47.剣をむやみに振り回すのはやめましょう
エリオットさんたちの視線は真っ直ぐアルスさんを射抜いていた。
当のアルスさんは、私の腕を再び強く掴むと、彼らから遠ざけるように自分の背中へ引っ張り込み――そして、腰から短剣を取り出す。
間もなくたどり着いたエリオットさんたちも、長剣を鞘から抜きながらアルスさんの前に立ちはだかった。
「ちょ、ちょっとアルスさん、戦う気!?」
「向こうがその気みたいだから」
いやいや、だからってこっちまで喧嘩腰で迎え撃たなくてもいいんじゃないの!?
「ハルカ。この男はお前の知り合いなのか」
剣を構えたエリオットさんが、苦々しげな表情で私にそう問いかけた。
「なぁんだ、やっぱり君、どこかの密偵だったわけ? こんな裏路地でお仲間と逢引とは、隅に置けないね」
続くシズルさんの言葉に、私はようやくこの状況が彼らにどう捉えられているかを理解する。
そうじゃない、と声を大にして訴えたいけれど、あまりに緊迫したこの場の空気に、弁解を差し入れることなどできそうにない。
「君たち、巫女巡礼の警備兵だね」
一方のアルスさんは、こんな場面でも落ち着いていた。
「一応聞くけど、ここは見逃してもらえないかな? 見逃してもらえれば、俺たちは大人しく引き上げる。アルディナ様に迷惑はかけないよ」
「そんな訳にいくと思うか? ――詳しい話はあとで聞かせてもらうぞ、ハルカ」
言うやいなや、エリオットさんがアルスさんの懐に飛び込んだ。長い剣が振り下ろされ――それを、アルスさんが剣の刀身で受け止める。ガキン、という嫌な音が鈍く響いた。
ちょっと待って、その剣って、当たり前だけど本物だよね!? 切れたら怪我したり死んじゃったりするよね!?
それを、何でそんなに簡単に振り回せちゃうの!?
「や、やめてよ! 剣は収めて、話し合おうよ!」
私ははじかれたように叫んだ。
「ハルカちゃんは危ないから下がってて」
まだ余裕そうなアルスさんの声。でも、長剣と短剣、その上二対一だなんて、あまりにアルスさんに不利でしょう!
そんな私の心配をよそに、アルスさんはまるで曲芸師か何かのように身軽に地を跳ね、時に短剣をうまく使って、ひょいひょいとエリオットさんたちの攻撃を避け続けている。その上、時折反撃を試みてすらいるようだ。手元を狙ったアルスさんの細かな攻撃に、エリオットさんとシズルさんはとてもやりにくそうな様子を見せていた。
ああもう、どちらも応援できない状況なのがもどかしい。
いっそこのまま私一人で逃げ出してしまおうか!?
しばらくの攻防のあと、チッ、とシズルさんが舌打ちをした。
「あんた、ただの傭兵上がりってわけじゃなさそうだね。一体どこの犬?」
「犬は喋れないからねぇ」
「じゃあ別の質問。その娘を使って、何をさせようっていうのさ。見たところ、なかなか面白い娘のようだけど」
「うーん、俺としては、俺の側で何もせずじっとしていてくれたら助かるんだけどなあ。俺じゃ物足りないらしくて、全然なついてくれないんだ」
呑気なんだか何なんだか分からない会話。
一方のエリオットさんは、無言のまま攻撃に専念している。多分、シズルさんはわざとアルスさんに話を振っているのだ。彼の注意を少しでも逸らして、エリオットさんがその隙を突けるように。
それでも、アルスさんの方が一枚上手だった。
拮抗していると思われた戦いは、一瞬でそのバランスが崩れ去った。
アルスさんの短剣が、シズルさんの剣を弾き飛ばしたのだ。
飛んでいった長剣は、面白いほど大きく弧を描くと、建物の壁に激突し、鈍い音とともに地面に転がった。ちょうど私の足元近くに転がってきたものだから、私は情けないほど驚いてしまった。
そして、その剣の行方を横眼で追ったエリオットさんにも隙ができた。アルスさんは、その一瞬の隙を見逃さない。彼は無慈悲に、エリオットさんの喉元に短剣をつきつけた。
「さあ、ここまでだ。君も剣を捨ててくれるね」
ごくり、とエリオットさんがつばを飲み込む音が聞こえるようだった。
いずれにせよ、彼にももはやどうしようもない。エリオットさんは怒りに濡れた瞳でアルスさんを真正面から見据えながら、それでもゆっくり剣を手放した。
「それでいい。これ以上やりあえば、ハルカちゃんが悲しむだけだ。言った通り、俺は君たちにもアルディナ様にも危害を加えるつもりはない。ただ、ハルカちゃんを連れ戻しに来ただけなんだから」
「――全然、よくないっ」
勝手に締めに入ろうとしていたアルスさんに、私は猛然と抗議の声を上げた。
男三人の視線が、一気に私へと集まる。
「私は嫌だって、何度も言ってるでしょ! 私はアルスさんにはついていかないからねっ」
そして足元に転がっていたシズルさんの剣を拾い上げ、刃を自らの左肩に突きつけた。
う、何この剣、めちゃくちゃ重っ!
「アルスさんこそ剣を捨ててよ。じゃないと私、何するか分からないからっ」
「ハルカちゃん、危ないよ」
「私の田舎にはねえ、切腹って言葉があるの! 人様に迷惑をかけて生き恥を晒すくらいなら、自分の腹切ってケジメつけるしきたりなんだから!」
「……若い女の子らしからぬ壮絶なセリフだね」
アルスさんは全く緊張感のない声で返事を寄越した。
シズルさんとエリオットさんは、突如仲間割れを起こした(ようにしか見えないだろう)私たちをどう扱うべきか、考えあぐねているようだ。
「とにかく、剣を下ろして。ハルカちゃん、まだ迷ってるんだろ?」
「……こんなの、形だけの脅しだって言いたいの?」
そう言いながら、実際その通りでヒヤヒヤする。だって、切腹する勇気なんて、本当のところあるはずがない。時間を稼ごうととっさに動いてしまったものの、どうしたものか、引くに引けないこの状況。
「いや、そうじゃなくてさ。俺と一緒に大人しく王都へ戻った方が、巫女巡礼も何もかも、丸く収まるんじゃないかって、心のどこかでは思ってるんでしょ? 人様に迷惑をかけない一番の方法は、切腹なんかじゃないって、ハルカちゃんは分かってるはずだ」
「……」
「ほら、剣を下ろして。もう腕が疲れたでしょ」
アルスさんの言う通り、私は完全に迷っている。
それでも剣は下ろせなかった。
私は唇をぐっと噛みしめて、ただただアルスさんを睨みつける。
一方のアルスさんも、その後ろで棒立ちになっているシズルさんもエリオットさんも、黙って私の次の行動を見守っているだけだ。
そして――。
情けないけれど、真っ先に限界が訪れたのは、剣を持ち上げている私の両腕だった。
やばい、本当に重すぎる。
私の意思とは関係なく、手から剣が零れ落ちそう。
そんな矢先だった。
「――分かったよ、俺の負け」
ふう、と軽い溜息を一つ落とすと、アルスさんは両手を上げて降参のポーズを見せた。
「全く、ハルカちゃんがここまで頑固だなんて思わなかったな。君を無理やり連れ戻すのは諦めるから、そんな怖い目で俺のこと睨まないでくれる?」
「え……、何で」
あっさりと引いたアルスさんに、私は戸惑いを隠せない。
「いや、最終的に君を連れ帰るのは絶対だけどね、命令だし。でも、いつまでにとは言われてないから、今すぐじゃなくてもいいかなって」
両手を上げたまま、おどけたように告げるアルスさんの背後に、ゆっくりとエリオットさんが近づいていく。そして、アルスさんの右手に握られたままの短剣を静かに抜き取った。その間も、アルスさんは抵抗を見せない。
シズルさんはシズルさんで、警戒したまま私のところへ歩み寄り、私から長剣を受け取った。
「人の剣で自殺とか、やめてくれる?」
「ご、ごめんなさい……」
「ほんとに、何なのさ、アンタら」
その呟きに、私は答えを返すことができなかった。
・ ・ ・
まもなく、アルスさんは両手を後ろ手に縛られてしまった。
本人が抵抗しないから口出しのしようがないが、何だかアルスさんが罪人のように扱われているみたいで、複雑な気分だ。一方の私は、特に拘束されることもなくそのままだったから、余計にいたたまれない。
「エリオット、これからどうする?」
シズルさんの問いかけに、エリオットさんは渋面のままため息をついた。
「教会の近くに廃屋があったはずだ。そこにひとまず二人を連れて行こう。その後については、ノエル様の指示次第だな」
「りょーかい」
「というわけだ。行くぞ」
エリオットさんに背を押され、アルスさんは大人しく歩き出した。抵抗する意思のない彼の様子を確認してから、私もその隣に並んで歩き出す。
それから間もなくたどり着いた廃屋は、所々痛みの見える古い木造の建物だった。
出入口に扉はもはやなく、昼だというのに薄暗い室内は、住人が絶えて幾年も経過していることが簡単に見て取れるほど荒んでいた。
ううう、嫌だなあ、この感じ。
ルーノさんの移転術で巫女巡礼に飛ばされた初日、馬小屋に拘束されたことを否が応でも思い出してしまう。あの時は本当に大変だったし。
私が密かに怖気づいていることに、エリオットさんは直ぐに気がついたらしい。私の方へちらりと視線を寄越した後、真っ先に部屋中の窓を開けて回って、日の光を取り込んでくれた。じめじめと湿った空気も入れ替わり、ほっと人心地がつく。
「じゃあ、俺がノエル様に報告してくるってことでいいよね?」
シズルさんの申し出に、エリオットさんが頷いた。
「ああ、頼む」
二人のやり取りの合間に、私はアルスさんの様子を盗み見る。
彼は変わらず両手を拘束されたままで、おとなしく壁際に佇んでいた。
どうやら、隙を突いて逃げるようなことは考えていないようだ。まあ、そのつもりなら最初から苦も無く私を連れていくことができただろうし、本当にしばらくは大人しくしているつもりなのだろう。
ただ、一体何を考えているのか分からなさ過ぎて、空恐ろしい。初めに私を連れ帰ろうとしたのは本当だろうし、そういう命令が下りているのも間違いないと思う。なのに何故、急に考えを翻してエリオットさんたちに捕まってみたりしたのだろうか。単刀直入に尋ねてみたところで、素直に本心を話してくれるとは思えないから、もはや聞くつもりもないけれど。
さて。
シズルさんが出て行ったあと、残された私たち三人の間に、奇妙な沈黙が流れた。
……何だか少し気まずいな。
「さっきの、あの稲妻は何だったんだ? 魔道具か?」
空気を読んでくれたらしいエリオットさんが、いつもと変わらぬ調子でそう話しかけてきた。
「あ、はい。私もあんなにすごい雷が出るとは思ってなかったんですけど」
「あれ、痛かったよな~。完全に手のひら火傷したよ」
アルスさんまで、軽い調子で会話に参加してくる。
「あの雷で、私たちの居場所が分かったんですか?」
「ああ。町中、ちょっとした騒ぎになってたぞ」
それもそうだろう。裏路地に最後まで誰の姿も見えなかったのは、人がいなかったからではなくて、恐れをなして皆家に閉じこもっていたからなんだろうなと、今更ながらに思い当たった。
「その魔道具は、ノエル様から渡されたものなのか?」
「いえ、そういうわけじゃ」
「そうなのか。俺はてっきり……」
「ちなみに、俺たちのところへ駆けつけたのは、彼の指示で?」
アルスさんの問いかけに、エリオットさんは仏頂面のまま頷いた。
「そうだ。……ハルカ、あんたは何者なんだ? ノエル様が妙に気にかけていることといい、この男のことといい。強力な魔道具を持っていることだって。ノエル様は詮索するなと仰っていたが、ここまできたらそういうわけにもいかないだろう」
「……」
返す言葉もなく、私はうなだれた。
もう何度、お前は何者だと問われただろう。
「……雨が降ってきたみたいだね」
ふと、アルスさんが独り言のように呟いた。
顔を上げると、彼の視線は窓の外に向けられている。
「本降りになりそうだなあ。さっきまで雲一つなかったのに」
そう言う間にも、控えめだった雨の雫は勢いを増し始める。
「最近、おかしな天気が多くなってきたよね。天気だけで済めばいいけど」
「おい、そんな話をしていたんじゃないだろう」
「焦らなくても、多分もうすぐ全部明らかになるさ。それに、悪いけど、まず話すべき相手は他にいる。――だろ? ハルカちゃん」
私の返事の代わりとでもいうように、雨音が一層激しく響き渡った。
今度こそ部屋の中は沈黙に包まれてしまい、ざあざあという雨音だけが途切れることなく続いている。魔道具の力ではない、本物の雷までもが、私たちの重い沈黙を打ち破ろうとうなり始めた。
それからどれくらいの時間が経っただろう。
恐らく、三十分も経っていなかったと思う。
にわかに部屋の外が騒がしくなった。
こちらに近づいてくる足音は複数だ。
あわせて、男性のくぐもった声も聞こえる。さっきのシズルさんと――ノエルの声に違いない。
やがて、部屋の扉がノックもなく開かれた。
その向こうに姿を見せたのは、思ったとおり、ノエルとシズルさんだった。この大雨ですっかり濡れそぼった彼らは、雨の雫を手で軽く振り払いながら部屋へ入ってくる。
そしてノエルは、険しいまなざしで真っ直ぐアルスさんを見据えた。
「……アルス、お前か」
「久しぶりだな、ノエル」
部屋の空気が、一層張り詰めたのを感じた。