48.二人の騎士
「お知り合いですか?」
ノエルの後ろに控えていたシズルさんが、怪訝な様子でそう問いかけた。
かくいう私も、密かに驚いている。確かに以前、アルスさんはノエルを知っているような素振りを見せたことがあったが、互いに名前を呼び捨てし合うほど親しい仲だとは思っていなかった。
「こいつは俺の同僚だ」
「同僚……って、まさか、この人も国の騎士!?」
ノエルの応えに、目をむいて驚くシズルさんとエリオットさん。うん、分かる、分かるよ。ぱっと見た限りでは、とても身分のある人には思えないもんね、アルスさん。下町をふらついている、その辺の気さくなお兄さんって感じだし。
「ただ、こいつがどういうつもりなのかは、聞いてみないと分からないけどな」
「いやだな。俺は、巡礼に巻き込まれたハルカちゃんを迎えに来ただけだよ」
アルスさんは手首を後ろ手に縛られたまま、肩をすくめた。
「ところでさ、そろそろこの拘束解いてもらえない? 俺は逃げも隠れもしないし、ハルカちゃんの意思を尊重することにしたから、もう無理強いもしないよ」
「お前の言葉ほど信用ならないものはない」
うわあ、バッサリだな。ノエルのあまりにも冷えたまなざしに、さすがにちょっとだけアルスさんがかわいそうだなと思ってしまった。まあ、言っている内容には全面的に同意なわけだけども。
「ひっでえな。同じ釜の飯を食った仲だってのにさ。ね、ハルカちゃんからも言ってやってよ~」
アルスさんからすがるような目を向けられて、私はびくりと肩を揺らす。
「え、わ、私?」
「アルス。ふざけるのもいい加減にしろよ」
「ふざけてなんかないさ。むしろ俺は、お前にそっくりそのままその言葉を返してやりたいところなんだけど」
そう答えるアルスさんの軽い調子は変わらなかったが、彼の目が全く笑っていないことに、私はその時初めて気がついた。
「……シズル、エリオット」
「は、はい」
ノエルに呼ばれた二人がピンと背筋を伸ばす。
「二人はアルディナ様の警護に戻ってくれ。この場は俺に任せてくれないか」
「しかし」
もちろんエリオットさんたちが素直に頷くはずがない。二人は不満げな表情を隠そうともせず、ノエルに言い募ろうとした。
けれど、ノエルがその先を続けることを許さない。
「頼む。今、アルディナ様の身辺はあまりに手薄だ。それに……こいつが狙っているのはハルカだけだ。話は俺がつける」
「……」
それでも納得のいかない様子で、エリオットさんたちは互いに目配せしあった。
当然の反応だと思いながら、私は私で何も口出しできやしない。当事者のくせにあまりに無力な私が、この場で一体何を言えただろう。
「……分かりました」
しばらくの沈黙の後、最終的に、エリオットさんが頷いた。
シズルさんは驚いたようにエリオットさんの顔を見たが、反論は出ない。
「俺とシズルで、一旦アルディナ様のところへ戻ります。――ですが、どうぞ無茶はなさらぬよう」
「ああ、肝に銘じる」
ノエルが頷いたのを確認すると、エリオットさんはシズルさんの腕をとり「行くぞ」と短く呟いた。シズルさんはまだ何か言いたげだったが、すでに歩き始めてしまったエリオットさんに引きずられていく。
彼らの背中が、扉の向こうに消えていった。
「いやあ、信頼されてるねえ、ノエル」
エリオットさんたちが去っていく背中を見守っていたアルスさんが、そう言いながら笑みを浮かべる。ノエルはそれには答えず、髪から滴り落ちる雨の雫を今一度手で振り払った。
うう、緊迫したこの空気が怖い。
「フラハムティ様の差し金だな」
「おいおい、まるで俺が悪者みたいな言い方はやめてくれよ。どちらかというと、俺はハルカちゃんを助けに来たってつもりなんだけど。現巫女のところに前の巫女が囲い込まれる――お前にだって、その意味が分からないはずないだろ?」
「……」
「このままハルカちゃんを連れまわしてどうする、ノエル。自分の手元に置いておけば何があっても彼女を守れるなんて寝言はやめろよ。現に今だって、もし俺に悪意があれば、とっくにハルカちゃんは死んでたぞ」
そう言いながら、アルスさんは右手で自分の首を切る仕草を見せた。
――って、あれ!? いつの間にかアルスさんの拘束が解けてる!? ぎょっとして彼を見ると、その足元に、鋭利な刃物で切り落とされた縄の残骸が転がっているのに気がついた。最初から、いつでも自分で拘束から抜け出せたんじゃないか!
「こう言っちゃ悪いけど、あの警備兵たちじゃ力不足だ」
アルスさんが人を突き放すようなことを言うのは、私にとってはこれが初めてだった。
また一つ、アルスさんの知らない面を突きつけられる。
「お前だって同じだろ。お前が守るべき存在は他にいて、そのためにいつだってハルカちゃんは二番手になる。今のお前には、ハルカちゃんを守れない。それに――こんな中途半端なことをしてたら、アルディナ様さえ守れないぞ」
「分かってる」
ノエルは静かな声で、肯定した。
「全てが中途半端だってことは、俺が一番分かってる。今の俺に、こいつを守る力なんてないことも」
「なら、ハルカちゃんを手放せよ。俺が責任を持って彼女を守ると約束するから。確かにフラハムティ様は腹黒い人だが、彼女に危害を加えるつもりがないことは確かだ。今の俺は、ハルカちゃんを護衛することだけを命じられているから、お前と違って余裕もあるしな」
私はその場に棒立ちしたまま、身じろぐこともできなかった。
……そうか。
アルスさんは、ノエルを説得するために、わざとエリオットさんたちに捕まったりしたんだ。ノエルが私を見放したら、私はもうフラハムティ様のところへ戻るしかなくなる。そうしたら、私も無駄に抵抗しなくなってやりやすいと踏んだんだろう。
「それとも、アルディナ様の護衛の仕事を投げ捨てて、ハルカちゃんと二人でどこかに消えちまうか? さっきの警備兵たちの信頼も、アルディナ様の信頼も、国の信頼も全部捨てて――現実から目を背けて?」
「――やめてよ」
その時、震える声でそう告げたのは、他ならぬ私自身だった。
声を上げたことに、自分で驚いてしまう。
「アルスさん、それは違う」
それでも今更引っ込むことはできなくて、私は頼りない足取りでアルスさんの前に立ちはだかった。
「アルスさんは間違ってるよ。だって、私は、ノエルが中途半端だなんて思ったことは一度もない。ノエルはいつだって私を支えてくれたんだから」
いつの間にか強く拳を握りすぎて、手のひらに爪が食い込んでいた。
「二度目の召喚で、確かに私、ずっと不安だったし心細かったよ。でも、今度は自分一人で頑張りたいって、私自身が思ったの。私が、ノエルから遠ざかったの。それでもノエルは、私のことを見守り続けてくれた。それにどれだけ救われてきたか、アルスさんに分かる? ――私は、ノエルの一番になりたいわけじゃない。五番でも六番でも百番でも、別に構わない。ほんのちょっとでも私を気に掛けてくれたなら、それだけで十分だよ」
それなのに、何にも知らないアルスさんにノエルを責められるのは耐えられなかった。
「私がアルスさんと王都に戻ろうか迷っているのは、ノエルや他の皆に迷惑を掛けたくないからだ。ノエルじゃ頼りにならないから、なんて言うつもりなら、私、絶対、許さないからね」
一気にまくし立てて、それから私は、勢いに任せて言い過ぎたことに気がついた。
……うわあ、私が許さないって、何だそれ、私に一体どんな権限があるっていうんだ。
それに、私、なんだか相当恥ずかしいこと口走っちゃったんじゃない!?
「分かるよ、ハルカちゃんの気持ちは」
私が一人で青くなったり赤くなったりしているのをよそに、アルスさんが苦笑を浮かべた。
その笑顔がちゃんと柔らかいものだったので、私は混乱しつつも密かに安堵する。
「今の君とは、ノエルよりも俺のほうが付き合いも長いんだしさ。ハルカちゃんがノエルの影を支えにしてることは、よーく分かってるよ」
でも、とアルスさんは言葉を続ける。
「だからこそ、同じ男としては見過ごせないって言うかね? ハルカちゃんは、あまりに優しすぎて、一途過ぎるんだよ。もっと我がままになるべきだ。ノエルはずるい男だよ」
「お前の言うことを、否定はしない」
ノエルはあくまで落ち着いた様子を崩さず、そっと私とアルスさんの間に割って入った。
ノエルの大きな背中が目の前に立ちふさがる。その肩越しにアルスさんの様子を伺うと、彼も再び表情を引き締めていた。
「確かに俺はずるいのかもしれない。だが、こいつをフラハムティ様の元へは帰さない。……この巫女巡礼にハルカを同行させるのには無理があると、俺も分かってるんだ。今回の騒ぎで、ますます皆の不信感は募るだろう。だが、逆に言えばそれでいいとも思っている。フラハムティ様のいいようにさせないためにも――この混乱は、避けては通れない」
「……どういうことだ?」
「ハルカを再召喚した張本人よりも、フラハムティ様の方が厄介だってことだ」
「お前、知ってるのか? ハルカちゃんを再召喚した人間が誰なのか」
「――確証はない。これからどうなるのかも分からない。だが、今のこの状況は意味のあることだと思ってる。だからこそ、ルーノ殿はハルカをここへ送り込んだんだろう」
そこでノエルは私の方を振り返った。
「……そういう意味では、結局、俺こそハルカを『利用して』いるのかもしれないが」
ノエルの苦渋に満ちた顔を見て、私は言葉を失った。
いつかノエルが言っていた言葉。フラハムティ様は私を囮にして、召喚の犯人を捜し出そうとしているのではないか――。今まさに、同じことを、ノエルがしているんだと。
それってつまりは――。
この巫女巡礼のメンバーの中に、私を再召喚した人物がいるということ?
衝撃とともに、瞬時に、頭の中を巡礼の顔ぶれが横切った。
……いや。
確かに、全くあり得ないことではなかったのだ。
アルディナ様の敵は、何も対立派閥だけではない。その懐にだって、彼女を陥れようとする人間が潜んでいるかもしれなくて。悪意を持った何者かが、素知らぬ顔でアルディナ様の側にいる。それはとても悲しいことだけれど、可能性としては十分考えられるのだ。
けれど、今度の旅で、短いながらも皆と共に過ごし、メンバーの誰もがアルディナ様を大切に思っていると感じてきたからこそ。この中に裏切り者がいるかもしれないだなんて、私には信じられなかった。ノエルだって確証はないと言っているし、何かの間違いかもしれないじゃないか。
そう自分に言い聞かせようとするものの――。
ああ、そうか、と。
すんなり、納得できてしまう自分もいる。
ルーノさんが私をここへ飛ばしたのは、フラハムティ様の手から逃がすためだけじゃなかったんだ。
(私と犯人を、対峙させるため)
“帰りたいってセリフは、犯人に言ってもらわないと”――。
すっかり忘れていたルーノさんの言葉が今更鮮明に思い起こされる。
そうだ。ルーノさんは初めからそう言っていたんだ。私を犯人の居場所へ飛ばしてやるから、あとは自分でどうにかしてみせろって。
ああ……私、彼の言葉の真意を、全然分かっていなかった。
「それで、ハルカちゃんを召喚したのは、一体誰なんだ?」
「知りたければ、お前もこちらへ来い」
ノエルとアルスさんは、互いの視線をぴたりと合わせて微動だにしなかった。
「来るつもりがないなら、お前一人で飼い主のところへ戻るんだな」
「実力行使でハルカちゃんを連れていくと言ったら?」
「――やってみろよ」
ノエルは腰にさしていた長剣の柄に手をかけた。
一方のアルスさんは、先ほどのように簡単に短剣を構えようとはしなかった。黙ったまま、ひたすら真っ直ぐノエルを見据えている。
先ほどのエリオットさんたちとの剣戟の時以上に、部屋中の空気が張り詰めていた。
私はその空気に耐え切れなくなって、逃げるように、わずかに一歩、後退る。
その動きを、アルスさんは視線の端に捉えていたらしい。
射るような強い視線をふと緩め、私を見遣ると、ひょいと肩をすくめて見せた。
「……んー、まいったな。さすがに、お前相手に短剣一本じゃ分が悪いか」
「なら、どうする?」
「いいぜ。お前たちに合流しよう。今すぐハルカちゃんを連れて行かなくても、機会はいくらでもありそうだしな。まあ、巡礼のご一行が同行を認めてくれるかどうかはまた別問題だろうけど」
アルスさんが引いてくれたことに、私は密かに安堵した。
さっきみたいに、誰かが怪我をするんじゃないかと肝を冷やしてただ見守っているのはもう嫌だ。
しかし、アルスさんを連れて皆のところへ戻るのも気の重い話だった。
彼の言う通り、皆が私たちをにこやかに受け入れてくれるはずがない。どうにか受け入れてもらえたとしても、その真意は? 元巫女である私を、手ぐすね引いて待ち構えている人が、あの中にいるかもしれないのだ。そして、アルディナ様を陥れようとしているのかも――。
――ああ。もう、何も考えたくない。
「そうと決まれば、すぐに宿へ戻ろう。あまり時間を置くと余計に面倒なことになる」
ノエルは棒立ちのままの私の肩にそっと手を置いた。ぼんやりと佇んでいた私は、それではっと我に返る。
「この旅ももうすぐ終わりだ。それまでに、何らかの答えが出るだろう」
ノエルのその言葉に、私は素直に喜ぶことはできなかった。