にきたのは、久しぶりだ。

 もう、自分が何を言って何をやったのか、訳が分からなくなっている。


 一方のアルスさんはと言うと、私の下敷きになって倒れこんでいたレイバーンさんを引っ張り起こし、その両腕を体の後ろに回して、手早く縄をかけていた。

「レイバーン殿、とんでもないことをしでかしましたね」

 そして、もう何度も見かけた騎士然とした様で、レイバーンさんを静かに糾弾する。

「許されることではありません。あなたは、裁かれなければならない」

「……」


「だからと言って、自分で自分を裁こうなどと、愚の骨頂ですわよ」


 わずかに震える、しかし毅然とした声で、後ろに控えていたソティーニさんが声を上げた。

 項垂れたままのレイバーンさんは、聞こえてるのかいないのか、顔を上げようとはしない。


「あなたが誰よりもアルディナ様を思っていると言うのならば、まだ重大な仕事が残っているのではありません? ――此度のあなたの行動に、アルディナ様の意思が絡んでいるのかいないのか。あなたは裁判の場で、証言をする責任がありますわ」

 はっとしたように、レイバーンさんが顔を上げて、ソティーニさんを見た。

「アルディナ様は無関係です。これは私の一存で……」

「そんなこと、ずっとアルディナ様の側にお仕えしていた私が一番よく知っているに決まっているでしょうが! でも、私とあなた以外の、他の誰がそれを信じてくれるというのです? あなたが自害するのは勝手ですけれど、後に残されたアルディナ様はどうなさると思うの。きっと、真実がどうであれ、あのお方はあなたの罪を背負おうとなさるでしょうね。それであなたは、満足なの?」

「そんなはずはない……!」

「ええ、そうですわよね、当たり前よ。私だって、絶対に許しませんわ。アルディナ様が、あなたの狂気の沙汰のせいで、つまらない濡れ衣を着せられるだなんてこと。だから、あなたは生きねばならないのです。アルディナ様の身の潔白を証明するために!」


 そう言い切ったソティーニさんは、レイバーンさんに対して、並々ならぬ怒りを向けていた。けれど、綺麗ごとでも何でもない彼女の言葉は、今のレイバーンさんにとって一番堪える言葉であり、また、彼の命を繋ぎ止める言葉でもあった。

 ソティーニさんは、彼を死なせまいとした。

 それは、アルディナ様のためでもあって。


(ソティーニさんは、ずっと、アルディナ様の味方だったんだなぁ)


 今更ながら、実感する。

 二人は、互いを尊重しあい、支えあう仲だったのだと。改めて、自分の下種な勘繰りを恥じ入る気持ちだった。


(アルディナ様、あなたは一人なんかじゃ、なかったんだね)

 私は、よろめきながらも、未だ気を失ったままのアルディナ様の側へと歩み寄った。

 危なっかしい足取りに、ノエルが私を支えようとしてくれる。それを軽く右手で制し、私は膝をついて、そっとアルディナ様の肩に手を置いた。


「……アルディナ様」

 軽くゆすってみるが、彼女は一向に目覚める気配を見せない。

 それもそうか、彼女はレイバーンさんの術で意識を奪われた状態なのだ。ただ眠りこけているわけではない。


 でも、私は肩に置いた手をすんなりと引く気にはなれなかった。

 アルディナ様が、今にも泣き出しそうな顔で、眠っていたから。

 伏せられたままの瞼の際からから、長いまつげを伝って、今にも涙が零れ落ちるのではないか。

 そう思うと、何故だか私の方が無性に泣きたくなってしまった。


「アルディナ様、もう、大丈夫。今、皆あなたの側にいますから。だから――」


 言いながら、私は、久しく感じていなかった感覚が、体中を支配していくのを感じた。

 体の奥から湧き出るような、不思議な力。

 これって。


「――目覚めて」


 その瞬間――。

 アルディナ様の肩に触れていた私の右手から、大きな大きな『気』の流れが、ぶわりと溢れんばかりに広がっていくのを感じた。それはまるで洪水のように、瞬く間に『聖域』全体を包み込んでいく。


「!」


 『気』の洪水は、アルディナ様をも優しくくるんだように見えた。

 でも、違う。

 この『気』は、アルディナ様自身からも放たれているのだ。私の『気』とアルディナ様の『気』が混じり合って、もはや息苦しさを感じるほどに、この場が急速に神気に満ち溢れていく。


 そして。

 苦しげに、固く閉じられたままだったアルディナ様の重い瞼が、ゆっくりと持ち上がった。


「う……」

「アルディナ様!」

「あ……、ハ、ハルーティア様……?」


 上体を起こしながらも、アルディナ様はこの状況が理解できないと言うように、周囲を見回し、それから私に視線を止めた。直後、顔をしかめて右手を頭に添える。


「一体、何が……、私は……」

「もう大丈夫、大丈夫ですよ」

「ハルーティア様……、ご無事ですか」

「はい、私は無事です。ありがとうございます。もう全部、終わります。もうすぐ、終わりますから。だから安心してください」

 心細げなアルディナ様、なのに、真っ先に口から突いて出るのは私を心配する言葉だなんて。どうしてこの人は、こんなにも。

 私はアルディナ様を支える両手に力を込めた。


「これは……」


 少しずつ意識を現実に引き戻しつつあったアルディナ様は、やはり、私達を取り巻く異様な『気』の流れにすぐに気が付いたようだった。

 茫然と周囲を見回し、うねる『気』の洪水を、未だ焦点の合わない目で追いかけている。


 そして、私も気が付いた。


 この『聖域』の中、私たちの『気』が行きつく先に。

 ――聖なる壺からあふれ出る、大きな『気脈』。

 その『気脈』と私たちの『気』が混じり合い、一つになり、更に大きな流れを作っている。


 そしてそれは、ほんの僅か、歪んでいるのだ――。


「『気脈』が」


 私のその一言だけで、アルディナ様も全てを理解したようだった。

 私たちは、言葉もなく、ただ互いの顔を見合わせた。


 ずっと見いだせなかった、『気脈』の歪み。

 今、ついに捕えることができたのだ。

 私達、二人の力で。


 次になすべきことは、たった一つだけだった。


「アルディナ様、お願いします」

「でも、私……」

「あなたにしかできないことなんです。私はもう、『巫女』じゃない」

「でも」

「あなたならできる。――お願いします、『気』の流れを正してください」


 私がはっきりそう告げると、その声が届いたのだろう、少し離れたところで他の面々が息を呑んだのが、背中越しにも伝わってきた。

 彼らには、『気』の流れは見えていないはずだ。

 感じているのは、私とアルディナ様だけ。

 そしてそれを正せるのも、私達以外にいない。


 いや、違う。

 そうだ。私には――、もう、正せない。

 正すべきじゃないんだ。

 この世界の未来を見守っていく『巫女様』は、もう、私じゃないから。


 今一度、まっすぐアルディナ様を見すえると、彼女は逡巡して見せたのち、最終的にはしっかりと私を見つめ返し、頷いてくれた。

 そして、堂々とした足取りで、神の御手を現す壺の前に立つ。

 アルディナ様がゆっくりと壺の前に右手をかざすと、ぶわりと『気』が膨れ上がった。

 一気に、私の腕に鳥肌が立った。


 縦横無尽に走っているように見えていた『気脈』だったけれど、それでも、大きな一本の流れだけは、いびつに曲がりながらも維持されていたのに。

 しかし、それも今しがたまでのこと。

 たった今、アルディナ様のそのささやかな挙動一つで、とうとう大爆発でもしたかのように、『聖域』を巡る『気脈』はまるで収まりがつかなくなった。


 私は気づけば、ぽかんと口を開けてその場に佇んでいた。

 私がかつて巫女だった時、『気脈』を正すのに、こんなことにはならなかったと思う。『気』の流れを正すというのは、もっと静かで、厳かな儀式だった。

 それが、何かがはじけ飛んだように、キラキラと輝いて、バネのように飛び跳ねて、一体これは何なのかと思う。

 いつの間にか、私の背後にノエルがやって来て、側で一緒にいてくれた。


 アルディナ様は、今、すごいことをやってのけている。

 かつての私と同じ『巫女』、けれど、その本質は全然違う。

 不測の事態により歪んだ『気脈』を正すという、私が一度も直面しなかった事態に、彼女は今、こうして立ち向かっているのだから。


 暴れまわる『気脈』を、暴れるままに受け止めているアルディナ様。

 無理に押さえつけようとはしていない。彼女は、真剣な眼差しで、溢れて跳ねる『気脈』をじっと見つめていた。その表情には、焦りも恐れもない。あるがままを、彼女は受けれているのだ。


 どれほどの時間が過ぎただろうか。

 口を開く者は、誰一人としていなかった。

 そして、我が物顔でこの空間を跳ね回っていた『気脈』の波も、いつしかその勢いを落としつつあった。癇癪を起こした子供が、母親の元で大暴れして、やがて暴れ疲れて大人しくなっていくように。あれほど反発して見せたのに、結局は、母親の元へ寄り添っていく。

 そんな風にして、『気』は少しずつアルディナ様の周辺へ集まっていった。

 アルディナ様は、そっと目を閉じ『気』を受け入れる。

 それから再び瞳を開くと――すうっと一本の『流れ』が生まれ、その『流れ』は、彼女を中心に部屋の真ん中を縦断していった。

 アルディナ様は一歩前に進み出ると、右手で聖なる壷に触れた。

 その瞬間、流れの源が、アルディナ様から壷へと移し替えられる。

 特別なことをしたようには見えなかった。

 本当に、静かで、さりげない所作だったのに。


 こうして、歪んだ『気脈』は正しい姿を取り戻したのだ。

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