35.久々のお姫様待遇です
すぐさま馬車に詰め込まれるかと思いきや、私が連れられたのは、王宮のとある一室だった。
すっかり他人行儀なアルスさん曰く、今の私の格好ではオトゥランドさんの家には連れていけないため、あらかじめ着替えてほしいということだった。まあ、言わんとすることは分かる。私はごく一般の平民らしく質素な服を着ていたので、貴族の中でもかなり高位にあたるオトゥランドさんのご自宅にお邪魔するには、あまりに貧相な形だった。
部屋の中には侍女が二人。アルスさんは部屋の外、扉のすぐ側で待機中。そしてこの部屋は三階。
どうにか逃走を図れないかと逡巡したが、明らかに無理そうであった。
仕方がないので、用意された洋服に大人しく袖を通す。
誰の見立てか知らないが、あまり仰々しいデザインではなかったので密かに安堵した。仕立てのいい、落ち着いたベージュ色のワンピースである。
侍女は私の着替えを手伝おうとしてくれたが、さすがにそれは遠慮しておいた。代わりに髪を整えるのだけは彼女達にお任せする。てきぱきと息の合った手さばきで、あっという間に私の髪を結いあげてくれた。やっぱりプロは違うなあ。私が前にミディさん達にしてあげたのとは早さもレベルも段違いだ。
姿見の前で確認。
当たり障りのない、いかにも育ちのよさそうなご令嬢の出来上がりである。
全然嬉しくない。
・ ・ ・ ・
その後は、王宮の裏手に止められていた馬車へ大人しく乗り込んだ。
この秘密の(というほどでもない)出口は、巫女だった時代にも何度か使ったことがある。『気脈』を整えるために教会へ向かう時は、いつもここから王宮の外へ出たものだった。
驚いたのは、私と同じ馬車にアルスさんが乗り込んできたことである。
当たり前のようにしれっと私の向かいに腰掛けたので、ものすごくびっくりした。巫女時代に教会などへ移動する際は、護衛のノエルだって別の馬に乗って後ろからついてきたのに。いや、別に「私と同じ馬車に乗ろうだなんておこがましい!」だとかそんなことを言いたいわけではない。単純に、今このアルスさんと同乗するなんて気まず過ぎるではないか。
微妙な表情で黙り込んだ私は、ゆっくりと出発した馬車の窓から外を眺めた。
背の高い木々が立ち並び、その合間から青い空と白塗りの壁が見える。懐かしい風景だ。
またもう一度同じ景色を眺めることになるとは思わなかった。
「ハルカちゃん、似合ってるね、その格好」
不意にアルスさんがいつもの砕けた調子で声をかけてきたので、私は思いっきり眉をしかめて彼を睨みつけた。この男、何事もなかったかのように話しかけてくるとは何事だ。
「気安く話しかけないでほしいんですけど」
「そう怒らないでよ。俺も本当はこんなことしたくないんだけどさ」
「仕事だから仕方ないんですよね。いいですよ、分かってますから。でも、だったら最初から最後までビジネスライクに徹してください」
「ビジネス……何だって?」
「ビジネスライクはビジネスライク! 無駄にフレンドリーに接しないでってことです。人とのコミュニケーションはケースバイケースで切り替えが大事とはいえ、私にとってはあなたのそのキャラの切り替えぶりが非常に不愉快です」
「いや、ちょっと分からない単語が多すぎるんだけど」
「不愉快だってことだけ分かればいいんですよ!」
「あー……、うん、それはよく分かった」
アルスさんは苦笑を浮かべた。
全くもう、腹が立つ。
友達になりたいとか何とか言っておきながら、結局やっぱり私を監視していたんじゃないか。まあ、それは最初から分かり切っていたから構わない。何に腹が立つかといえば、ネタばらしした後までも変わらない態度で私と付き合おうとしているところだ。
私は再び窓の外へ視線をやり、アルスさんの存在は無視することにした。
そうだ、アルスさんに構っている場合なんかじゃない。
一番の心配事は、しばらく定食屋に帰れそうにないことだった。
今日一日だけの休暇のはずが、一体何日の無断欠勤になってしまうのだろうか。ご主人達に事情を説明できないまま勝手にいなくなるなんて、申し訳なさすぎる。帰ったら、どうお詫びをすれば許してもらえるのだろう。
……まずはちゃんと帰れるのかどうか、そこから怪しいところだが。
「でもさ」
私が鬱々とした気分に押しつぶされつつある中で、アルスさんは懲りずに再び話しかけてきた。
「ハルカちゃんも、随分思い切ったことしたよな」
「……」
「初めの頃は弁当売りながら王宮に乗り込んできたりとか面白いことしてたけど、最近は動きがなかっただろ? どうするつもりなのかなと思ったら、あれだもんなあ」
“あれ”とはもちろん、フラハムティ様の所へ丸腰で乗り込んでいったことだろう。
「フラハムティ様は、今となっては国王にも引けを取らないほどの権力を持つお方だから、面と向かって意見する人なんて皆無なんだよ。それが、いくら異世界からの巫女とはいえ、君みたいな若い娘さんが真正面から向かっていくんだから」
君って本当に変わってる、とアルスさんはにやにや笑った。
「あの人に捕まっちゃうとか思わなかったの?」
「……最悪そうなるかもしれないとは考えてはいた……けど」
それでも、もう少しマシな対応に落ち着くのではないかと高をくくっていたところもある。
それこそ、監視がつくとか王宮への出入りを制限されるとか。
最初に私をフラハムティ様の手元で保護することを嫌がっていたから、監禁もとい保護は最終手段なんだと思っていたのだ。
しかし、こうなってしまったものは仕方がない。
この事態はきっと必然だったのだと思いたい。
急がば回れだ。目的地に到達するためには、時に悪い方向へ物事を転がすことも必要なのだ。この状況を乗り越えた先にこそ前進がある! ……とか何とか、そうとでも思わないとやっていられない。
「あの、それよりも、聞きたいんだけど」
ええい、こうなったら。
アルスさんの話相手をするついでに、こちらも気になっていることを聞き出してやる。
「結局どういうことなの? 本当にフラハムティ様が私を召喚したわけじゃないの? だとしたら、どうしてフラハムティ様は、私がこの世界へ来たことを誰よりも早く知ることができたの?」
「ああ、それね」
アルスさんは頷きながら、上着の襟元を緩めた。
誰が勝手に寛いでいいなどと言ったのだ。
「うーん、どこから説明したらいいかなあ。ハルカちゃん、憶えてない? 君、この世界に戻って間もない頃、一人で王宮に来たことがあっただろ?」
アルスさんは、子供に諭すような柔らかな声音で、私に問いかけた。
それが腹立たしくもあったけれど、私は素直にこの世界へ来てすぐのことを思い返してみた。
ちょうど三か月半ほど前に、私はこの世界の、雑木林に召喚され。
一番最初に取った行動は、王宮の門番に、国のお偉いさんに会わせてくれと喚いたこと――。
「その時君の対応をした門番から、報告が上がったんだ。君はノエルやオトゥランド殿の名前を挙げて、彼らに会わせてほしいと言ったそうだね。年齢や奇抜な服装、それに名の上がった二人。報告を受けたフラハムティ様は、もしかしたらそれが前巫女のハルーティア様かもしれないと考えたんだ」
あの時!
よもやそんな些細な行動から足がつくことになろうとは。
「ノエルに会わせろっていう年頃の娘さんは結構いるんだけど、オトゥランド殿となると、かなり渋い選択だからなあ。俺も話を聞いて、真っ先に前の巫女様が浮かんだよ。それでも、まさかっていう気持ちの方が大きかった。……祝神祭の時に君の姿を見かけて、考えは百八十度変わっちゃったわけだけどね」
「……」
「つまりフラハムティ様は、門番からの報告を受けた時点で、君がこの世界へ出戻った可能性を考えていた。それを確かめるために、俺を街へ放って巫女探しをさせたんだ。で、街中を探っていた俺は、祝神祭で前の巫女によく似た君を見つけ、フラハムティ様に報告。それ以降も、君が本当に巫女かどうかを見極めるために、君の街での暮らしぶりを密かに監視していたってわけ」
何ということだ。
最初から……本当の本当に最初から、フラハムティ様に目をつけられていたわけか。
フラハムティ様は、私を護衛するためにアルスさんをつけたとか何とか言っていたけれど、本当の目的は、今アルスさんが言った通り、私が本物かを見極めるため監視することだったのだ。
「でもさ、どれだけ監視していても、ハルカちゃんて完全に普通に定食屋で働いてるんだもんな。ぜーんぜん巫女様らしい行動とらないし。こりゃあどうしたものかと思っていたら、君の働く定食屋から王宮へ、ある打診がきた」
「!」
「王宮での弁当配達の許可が欲しいってね。実は、王宮側としては最初は断る方向だったんだよ。一店許可を出したら芋づる式に他の店も許可申請を寄こしてくるに決まってるし、それをどんどん承認して民間の飲食店が入り乱れれば、王宮の保安管理ができなくなる。でも、難色を示す王宮側が最終的に君の店を受け入れたのは、フラハムティ様の鶴の一声があったからだ。フラハムティ様が半ば無理強いして許可を出した理由は分かるだろ? 君が王宮へ足を運ぶようになれば、君が巫女なのかどうか判断する機会が増えるかもしれないし――フラハムティ様自らが手を下さずして、君を囲いこみやすくなるからね」
目まいがする。
掌で転がされるどころか、完全に好きなように踊らされていたみたいだ。
フラハムティ様は、最初から全部承知したうえで、すっとぼけていた。
そして、素知らぬフリをして、私が本物の巫女かどうかを慎重に見極めようとしていたんだ。
その策士ぶりには舌を巻くばかりである。
それでも、ひっかかる点がないわけではない。
今のアルスさんの話しぶりからすると、どうやら私をこの世界へ召喚したのは本当にフラハムティ様ではないらしい。
ならば、結局一体何者が私を再召喚したと言うのか。
じっとアルスさんを見つめると、彼は私の視線に気づいたようにゆるりと首を振った。
「悪いけど、召喚した犯人についての情報はあげられないよ。ていうか、俺も知らされてないからね。フラハムティ様が呼んだ訳じゃないっていうのは確かだろうけど」
「でも、フラハムティ様も何も知らないわけでもないんでしょう?」
「多分ね」
アルスさんはいくらか表情を引き締めた。
「あの人のことだ、既に全て把握済みだと思う。君だけに事実を伏せているというより、あの人は誰にも事実を伝えていないんじゃないかな。ごく限られた、本当の重鎮達以外には」
だとしたら、これから私はどうなるのだろうか。
フラハムティ様を煽るような真似をしたことが、吉と出るのか凶と出るのか。
今はまだ想像もつかない。
・ ・ ・
辿り着いたオトゥランドさんの自宅は、想像以上の超豪邸だった。
屋敷へ迎え入れらた私は、気の抜けた顔でだだっ広いエントランスを眺める。
いやはや、高位貴族の私邸というのはここまでなのか。
王宮が豪華なのは王宮だからだと思っていたけれど、この屋敷も一歩も引けをとっていない。
とはいえ、屋敷の主であるオトゥランドさん自身が真面目一筋で遊び心を知らない人だからか、ゴテゴテと悪趣味な内装ではなく、柱や壁、床や家具など、それぞれ最高品質のものを用いてシンプルにコーディネートしているという感じだった。
はあ、でも、すごいなあ。あの壺一つ売り払えば、定食屋の増築ができそうだな。
「オトゥランド様、ハルカ様をお連れしました」
「ご苦労」
久々に会ったオトゥランドさんは、当たり前だが以前とまるで変わりはなかった。
アルスさんといくつか言葉を交わした後、私に視線を向けた彼は、生真面目に引き締められた表情をぴくりとも動かすことなく、ただ恭しく頭を下げた。
私はといえば、オトゥランドさんの恩師の娘という設定のもと、訳あってしばらくこちらに滞在するという形で屋敷の人々に紹介された。
恩師ってだれだ、訳って何だ。とまあ、色々とツッコミどころは満載なのだが、この屋敷の人間は誰一人として細かい事情を求めない。主のすることには一切口を挟まないというスタンスであるらしい。
「それではハルカ様、私はこれで失礼いたします」
外面モードのアルスさんは、いかにも騎士らしい物腰で一礼すると、振り返ることもなく玄関を出ていった。意外とあっさりだな。できればフラハムティ様のことをもっと色々聞き出したかったのに。
恨みのこもった視線を彼の背中に向けていると、オトゥランドさんが事務的な口調で私に声をかけた。
「悪路をお越しいただき申し訳ございません。お疲れでございましょう、すぐにお部屋へご案内いたします」
「あ、はい……。お願いします」
私も素直に頭を下げた。ここで反抗的な態度をとっても仕方がない。
正直、オトゥランドさんにも思うところはある。
何だかんだで前回の召喚時にはお世話になった人だ。その人の下で、自分の意に反して軟禁されるというのはかなり複雑な心境である。宰相の命令なんざ無視して私を助けろと言えるほど近い距離にいる人ではないから仕方がないが、うーん、ちょっぴり切ない。
用意された部屋は、広く、そして清潔だった。
小花柄の壁紙に、えんじ色の絨毯。ベッドやチェストの細工はとても凝っていて、思わずじっくり眺めたくなる。
天上からは、花の形を模したシャンデリアのような照明器具。あれに自由に明かりを灯したり消したりできる魔道具は、きっと相当高価なものに違いない。……どうにもお金のことが気になってしまう、庶民の私である。
「可愛らしいお部屋ですね」
「そう言って頂けて光栄でございます。実は、嫁いだ娘の見立てた部屋なのでございます。本人がたまに屋敷へ戻った際に使うかもしれないということで用意したのですが、まだ一度も使われておりませんので」
「そうなんですか」
奥さんは既に病気で亡くなっていると聞いたことがある。ならば、一人っ子という娘さんは、オトゥランドさんにとってはますますかけがえのない存在だろう。そんな娘さんの部屋を本人より先に使わせてもらうのは、何だか申し訳なさすぎる気がするが。
「どうぞご自身のお部屋と思ってお寛ぎください」
遠慮する間もなく、オトゥランドさんも下がってしまった。
まあ、ここで辞退したところで、別の部屋を用意する手間をかけさせてしまうだけだ。そう割り切って使わせてもらおう。
・ ・ ・
「……はあ」
一人になった私は、だだっ広い部屋に置かれた、これまた大きなソファの端にちょこんと腰かけた。
うお、ふかふか過ぎて思った以上に身が沈む。しばらくそのままじっとしていたが、疲労感が波のように私の体を襲ってきたので、靴を脱いでソファに横たわってみることにした。
――ああ、久しぶりの、この空気。
否が応でも巫女だった当時が思い起こされる。
それも、この世界へ来てまだ間もなく、右も左も分からず不安に怯えていた頃のことを。
華やかなドレスに美しいアクセサリーの山。美味しいご飯に広くて可愛らしい部屋。たくさんの使用人や、ノエルという美形の護衛が私について、きめ細やかに面倒を見てくれた。まさにお姫様のような生活を与えられていたあの頃――懐かしいな。
そんなお姫様生活だったのに、私はなかなか周囲に馴染めなかった。
その贅沢な生活が、却って私から現実感を奪っていったようにも思う。いつでも、どこにいても、ふわふわと浮遊感のようなものが身にまとわりついていた。唯一、ノエルと過ごす時間だけは、そうした変な浮遊感も体の強張りもとけて、心の底から落ち着くことができたけれど。
今はただ孤独だ。
早く、定食屋に帰りたい。
ご主人さんやおかみさん、それにセナさんに会いたいと心から思った。