41.旅路は楽しく行きましょう
今回の巫女巡礼の参加人数は、全部で十三名だ。
巫女のアルディナ様をはじめとして、護衛騎士のノエル、筆頭巫女女官のソティーニさん、神官長代理のレイバーンさんの三本柱。その下に、レイバーンさんの補佐神官が一名、巫女世話役の女性達が三名、警備兵が五名という構成である。
もう少し厳密に言えば、私の登場と暴漢警備兵の退場で、巫女世話役が四名、警備兵が四名に人数が入れ替わった形になっている。貴重な警備兵が私のせいで一人減り……いや、もういいか。
この全体像を確認して、ぴんとくるものがあった。
十三という数字。私のなけなしの記憶を辿れば、この数字には宗教的な意味合いがあったはずだ。巫女様とそのお付きの者十二名というのは、古くからの伝承で、何だか忘れてしまったけれどとにかく重要らしいのである。キリスト教の十二使徒みたいだなあと思った記憶があるから、勘違いではないと思う。
暴漢警備兵が追い出された代わりに私が(苦渋の選択ながらに)受け入れられたのも、この十三という数字を崩したくなかったからなのかな、という気がした。
そして向かう先は、クインさんが言っていた通り、カロムトの教会。
その後はスミナーゼとテナンヤの教会も回るコースで、これらは王都から見ると西側に位置する三教会だ。一気に八教会全てを回るとなると二か月近くかかってしまうらしいが、そんなに長く巫女が王宮を離れるわけにはいかないということで、比較的固まっている三教会が選ばれたのだろう。
予定では、二週間ほどで王都へ戻ることになっているそうで、私が現れたのは旅の三日目である。
今回の巡礼では、アルディナ様の希望もあって、途中の街にもなるべく滞在して各教会へ顔を出すということだった。本当は最初の目的地であるカロムトの教会までは、急いで行けば二日で到着するところ、そういうわけで、ややゆったりしたペースで旅は進行していた。
・ ・ ・ ・
私の仕事は、レイバーンさんに言われていた通り、いわゆる下働きだ。
と言っても、巫女世話役の仕事といえば、アルディナ様のすぐ側で身の回りの手伝いをすることだったから、彼女に一切近寄らせてもらえない私にできることはごく限られている。
部屋の掃除も衣服の洗濯も宿の人がやってくれるわけで、食事の毒見ですら、私では毒見にならないと役目を外されている状況なのだ。悪い意味で、私の仕事はほとんど免除されていた。
そんなある種の特別待遇の上で胡坐をかいていられるほど、私の神経は図太くない。仕方がないので、アルディナ様というよりその他のメンバーに関する雑用を自主的に見つけ出しては引き受けているというところだった。例えば、誰かの上着の取れかかったボタンをつけ直したり、儀式のために王宮から持ち出した備品類を磨いたり。
今は、兵士達の靴をせっせと磨いているところだった。
そんな私を、当の兵士達は遠巻きに眺めている。全く近寄ってこようとはしない。
アルディナ様と会うことが叶わないのはもちろんなのだが、実際のところ、私と関わりを持ってくれるのは、むしろクインさんくらいのものだった。まあ、どこの馬の骨とも分からない小娘と仲良くしようだなんて気にはなれないのも当然だろう。
(くー、この微妙な汚れがとれないっ)
孤独に靴の汚れと向き合う、夕暮れ時。
アルディナ様は今、湯浴みをしているらしい。こういう時は、腕っ節の立つ女性騎士見習いであるクインさんが護衛兼お世話に駆り出される。その間に私を一人放置しておくのは危険ということで、遠巻きながらも兵士の何人かが視界に入る範囲でうろうろしているようだった。
いやしかし、久しぶりの労働はなかなか楽しい。
大したことはしていないけれど、オトゥランドさんの屋敷でお嬢様のごとく扱われていた時よりも個人的には充実している気がする。人間、働かなければ駄目になるのだ。
(定食屋の皆、どうしてるかな)
不意にご主人達を思い出して、私は手を止めた。
オトゥランドさんのところへ連れていかれてから今日まで、随分と時が経ってしまっている。
しかも、いつの間にやら巫女巡礼に参加することにもなってしまったから、少なくともあと二週間近くは王都にすら帰れない。もはや、完全に定食屋での私の居場所がなくなってしまいそうだ。
ああ、そういえば、私が屋敷から姿を消して、オトゥランドさんはどうしただろうか。
召喚師のルーノさんから、私のことについてきちんと説明を受けているといいのだが。しかしあのルーノさんのことだから、なんの説明もなくさっさと帰ってしまったような気がしないでもない。オトゥランドさん、フラハムティ様あたりから罰を受けていなければいいなあ……。
「おい、人の靴に、何か呪いをかけてるんじゃないだろうな」
両手に靴を抱えたままでぼんやりしていたら、後ろから声をかけられた。
振り返ると、警備兵Aが立っている。彼は、最初の晩に私をレイバーンさんの部屋から連行した兵士のうちの一人だった。あ、これ、この人の靴だったのね。
かけられた言葉は嫌味そのものだったが、彼の表情には、どこかばつの悪そうな色が浮かんでいたので、私は私で戸惑ってしまった。
「あの、ええと、どうもすみません」
「別に、ただ磨いているだけなら構わないが……」
「頑固な汚れがなかなかとれなくて」
もう少しちゃんと靴の手入れした方がいいですよ、と言いかけて、それは止めておいた。
「……その、なんだ。すまなかったな、あの晩は」
突然独り言のように呟かれて、私は目を瞬く。
「聞けば、事情は分からんが、あんたは無理やり連れられただけの一般人らしいし。俺と一緒にあんたを馬小屋に連れて行った奴に関しては、本当に……何というか」
これが世にいうツンデレというやつだろうか。ちょっと違うか。でも、この兵士は恐らく二十半ばくらいの年齢だろうが、こうしてもごもごしているともっと若く見えてくる。
「謝ってもらうようなことではないですから」
というか、この警備兵Aの方は全く何もしていない。私も、逆恨みをするほど子供ではないつもりだ。
「まあ、紛らわしい登場の仕方をしたお前も悪かったわけだしな。そういうことで、いいか、この件はもう謝ったからな」
「はい、どうも」
何だかちょっと面白くなってしまって、吹きだしそうなところをどうにか堪える。本人は至極真面目に謝ってくれているようだから、茶化すような態度はまずい。
微妙に笑った顔で頭を下げると、それで警備兵Aは去っていった。
・ ・ ・ ・
「へえ、あれも意外と素直なところがあるんですね」
夜、部屋でそれぞれベッドに寝転がっていた私とクインさんは、いちごジュースのようなものを片手に、一日の終わりを労う女子会を開催していた。
クインさんは私と違って色々仕事があるらしく、一日中忙しそうにしている。暇人そのものの私は申し訳ないなあと思うけれど、クインさんは全く気にしなくていいと言ってくれる。いい人だ。
「あの人のこと、よく知っているんですか?」
「よく、というほどじゃないですけど、同じ巫女巡礼の一員ですしね。それ以前も、仕事上で何度か顔を合わせたこともありますし。エリオットと言って、まあ一応、そこそこの仕事は出来る男です。無愛想ですが、女性に手を上げたりするような男ではないので安心して下さい」
「そうなんですか」
確かにそういう心配はなさそうだったので、素直に頷いておく。
「エリオットも、気にしていたんですかねえ、自分が馬小屋を離れてしまったこと」
「……」
「あの、ハルカさん」
急にクインさんがベッドから起き上がって、体をこちらへと向けた。
「あの晩にですね、もし何かあったのだとしたら、言って下さいね。ノエル様には言いづらいことでも、私だったら女同士ですし。どうか一人で抱え込んだりしないで下さいね」
「クインさん」
もしかして、あの晩から今日までの数日間、ずっとそのことを気にしてくれていたのだろうか。はっきり言って私自身は、もうほとんどあの時の出来事なんて頭から抜けていたのに。
「大丈夫です。本当に全然何もなかったので。すぐにノエル……様が来て下さったから」
「だったらいいんですけど」
クインさんは頷きながら、ジュースに口をつけた。
「ノエル様も、かなり気にしていらっしゃるようでした。馬小屋の件もですが、この数日のハルカさんの様子についても、よく聞かれるんですよ。……お二人は、以前からのお知合いなんですよね。ノエル様があれほど気にかけるような女性は、アルディナ様以外なかなかいらっしゃらないと思っていたんですが、その辺りは」
好奇心をどうにか押し隠そうとしながら、それでも隠しきれていないワクワク感と共に、クインさんは私に尋ねてきた。
うーむ、困った。何と答えたものか。
ノエルがクインさんにどこまで事情を話してあるのか確認できていない以上、私が下手なことを話してしまってはまずい。
「ええーっと、その。知り合いといっても顔見知り程度というか……。多分、平民で何の取り柄もない私が巫女巡礼に紛れてしまったので、それで随分気にして下さっているのかと……」
あはは、と苦笑いで誤魔化しておく。どこにも笑いどころがないはずの私の空笑いに、クインさんは親切にも誤魔化されてくれた。そうですか、と頷くだけで、それ以上は追及してこない。
私が何者かというのもそうだけれど、ノエルと一体どういう関係なのかというところも、多分皆が気にしているのだろうなあ。
ちなみに、ノエルとはあの晩以来会えていない。
彼が忙しそうに立ち回っているのを遠目に見かけることはあるのだが、二人きりで会話をするなど夢のまた夢という状況なのだ。物理的な距離は定食屋の頃からすれば随分と縮まったが、立場の差は相変わらずである。
これからのことについても、何の相談もできていない。
私は一体、この旅の中で何をするべきなのか。ノエルに聞いても困らせるだけなのは分かっているけれど、一人で今後のことを考えるのは不安で仕方がなかった。ノエルが話を聞いてくれたら、一緒にこの先のことを考えてくれたらと、つい思ってしまうのだ。
……よくないことだ。こうやって、なし崩しにどんどん彼に頼るようになってしまうのかもしれない。
(でも私、本当にこれからどうしよう)
ひとまずは、巡礼が無事終わるのを見届けるしかないだろうか。
もし『気脈』の乱れた教会が判明し、それを整えることができたなら。そうすれば、アルディナ様やレイバーンさんの気持ちも落ち着くだろうし、私が元巫女だという話を打ち明けても、聞き入れてもらえる余地が生まれるかもしれない。
「だろう」「かもしれない」と仮定ばかりの自分にうんざりする。
先の見えない未来も不安だし、おぼつかない今の立場もとても不安だ。
一か月後、私はどんな状況にいるのだろうか。想像しようとしてみたけれど、何も思い浮かばなかった。
・ ・ ・ ・
その次の朝は、雲ひとつない晴天だった。
ここ最近の落ち着かない天気は相変わらずで、夜中には大雨が降っていたようだったのだが、夜明けと共にすっきりと晴れてくれてよかった。
今日はいよいよ最初の教会のあるカロムトの街へ到着する予定だ。
早朝から、荷馬車へ旅の荷物を運び入れる。
こういう時こそ、下働きの私の出番だ。
アルディナ様の身の回りのものなど、警備兵が触れるのには躊躇してしまうような品々を引き受けて、馬車と宿を何度も往復する。他ではほとんど役に立っていない身としては、俄然気合いが入るというものだ。
アルディナ様の私物はほとんどなかったけれど、衣装だけはかなりの量があった。私の時も、旅先にもかかわらずほとんど毎日違う衣装を着せてもらっていたから、これはもう巫女としての仕事の一つなのだろう。洗い回して三日に一回くらい同じ服を着てもいいと思うのだけれど。
衣装の入った大きな籠を抱え上げ、宿の玄関を出た時だった。
玄関からわずかに覗く中庭に人影が見える。
――アルディナ様と、ノエルだ。
二人は庭の草花を見ながら談笑しているようだった。
美しい庭に、見目のいい若い男女が二人きり。……文句なく、絵になる構図である。
アルディナ様を見かけるのは随分と久し振りのことだった。ここからでは彼女の後ろ姿しか見えないが、ゆったりと結いあげた金の髪は朝の陽ざしに照らされキラキラと輝いて、まるで花の妖精のようだ。
彼女よりも頭一つ分ほど背の高いノエルは、そんなアルディナ様に穏やかな視線を落としている。巫女時代の私に向けていた視線といえば、大体が呆れたり怒ったり、そんなのばかりだったくせに。とまあ、ちょっと僻んでしまったりもしながら、私はぼんやり二人の姿を眺めていた。
「おい、持ってやる」
はっと気付くと、手の中が空っぽになっていた。
中庭に向けていた視線を戻すと、いつの間にやら警備兵Aもといエリオットさんが側にいて、私から小物類の入った大きな籠を引きとってくれたところだった。
「あ、すみません。大丈夫ですよ、運びます」
「一人で何度も馬車と宿を往復しているだろう。少し休めばいい」
「いえいえ、ただ飯食らい同然の身としては、こういう時くらいお役に立ちたいですし」
「女のする仕事じゃないだろ」
「別に鉛をかついでるわけじゃないですし、本当に大丈夫ですって」
「可愛げのない女だな。素直に引き下がればいいものを」
「でもっ、私の仕事が……」
「何でそんなに働きたがるんだよ、変な奴」
「私の故郷には、『働かざる者食うべからず』という格言があってですねえ」
わあわあと実にくだらない言葉の応酬を交わしながら、ふと中庭の方を見やると、なんとノエルとアルディナ様がこちらの様子を伺っていることに気づいてしまった。私の表情が固まったところでエリオットさんもようやく状況を把握し、一瞬口を引き結ぶ。
「……とにかく、これは俺が運んでおく」
それだけ言うと、エリオットさんはさっさと歩いて行ってしまった。
あああ、どうしよう、私も何事もなかったかのように立ち去っていいのだろうか。それとも、ノエルやアルディナ様の視線に気づいていながら無視をするのはまずいのか? 分からない。
仕方なく、私は二人に向かってへこへこと頭を下げ、慌ててエリオットさんの後を追いかけたのだった。