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53.最後の教会

 翌朝、雨は小降りになった。


 ノエル達の判断で、今日こそ最後の町テナンヤへ向けて出立することになった。


 アルディナ様は、朝から自室を出て宿内を歩いて回り、宿の人達に滞在の間のお礼を伝えているようだ。そんな光景も、この旅路に加わってから初めて見る。

 そして――そんな彼女の側に、レイバーンさんの姿はないのだった。


 昨日の昼食会しかり、何だか吹っ切れた様子のアルディナ様を、レイバーンさんはあまり歓迎していないのだろう。女神よりも女神らしいアルディナ様を神格化して崇め奉りたくなる気持ちは分かるし、実際私も、かつて遠まきに見ていた彼女に抱いた思いは同じだった。


 でも、アルディナ様だって、巫女である前に一人の女性なんだよね。

 喜んだり悲しんだり、時には強がってみたり、心細くなったり。

 そんな普通の喜怒哀楽を見せる彼女を、レイバーンさんもどうか受け入れてあげてほしい。私の時は、そうして受け入れてもらえたんだ――そう、ノエルに。


 今のノエルは、アルディナ様に対して仕事以上の感情を持ち合わせていないという。

 でも、これから先のことは分からない。

 人の気持ちの行方なんて、明日の風向きよりも読めないものだ。

 それに、今はただ仕事としてアルディナ様に接しているのかもしれないけれど、ノエルはきちんと相手の内面を見てくれる、誠実な人だ。アルディナ様に対しても、巫女だからという表面的な形だけではなく、彼女を一人の「人」として見て、接しているのに違いない。


 そんなノエルのことを、アルディナ様の方はどう思っているんだろう?


 ……分かってるんだ、私があれこれ口出しするべき話じゃないってことは。

 でも、私の思考は、つらつらと当てもなく流れていく。


 もしも、もしもアルディナ様がノエルのことを好きだとしたら。

 彼女のこの旅の行く末を見守るということが、彼女とノエルの行く末を見守るということにもなってしまうのだろうか?

 そうなったら――私は一体どうするのだろう。


 私は今でもノエルのことが好きだ。

 もう、その気持ちをごまかす事はできない。

 だけど、私自身、近いうちにこの世界からいなくなる存在でもあり。


 そして、私は、アルディナ様のことも好きなんだ。

 私とは比べるべくもない素晴らしい人、けれど、一番近い想いを共有しているかも知れない人。私には成し遂げられなかったことを成し遂げてほしいし、幸せになってほしいと心から思う。


 ならば、私はもう二度と、ノエルに気持ちを告げるべきではないのだろう。


(――何て意味のないことを考えているんだろ、私)


 勝手にアルディナ様の気持ちを決めつけて、勝手に先のことまで心配するなんて。

 ああ、分かっているのに、とりとめもなく一人考えてしまうのを止められない。


(私、馬鹿だな)


 もう二度と会わないとさえ思った人を相手に、何をグダグダと考えることがあるのか。

 ノエルとアルディナ様は、私の存在など関係なく、紡ぐべき時間を紡ぎ、そして向かうべき方向へと向かうはずだ。あの二人ならば、肩を並べて歩いていくことができる。

 私とは、違うんだ。


 自らの考えに自ら打ちのめされて、私は肩を落とした。

 そうするうちに、町を発つ時間がやって来る。


・   ・   ・  


 最後の町テナンヤには、昼過ぎに到着した。


 昼過ぎと言うよりは、もはや間もなく夕暮れ時と言った方が正しいか。

 日が沈み始めるまで、あともう少し。

 スミナーゼを発ったのはまだ朝と言える時間だったのに、それほど、スミナーゼとこのテナンヤの町は離れていた。


 長時間の馬車移動で、さすがに腰が痛い。

 周りの誰も文句は口にしないけれど、その疲れが各々の表情に滲んでいる。

 目的の宿場に着き、荷物を馬車から降ろす皆の動きさえ、やや緩慢としていた。


「ほらお前たち、もっとやる気と元気を出せ!」


 警備兵のリーダーであるガンヌさんから檄が飛ぶ。

「こんな場面で敵襲に遭ったりしたら、一溜まりもなくやられちまうぞ!」

「は、はいっ」

 迫力のある声に、エリオットさん、シズルさん含む兵たちがピッと背筋を伸ばす。


 そんな彼らを横目に、細かな荷物の入った箱を抱え、私は一度町へと顔を向けた。


 このテナンヤの町も随分と久しぶりだ。


 前のスミナーゼが洗練された都会風という感じだったのと比べれば、こちらはごく小さな、本当の田舎という風情。

 はちみつ色の屋根が可愛い家々があちらこちらに点在していて、晴れた日であればその牧歌的な景色を絵葉書にしたくなることだろう。


 そんな中にあって、この町の教会は異色と言えるほど立派だった。

 町の外からでも一目で分かるほどの大きな教会。

 塔の先端は空を穿つほどに高く伸び、その頂上からは、町だけでなく遥か地平線の彼方までをぐるりと見渡すことができることと思う。


 今日の宿は、その教会と半ば一体となっている。

 日本風に言えば、宿坊というやつだ。もちろん誰でも泊まれるわけではなく、教会の関係者だけが滞在できる決まりになっているらしい。


 アルディナ様はと言えば、少し前、私たちに労わりの言葉をかけて宿の中へと入っていった。

 彼女の少し後ろをついていったレイバーンさんは、伏目がちでその表情を読み取らせないまま。ソティーニさんもそんな感じだったから、彼ら二人の同乗していた馬車の中は、真冬の冷気よりもなお冷えきっていたに違いない。


「あの人らも、俺たちがそこまで気に入らないのなら、自分たちだけで好きに旅すりゃいいのにさ」

 荷物の運び出しを続けていたシズルさんが、そんなことを言い出した。


「突然何の話だよ」

 エリオットさんが、シズルさんに胡乱うろんげな視線を送る。


「さっきの神官サマの様子、見たろ? 俺たちなんて視界にも入れたくないとでも言わんばかりにさっさと立ち去っちゃってさ。今まさに、アンタの身の回りの荷物を運んで差し上げてるのも俺たちなんですけど、って言ってやりたいよ」

「……おい、そういう話なら、聞かないぞ」

「だってさぁ、ハルカもそう思ったよね。顔に書いてある」

 唐突にこちらに火の粉が飛んできたので、私は慌てて手を振った。

「わ、私はそんなこと思ってないですよ! ……むしろ、ソティーニさんなんかは、私たちに歩み寄ろうとしてくれている気がしますし」

「んー、まあ、レイバーン様よりはね。でもやっぱり、俺たちとは相容れないよ。そんなこと、お互い最初から分かってるんだけどさ。だから、あっちはあっち、こっちはこっちでしっかり線引きして、それぞれの仕事をキッチリこなしてりゃ、それで良かったのに。変に混ぜっ返そうとする人がいるから、余計におかしなことになる」

 暗にアルディナ様のことを言っているのだと、私にも分かった。

「もう旅も終わりだから、別にいいけどね。でももし第二回があるんなら、俺は御役御免を願いたいところだな」

「……」


 私は何も言い返せなくて、黙ったままその場を後にした。


 何だか、いたたまれない。

 アルディナ様はただ、一人の人として、皆と交流をしたいと思っているだけなのに。

 頑張ろうとすればするほど、周囲との軋轢を生んでしまうなんて。


(私の時は、結局ちゃんと頑張らなかった。だから表面的には、全て丸く収まったように見えたけど、本当はそれじゃダメだったんだ。ダメだと気づいて動き出したアルディナ様を、誰かが支えてあげないと)

 

 いつの間にやら、そんな私の後ろをアルスさんがついてくる。


「ハルカちゃん、大丈夫?」

「……アルスさん。うん、そんなにこれ、重くないし」

「いやいや、荷物のことじゃなくてさ」

 アルスさんは軽く肩をすくめた。

「皆が好き勝手言ってることを、あんまりハルカちゃんが気にする必要ないよ」

 そんな風に、全て分かったようなことを言うから、密かにむっとしてしまう。

「別に、私は」

「あんまり自分とアルディナ様を同一視しない方がいい」

「そんなの分かってるよ。同一視なんてしてない」

「そうかなぁ」

 アルスさんは、まだついてくるつもりらしい。

 いや、彼も荷物を運んでいる様子だから、行く先は同じに決まっているんだけど。


「アルディナ様、これから早速教会へ祈祷に行くんだってさ」

「……そう」

「急に根をつめて動き出したのは、きっと、覚悟の表れだね。そうさせたのは君だ。アルディナ様は、君が何者なのかを知っているんじゃないかと思うよ。正しくは、気がついたというべきか」

 私は思わず足を止めた。

「覚悟を決めさせたのは君だとしても、その先の道を歩いていくのは彼女一人だ。君はただ、見守ることしかできないよ。だからそこに、過去の自分の面影を重ねてはいけない」

 言葉もなく、私はアルスさんを見上げる。


「君には君の、歩むべき道がある。ちゃんと自分の足元を見てる?」


・   ・   ・  


 最後の教会での祈り。

 完全に日が暮れた頃になって、アルディナ様は宿場へ戻ってきた。


 これまでならば、護衛を兼ねて祈祷中も近くで控えているクインさんが私たちに結果を知らせてくれていたのだけれど、今回は、アルディナ様本人が私たちの控え室までやってきた。


 神妙な面持ちのアルディナ様。

 彼女の後ろには、レイバーンさん、ソティーニさん、そしてノエルも厳しい表情で佇んでいる。


 私たちを見回し、そして彼女は口を開いた。


「――ごめんなさい、皆さん。やはり、駄目でした」


 その一言に、私たちはただ息を呑んだ。


「この教会でも、私の力は及ばなかった。何もできませんでした、私は……」

 そこでアルディナ様はぐっと唇を噛んだ。

「もっと私に――」

 呟きかけて、そして途中で言葉を止める。力なくゆるりと首を振って、アルディナ様はわずかにうな垂れた。


 控え室の面々も、鎮痛な面持ちで瞼を伏せる。


 これで全てが終わってしまったわけではない。

 『気脈』の流れる教会は、今回訪れた三箇所だけではなく、全部で八箇所もあるのだ。今回の巡礼のルート外にある、別の教会の『気』が乱れている可能性も十分にある。そう考えれば、この旅は、まだ長い巫女巡礼の序盤と見ることもできるだろう。


 けれど、アルディナ様の立場上、そう楽観視することはできない。

 本来ならば、『気』の歪みが発生した時点で、彼女がそれに気づき、正さねばならなかったのだ。全ての教会を巡って『気』の歪んだ箇所を探してまわるということは、本来の巫女のあるべき姿ではない。だからせめて、今回選んだ三箇所の教会で早めに答えを導き出したかったに違いなかった。


 更に、もっと言えば、既にまわった教会の中に『気脈』の乱れた教会は「存在していた」可能性も考えられた。それをアルディナ様が見逃してしまった可能性――。そうなってしまえば、今後、残りの五箇所の教会をまわっても、収穫は得られないことになる。『気』は正されないまま放置され続け、世界を襲う天災もますます激しいものになり、国が傾いていくだろう。


 アルディナ様の背負っているものは、あまりにも大きい。


「私は、もう一度自分を見つめなおさなければなりません」


 不意に、アルディナ様は顔を上げてそう告げた。

「目を背けてきたもの、逃げてきたものに、真正面からぶつからなければ。全てはそこからだと、この巡礼を通じてはっきりと自覚しました。――皆さんには本当に感謝しています。ここまで私を導いてくれて、本当にありがとう」


 アルディナ様は、私たちを見渡し、それから後ろのレイバーンさんたちにも視線を送った。


・   ・   ・  


 夜のとばりが降りる頃。


 教会、そして宿はすっかり静まり返っていた。


 今夜も、これまで通り私の部屋はクインさんと同室だ。

 いつも明るく親切なクインさんだけれど、今日ばかりは口数も少なく、私たちはそれぞれベッドに入った後、ほとんど口をきくこともなく明かりを消した。


 夕食の時も、アルディナ様と皆で一緒に食卓を囲んだけれど、やはり全体的に言葉少なだった。アルディナ様は無理に皆に話を振ったりはせず、隣のソティーニさんといくつか会話を交わす程度にとどめていた。

 レイバーンさんは、今回も参加しなかった。


 この旅も、もう終わりなんだ。

 私は何も、できなかった。

 そして何も、分からなかった。


 ――でも、本当にこのまま終わってしまうのだろうか。


 夜が深まるにつれ、私はどんどん意識が覚醒していくのを感じていた。

 ベッドの中で、私は居心地の悪さを感じて身じろぎをする。


 気のせいだろうか、部屋の空気も、なんだかどんよりと重たい気がする。

 窓を開け放して涼しい夜の空気を胸いっぱいに吸い込みたかったけれど、そんなことをしたところで晴れやかな気持ちになれないことは分かりきっていた。

 それに、隣のクインさんもすっかり熟睡しているようだし。

 下手に動いて彼女を起こしてしまっては申し訳ないと、ちらりとクインさんに視線を投げて、私は溜息を押し殺した。


 それから唐突に、違和感を覚える。


 ――あれ。

 クインさん、本当に熟睡しているんだ。


 私は鼓動が大きく波打つのを感じた。


 クインさんは、よく眠っているように見えても、その実、眠りの浅い人だ。

 この旅路で寝泊りを共にして、私は近頃そうと気づいた。

 例えば、私が自分のベッドでごそりと寝返りを打てば、それだけで半分以上意識が覚醒してしまうような敏感な人なのだ。

 それなのに、今、彼女は寝息すら聞こえないほど深く寝入ってしまっている。


「……クインさん?」


 かすれた声で、私は隣のクインさんに声をかけた。

 返事は無い。


「クインさん」


 私はベッドから上体を起こし、緊張で身を固めながら、もう一度声をかけた。

 無反応。


(……たまたま、だよね)


 きっと、今日は特別に疲れていて、いつになく眠り込んでしまっているだけに違いない。

 私は祈りににも似た気持ちで、そう考えた。

(でも)

 私自身の眠気は既に遠く、張り詰めた糸のような緊張感を全身に走らせている。

(やっぱり、おかしい)

 彼女は腕利きの騎士見習いで、巫女の護衛に選ばれた女性である。名を呼ばれてもなお目を覚まさないなんて、絶対にありえない――はずなのではないか。


 いよいよ、私は違和感を強く抱いて起き上がった。

 相変わらずクインさんは動かないままだ。ほとんど聞こえない寝息と共に、かすかに体が上下するのが闇に慣れ始めた目にかろうじて映るばかり。


 コン、コン。


 その時、部屋の扉をノックする乾いた音が静かに響いた。

 私は息をするのも忘れ、暗闇の向こうの扉をじっと見据える。


「ハルカ――、入りますわよ」


 もう、随分と聞き慣れた声。

 間もなく扉はゆっくりと開かれた。


 手元のランタンに浮かび上がったその影に、私は呆然と呟く。


「――ソティーニさん」


 神官服を身にまとったソティーニさんが、無表情でその場に佇んでいた。

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― 新着の感想 ―
国に8ヵ所しかない教会が馬車で1日程度の距離しか離れてないって国としても関東程度の小国なのかな? 気脈が乱れているって言っても巫女任せで国としては悲壮感ないし、他国に頼ればどうとでもなる小さな問題なの…
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