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42.少々語ってしまいました

 その後の旅路は順調だった。

 まあ、私のような闖入者が現れさえしなければ、そもそも順調に行かないはずがなかったのだろう。


 程なくして辿り着いたカロムトは、くすんだ色の壁と、鉛にも似た沈んだ色の石畳に囲まれて、どこか陰鬱さを感じさせる町だった。

 といっても、特別何があったというわけではなく、ここはもともとそういう町なのである。以前私がやって来た時と、寸分違わぬこの空気。何だか懐かしく、そして何故か落ち着く。陰鬱だなんて言い方をしたけれど、この町には、不思議と心を穏やかにしてくれる包容力のようなものがある。

 そんなわけで、私はこの町が好きだった。


 一行は、町に着くなりまずは教会へと向かった。

 背の高い見張り台を備えるこの街の教会は、遠くからでも一目でそれと分かる。私は馬車に揺られながら、窓から覗く尖塔がだんだん近づいて来るのをぼんやりと眺めていた。


 ようやく教会の膝もとまでやって来ると、にわかに場は慌ただしくなった。

 巫女様を迎え入れるため、教会の人々がわらわらと動きまわっている。もちろん一行の警備兵や世話係の皆も忙しいのは同じである。私だけは、余計な行動をとるなときつく言い渡されていたため、ご命令の通り、馬車を下りた後は邪魔にならない適度な端っこでただ佇んでいた。


 間近に迫る教会を見上げてみる。

 くすんだ石の壁を這う無数の蔦は、長年そのままにされているらしい。かろうじて窓だけがぽっかりと口を開けているのが、何だかホラーのようだなどと思った。


「アルディナ様、ようこそお越しくださいました」


 カロムト教会で一番偉いであろう司教様が、両手を広げながらアルディナ様を歓迎した。アルディナ様はといえば、ノエルの手を借りながら悠然と馬車を下り立ち、輝くような微笑みで教会の歓待に応えている。それだけで、沈んだ町の色が一気に華やぐというものだ。すごいなあ、さすがアルディナ様だ。


「皆様、お忙しい中、こうしてお出迎え頂きありがとうございます」

 そっと瞳を伏せて感謝の言葉を述べたアルディナ様の美しさに、ほうっと周りから溜め息が漏れた。すっかり彼女に魅了され、教会の面々はただその場に立ちつくしてしまっている。そんな彼らに渇を入れるべく、アルディナ様の隣に控えていたノエルが動いた。

「アルディナ様は長旅でお疲れです。しかし、まずはこちらの教会で神に祈りをというアルディナ様の強いご希望で立ち寄らせて頂きました。早速中へご案内頂いても?」

「し、失礼いたしました。願ってもないことでございます。さあ、どうぞこちらへ」


 気を取り直したらしい司教様達に案内されて、アルディナ様一行は教会の中へと立ち入った。

 もしや私は外での留守番を言い渡されるのではないかと思ったが、私一人を放置しておく方が後々厄介なことになるかもしれないと判断したらしく、皆と一緒に中へ入ることを許された。


 久々に足を踏み入れた教会内は、やはり以前と変わらぬ厳かな空気に満ち満ちていた。

 アルディナ様の巡礼は事前に通知されていたようで、一般の礼拝者の姿は見えない。人気ひとけのない教会の中で、がらんとした高い高い天井を見上げながら、私は密かに息を漏らした。

 王宮の教会には華やかな天井画などが施されていたけれど、こちらはとことん質素である。質素と言えど、石に刻まれた彫刻の緻密さと繊細さは舌を巻くほどではあるのだが、しかし色使いなどはひたすら地味を貫いている。

 ぽかんと口を開けて教会の造りに見惚れていると、皆から一歩遅れてしまった。見かねたらしいエリオットさんに何度か腕を小突かれながら、私はそそくさと一行の最後尾を引き受けた。


 一見、ごく普通の教会である。

 『聖域』は一般の人々には公開されない。

 この教会の場合、ちょうど表の祭壇の裏側に『聖域』が備えられていたはずだ。すなわち、神の御手を表す壺と、『気脈』を表す水の流れ。そのセットが、人知れず奉られているのである。


 以前私が巫女だった頃は、この教会に一歩踏み込んだ時点で、とてつもない『気脈』の勢いに圧倒されたものである。それこそ波が押し寄せるように、私へと迫る聖なる流れ――。その中に身を委ねれば、何もかもがどうでもよくなってしまうような。ある意味、この『聖域』というところは、麻薬的な恐ろしさも兼ね備えた場所と言えるかもしれない。


 さて、そんな『聖域』が目前に迫りつつある中で、今の私はといえば、まるで感じるところもなく、ただの観光客と化していた。

 完全に、普通の教会である。質素ながらも厳かな祭壇の向こう側に、よもや『聖域』がましましているとは到底思われない。――何も、感じないのだ。


 今や私は、本当にただの小娘でしかあり得ないのだった。


 アルディナ様は、巫女の座について以来、『気脈』の乱れを察知することができずにいるという。

 今の私も同じだ。もし私の中にかろうじてでも神力の欠片が残っていて、それでもって『気』の乱れを指摘してあげることができればいいのだけれど、そうはいかない。私はやっぱり、もはやただの女子高生だ。この巫女巡礼の一行の中では、完全なるお荷物でしかないのである。


「どうぞこちらへお進みください。……お付きの皆様は、申し訳ございませんが、この場でお待ちいただけますでしょうか」

 司教は申し訳なさそうに私達へ向かって断りを入れた。『聖域』のある教会の裏手へと進んでいったのは、アルディナ様にノエル、レイバーンさんとその補佐神官、そしてソティーニさんである。


 言われるがままに、残された私達は手前の椅子に各々腰掛けた。


 ひとまず今日は『気脈』うんぬんではなく、単純に神様へのご挨拶という意味合いで祈りを捧げるだけのようだから、そう長くはかからないだろう。


 巫女巡礼の一行は、待っている間、誰も口を開かなかった。

 普段は皆それなりに(私に対してでなければ)フレンドリーにやっているようなのだが、この時ばかりは世間話を持ちかけるような人はいないようだ。さすがに、『聖域』を有する教会内で、雑談に花を咲かせる気にはなれないのか。


 思ったよりも短い時間でアルディナ様達は戻ってきた。

 司教と談笑などしているから、特段問題は起こらなかったらしい。

 が、裏を返せば、『気脈』の乱れを感じ取ったというわけでもないようだ。


 私達は、やって来た時と同じように、今度は司教達に見送られて教会を後にした。


・   ・   ・   ・


「今度こそは、来てくれるといいですよねえ」

 夕食時、クインさんはスープを口に運びながら私にそう話しかけた。


 ここは、カロムトの街でお世話になる宿の食堂である。


 昨日まで滞在していた宿と同じく、小奇麗だがそれほど大きくはない宿泊施設だ。

 どうやら教会との繋がりもあるらしく、石の壁がひんやりと冷たい、かなり素朴な宿だった。もちろん、巫女のために用意された部屋はもうちょっと華やかに仕立て上げられている。それは過去、巫女としてこの宿に立ち寄った時に経験済みだ。


 食堂も、昨日までは警備の男性陣と世話係の女性陣とで別々の場所が用意されていたのだが、ここでは一室に皆揃ってという形である。私は相変わらず存在感を消しながら、端の方でパンをちぎって口へと運んでいるところだった。


 クインさんは、そんな私に付き合って、部屋の端のテーブルに座ってくれている。

「来る、というと?」

 向かいの彼女に小首を傾げると、クインさんはひょいと肩をすくめた。

「だから、あれですよ。きっちり正したいあれが、ここだといいなって」

 ああなるほど、『気脈』の乱れのことか。

 やっと合点が行った私は、そうですねと頷いておいた。

 ダイレクトに口にすることは避けているクインさんだが、人目をそれほど憚ってもいないようなので、この場にいる全員が今回の事情をある程度知っているのだろうと思われた。


「明日から、早速アルディナ様は教会に篭られるんですかね?」

「そうでしょうね。すぐに対処できれば、一日とかからないはずなんですけど」

 クインさんが難しい顔のままそう呟く。その表情から、うまく対処できるかは微妙なのだと見てとれた。


「アルディナ様だって、普通の人だ。過度な期待をかけ過ぎるだけ酷だろう」

 いつの間にやら、エリオットさんが私達のところへやって来て、私の隣にどかりと腰を下ろした。う、と若干引き気味になったことは、本人に悟られていなければいいのだが。私はどうも、エリオットさんが苦手なようである。


「まあ、確かにそうかもしれないけど、でも、期待するなって方が無理でしょう? こればかりは、アルディナ様にしか対処頂けないことなんだから」

 クインさんは、むっつりとした表情を一切緩めず――むしろより厳しいものにして――エリオットさんに返答した。

「どうしようもない、か。確かにその通りなのかもしれないが……」

「なによ、そのもったいぶった態度は」

 うおお、クインさんとエリオットさんて、もしかしてあまり仲が良くないのだろうか。


「アルディナ様に頼りっぱなしっていう方向性に疑問があるってことだろ、なぁエリオット」

 不意に割って入ったのは、野太く低い聞きなれぬ男性の声だった。

 振り返ると、坊主頭で筋肉がっちりな男性が、ワイルドに肉を口へ放り込んだところだった。この人はガンヌさんと言って、今回の警備兵のまとめ役のような立場にあるらしい。ちなみに、間違いなくセナさんの好みのタイプである。

「あんな可憐な双肩に国の大事を一任しようなんざ、全くひどい話だぜ。アルディナ様の調子が優れないってんなら、他の人間がどうにか支えてやらなきゃならんだろ」

「支えるっていうんなら、ノエル様がいるじゃない」

 クインさんが口を尖らせつつ反論する。

「ノエル様がアルディナ様の心の支えよ。だからこそ、アルディナ様はきっと頑張れるんだわ」

「確かに、あの人は凄いけどな。前の巫女の時もそうだった」

 エリオットさんの呟きに、私は鼓動が一際大きく波打つのを感じた。

「なかなかこの世界に馴染めなかった前巫女がしっかり責務を全うできたのも、ノエル様の支えがあってこそだったって話だしな。今のアルディナ様だって、あの人がいなけりゃとっくに逃げ出していたかもしれない」


「逃げ出していたなんて、とんでもないことですっ」

 それまで黙って成り行きを見守っていたアルディナ様の世話係の一人、ナタリエさんが、エリオットさんに食ってかかった。

「アルディナ様はとっても強いお方ですもの。アルディナ様が巫女様としてご活躍なさっているのは、ノエル様のお力添えとはまた別の問題です。それを、何ですか! 一人では何もできないとでもいうような言い草!」

「いや、そういうつもりじゃないんだが……」

 何だか雲行くが怪しくなってきたぞ。


「あんたはどう思うんだい。一般市民のくせに、やたらと事情に明るいと噂のそこのあんたは?」


 また別の警備兵、シズルさんが、突然私に話題を振ってきた。

 ――って、ええ、私!?


「え、いや、あの……」

 しどろもどろになって、私は言葉を濁した。

「その、アルディナ様は、凄い人だと思いますが、はい」

 ……小学生の感想文でも、もうちょっと豊富な語彙が見られるに違いない。


「凄いって?」

 シズルさんはなおも私に意見を強要してきた。

 ここまでで彼とはほとんど話してこなかったのに、なぜ今この場面で食いついてくるのだ!


「ええと」

 私は観念して、自分の中にある気持ちをどうにか言葉に変えようと頭を巡らせた。

「……アルディナ様の笑顔って、いつも輝いているなあと、思って」

「笑顔?」

 シズルさんは怪訝な表情を私に向ける。

「はい。誰かに微笑みを向ける時、アルディナ様は、必ず心からの祝福を込めていますよね。だからこその、輝きなんだろうなって。……もし私が巫女だったら、きっと、そうはできないと思います。知らない人達に向けて、その人の幸せを心から願って微笑みかけるなんて。しかも、いつでもですよ? 疲れて愛想笑いになっちゃいます、絶対」

「アルディナ様の笑顔か。確かに女神の微笑みのように慈愛に充ち溢れているよなあ」

 坊主頭のガンヌさんが、うんうんと頷いてくれた。

「アルディナ様は、きっといつでも全力なんだと思います。頼まれたから何となく巫女をやっているのではなくて、心から、皆のために頑張ってる。私には、見習いたいけどとても見習いきれない。本当に凄い人です。ノエル様の存在は確かに大きいと思うけど、今のアルディナ様の在り方は、アルディナ様ご自身の心根があってこそなんだと思います」

「そうなんです、その通りですわ!」

 世話係のナタリエさんは、興奮気味に立ち上がり、私の側まですっ飛んできて両手を握りしめてくれた。


 しかし、自分で言っていて自分にぐさぐさと刺さるものがある。

 私って、素晴らしい巫女なんかじゃ全然なかったよな、やっぱり。

 ……というか、素晴らしい巫女になんて、なれなかった。


 突然呼び出されて、なりたくもない巫女にならされて、知らない土地の知らない人達のために自分から頑張ろうとはどうしても思えなかった。逆に言えば、(無理やり召喚されたという以外に)恨みがあるわけでもなかったから、言われるがままに、一応責務は果たしたけれど。

 それはそれで仕方がない、という気もする。


 でも、今の私だったらどうなのか。

 定食屋のご主人達や、セナさん、常連客の皆さん、それにご近所の友人達がいて。魔術研究所のコリーさんにルーナさん。訓練場の兵士の皆にも随分良くしてもらった。そういう人達のために頑張りたいって、今ならきっと、私になりにそう思えたことだろう。


 以前の私は、ここでそういう大切な人を作ろうとはしていなかったんだよな。

 唯一心を許したノエルにべったりくっついていただけで。

 そうして見えない殻に閉じこもっていた私は、でも、そうすることで自分の心を護っていたのかもしれない。


 アルディナ様はどうなのだろう。

 どこまでが彼女の意思で、どこからが“そうさせられている”のか分からない。

 全力で、心から、巫女として頑張っている彼女が――自分の心を労わってあげられる時間や場所がどこにあるのか。それはノエルの隣で過ごす一時なのか。それならばいいけれど。


「強いアルディナ様は一人でも頑張ってしまうんでしょうが、そんな彼女だからこそ、弱いところを見せられる人が一人でも多くいればいいですよね。……エリオットさんもガンヌさんも、つまり、そういうことが言いたかったんですよね?」


 ぽつりと呟くと、エリオットさんとガンヌさんは顔を見合わせた。

 まあそうだな、とガンヌさんが笑いながら頷く。


 ……あああ、何だか語り過ぎてしまった。

 恥ずかしい!


 私は再びパンをちぎって口へ運ぶ作業を再開した。

 口の中いっぱいにパンを詰め込んだから、もう何も喋れないぞ。


 照れ隠しにそんな馬鹿な抵抗を試みていた私は、その晩、食べ過ぎで夜通しうなされることになったのだった。

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