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36.夜明け前

 その日の夕食にはオトゥランドさんが同席してくれた。


 三十人位がずらっと並べるような長い食卓をイメージしていた私だったが、実際に案内されたのは意外にもこじんまりとしたダイニングだった。と言っても、我が懐かしの定食屋のダイニングとは次元が違う贅沢仕様ではあるのは間違いない。それでも、せいぜい五、六人が囲えるだろうかという控えめなテーブルに、私はオトゥランドさんと二人、腰掛けているのだった。


 やたらたくさんのフォークにナイフ、そしてお皿の並ぶ、華やかな食卓。

 うう、圧倒されてしまう。食事のマナー、割と忘れた。

 それにしても、もしかしなくとも、普段オトゥランドさんはたった一人きりでこうして食事をしているのだろうか。


 食事中、オトゥランドさんとは、他愛のない世間話を少し交わした程度だった。

 主に話を振ってくれたのはオトゥランドさんの方だ。

 巫女時代、オトゥランドさんと過ごす時は、無口な彼から言葉を引きだすために、私がひたすら話しかけてばかりだったというのに――立場の逆転した夕食の一時が、何だか不思議だった。


 唯一私から尋ねたのは、定食屋のご主人達にこの件がどのように知らされたのかということだった。

 どうやらしばらくは帰してもらえないようであるし……というか、いつか帰してもらえるのならばまだいいのだが……、いずれにせよ今の私にどうこうできる話ではない。


 ひとまずは、家の都合でしばらく親戚のところへ身を寄せることになったと説明してくれたようだ。

 私が抜けた穴を埋めるべく、他の人に店の手伝いをさせる旨、オトゥランドさんから定食屋へ申し入れてくれたようだが、それはご主人達によって丁重にお断りされたらしい。ただ私が無事に過ごしてさえいればいい、いつでも戻りを待っているから、とのご主人達の伝言に、私は目頭を熱くした。


「ところで、食事はお口に会いますでしょうか」

「あ、はい、美味しいです。ありがとうございます」


 オトゥランドさんの問いかけに、私は頷いた。


「それはよかった。確かハルカ様は、その料理がお好きだったと記憶しておりましたので」

「え、それでわざわざ……」


 今日のメインディッシュは、いわゆるハンバーグである。

 確かに、巫女の頃、初めてこの料理が出てきた時は子供のように喜びはしゃいだ記憶がある。一人での食事が寂しいからと同席をお願いしてたまに付き合ってもらっていたオトゥランドさんは、そんな些細なことを憶えていてくれたらしい。


 何というか、本当にもう。

 アルスさんもオトゥランドさんも、私の敵なのか味方なのかはっきりしてほしい。

 そのどちらでもないというのが事実なのだろうが、私はなかなかそれを噛み砕いて受け入れることができないのだ。理屈では分かっていても、気持ちが落ち着かない。不安定になる。

 こうしてふとした拍子に相手の思いやりに触れてしまうとどうしていいのか分からなくなってしまうのだ。


「この度は、このようなことになってしまい申し訳ございません」

「あ、いえ」

 私の心の内を見透かしたかのように、オトゥランドさんが頭を下げる。

「フラハムティ様は、周囲の者に相談することなく物事を判断する傾向がございます。しかし、その判断が誤っていたことはございません。ハルカ様におかれましては歯がゆいことと思いますが、どうか今は耐えて頂きたく存じます」

「……」

 今耐えるだけならばもちろん構わない。

 それで私が元の世界へ帰る日を無事迎えられるというのなら。

 しかし、フラハムティ様の用意周到な囲い込みっぷりを見せつけられた今、果たして本当に何事もなく元の世界へ帰る手はずを整えてくれるのだろうかという不安が膨れ上がるばかりである。フラハムティ様は、この国と彼にとっての“最善”を模索しているだけであって、単に私を助けるために動いているわけではない。それはもう、私の中の確定事項だ。


「せめてこちらでの滞在中は、ハルカ様にとって居心地のよいものとなるよう、誠意を尽くさせて頂きますので。ご希望がございましたら、何なりとお申し付けください」

「ありがとう、ございます」

 私はもそりと頭を下げた。


・   ・   ・  


 それから数日が経過した。


 私は部屋のベッドで転がりながら、ひたすら時間を持て余していた。


 本当にすることがないので、日がな部屋でこうしてごろごろしているか、たまにだだっ広い庭を散策するばかりだ。ちなみに、庭を散策する時にはお付きのメイドさんが必ずお供についてくるので、付き合わせるのも申し訳なくて、結局部屋にとんぼ返りしてしまう。


 あー、暇だ。


 人間、目標だとか張り合いだとかそういう類のものがないと、面白いほどに堕落していくものだとつくづく思い知った。

 何もしなくてもその日のご飯が出てきて、綺麗な服が与えられて、お風呂にも入れて、寝床も与えられる。巫女時代とそう変わらない待遇だが、あの頃はまだ「目標」があった。すなわち、「気脈」を正して巫女としての役割を果たすという大使命である。

 それを成さねば自分の居場所はこの世界のどこにもないという危機感が、あの頃の私を奮い立たせた。だからとにかく頑張った。言われたことをただ馬鹿正直にこなすだけだったけれど、それでもひたすら努力した。

 が、今は違う。本当に何にもすることがない。


 ごろり、と大きく寝がえりを打った拍子に、私はベッドから転がり落ちた。

 どうやら勢いがつきすぎてしまったらしい。


「いったぁ~」


 一人で呻きながら、よろよろと身を起こす。

 そして向かった先は、ソファの上。そこでもまた私は寝ころんだ。


 たまに、元の世界へ帰った時のことも想像してみたりする。

 きっと、こちらへ召喚されたその日と同じ日に舞い戻るのだろう。

 数ヶ月間も行方不明になった私など存在しないから、義両親や友人は特に私のことを心配していないし、学校だっていつも通り。もちろん、無断欠席など一日だってしていない。

 この世界で少しずつ伸びた髪も、きっちり召喚前の長さに戻っている。定食屋で食器洗いに勤しんで、ほんの少し荒れた手も、つるりとしたすべすべの手に入れ代わっているに違いない。久しぶりに袖を通す私服や制服のスカート丈の短さに、どこか落ち着かないものを感じながら、それでもすぐに、身に馴染む。

 定食屋のご主人達と会えなくなった寂しさだけは、暫く引きずることだろう。

 学校の授業中も、休み時間も、放課後も、夜自分のベッドにもぐりこんだ時も、ずっと彼らのことを考えている。会いたいなあ、どうしているのかなあ、私のことをたまには思い出してくれているのかなあ。とめどなく、そんなことを思うのだ。


 かつて経験したあの切なくも穏やかな感情が、不意に私の胸の奥で甦った。


(そういえば、ノエルは今頃どうしてるかな)


 ソファの上で仰向けになった私は、ぼんやりと天井を眺めた。

 目を閉じると、巫女時代に共に過ごした時よりも、更に精悍さの増した彼の姿が思い浮かぶ。


 元の世界へ戻ったら――また一からやり直しだな、ノエルを思い出にする作業。

 でもきっと、今度は前ほど時間もかかるまい。


・   ・   ・   ・


 ある昼下がり、珍しく私のもとへ来客があった。

 アルスさんだ。


「やあ、久しぶり。調子はどう?」


 彼は今日もきっちり騎士の制服を身にまとっていた。

 なるほど身分ある騎士様ならば、宰相様の片腕とも言われるオトゥランドさんの家へやって来るのもさほど不自然なことではあるまい。こちらはこの部屋からロクに出ることもできないというのに、自由に出入りできるアルスさんが憎い。


「……別に、普通」

 ソファで膝を抱えながら数学の教科書に目を落としていた私は、アルスさんの方へちらりと視線を送った後、再び手元の数式に目を落とした。

 この教科書は、もちろん元の世界からの持ち物だ。オトゥランドさんに頼んで、定食屋から私の学生鞄を持ってきてもらったのである。あまりに暇が過ぎるので、ならば学生の本分に立ち戻り受験勉強をやってやろうと考えたのだった。いやしかし、定食屋で働かせてもらっていた頃は、教科書なんて開く気にはなれないほど毎日が充実していたのだけれどなあ。


「相変わらずつれないねー、ハルカちゃんは」

 アルスさんは苦笑しながらも、まるで遠慮を見せず部屋へ入ってきた。そしてソファに――この部屋のソファは一つだから、必然的に私の隣に――腰を下ろす。さすがに出ていけと言うのは気が引けたので、私は黙ってアルスさんの様子を見守った。


「今日は君の様子を見に来たんだ。元気でやってるか心配でさ」

「それなりに元気なんで」

「いや、もうちょっと話盛り上げようよ」

「今勉強中なんで」

 実を言えば、もはやアルスさんに対してそれほどの怒りはない。というか、もともと彼だけが特別私に悪意があったかと言うとそうではないし、彼に怒りをぶつけるのはお門違いだというのも分かっているのだ。が、彼に対してそっけない態度を取るのがなんだか板についてしまって、今更にこやかに接することも難しい。


「勉強って何の? うわ、何だこれすげえ。え、これ本なの?」

 だがまあ、この通り本人は言うほど気にしていないようなので、構わないか。

「あんまりじろじろ教科書見ないでくれます? この世界にとってはオーパーツってやつだから」

「出た、異世界語。ハルカちゃん、たまに分かんない言葉使うよね」

 そう言いながら、アルスさんは私の手から教科書を抜き取った。

 へえ、とかほう、とかよく分からない唸り声を上げながら、興味深そうに教科書に見入っている。私の世界の印刷技術はこの世界の比じゃないし、書かれている文字もアルスさんにはまるで見たことのないものだろうから、彼にとってこの教科書はとにかく奇妙に映ることだろう。

「アルスさん、私の様子よりその本の様子の方が気になってるでしょ」

「そんなことないって。あ、こんな凄い本で勉強してるハルカちゃんが、急に才女に見えてきたわ」

 とことん調子のいい男である。


「ところでさ、何か言っておきたいこととかない?」

 アルスさんは教科書を閉じると、爽やかな笑顔で私に問いかけた。

「言っておきたいこと……?」

「恨みつらみとかでもいいし、具体的に、誰かに何かを言付けたいとかでもいいし。要望があれば出来る限りは応えるつもりだよ。まあ、この屋敷から解放しろって言うのはムリだけど」

 なるほど、恨みつらみを吐き出すのもあり、と。

 それならば山のように吐き出したいことがあるのだが、それを言葉にするのも重労働だ。それに、アルスさんに泣きつくくらいならば壁に向かって話しかけた方がいい。そんな(アルスさんにとっては)失礼な結論を導き出した私は、口を結んだままかぶりを振った。


「そっか、まあオトゥランド殿を通じて話してくれてもいいし……って、あれ」

 不意に窓の外へ視線をやったアルスさんは、そのまま驚いたようにソファから身を乗り出した。


 急にどうしたというのだろう。気になったので、私も彼に倣って窓へと近寄る。


 窓からは、ちょうど屋敷の正面玄関の様子が見てとれた。

 門から玄関までの、庭のように広いアプローチに、一台の馬車が停まっている。


 馬車から姿を現したのは――なんと、ノエルだった。


 私は息を呑み、思わず窓にへばりついた。

 ノエル、ノエルだ。

 ここからは彼の表情までは窺えないが、あの立ち姿は間違いなく彼のもの。


 でも――どうしてオトゥランドさんの家にノエルが?


「あいつもホントにマメな男だねえ」

 私の背後から同じく窓を覗きこんでいるアルスさんは、感心したように息を吐いた。

「もう何度かここへ通ってるみたいだし」

「ノエルが……ここへ?」

「そう。やっぱりハルカちゃんは知らされてないよね」

 アルスさんと話している間も、私はノエルの姿に釘付けだ。彼は少しの間その場に留まっていたようだが、やがて真っ直ぐ玄関まで歩いていくと、そのまますぐに姿が見えなくなってしまった。


「あいつ、君がここに保護されたって知ってから、君を解放するよう密かに働きかけてるんだよ」


 アルスさんは事情を知っていたようで、何でもないことのように教えてくれた。


 ――ノエルが、私を解放しようと動いてくれている。

 そんなの全然、知らなかった。


「フラハムティ様とも直接かけ合おうとしたようだけど、それぞれ立場が微妙過ぎて、うまく話を進められなかったみたいだね。ここへ通ってるのは、恐らくオトゥランド殿の方面から圧力をかけるためだと思うけど」


 アルスさんの言葉が、どこか遠くから聞こえてくる。

 とにかく私の頭の中は、ノエルのことでいっぱいだった。


(あの人は、あの人だけは、私のためを思って動いてくれるのかもしれない)


 なんてありがたいことだろうと感謝の気持ちが湧くよりも先に、私は何故だか無性に胸が苦しくなってしまって、その場に真っ直ぐ立っていることさえできなくなってしまった。

 窓際に両手をついて、うなだれたまま歯を食いしばる。


 説明のしようがない感情が胸の奥から溢れ出す。

 悲しいような切ないような、どうしようもなく途方に暮れた気持ちだ。突然ぶわりと浮かんだ涙は、止めるいとまもなく頬へと滑り落ちた。


「ハルカちゃん、どうしたの?」


 急変した私の様子に、さすがのアルスさんも面喰らったようだった。

 でも、私だって自分で自分に驚いている。何故急に、こんなところで涙が止まらなくなるのだろう。心細くて寂しくて、もっと大声を上げて泣きわめきたい気持ちになるだなんて。


 この世界へ来て泣いてしまったのは、これで二度目だ。

 一度目は、二日間彷徨った挙句迎え入れられた定食屋で、出来たての食事を出された時だった。

 人の優しさとご飯の温かさが身にしみて、泣きながら食事をかき込んだ。

 今は、今は。あの時とはまた違う。言いようのない感情が次から次へと涙を送り出してくる。


 私は自分自身に戸惑いながらも、ひたすらそのまま声を出さずに泣き続けた。

 アルスさんはもはや何も言わず、ただ黙って側に佇んでいたようだった。


 やがて、泣くだけ泣いて泣き疲れた私に、アルスさんは蒸らしたタオルを渡してくれた。

 いつの間に用意してくれたのだろうと考えながら、私はぼんやりとそれを受け取った。

 程よく温まったタオルを目元に乗せてまどろんでいると、どうやら私はそのまま眠ってしまったようだった。


 気付けば、辺りはすっかり暗くなっている。

 私は一人だった。

 早く夜が明けるといいなあと、靄のかかったような頭でそんなことを考えたのだった。

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