45.人攫いは騎士の仕事じゃありません
翌朝、アルディナ様は健気にも教会へと向かっていった。
体調は前日より良くなっているようだと聞かされたが、彼女の姿を直接見たわけではないから真偽の程は分からない。
でも、例え具合が悪かろうが、それを押して彼女は教会へ向かったことだろう。
そんなアルディナ様の真面目な性格が分かっているからこそ、どうにか『気脈』の乱れが明らかになってほしいと思う。もはや世界のためというよりも、彼女のために、である。
――そう祈るような気持ちでいたものの、やはり結局は、駄目だった。
一か所目の教会には完全にバツがついた。
アルディナ様は、『気脈』の乱れをここカロムトの教会で見い出すことはできなかった。
今度の巡礼で、目指せる教会はあと二つ。
スミナーゼと、テナンヤの教会だ。
駄目だったのはまだたったの一つ目だと捉えるのか、それとも。
少なくとも、私の見た限りでは、巡礼の面々の表情に楽観的な色は伺えない。
「さあ、皆、夕方までには次の街へ着くぞ」
のろのろと旅支度を整える私達に、張りのある声が飛んできた。
アルディナ様の護衛リーダーを務めるガンヌさんだ。
アルディナ様は、昼に一度宿に戻ってから、また部屋で臥せているという。
ノエルとソティーニさん、そしてレイバーンさんはそんな彼女に付ききりという状況だ。
そうした事情が分かっているから、私達下働きもとても気楽にはいられないのだ。
しかし、ガンヌさんの強い声は、通夜のような部屋の空気を一掃してくれた。
シンプルな一声だからこそ、私達の俯いた顔を上げさせる力がある。
そうだ、下働きの自分達があれこれと思い悩んだところで、できることなど何もない。私達は与えられた職務をしっかりこなすべきなのだ。
それに――このメンバーは、ある意味、一般国民の代表者達と言っても過言ではないのかもしれない。取り立てて高い地位も身分も持たない下働きの存在だからこそ、不安がっている姿をアルディナ様に見せるわけにはいかないのだ。私達の態度は、そのまま彼女に一般の民の姿を連想させてしまうことだろう。
アルディナ様に辛い思いを思いをさせないためにも、私達が不安がっていると、知られたくない。
そう思う一方で、しかし私は、やはりどうしても晴れ渡った気持ちにはなれなかった。
色々と、気にかかることが多すぎる。
私が巫女巡礼に飛ばされた経緯も未だ謎。
私が一体何者なのかと探りを入れるレイバーンさんやソティーニさんへの説明もまだ。
それに、ソティーニさんが本当は巫女になるはずだったという話。彼女のアルディナ様に対する本心はどこにあるのか、これもまた分からない状況。
ノエルはノエルで、エリオットさんに無意味な喧嘩を吹っかけてくるし。
……もう、私の頭はパンク寸前だ。
オルディスさんの魔術あたりで、何もかもがきれいさっぱり解決してしまえばいいのに。
久しぶりに偏屈魔術師の名前を思い出しつつ、私は密かに溜め息をついた。
私の左手には、彼から貰ったブレスレットがある。幸いなことに、今のところ、このブレスレットが活躍する場面に再び遭遇するような危機には陥っていない。
間もなく馬車の準備も整ったところで、アルディナ様が部屋から姿を現した。
やや青白い顔で、伏せがちな瞳。
それぞれの持ち場で彼女を待ち受けていた私達に、アルディナ様は小さく一礼した。
ああもう、そんなのいいのに。体も辛そうだし、私達のことまで気遣ってくれなくても構わない。その律儀な性格が、余計な心労を抱え込む原因になっているのかもしれないのに。
私が一人やきもきしているうちに、アルディナ様はノエルの手を借り馬車の中へと消えていった。
そんな彼女を無表情で見守っているソティーニさんの姿も視界に入る。
無表情に見えるのは、それが彼女の仕事だからだろう。
以前私がアルディナ様の私室にお邪魔した時も、ソティーニさんはまるで石像のように部屋の隅で固まっていた。巫女の付き人が、下手におろおろしたり心配したりする様子を見せてはいけない。多分、そういうことなのだろう。断じて、アルディナ様のことを良く思っていないからとか、そうした理由ではないはずだ。
私がうだうだと考えているうちに、馬車は出発した。
向かったのは、スミナーゼの町だ。
・ ・ ・ ・
ここもまた、懐かしい町だった。
スミナーゼは、カロムトと比べ明るい雰囲気の町である。
王都のミニチュア版といった感じで、建物も町の住人達もどこか洗練されている。
むしろ王都よりも一歩先を行っているのではと感じさせるのは、町の若い女性達の服装だ。王都にあっても、ドレスでもなければ鎖骨すら見せない保守的な服装の女性達が多い中、こちらはややオープンなデザインが支持を得ているようである。
それに、王都に比べて緑も多いようだ。至る所に小さな公園があって、緑の芝生の上を子供達が駆けまわっている。お母さんやお年寄り達が近くのベンチに腰掛け、微笑みながらそんなちびっこを眺めているのがまたいい感じだ。
そんな中、巫女巡礼の一行はひっそりと宿へ到着した。
今回は先に教会へ立ち寄ることはしなかった。きっと、アルディナ様の具合が本格的に良くないからだろう。
思った通り、アルディナ様はあてがわれた部屋へ真っ直ぐ消えていった。
その後ろ姿を見送ってから、私達も各自の部屋へと一旦解散する。今日はもう、休むだけになろうだろう。
けれど、予想に反して、アルディナ様はその日のうちに教会へ行くと言い出したらしい。少し部屋で休んだら良くなったから、と。
でも、そんな訳がないのは誰にだって分かりきっている。またしてもレイバーンさんやソティーニさん、ノエルが強く強く彼女を諭し、どうにか今日の祈祷を諦めさせたということだった。
焦らないで、とアルディナ様に伝えたかった。
完璧であろうとしないで。自分を犠牲にしてまで頑張らないで。
アルディナ様ほど巫女にふさわしい人はいないって、私が保証するから。
前の巫女の私が言うのだから、間違いない。
――でも、そんな言葉が、一体何になるだろう。
第一、今の私には、役立たずな言葉さえ彼女にかけることが叶わない。
巫女でなくなった無力な自分を、ここへ来て私は初めて恨めしく思った。
翌日。
穏やかな昼下がり、アルディナ様とその一行は教会へ向かうことになった。
私は相変わらず居残り組だ。することもないので、慌ただしく身支度を整えるメンバーを見送りがてら、宿の裏口へと向かった。
巫女様が大っぴらに出かけることはできないから、教会と宿の行き来はこの裏口から行われる。裏口周辺は、綺麗に芝生が生え揃い、きちんと手入れの行き届いた花壇の花も美しかった。そこに緩やかなカーブを描く馬車道が整えられていて、既に馬車が待機している。
宿から姿を現したアルディナ様は、白い顔をしていたけれど、側を歩いているソティーニさんと何か談笑をしながらこちらへやって来た。少しは具合が良くなったのだろうか。それとも、元気そうな様子を周りに見せて安心させようという気遣い? ……それはさすがに、考え過ぎかな。
アルディナ様のすぐ後に部屋から出てきたノエルは、特に何を言うでもなく、彼女の後ろに佇んでいる。
まもなくレイバーンさんもやってきて、それからすぐにアルディナ様達は馬車へ移動した。
そして静かに、一行は出発した。
・ ・ ・ ・
状況が変わったのは、アルディナ様一行が出発してから数時間が経った頃だった。
「あの、大変失礼ながら、ハルカ様でいらっしゃいますか?」
「え、あ、はい」
庭で一人草むしりをしていた私は、声をかけられ、振り返りつつ腰を上げた。
私に声をかけてきたのは、この宿のご主人だ。困った表情の彼と目が合い、何かやらかしただろうかと一気に不安になる。いや、この自己満足な草むしり自体、宿の人にとっては大変困った行為なのだという自覚はあるが。
「ハルカ様にお会いになりたいと、男性がお見えなのですが」
「私に?」
思いもよらぬ申し出に、私は素っ頓狂な声を上げてしまった。
だって、私を訪ねてくる人物に心当たりなんてあるはずがない。しかも、こんな巫女巡礼の真っただ中で。
「ど、どなた、でしょうか?」
「アルス様、と仰っていますが」
うわーーーー!!
来たあああ!!!
私は全身からざっと血の気が引いていくのを感じた。
街のナンパ男もとい、宰相の犬アルスさん。
まさかこんなところまで追いかけて来るなんて、一体どうして――いや、もちろん、宰相フラハムティ様の差し金に決まっている!
どうしよう、このままじゃ、フラハムティ様のところに連れ戻されてしまうかもしれない!
「かっ、帰ってもらって下さい!」
「何度もそう申し上げたのですが、緊急の用件だからと仰いまして……」
「いやいやいや、あれは悪者です! 清浄なる巫女様の憩いの場に足を踏み入れさせてはいけません!」
「お会いにはならないということで宜しいですね。畏まりました、改めてお断りして参ります」
宿のご主人は、相変わらず困った顔のまま、しかし再び宿へと戻っていった。
……頑張ってくれ、ご主人。どうにかアルスさんを追い返してくれ!
私は建物の中には入らず、扉からそっと宿の中の様子を伺ってみた。
微かに男の人の話声がする。声を荒げている様子はないが、でも、すんなり引き下がりそうな気配もない。
「失礼しますよ」
やがて、その声が一際大きく廊下に響き渡った。
うわあ、アルスさん、宿の中に入って来たんだ!
まずいまずいまずい。
今、この宿には主に女性しかいない。
警備兵達は揃ってアルディナ様と教会に行ってしまったし、もちろんレイバーンさんやノエルも同じ。残っているのは、アルディナ様の身の回りの世話係の女性陣だけなのだ。
(私とアルスさんのいざこざに、世話係の皆を巻き込むわけには……)
ごくり、と私は固唾を飲み込んだ。
うだうだと迷っている暇はない。――ああもう、何でこんなことに!
私は強く拳を握り締めると、そのまま踵を返し、その場から走り出した。
庭を抜け、裏路地へ。
見上げると、背の高い教会の塔が視界に飛び込んだ。
とにかく教会へ逃げ込もう。そこまで行けば、ノエルも警備兵の皆もいる。きっと助けてもらえるはずだ。
いや――でも待って。
アルディナ様のところへ厄介事を持ちこむのはマズくないか!?
まさかアルスさんも、巫女様に危害を加えることはないだろうが、でも、これ以上訳の分からないハプニングで巫女巡礼を掻き乱したくはない。私のせいで巡礼がぐちゃぐちゃになってしまうなんて、そんなのは絶対に嫌だ!
私は軌道修正し、教会へは向かわず、街の細い路地へと入り込んだ。
入り組んだ路地に、人の姿はほとんど見えない。ひっそりと落ち着いていて、私の跳ねるような鼓動の音が遠くまで響き渡りそうだった。
自分でも道が分からないままに、幾度も角を曲がり、階段を上り、時には下り。
やがて息が切れてきた頃に、ようやく私は足を止めた。
そして、恐る恐る後ろを振り返る。
……アルスさんの姿はない。
(よ、良かった)
私はその場にしゃがみこんだ。
ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しながら、脱力する。
ああ、ちょっと焦り過ぎたかも。
きっとアルスさんは、私が密かに宿を抜け出したことには気づかなかったに違いない。草むしりのため庭に出ていてラッキーだった。
(でも、これからどうしよう)
夕方まで町のどこかで身を潜め、ノエル達が帰って来る頃を見計らって宿に戻ろうか。
でも、そこにアルスさんが再び乗り込んできたら、どの道大騒ぎになってしまうし。
(あー、私、本当に皆の厄介者だ)
私は膝を抱えて項垂れた。
もう、この際、素直にアルスさんに従ってフラハムティ様のところへ戻った方がいいのかな。アルディナ様の一番大切な時に、私を助けてほしいだなんて、あまりにもおこがましかったのかも。別に、フラハムティ様に捕まったからって、殺されるわけでもないんだし。
(……でも……)
「ハルカちゃん、大丈夫? 全力疾走しすぎた?」
その時、突如頭上から若い男の声が降り落ちて、私は絶望的な思いで息を呑んだ。