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55.邪魔者はあなた

「レイバーン……、どうしてここに」


 アルディナ様は、強い警戒をにじませた眼差しを彼に向けた。


 レイバーンさんの表情からは、感情らしい感情が何も読み取れない。

 この暗がりの中、術で生み出された光の玉がぼんやりと彼の姿を浮かび上がらせて、その冷たい佇まいが神秘的とすら感じられた。


 扉の向こうで控えていたはずのソティーニさんの姿が見えない。

 まさか、レイバーンさんに何かされたのだろうか? それとも逆に、彼女が彼をここへ導いたのか。

 彼女は今、どこでどうしているのだろう。問いかけたいけれど、身じろぐことさえ許されない空気がこの場を支配していて、動けない。


「全く、予想外でしたね」

 レイバーンさんが静かに呟いた。


「一番に警戒すべきは、ソティーニではなく、あなただったとは」

 忌々しげにはき捨てられた言葉に、ぞっと身を震わせる。

 レイバーンさんの冷えた眼差しが私を真っ直ぐ射抜いた途端、彼が激しい憎悪を向けているのが誰なのか、はっきりと理解した。


「まさかあなたが、前巫女のハルーティアだったなどと。ゆめゆめ、思いもしませんでした。全く本当に、この、小娘が。今や神気の欠片も見えない、ただのつまらぬ娘が、長くアルディナ様を苦しめてきたというのですか」


 一歩、レイバーンさんが歩みを進めた。

 私も、そしてアルディナ様も動けない。

 じわり、と彼から禍々しい気が滲み出ていくのを、肌で感じた。


「とても許されないことだ」


 レイバーンさんの瞳が、怪しく光った。


「――待ちなさい、レイバーン。あなた、一体何を考えているの?」


 あまりに常軌を逸した彼の様子に、アルディナ様が気丈な声でそれを制した。

 その涼やかな声に、レイバーンさんの目に捕らわれそうになっていた私は、どうにか正気を取り戻す。しかし、彼女の声に恐怖が混じっているのも、また事実。果たして、彼女にレイバーンさんを止められるのか。


「何を、とおっしゃいますか」

 レイバーンさんは、ほんの少し、笑みを浮かべた。

 けれど目が笑っていないと感じるのは、決して気のせいなどではないだろう。

「私はいつも、アルディナ様のことを一番に考えております。あなた様の御力によりもたらされる平定の世を、私ほど望んでいる者は他におりますまい。あなた様が、私の、全てなのです。つまらぬ小者に惑わされるなど、あってはならぬこと」


 怖い。

 怖いよ。

 でも、動けない。


「あなた様の邪魔をする者は、この私が全て排除して差し上げましょう」


 その言葉と同時に、レイバーンさんの右手が持ち上がった。

 はっとして身構えても、もう遅い。

 地面からせり上がってくる激しい気の流れに、私の体はいとも簡単に持ち上げられてしまった。

 足が宙に浮き、首が、絞めつけられる。

 ――強い既視感。けれど、あの晩に彼と向き合っていた時よりも、その絶望感はずっとずっと強大だった。


「やめなさい、レイバーン!」


 アルディナ様の悲鳴にも似た声が上がり、それと同時にレイバーンさんの術は打ち消されたようだった。

 ふっと軽くなった体は、重力に逆らうことなく地面に崩れ落ちる。

 私は転がった体を両腕で支え、激しくせき込んだ。


「私は、こんなことを望んでなどいないわ!」

「心外です、アルディナ様」

 また一歩、レイバーンさんはこちらへと歩み寄った。


「私はずっとあなた様のお側で、お仕えして参りました。あなた様の苦しみも悲しみも、私は全て承知しております。――あなた様の苦痛の種は、いつも、前巫女のハルーティアにあったのではないですか。あなた様は素晴らしいお方だ。にもかかわらず、決してご自身ではその稀有なお力をお認めにはならない。どころか、前巫女の方がよほど優れた存在なのだと、いつも心を痛めておられた」

 それがどうです、レイバーンさんはまだ身を縮めている私を指さした。

「その優れた前巫女とやらは、この有様。何もできず、地面にただ這いつくばるだけの小娘だ。アルディナ様より優れていると言うのならば、一息に『気脈』の歪みを見つけ出し、正して見せればいいものの、それもできない」


「やめて、レイバーン」

 アルディナ様は私の側で膝をつき、私を護るようにレイバーンさんに向き合った。

「『気脈』の歪みを正せないのは、ハルーティア様ではなく、この私でしょう。私は、あなたの期待に副うことのできない力足らずの巫女なの。それが真実だわ」

「いいえ、あなた様にはできる。ただ『時』を待っておられただけ」

「できないの、駄目なのよ。私自身、その事実にきちんと目を向けることができずに、逃げ続けてここまで来てしまった。挙句の果てには、異界の巫女様を再召喚するほどの罪を犯して……。それでも、やっと私は、そんな自分を受け入れようと思えたのよ」


 アルディナ様の必死の声は、レイバーンさんには届かないようだった。

 彼はほんの少しも迷いを見せることなく、更にこちらへと近づいてくる。

 ついに私たちの目の前までやって来たレイバーンさんは、慈しむようにアルディナ様の手をとり、跪いていた彼女を立ち上がらせた。


「あなた様は、特別なお方だ。あなた様をおいて、他に巫女にふさわしい者はいない。それを理解しない人間が多すぎるのです。その者たちに、あなた様が程度を合わせる必要はありません。そのようなことをしては、聖なる御身が穢れてしまいます」

「お願いよ、レイバーン……正気に戻って」

 アルディナ様は、手をとられたまま、一歩後ずさった。

 まさしくレイバーンさんは、正気ではなかった。

「さあ、ものの分からぬ愚者どもに、そろそろ知らしめてやってもいい頃合です。あなた様がどれほど特別な存在であるのかを。焦らされた彼らは、これでようやく理解することでしょう。歪んだ『気脈』を正すことのできる唯一無二の存在が、どれほど尊いものであるか。愚かな者たちは、目に見える形で奇跡を与えてやらねば、ろくろく理解もできないのですから」


「……レイバーン。何を言っているの?」

 ついに、はっきりとアルディナ様の声が震えた。


「ですから、『気』の流れを正して見せてやりましょう、と申しました。さすれば、いくら道理をわきまえぬ小物であろうと、アルディナ様の素晴らしさを理解できるはず」

「私には、できないのだと言っているのに?」

「できますとも。ずっとあなた様を見守り続けたこの私が言うのですから間違いありません。必ずできると確信しているからこそ、『奇跡』を下々の者たちに示すための、お膳立てをさせて頂いたのです」

「……お膳立て?」

「ああ、夜露ですっかりお体が冷えてしまわれましたね。少し、震えていらっしゃるようだ。全てを早々に片付けて、一刻も早く暖かい部屋へ戻りましょう」

「話をそらさないで。ちゃんと私の言葉を聴いて」

「もちろん拝聴しております。あなた様のお言葉は、一言たりとも聞き漏らしたくありませんから」

「ならば、答えて。ねえ、私の思い違いよね?」

 アルディナ様の声は、絶望に塗れている。


「まさか、『聖域』を穢したのは、あなたなの?」


 その問いかけに、レイバーンさんは優美は微笑を返した。

 それが何よりの、答えだった。


「あなた――何を、考えているのよ」

「私が考えているのは、いつもアルディナ様のことばかり」

「いつ、私が、何を望んだと言うの!?」

「言葉にされずとも、あなた様のことならば、何でも分かっておりますよ」

「私は、こんなこと望んでないっ!」


 アルディナ様は、レイバーンさんに握られたままの右手を引き抜こうと身をよじった。

 けれど、レイバーンさんはその手を離そうとしない。


「アルディナ様、逃げてっ」


 そんな中、私は無我夢中でレイバーンさんに突進し、体当たりを仕掛けた。

 私の存在などとっくに蚊帳の外であったらしいレイバーンさんは、思いもよらぬ衝撃を受け、よろりと体をぐらつかせた。その隙に、アルディナ様はレイバーンさんから距離をとり。


「この、小娘っ」


 一気に眉を吊り上げ、悪魔のような形相をしたレイバーンさんが、彼の腰にしがみついたままの私を振り払う。

 衝撃で私はその場にしりもちをついたが、それも長くはない。怒りに任せて魔術を使ったレイバーンさんに、再び空中へ吊り上げられたからだ。そしてそのまま、例えでもなんでもなく、体が引き裂かれてしまうかと思った。ガンガンと頭が割れるように痛み、呼吸もままならない。いっそ意識が飛んでしまえば楽になれるのに、それもできないという、まさしく宙ぶらりんな状況で、私はうめき声を上げた。


「やめなさい、やめなさい! 彼女を放して!」


 私が八つ裂きにされずにすんでいるのは、アルディナ様がレイバーンさんの術に対抗しようとしているからだろう。彼女の魔力が干渉し、レイバーンさんの術が本領を発揮できずにいる。けれど、逆に言えば、今のアルディナ様の力では、レイバーンさんを完全に退けることは叶わないようだ。

 魔術師の術というは、その時々の精神に大きく影響を受けるのだっけ。

 こんな衝撃的な状況の中、アルディナ様が平静を保ってレイバーンさんに対抗することなど、できるはずがなかった。


「アルディナ様――、あなた様は、あまりにもお優しい方だ」


 その時、レイバーンさんのぎらついた眼差しが、若干和らいだ。

 私を吊り上げていた魔力が飛散し、私は再び地面に転がる。そんな私に見向きもせず、レイバーンさんはアルディナ様に改めて向き合った。

「あなた様を苦しめ続けたこの小娘さえも、救おうとなさるとは。その優しさは大変尊い。けれど、時には非情になることも必要なのです。……ご安心下さい。影となる部分は、私が全て引き受けて差し上げますから」

 レイバーンさんは、アルディナ様に向けて右手をかざした。

「今はただ、お眠り下さい。目覚める頃には、この小娘があなた様を煩わせることは二度とありません」

「レ――」

 彼の名を呼ぼうとしたアルディナ様は、それすら叶わず、その場に崩れ落ちた。


 私はその一連の流れを、声を上げることもできずにただ見守るしかなかった。

 情けない。

 私はこんな時にも、何もできやしない。

 レイバーンさんの言うとおり、ただの小娘に過ぎないからだ。

 このままでは、レイバーンさんに殺されてしまう。逃げなければ。でも、どうやって。オルディスさんから貰ったブレスレットも――、駄目だ。厳重に結界の張られた『聖域』内では、その効力を発揮できないことは、初めから分かっている。


「レイバーンさん、止めてください。アルディナ様は、こんなこと、望んでいないと言っていたじゃないですか」


 ああ、なんて無駄なあがきだ。

 アルディナ様の声さえろくに届かなかったというのに、私の言葉がレイバーンさんの決意を翻すことなどできるはずがない。


「望んでおられずとも、必要なことであれば、私はためらったりはしない。彼女のためならば、望まれぬことであろうと私はやり遂げる」

 意外にも、強い意志の滲んだ応えが返ってきて、私はますます言葉を詰まらせた。

 完全に、狂っていると、思ったのに。

 アルディナ様のためだと言って、『聖域』を故意に穢し、今、前巫女である私を殺そうとしているレイバーンさん。誰が見ても、その行動は狂人のそれだ。

 なのに、彼は確かな意志を持っていた。

 本気で、これが、アルディナ様のためになると思っているんだ。


「アルディナ様のために、死んでください。前巫女ハルーティア」


 レイバーンさんが、まだへたり込んだままの私のすぐ側にひざをつき、顔の目の前に右手をかざした。

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