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38.不法侵入者のレッテルを貼られました

 鈍い衝撃が私の体を襲った。


 目の前がぐるぐると回る。

 着地した先が肌触りのよい柔らかな「何か」だったことに甘え、私はしばしうずくまったまま目まいに耐えていた。


 うう、ひどい。ひどすぎるよルーノさん。

 どうしてこんな乱暴な転移の仕方を取ったのだ。術の完璧さとその顔の良さだけが取り柄のルーノさんらしくもないじゃないか。


 ひいひい言いながらも、私はようやく落ち着きを取り戻し始める。

 呻きながらゆっくりと目を開くと、視界に広がったのは、真っ白な――シーツだった。


 私はベッドの上に転がっていたのである。


 あれ、と首をひねった。

 周囲を見渡すと、そこは小奇麗に整えられた無人の部屋だった。

 オトゥランドさんに与えられていたあの部屋よりもだいぶ小さく、備えられた家具などにも個性がない。が、掃除などの手入れは十分に行き届いており、居心地はとても良さそうだった。


 ここはどこだろう。


 全く身に覚えがない。

 ルーノさんが飛ばしそうな場所に見当もつかない。

 とりあえず、誰かの私室なのだろうから、そんな場所に勝手に入り込んではまずそうだ。


 私はふらついた足取りでベッドを下りようとした。


 ――が、その時には、判断の何もかもがすでに手遅れだったようだ。


 突如部屋の扉が開かれた。

 あっと思って顔を上げると、扉の向こうに姿を現したのは見憶えのある男性である。

 私は驚きのあまりその場に固まった。

 だが、私よりもよほど相手の方が驚いたことだろう。


 彼は、アルディナ様付きの神官だった。

 名前は確か、レイバーンだったはず。私とノエルが神官の居住区を歩いていた時にはち合わせた男性で――私がかつて巫女をやっていた時にも面識のあった相手である。


 え、ということは、ここは神官の居住区なのだろうか?


 しばらくは、お互い呆けた顔をして固まっていたと思う。

 次に動いたのはレイバーンさんの方だった。

 彼はさっと表情を引き締めると、無言で部屋へ入り、後ろ手に扉を閉めた。そしてそのまま彼の右手が持ち上げられ――


「痛いっ! いた、いたーーーい!!」


 私は思わず悲鳴を上げた。

 目に見えない力で、全身が絞り上げられたのである。


「ちょっ、まっ、や、止めて下さい!!」

「お前は弁当屋の娘だな」

 レイバーンさんは、冷たい声で囁いた。

「以前居住区の廊下ですれ違ったことがある。……だが、あの時からどこかで会ったことがあるような気がしてならなかったんだ。お前は単なる弁当屋の店員ではなく、常に我々の側に入り込み、我々を見張る諜者だったのだな。さあ、どこの諜者だ、言え」

「いたっ、痛いっ、死ぬ!」

「言わねば更なる苦痛を味わうことになるぞ」

 レイバーンさんの魔術による攻撃には、全くもって容赦がなかった。


 何だこれ、何だこれ。急展開過ぎる。何が起こっているのだ。


 きりきりと締めつけられる苦しさに、私はまともに喋ることもできなかった。疑問符だけがいくつも頭の上を飛び回る。例え、彼の言葉に応えてあることないこと何でも白状しようとしていたって、これじゃあ会話もできやしない。


「ちょっと、止めて、術を解いて!」

「……ふん」

 涙声で訴えると、ようやく体を締め付ける力が弱まった。それでも手足は自由に動かせないから、完全に術を解いてくれたわけではないようだ。


 ルーノさん! 数年ぶりの再開で、なんてところに私を飛ばしてくれたのだ。


 肩で荒い息をしながらベッドに横たわっていると、つかつかとレイバーンさんが歩み寄ってきた。冷ややかな目で私を見下ろし、軽く溜め息をつく。

「まさかお前ごときが色を仕掛けようとしたわけではあるまいな?」

 色? 色って何、あ、そっち方面のこと?

 いやいやいや、変な方向に解釈しないでほしい。

 確かに夜更けに私室のベッドで若い女が転がっていたら、誰だってそういう方面を想像してしまうところだが。でも、私だって自分のレベルくらいは承知している。って、そうじゃなくて。

「私、全くもって、そういうつもりじゃありません!」

「ならば何だ。簡潔に言え」

「や、あの、私も、何が何だか、状況が分からなくて……っ」

「誤魔化そうというのならそれでも構わないが」

 ぎゃあ、また魔術の拘束が強まってきた! 勘弁してくれ!


「わっ、私、移転の術でここへ飛ばされたんです! それ以外のことは、よく分かりません!」

 うまく言い繕う術も分からない。

 あるがままを懸命に訴えたが、レイバーンさんの心にはまるで届かなかったようだ。

「巫女様の滞在される宿ということで、蟻一匹さえ通さぬほどの結界が張られているのだ。移転の術などで入り込めるはずがない。どうせならば、もっと身のためになる嘘をついたらどうだ?」

 レイバーンさんは私の肩を乱暴に掴むと、ぐいと力を込めて私を仰向けに転がした。そのまま射抜くような視線で私の顔を覗き込むと、右手を私の首へと伸ばしてくる。


 やばい! この人、やばい人だ!

 本当に神官なの!?


 眼差しと同じく冷えた彼の指先に、力がこめられた。

 息苦しさと――何よりも、あまりの恐怖で、私は全く声が出せなかった。

 歯の根が合わず、かちかちと耳障りな音だけが代わりに響く。

 私は無言で、目の前に迫るレイバーンさんをただ見つめた。


「……違うな、お前、やはりどこかで……」


 レイバーンさんは怪訝そうに眉をひそめた。

 もしかして前の巫女だとバレそうになっているのか。ああでもこの場合、もはやバレてしまった方が身の安全を図れるのかもしれない。

 もう何が何だか分からなさ過ぎて、思考回路がまともに働かなかった。


「まあいい、調べれば分かることだ。――立て」

 レイバーンさんはようやく私の上からどいてくれたが、今度は私の腕を乱暴に掴んで、無理やりベッドから引きずり降ろした。彼の繊細そうな見た目からは想像のつかない荒い挙動だ。不審な侵入者を繊細に扱えというのも無理があるかもしれないが、それにしたってひどい。


 私をどうするつもりですか、そう問いかけようとして、声が出なくなっていることに気がついた。恐らくはレイバーンさんの魔術だろう。

 どうしよう、このままでは弁解の余地もなく捕らえられてしまう。私はますます委縮して、その場に崩れ落ちそうになった。もちろんレイバーンさんは許してくれない。


 引きずられるようにして部屋から出された私は、廊下に控えていた兵士のような男達に引き渡された。状況が全く分からないが、ここは神官の居住区ではないようで、見たことのない長い廊下が左右に伸びている。何故こんな場所に、レイバーンさんや武装した兵士がいるのか。


「レイバーン様、この娘は……」

「侵入者を捕らえました。すぐにアルディナ様の無事を確認して下さい。この娘が一人で侵入できたとは考えづらいですから、他の仲間が近くに潜伏している可能性があります。至急対応を」

「はっ、かしこまりました」

 侵入者、という単語に、警備兵達はぴんと背筋を正した。私はといえば、兵士達によって後ろ手に捕らえられ、げんなりとうな垂れるばかりである。もはや逃げ出そうという気力など全く湧いてこなかった。どう考えても、逃げるのは無理だ。


「くれぐれもこの件は大事おおごとにはしないようにお願いします。アルディナ様の巡礼の旅に傷をつけるわけにはいきません。この娘は、ひとまず別の建物で監視しましょう」


 レイバーンさんの言葉から、何となく状況がつかめてきた。

 なるほど、今はアルディナ様の巫女巡礼の途中なのか。


 私がかつて『気脈』を整えるために各教会を回ったように、アルディナ様も今、同じ道を辿って旅しているのに違いない。そういえば、以前レイバーンさんとすれ違った時に、もうすぐ二度目の巡礼に行くようなことを言っていたっけ。それが予定通り決行されたというわけだ。ということは、 『気』の乱れた教会がどこなのかが分かったのだろうか。それとも、『気脈』を正すのとは別に、巡礼を行っている?


(それはともかく、とんでもないことになっちゃったな……)

 巫女巡礼の一行のところへ、部外者の私が飛び込んでしまったのだとしたら。

 そりゃあ、レイバーンさんでなくても、過剰なほど神経質になっていてもおかしくない。

(ルーノさん、本当にどうしてこんなところへ私を放り込んだの?)

 フラハムティ様から逃れられる唯一の先がアルディナ様のところだと、私がそう考えたのと同様に、彼なりにここが一番安全だと判断しての行動かもしれない。が、だとしたら、あまりにも間が悪すぎた。このタイミングで私が前巫女だなどとカミングアウトしたら、それこそレイバーンさん辺りにどんな目に遭わされるか分かったものではない。



「ほら、さっさと歩くんだ」


 警備兵に小突かれて、私は足元をふらつかせた。

 レイバーンさんの術がまだかけられた状態なので、手足が鉛のように重い。下手に抵抗するつもりはないので術を解いてほしいところだが、レイバーンさんはアルディナ様の安全を確認するためか、すでにこの場を去ってしまっていた。術者が離れても術が有効だなんて、勘弁してほしい。さすが、神官のホープは魔術の実力も折り紙つきだ。


「全くこの女、どこから入り込んだんだ」

「お前のおかげで俺達も大変な目に遭いそうだ、ちくしょう」


 私につけられた兵は二人である。

 見回りの最中にスパイに侵入されたとあっては、警備兵としての信用問題にも関わるだろう。だからといって、彼らに同情している場合ではない。こちらとて、まさに死活問題の真っただ中なのだ。



 連れられた先は、建物の外にある馬小屋だった。


 どうやら私が飛び込んだのは、街中の宿屋だったらしい。

 落ち着いて観察してみると、この宿屋には私も見憶えがあった。以前私の巫女巡礼の時に立ち寄った宿屋のうちの一つだったのである。

 恐らく、巡礼の際に使う宿はいつも決まっているのだろう。ここはそれほど大きな宿屋ではないが、小奇麗でサービスもよく、貴人がお忍びでやって来るにはピッタリの雰囲気だったことを憶えている。当然ながら巫女が泊まる間は宿ごと貸し切りだ。その上で、宿全体に魔術による結界をがっちりと張るらしいので、無関係な人間が忍び込む隙など通常はあろうはずもない。


「抵抗しようとしても無駄だからな」


 私は警備兵の一人に小突かれて、馬小屋の太い柱によろめきつつもたれかかった。

 広い馬小屋には軽く仕切られたスペースが二つあって、今私が入れられたのはほとんど馬のいない方だった。月明かりだけが頼りの薄暗い小屋の中、私は縄で柱にくくりつけられた。薄着だったせいで縄が体に食い込むのが辛い。が、真冬の寒空の下でなかっただけマシだと思わねばならないだろう。こちらの世界には日本のようにはっきりとした四季がなく、基本的には春の終わりのような爽やかな気候が続く。


「これからどうする?」

「この女にはレイバーン様の術が効いているようだし、二人の見張りはいらないだろう。これから他の侵入者がいないか見回りもしなければならないから、とりあえず他の兵と合流だな」

 警備兵たちは、この後の動きについて話し合い始めた。

「わかった、じゃあ俺がここに残ろう」

「ああ、頼む。また動きがあったら戻って来る」


 警備兵の一人が馬小屋を出ていった。

 残されたのは、私ともう一人の警備兵。……何だか、嫌だな。


「で、お前は一体何を企んでいたんだ? そんなどこぞのご令嬢みたいな恰好で暗殺って?」

「……」

「ほら、何か言ったらどうだ」

「……」

 言いたくても何も言えない。レイバーンさんの術のせいで言葉が発せられないのだから。だが、それに気づいていない警備兵は、単純に私が無視していると思ったらしく、一気に機嫌を急降下させた。

「おいおい、暗殺者のお嬢様は、俺みたいな下男とは口も聞きたくないってのか? だがなあ、その考えは改めた方がいいぜ。今のお前は、俺の気分一つでどうにでもなるんだからな」

 そう言いながら、警備兵は私のスカートの裾に手をかけた。


 ふざけんな! 触るな! 死ね!

 ――という思いを盛大に込めて、私は足をばたつかせた。しかし、鉛と化した足は上手く動かせず、あまりにも不格好な抗議になってしまう。それを見た警備兵は、下卑た声で笑い出した。

「もうちょっと美人だったらそそるのによ。まあ、これだけ暗けりゃ同じことか。肉付きもちょっと足りねえが」

 好き勝手なことを!

 というか、ええい、オルディスさんの危険察知ブレスレットはまだ発動しないのか!

 宿の中は強力な結界が張られていたから反応しなくても仕方がないが、今こそまさに、とびきりの出番ではないか。

 私は柱に縛り付けられた状態のまま、左手をわずかに動かしてみた。――そして気付いてしまった。左手首につけていたはずのブレスレットの感触がない。どこかで落としてしまったのだ!

(もしかして、レイバーンさんの寝室で?)

 彼の魔術で絞り上げられている時に、手首から外れてしまったのか。そうとしか考えられない。


「どうしたよ、もう踊りはおしまいか」

 ニヤニヤと、本当に腹の立つ顔で笑う男だ。

 こんな男にアルディナ様の警護をさせているなんて、王宮も落ちたものである。

 警備兵はしばらく私の足踏みをおちょくるようにしてスカートの裾で遊んでいたが、なけなしの抵抗が止んだと見ると、ぐいと裾をめくり上げた。露わになった太ももに指を這わされるこの気持ち悪さと言ったら! 女子高生の太ももなんて、どれだけレアな逸品だと思っているのだ!

 やっぱりどうしても我慢ならず、私は再び暴れ出した。鈍い動きで、それでも男のすねを蹴り飛ばすと、男は低く悲鳴を上げてこちらを睨みつけてきた。


「この女、自分の立場をわきまえ――うおっ!」


 警備兵の拳が固く握られて、それで私は殴られるのだと察した。

 まぶたをぎゅっと閉じて衝撃に備えたが、相手の言葉の先に続いたのは、間抜けな悲鳴である。

 直後、月明かりを遮っていた男の体が目の前から消え去ったのを感じ、私は恐る恐るまぶたを持ち上げた。ちょうど、男が後方へと吹っ飛んでいくところだった。


 ぎょっとして、私は飛んでいく巨体を凝視した。

 何が起こったのか理解する間もなく、男の体は小屋の壁へと激しく打ちつけられる。そしてそのまま高く積まれた藁の山の中へと沈んでいった。あまりにも予想外の出来事に、ただ呆然と藁の山を見つめていた私に、突然声がかけられる。


「大丈夫か」


 びくりと体を揺らして視線を滑らせると、あの破廉恥なろくでなし野郎の立っていたはずの場所に、なんとノエルの姿があった。逆光のせいで彼の表情がまるで見えないが、声から激しい苛立ちが伝わってくる。


(ノエルだ……)


 安堵のあまり、全身の力が一気に抜けるのを感じた。

 それでも、ぎこちなく首を縦に振る。唇を噛みしめて、私は喉奥から漏れだしそうになる嗚咽をどうにか呑み込んだ。

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