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44.うかつに物も言えません

 アルディナ様が体調を崩した。


 昨日、一日中教会で祈りを捧げ続けていたアルディナ様だったが、とうとういい結果は得られなかった。聖域には何の変化も見られなかったのだ。

 この『聖域』が「はずれ」だったのか、それともアルディナ様の神力がうまく働かなかったが故なのかは分からない。分からないことが、皆の心を重くさせた。このままひたすら『聖域』のある教会を訪ねて回っても、例えその中に「当たり」があったとしても、気づかず通り過ぎてしまうのではないか。――そうなってしまえば、国のアルディナ様への信用は失墜してしまう。

 旅の始まりから胸の奥でくすぶっていたその不安は、今、皆の中でどんどん大きく膨らんでいる。


 とはいえ、誰一人として、アルディナ様を責めるような素振りは見せなかった。

 それもそうだ。アルディナ様がどれだけ頑張っているか、巡礼の一行が一番よく分かっている。私は相変わらずアルディナ様と話す機会はないけれど、皆の話しぶりからも、彼女が苦しみ悩みながらも務めを果たそうとしていることはよくよく伝わってきた。


 そんなアルディナ様が、教会へ向かう途中、ひどい目眩のために倒れてしまったのだ。

 昨日はほとんど休憩も取らずに祭壇に向かっていたというから、無理もない。

 看護の資格を持っているという世話係のナタリエさんによれば、しばらくアルディナ様は動ける状況にはなさそうなので、今日一日は自室で休んでもらうことになった。


 大丈夫だからと起き上がろうとするアルディナ様を諌めるのは、ノエルの仕事だ。

 他の人――例えばソティーニさんが止めたところで、やや頑固なところのあるアルディナ様はなかなか頷こうとはしないという。ノエルに諭されて、側にいてもらって、ようやくアルディナ様は落ち着いて横になっているそうだ。


 ……いいなあ。

 なんて、言いませんよ、もちろん。言いはしない。けれど、ちょっと羨ましい……のは、誤魔化しようのない事実だ。ああもう、参ったな。ノエルの近くに来てから、私はどうも心が弱くなってしまったようだ。

 かつての自分とアルディナ様の姿を、重ねずにはいられない。

 昔、私がノエルに叱咤されつつ慰められていたあの日々が、形を変えて、そして私には手の届かないところで、今もこうして続いているのだと思うと、やるせなくなる。


(そんなこと、分かりきってたことなのに)

 自分に言い聞かせつつ、私はぶちりと雑草を引き抜いた。


 さて、私は何をしているのかと言えば、今日も今日とてやることがないので、宿の庭の草取りに精を出しているところだった。

 これまた宿の人には固辞されてしまったのだが、本当にやることがないのだ、許してほしい。

 だがまあ、庭の手入れはすでに綺麗にされており、私がやるほどの仕事もないというのが実際のところだった。


 ――ああ、今日もいい天気だなあ。

 一時いっときは天候が不安定になった時期が続いたものの、また最近は落ち着いてきている。何事もない、平和な一日のようにしか思えない。その陰で、『気脈』の歪みがじわじわと自然界の均衡を崩し始めているなんて、嘘みたいだ。


(あれ、あそこにいるのって)


 広い庭をぶらりと歩いていると、見憶えのある二つの人影が視界に入った。

 石作りのベンチに腰掛け、長剣を馴れた手つきで磨いている――エリオットさんとシズルさん。

 うう、どちらも私の苦手な二人だ。シズルさんは、この間の晩の「アルディナ様をどう思っているか」攻撃以降、どうにも近づきがたくなってしまった。エリオットさんについては言うまでもない。


 引き返そう、とくるりと踵を返したものの。

「おい!」

 エリオットさんにあえなく捕まってしまった。くそう、見逃してくれ。

「……なんでしょうか」

 しぶしぶ向き直って近寄ると、エリオットさんもまた渋面だった。

「あからさまに逃げようとするなよ。失礼だろ」

「逃げようとしたわけじゃないんですけど」

「僕らの顔見て、思いっきり回れ右したよね」

 シルズさんまでエリオットさんに加勢しないでほしい。

「いやあ、お邪魔しては申し訳ないなあと思いまして」

「邪魔なんてとんでもないさ。あんた暇そうだし、ちょっと世間話に付き合わない?」

「……」

 全くもって心惹かれぬ提案だが、断る口実も思いつかない。

 観念して、私はエリオットさんの隣に浅く腰掛けた。


「……ええと、アルディナ様の体調、心配ですね」

 世間話と言っても、この三人で共通の話題といったらこれしかない。

 それに、私のところにはアルディナ様の情報があまり入ってこないから、できれば詳しい状況を聞いておきたいという思いもあった。

「まあな。レイバーン様の話では、今はもうだいぶ落ち着いておられるようだが」

「そうなんですか、よかった」

「明日、体調が許せばもう一日教会に行って頂いて、駄目なら次のスミナーゼの街へ向かうことになるだろう」

 なるほど、『気脈』の歪みを感知できなかった以上、いたずらに滞在日数を延ばしたところで意味がない。それは当然の判断だろう。もっと言えば、昨日の一日で何も感じなかったのならば、明日もう一度同じことを繰り返しても、結果は変わらないかもしれないが。


「レイバーン様と言えばさ」

 ふと、思いついたようにシズルさんが声を上げた。

 頭を傾け、エリオットさん越しに私の顔を覗き込む。細い瞳にすっと通った鼻筋のせいか、鋭利な印象の顔立ちだ。恐らくこの一行の中でも最年少だと思うが、そのくせ見た目に似合わぬ老練な空気を身にまとっているから、性質が悪い。


「昨日、あんた、そこの庭でレイバーン様に何か言われてただろ?」

「えっ」

 見られていたのか!

 ああ、でも、そういえば、基本的に私はいつでも誰かに監視されている立場なんだった。

「愛の告白でもされてるのかなってほど、情熱的に何か語られてたけど、そういう関係?」

「ちっがいますよ! むしろあれは脅……あー、何でもないです」

「脅されたって、何かひどいことでもされたのか?」

 エリオットさんがきっちり言葉を補完して、こちらに詰め寄る。

「いえ、大丈夫です。その、何と言うか、あまりアルディナ様の気持ちを乱すようなことをしないようにって。ほら、私、普通の平民ですから。アルディナ様が私ののんびりとした様子を見ると、巫女になる前の長閑な暮らしを思い出して、気落ちしてしまうかもしれない、って」

「なるほどな」

「んー」

 でもさ、とシズルさんはなおもこの話題を引っ張ろうとする。もう止めてくれ~。

「ソティーニ様の名前が挙がってなかった? 聞き耳立ててたわけじゃないけどさ、ちょっと聞こえてきたっていうかね」

 うえっ、本当に食えない人だよ、この人は。

「挙がってませんよ。聞き間違いでは?」

「残念ながら、僕は耳がいい方なんだ。あれでしょ、やっぱりレイバーン様は、ソティーニ様を目の敵にしてるんでしょ? アルディナ様を陥れようとしているとか何とか言って」

 さらりとシズルさんの口から出た言葉は、かなり核心をついている。隣のエリオットさんも、「またコイツは……」と呆れたような顔こそしているものの、驚いた様子はない。警備兵の二人にまで事情が筒抜けということは、ソティーニさんの件は王宮では有名な話なのだろうか。


「レイバーン様は、君がソティーニ様の手先なんじゃないかって考えてるんじゃない?」

 私はそれには答えず、逆に彼に問い返した。

「ソティーニさんが巫女の候補に挙がっていたっていうこと自体、私は知らなかったんです。それって、本当なんですか?」

「ああ、本当さ。というか、むしろソティーニ様が後任の巫女になるって王宮中が考えてた」

「街の皆は、満場一致でアルディナ様が巫女に選ばれたって言ってましたけど……」

「そりゃあ、巫女周りのゴタゴタを民に見せるわけにいかないじゃん。一般の民には、全てが終わった後にもっともらしく知らされただけさ」


 私とシズルさんが熱心に話し込む間で、エリオットさんは口を引き結んだまま武器の手入れを再開した。こういう噂話めいたこと、好きじゃないんだろうな。本当は私だって影でこそこそ人の話をするのは好きじゃないけど、でも、さすがに気になるじゃないか。


「ソティーニさんは、巫女になりたかったんですかね」

「さあ? でも、あの人プライド高いからね。巫女の座を掻っ攫われて、いい気はしなかったんじゃないの」

 アルディナ様と、その隣に立つソティーニさんの姿を思い浮かべる。

 二人が共にいるところを目にした機会はほとんどない。うちの定食屋の弁当の件で、アルディナ様の私室に呼ばれた時くらいか。でも、その短い間だって、二人がお互いを思い合っていると十分感じることができた。ソティーニさんは、純粋にアルディナ様のためを思って私を紹介してくれたように思うし。それを疑えというのは、あまりにも失礼すぎるのではないか。

 ……うん。

 やっぱり、私、レイバーンさんの言う通りにソティーニさんを疑うようなことはできない。


「まあ、もういいだろ、そういう話は。俺達下っ端には関係のないことだ」

 手入れの済んだ剣を鞘に収めたエリオットさんが、久しぶりに口を開いた。

「おいハルカ、部屋に戻るぞ」

「え、ああ、はあ」

 私は無理やりエリオットさんに引っ立てられて、引きずられるようにして庭を後にした。私は慌ててシズルさんを見やったが、彼は軽く肩をすくめてみせただけだった。



 宿に入ると、野菜を炒めたような甘い香りが鼻先をくすぐった。

 そうか、もうすぐ昼時だ。アルディナ様は、何か食べられそうかな。


「おい、あんまり巫女周りの事情に首突っ込むなよ」

 玄関の扉を閉めるなり、エリオットさんはつっけんどんな忠告を寄こした。

「すみません、出しゃばるつもりでは……」

「そうじゃなくて。お前、あいつに気に入られたぞ」

「あいつって?」

「シズルだよ、今話してたんだ、分かるだろ」

 むっ。空気読めないみたいな言い方はちょっと納得できないぞ。これでも私は、人一倍場の雰囲気に敏感であると自負している。

「シズルさんに気に入られるほど、会話した覚えすらないんですけど」

「この間の夕食の時だろうな。……お前、やっぱりどこか普通じゃないし」

「し、失礼な。私ってそんなに変ですか?」

「変、じゃなくて、ただの平民っぽくないって意味だよ。お前が突然巫女巡礼に現れたのにも、何か重大な意味があるように思えてくる。恐らく皆、今じゃ同じ気持ちだ」

 何だって! そんな、勝手に意味あり気な存在に仕立て上げないでほしい!

 私自身、何のためにここにいるのか全く分かっていないというのに。

「だからシズルの奴も、わざとお前に色々情報与えて様子を見ようとしてるんだ。巻き込まれたくなけりゃ、何も言わずに大人しくやり過ごすこった」

 もちろん、できる限り穏便にやり過ごしたい所存である。

 私は唇を引き結び、こくこくと頷いた。


「――で? 実際はどうなんだよ」


 なんですと?

 私はちらりと隣のエリオットさんに視線を送った。

「お前はどういう存在なんだ?」

「……」

 何も言わずに大人しくしていろ、と言ったその口でする質問ではないと思うのだが。

 さてどう答えたものか、と逡巡する。

 その時だった。


「二人とも、ここにいたのか」


 私達の後ろから声がかけられた。

 声の主は――ノエルである。


 振り返り、久しぶりに彼の姿を認めた。

 どうやらノエルは一人のようだ。にこりともせず、こちらへと歩み寄ってくる。


 ――何故だろう、ノエルが非常に不機嫌そうだ。


 ほら見たか、エリオットさんめ。この通り、私は一瞬で空気を読める女なのだ。

 そう言って胸を張りたいところだったが、隣のエリオットさんも、ノエルが苛立っていることはすでに感じ取っていたらしい。無言でぴんと背筋を伸ばし、息をつめつつ彼の視線を受け止めていた。


「二人の姿が見えないと思っていたが」

「ノエル様こそ……どうしてここに?」

 私は、探るように問いかけた。

 ああ、このピリピリとした嫌な雰囲気。

 やっとノエルと真正面から顔を合わせることができたっていうのに、腹を割って話すこともままならない。 

「アルディナ様の様子を見てきた帰りだが」

「アルディナ様は……」

「問題ない。今日一日休めば、よくなられるだろう」

「そっかあ、よかった」

 ほっと胸をなで下ろしていると、隣のエリオットさんが一歩前に進み出た。

「ノエル様、俺達をお探しでしたか?」

「……いや、そういうわけではないが」

「勝手に出歩き申し訳ありません。庭で少し話をしていました。この後は、居間で待機しておりますので」

 軽く頭を下げると、行くぞ、とエリオットさんが私を促した。

 え、ああ、エリオットさんと一緒に立ち去った方がいいのか。

 居間へ続く扉に手をかけたエリオットさんに続こうと、彼の背中に歩み寄ろうとした私だったが――その腕を、ノエルに取られた。


 えっ、何!?

 引き寄せられて、ぽかんとノエルを仰ぎ見ると、彼の視線は私ではなくエリオットさんを射抜いている。エリオットさんはと言えば、彼も驚いて私とノエルを交互に見やっていた。そりゃそうだ。


「エリオット、君は巫女巡礼を取り巻く今の状況をよく理解しているようだが」

「――」

「だからこそ、こいつのことに、必要以上に立ち入るなよ」


 ノエルの突き放すような物言いに、私の方がぎくりとした。

 ――ノエル、多分、私達のさっきの会話を聞いていたんだ。

 だから、私と、何よりエリオットさんを警戒している。

 

 でも、ちょっと待ってよ。なにも、そんな喧嘩腰で言うことはないでしょう。おまけに、ノエルの騎士らしくない素の性格がちょっと出ちゃってるし。

 それに、だ。

 エリオットさんはちゃんと正しく職務を全うしてくれている。

 むしろ、私のことを気にかけて、親切にしてくれているといってもいい。それは監視というだけじゃなくて、きっと親切心からくるものだ。だからと言って、むやみに私を詮索してくるようなこともなかった。

 今のは、初めて、ほんの少しだけ、深い質問を投げかけてきただけで。なのに、まるで興味本位であれこれ聞き漁っているとでも言いたげなノエルの台詞には納得できない。


 むっとノエルを睨みつけると、彼は小さく溜め息をついた。

「何も言うな、分かってる」

 分かってるって、何が。

 憮然としたまま、でも何を言えばいいのか分からず、ただ黙ってノエルを見上げていると、向こうは向こうで苦虫を噛み潰したような顔を見せた。挙句、自分で私を引きとめたくせに、今度は背中を押して向こうへ行けと促してくる。何なんだ、ありえん!


「明日にはこの町を発つことになる。その心積もりで、二人も準備しておいてくれ」

「ちょっと……」

「分かりました」

 エリオットさんはさすがだ、ノエルの意味の分からない絡みっぷりも華麗にスルーしてあげている。

 そして、今度は私を促すことなく、一人で居間へ移動していった。

 仕方なく、私も改めてエリオットさんの後を追うことにする。ノエルと色々話したいことはあるけれど、今話すと喧嘩になってしまいそうだ。それに、どこで誰に見られているか分からないし。……特に、シズルさん辺りとか。


「悪い」

 去り際、ノエルがそう呟いたのが耳に入った。

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[気になる点] シズルさんが一箇所シルズさんに。。
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