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54.召喚者

「起きていたのですわね」


 感情のこもらない声で、ソティーニさんは呟いた。

 言葉とは裏腹に、私が目を覚ましていたことに特段の驚きはないようだ。


「隣のクインならば、目覚めませんわよ」

 ソティーニさんの魔術なのだろう。

 ならば、眠らされているのは恐らくクインさんだけではない。隣の部屋で休んでいる侍女たちも、私たちの異変に気づいて起きてくることはないと確信した。


「あなたに、少し付き合って頂きたいの」

「……」


 私は、左手首に嵌めていたブレスレットにそっと右手を滑らせた。

 ……このブレスレットには、オルディスさんの魔力が込められているけれど。巫女巡礼の最中のこの宿にいる限り、例え何かが起こったとしても、彼の魔術は干渉できないだろう。


 ソティーニさんは黙って私の答えを待っている。

 私は、ブレスレットから右手を離し、頷いた。


「こちらへ」

 そんな私を一瞥したのち、ソティーニさんが踵を返す。

 私は慎重な足取りでベッドから立ち上がると、側にあったストールを肩に掛け、無言で彼女の後を追った。


 廊下には、窓から射す月の光が頼りなげに差し込んでいた。

 ソティーニさんはランタンを掲げ、迷うことの無い足取りでどんどん進んでいく。

 

 何か言わなくては。

 そう思うのに、言葉が出ない。

 色々なことが頭の中を目まぐるしく駆け巡って、私から言葉を奪ってしまう。


 やがて私たちは、宿場から教会への渡り廊下に差し掛かった。


 この先は、言わずもがな、教会の中心部である。

 この教会の中心部には何があるのか。


(『聖域』――)


 これは現実なのか、それとも夢に過ぎないのか。

 もはやそれすらも曖昧になる。


 けれど、ここで目を逸らしてはいけない。

 私は知ることを望んでいた。時が来たら、自分の目で真実を確かめたいと。


 まさしく、今がその時なのだ。


 ソティーニさんの靴音が、天井の高い教会内部に小刻みに響き渡っている。

 私は無意識にも、その足音とペースを合わせて歩みを進めた。

 一度たりとも振り返ろうとしないソティーニさんが、何だか知らない人のように感じられて。


 これから彼女は、私に何をもたらそうとしているのだろうか。


「着きましたわ」


 久方ぶりに沈黙を破ったソティーニさんは、大きな扉の前で立ち止まると、ようやく私の方へ顔を向けた。

 この扉の向こうに何があるのかは知っている。

 かつて一度、訪れたことのある場所だ。

 特別な場所だから、忘れるはずがない。


「ソティーニさん」

「私からは何も言えませんわ。お願い、行って」

「え?」


 ソティーニさんは緊張した面持ちで、扉をそっと押し開いた。


 木製の扉のきしむ音がして、それから少しずつ目の前が開けていく。

 扉の向こう。教会の最深部。


 それは幻想的な風景だった。


 淡い光の玉が、まるで宝石箱から零れ落ちたかのように無数に教会内部に浮かび、ぼんやりとその景色を浮かび上がらせている。

 高い天井を見上げれば、光の玉がまるで星空のように煌いて。


(きれい……)

 私は状況も忘れ、目の前の光景に心奪われ息を呑んだ。


 その最奥で、一際強い光を放つものがある。

 それこそが『聖域』の中心部に他ならなかった。


 そして、その『聖域』のすぐ側に佇む人の影。


(あれは)


 思わず私は呟いていた。

「まさか……」


 一歩踏み出した私の背中で、扉が静かに閉じられた。

 振り返ると、ソティーニさんの姿はない。彼女はこの『聖域』に入ることはせず、ただ私をこの場に導いただけだった。


 どくん、と鼓動が一際大きく跳ねる。

 私を呼び出したのは、ソティーニさんじゃなかったんだ。

 本当に私と話をしようとしているのは、


「アルディナ様」


 呟く声が密かに震えた。


 夜更けの『聖域』、佇むのは私とアルディナ様の二人きり。

 それが何を意味しているのかなんて。


「ハルカさん、夜更けに申し訳ありません。来てくださってありがとうございます」

 遠くから、アルディナ様が私に語りかけた。

 澄んだ彼女の声が、教会内に美しく響き渡る。


「どうか、こちらへ」


 もう、後戻りはできなかった。

 ぐっと拳を握り締める。爪が肌に食い込むわずかな痛みが、これが紛れもない現実なのだということを教えてくれた。


 私は真っ直ぐ『聖域』の中心へと歩いて行った。

 暗がりでよく見えなかったアルディナ様の表情が、だんだんと露になってくる。


 彼女はとても落ち着いて見えた。

 私に対して、怒りもなければ喜びもなく、いつもの慈愛に満ちた微笑みも今は抜け落ちている。

 ただ、ほんの少し悲しげな様子に感じられたのは、私がそう思いたかったからだろうか。


 神の御手を表す聖なる壷が、繊細な彫刻の施された台座に据えられている。

 その壷を挟んで、とうとう私はアルディナ様と対峙した。


「アルディナ様、これは」

「……ええ。もう分かっていらっしゃるのでしょう」

 その言葉が胸を強く打った。


「私が、あなたを召喚した張本人です。――前巫女の、ハルーティア様」


 そうか。

 そうだったんだ。

 アルディナ様が、私を、この世界に再び呼び寄せたんだ。


 もはや頭では理解できているはずなのに、感情が追いつかない。

 当然言葉なんて何も出てこなくて、口から漏れるのは、おぼつかない吐息だけだ。


「まずはお詫び申し上げます。あなた様を、このような騒動に巻き込んでしまったことを」

「ま……、待って、待ってください」

 思わずアルディナ様の言葉を遮ってしまったけれど、代わりに紡ぐべき言葉を、私は持っていない。

「これって……」

「混乱なさるのも無理はありません。けれど、これが真実なのです。もはや二度と、嘘は申し上げません」

 この場に、神に誓って、とアルディナ様は言い切った。


「私が、自らの目的のために、ハルーティア様を召喚しました」

「……」


 頭が痛い。

 そしてこの胸の中に渦巻く気持ちは、何なのだろう。

 怒り? 悲しみ? 脱力感?

 そのどれもが当てはまるようで、どれも違うという気もする。


 納得はできなかった。

 あらゆる理不尽に対して、「どうして」と声を荒げたい衝動がむくむくとわきあがる。

 その一方で、少しずつこの状況を理解し始めている自分もいた。


 アルディナ様が犯人――。

 なぜ私は、その可能性を全く考えなかったのか。それは十分ありうる話だった。


 そもそも異界の巫女を召喚するのは大変な術で、日頃召喚術を生業としている人でさえ、扱うことは難しいという。稀にその力を有する人は、ルーノさんのように「一級召喚師」として国賓級の扱いを受けていて。

 そんなルーノさんと同等の魔力を有する人。

 更に言えば、禁術である異世界人召喚の術式を知ることができた人。

 いずれの条件も満たす人となれば、真っ先に候補に挙がるのは、この国一番の巫女であるアルディナ様だったはずなのだ。


「……誰かを庇っているのですか?」

 理解はできたはずなのに、ほとんど無意識に、私はそう問いかけていた。

「それは、例えば?」

 静かにアルディナ様が質問を返す。

「例えば……」

 脳裏に浮かんだのは、私をこの場まで導いたソティーニさんの姿だった。

 ああ。私、心の中では彼女のことを疑っていたんだ。そうと気づきたくなくて、長らく犯人を考えないようにしてきただけのことで。アルディナ様も、きっとそんな私の思いを正しく見抜いている。だからなのか、一際芯の通った声で、アルディナ様は宣言した。

「他の誰を庇っているわけではありません。私は私の意思で、あなた様を呼び出したのです」

「でも、一体どうして」

 アルディナ様は、真っ直ぐ私に向けていた眼差しをわずかに落とした。

 彼女の視線は、『聖域』の台座に向けられている。


「お分かりになりませんか。私が何なぜ、あなた様を呼び出したのか」

「……」

「私は巫女でありながら、巫女として求められた責務を果たすことができませんでした。『気脈』の乱れを指摘されながらも、一体どの『聖域』で問題が起こっているのか、見抜くことができなかった。そもそも、本来ならば、誰に指摘されるよりも先に、この事態を察知しなければならなかったのに」

「……」

「巫女として失格です。一体どうすればいいのか……途方にくれたまま、上辺だけは巫女らしい存在であろうとし続けてきました。でも本当の私は、巫女の皮を被ったただの女にすぎないのです」

 呻くように、アルディナ様は訥々(とつとつ)と語った。

 その彼女の瞳に、みるみる涙が浮かび上がる。


「人よりもほんの少し魔力があり、幼い頃から神に仕えてきた神官だったというだけでは、巫女にはなり得るはずがなかったのに。私は、自分が選ばれた人間なのだと、自分ならできるかもしれないと、身の程知らずにも驕ってしまったのです。でも、今ならわかります。そんな生半可な覚悟では、引き受けるべきではなかったのだと。私の力不足のせいで引き起こされた天災によって、既に何人もの民が命を落としてしまった」


「アルディナ様……」


「私は逃げ出したかったのです。だから私の代わりを求めて、すがってしまった。私の代わりに『気』の乱れを正し、人々を導いてくれる本物の巫女様――あなた様を、呼び出して。私のような紛い物ではない、本物の巫女様は、あなた様なのだと、信じて」

 ついに、アルディナ様の瞳から涙が一筋零れ落ちた。


「私は巫女の権限を使って、王宮の書庫に厳密に保管されていた召喚術の本を手にしました。そして、一級召喚師のルーノ様の助けを密かに借りて、人目を憚り召喚術を行使したのです。――始めは術に失敗したと思いました。私の元に、あなた様は現れなかったから。やはりここでも力不足だったのだと落胆し、絶望して」


 それからアルディナ様は、抜け殻のように日々を過ごしていたという。

 もはや誰にも縋ることができない、逃げ出すことはできないのだという思いが、彼女をひどくさいなみ、苦しめながら。それでもアルディナ様は、誰に相談することもできず、一人で絶望と戦い続けた。


 しかしそのうち、彼女の気持ちにわずかな変化が生まれ始めた。


 巫女に選ばれた当初から、心のどこかで自分と前巫女を比べ続けていたというアルディナ様。前の巫女ならばもっと上手くできたのではないか、もっと相応しい振る舞いができたのではないか、――そんな風に、迷わぬ日はなかったという。


 それが、異界の巫女の再召喚に失敗したことで、ほんの少しの踏ん切りがついた。

 もはや二度と前巫女に頼ることはできない。

 自分で、いや、自分がどうにかしなければ。


 この世界で巫女は自分ただ一人なのだから、と。


「そんな折でした。召喚師ルーノ様が、私に耳打ちしてくださったのです」


 ――どうやら召喚は、成功していたかもしれない、と。


「いずれにせよ私の力不足ですが、あなた様の召喚だけは為されていたらしいと彼は言いました。ただし、遠い地に飛ばされてしまったようで、行方がはっきりとは分からない、とも。それを聞いて、私は、もはや自分がどうしたいのか分からなくなってしまった。まだあなた様に頼りたいのか。それとも、自分自身でもう少し頑張ってみたいのか」


 迷ううちに、状況はどんどんと展開を見せていった。

 そう、私が王宮に弁当売りとして通い始め、オルディスさんや宰相のフラハムティ様、そしてノエルと再会し。その上、アルディナ様付の神官であるソティーニさんとも顔見知りになった。

 その頃には、アルディナ様のもとにも、私こそが前巫女のハルーティアではないかという情報は入り始めていた。それで彼女は、弁当の件にかこつけて、私と面会の機会を得たのだ。


 そしてついに、この巫女巡礼へ私が飛び込んだ。

 ルーノさんは、アルディナ様にも私のことを伝えた上で、あの晩、転移の術を行使したのだそうだ。


「この巡礼の間、私は迷いながら過ごしていました。同時に、あなた様のご様子に驚いてもいたのです。かつて尊い巫女様であったことを微塵も表に出さず、そのご威光をむやみに振りかざすこともなく。ただ、私の世話役という立場に、黙って収まっていらっしゃった。巫女ではない一人の女性として誠実であろうとするあなた様の姿を見て、私はもう一度、自分を見つめなおすきっかけを頂きました」


 アルディナ様は、指で涙をそっと拭った。


「私が勝手に崇め奉っていたハルーティア様もまた、今こうして目の前にいらっしゃるように、お一人の女性なのですよね。あなた様も、私自身も、同じ人であることは変わらない。あなた様が巫女の役目を成し遂げられたのは、完璧な超人であられたからではないのだと、ようやく気づくことができました。あなた様は、その誠実さを以ってして、様々な困難を乗り越えてこられたのだろうと」


 違う、違うよ。

「私はそんな、凄い人間じゃないんです」

 私は呻くように呟いた。


 確かに巫女時代、私は完璧とは程遠い、ただの子供に過ぎなかった。

 そして――今の私も、あの頃と大して変わっていない。

 謙虚だとか誠実だとか、そんな聖人のような心持ちで毎日を過ごしているわけではないのだ。

 今の私は、ただ、日々を暮らしていくのに精一杯だっただけ。振りかざすことのできる特権も、驕るに値する能力も、全てを失ってしまったから。何も持たない私が、今更どうして「巫女の威光」を誇示することなどできただろう?

 そう、私はただ、等身大の自分として、あるようにあっただけだ。


「ハルーティア様。そのお心の在り方を誠実と言わずして、他に何と言えばいいのでしょう。ご自身をあるがままに受け入れられたお姿が、私には、あまりにも眩しい」


 アルディナ様は柔らかく微笑んだ。


「それで私は、本当の意味で、やっと決心することができたのです。やはり私は、巫女でありたい。形ばかりの巫女ではなく、私は私らしく、己の足りないものを認め、そしてそれを埋めるために励んでいこうと。――今更、虫のよすぎる話だとは思いますが」


 それからアルディナ様は、少し腰を折るようにして、私に対して頭を下げた。


「本当に、許されぬことをしたと承知しています。身勝手な理由であなた様を呼び出し、そして放置してしまったこと。あなた様に巫女の役目を押し付けようとしながら、やはり自分が巫女でありたいなどと勝手を申し上げていること。あなた様に、許されるとは思っておりません。こうして頭を下げているのも、ただの自己満足にすぎないのでしょう。けれど、本当に、本当に、申し訳ありませんでした」


「頭を上げてください、アルディナ様」

 私はもはや混乱の極致にありながらも、どうにかそれだけは口にした。

「あの、ええと、何と言ったらいいか」

 こんな風に、全てを語られ、そして真摯に謝られ、決意を語られてしまっては、もはや私は何も言えない。どうしてこんな勝手なことをしたのかと今更怒りをぶつける気にもなれないし、私の存在が役に立って良かったと、笑って彼女の肩をたたくほど清清しい気分にもなれない。


 でも、私とアルディナ様の心は、こんなにも近いところにあったんだ。

 悩み、苦しみながら、巫女であり続けた私たち。


 それでも、アルディナ様はようやく答えを見つけることができた――。



 その時だ。


 二人きりの『聖域』内に、扉の開く低い音が響き渡った。


 はっとして、私とアルディナ様は顔を上げた。

 ゆっくりと開かれた扉の向こうから姿を現したのは――ソティーニさんではない。


 それは思いもよらない人物。

 表情の完全に消えた、レイバーンさんだった。

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