34.疑惑の芽は立派な大木になりました
面会の日は、思ったよりも早くやって来た。
乗り気ではない様子のオルディスさんだったが、さすが仕事が早い。
面会時間は昼ごろを指示されたので、私は定食屋のご主人達から一日休暇をもらい、満を持して王宮へと向かった。
とは言え、向かった先はいつもの魔術研究所だ。平民の私が直接宰相であるフラハムティ様の執務室へ立ち入ることはできないので、研究所でオルディスさんとおち合って、前回同様そこから転移の術で運んでもらう予定なのである。
オルディスさんは、やはり私を送り出すのには躊躇があるようだった。
彼がフラハムティ様とどこまで情報共有しているのかは分からない。もしかしたら全ては“彼ら”の意図するところなのかもしれないし、実際オルディスさんは何も知らないのかもしれない。考えてみたところでそれこそどうしようもないことなので、今はフラハムティ様との面会のみに集中することにした。
「では行くぞ」
オルディスさんに腕を掴まれたと思ったら、覚悟をする間もなく視界がぐにゃりと歪んだ。
突然の目まいに成す術もなく、気づけば目の前の景色がすっかり変わっている。
――フラハムティ様の執務室前の、控えの間だ。
転移の術は何度経験してもやはり馴れるものではないが、瞬時に目的の場所へ移動できるというのは、確かに便利に違いない。揺れる頭でそんなことを考える。
「私はこの面会に同席を認められていない」
相変わらずやたらと派手な控室だなぁと周囲を見渡していた私に、オルディスさんは突然そう話しかけた。一体何の話が始まったのかと、隣に立つ彼を見上げる。
「それがどういう意味か分かるか?」
「えっと……」
いや、分かりません。そもそも唐突過ぎる質問に、頭が回らない。口ごもる私に、オルディスさんは出来の悪い生徒を前にしているかのような溜め息を落とした。
「フラハムティ様は、お前を守ることのできる人間を排除した上で面会に臨もうとしているのだ。つまりは、お前の懸念も、当たらずとも遠からずということだろう。何もないわけではあるまい」
なるほど。
というか、そんなことを今更忠告されても恐ろしいだけなんですけれども。
でも――まあ、しょうがない。
今更引き返すことなどできないのだ。
深呼吸を一つ。
よし、覚悟を決めた。
私は緊張しながら手を持ち上げて、ゆっくりと部屋の扉をノックした。
「あの、ハルーティアです」
「……どうぞお入りください」
一呼吸を置いて、フラハムティ様の返事が返ってきた。
ああ、この感覚、身に覚えがあるなあ。
学校でとびきり厳しい先生に呼び出され、職員室へ足を踏み入れようとしている瞬間の恐怖と緊張。呼び出されたのではなくこちらが押しかけているのだが、あの時の感覚にとてもよく似ている。
不思議なものである。
あまりにも現状とは異なっているはずの過去の風景が、まさかここでリンクすることになるだなんて、全く思いもよらなかった。
ついに私は、恐る恐る扉を開けた。
一言目には何て言おう。まずは、お時間を取って頂いてありがとうございますくらいは言った方がいいだろう。ええと、それから、とりあえずこちらの近況も伝えておいて……。
面会の段取りを頭に巡らせつつ、緊張を抱えて部屋の中を覗きこんだ私は――。
目に飛び込んできた風景に、全てを忘れて絶句してしまった。
執務室では、フラハムティ様が以前と同様、大きな机に向かって腰掛けている。
そして――その後ろで控えている若者が一人。
アルスさんだった。
私は驚きのあまりその場に棒立ちになり、まじまじと彼の姿を見つめた。
穴があくほどの強い視線を受けているにもかかわらず、向こうは飄然とした態度を崩さない。私など彼の視界に入っていないとでもいうようだ。
アルスさんは、いつものラフな格好ではなく、かっちりとした深いグリーンのジャケットに黒地のパンツを身にまとっていた。私もよく見知った服装だ。
――彼は、騎士だったのか。
「お久しぶりです、ハルーティア様」
立ち上がりながら、フラハムティ様は私を迎え入れてくれた。
「え、あ、はい」
私はといえば、あまりの衝撃に、挨拶の言葉などすっかりすっ飛んでしまっていた。むしろフラハムティ様の存在自体を一瞬忘れていたほどだ。
えええ、何だこれ、どういうことだ。
なぜアルスさんがここにいる。
彼はフラハムティ様の部下だったのか。
ということはつまり、私に付きまとっていたのも彼の指示だった、と、そういうこと?
「どうぞ、そちらへおかけください」
混乱状態から抜け出せない私は、促されるままに、近くのソファへと腰を下ろした。フラハムティ様もやってきて、私の向かいへ腰掛ける。
「わざわざお越し頂き恐縮です。ああ、あの男のことはどうぞお気になさらず。私の護衛なのですが、事情があり同席させているのです。すでに面識がおありかもしれませんが」
「はあ……」
駄目だ、もう。頭が全然働かない。
もしかして、フラハムティ様はそれも狙ってアルスさんを同席させているのだろうか。
「あれには、あなた様を影から護らせておりました。これまで市井の定食屋での生活をお願いしておりましたが、万が一御身に何かあってはなりませんからね。あなた様に気安い態度を取るなど、失礼があったかもしれませんが、全ては事情を露見させず御身をお護りするためだったとご理解頂きたい」
フラハムティ様は淡々と説明を続けている。
が、私には言い訳にしか聞こえない。
頭が働かないなりに、矛盾があることには気づいているのだ。
「フラハムティ様、待って下さい。一つ、その、お伺いしたいんですが」
「はい、なんでしょう」
「ええと、私を召喚したのは――フラハムティ様なんですか?」
挨拶も近況の報告も、もはやどうでもいい。
全てをすっ飛ばして問いかけると、フラハムティ様は細い目をわずかに見開いた。
「――いやはや、これは驚きましたな。そのような事実は一切ございませんが、何故そのように思われたのでしょうか」
私は自分でも頭の中を整理しながら、ゆっくりと思ったことを口にした。
「私がアルスさんと初めて出会ったのは、この世界へ来て間もない頃でした。あの頃は……フラハムティ様どころか、オルディスさんと再会するよりも前のことだったはずで。もっと言えば、誰にも私が元巫女だと伝えていない頃のことだったんです。つまり、あの頃からアルスさんが私を護衛していたっていうのは、つじつまが合わないというか。そんなことができる人は、私がこの世界に来ていると最初から知っていた人だけです」
ほほう、とフラハムティ様は感心したように低く唸った。
私としては割と核心をついたつもりだったのだが、相手はまるきり余裕の様子である。
「確かに、私がハルーティア様の存在を把握したのは、あなた様から声をかけられるよりも前のことでした。少々事情がありましたものでね。ですが、あなた様を召喚したのは私ではありません」
こちらから訊ねておいて何なのだが、もはや、私にはフラハムティ様の言葉が全然信用できなかった。
「以前お会いした時にお話しした通り、あなた様を再召喚した犯人についても捜査を続けております。アルスの件も含め、全てをお話しするわけにはいかないこともございますが、然るべき時には必ずあなた様にもご報告はいたしますし、御身はお守りいたしますので、どうか今しばらくはお待ち頂きたい。勝手なお願いではありますが、宜しくお願い致します」
さあこれで話は終わり、と言わんばかりにフラハムティ様は言葉を締めくくった。
いやいや、ちょっと待ってくれ。
「あの、然るべき時って、いつでしょうか?」
「それは、その時々の状況によって判断するものです。いつ、と申し上げられるものではありません」
「でも、私がここへ来てからもう四カ月も経っています。その『然るべき時』というのが未だにやって来ないのはおかしくないでしょうか? フラハムティ様はこの国の宰相様で、巫女の再召喚というのは、国を揺るがす一大事のはずなのに……ずっと状況が分からないままだなんて、それでフラハムティ様は納得されているんですか?」
「なるほど」
淡々とフラハムティ様は頷いた。
「確かに、アルスからの報告にもあった通り、あなたはお年の割に敏いお方のようだ。そのご様子では、今回のことについてご自身なりに色々とお考えのことでしょうな」
いや、それより質問に答えてほしいのだが。
フラハムティ様はあさっての方向へと話をどんどん進めていく。
「しかし、私は心配です。今こうして単身こちらへ来られた素直なハルーティア様が、その懸命さと率直さのために、いつか何者かによって害されることがあるのではなかろうか、と」
「つまり、どういう意味……でしょう?」
嫌な予感がする。最近のこういう予感は外れたためしがない。
「ハルーティア様。今後は、私どもにあなた様を保護させて頂きましょう」
「保護って、何ですか? 監禁するってことですか」
「とんでもない。保護は保護です。あなた様の身の安全のため、より私どもに近いところでお過ごし頂くのがよろしいかと」
「待って下さい、今はそういう話をしてたんじゃありませんよね?」
「一番大事なお話は、御身の無事ではありませんか」
うわー、全然話が通じない!
もともと私の意見に耳を傾けてくれる気などなかったのだ。
私があれこれ詮索してうっとおしい様子だったら、多少のリスクを背負っても監禁してしまった方がいいと、そういう段取りだったわけである。あ、それでアルスさんがここにいるのか。私を混乱させて委縮させて、更には捕獲するための要員。……えげつなさすぎるだろう、フラハムティ様。
「私、定食屋へ帰りたいです」
「どうかそう仰らずに。それに、いずれ元の世界へお戻りになるおつもりなら、あまり彼らに情を移さぬ方がよろしいのでは?」
もうすっかり情なんて移ってしまっている。
だが――ああ。
フラハムティ様に目を付けられたのならもう駄目だ。
もしこのままフラハムティ様を振り切って定食屋へ戻れば、きっとご主人やおかみさんたちに迷惑をかけることになってしまうだろう。
私は自分の体から血の気が引いていくのを感じた。
何というべきなのか、言葉がまるで見当たらない。
そんな私の沈黙を、フラハムティ様は肯定と受け取ったらしい。
彼は満足そうに頷いた。
「ご安心ください。新しい滞在先には、オトゥランドの私邸を考えております。あの者ならばハルーティア様もよくご存じでしょうし、寛いで頂けることでしょう」
オトゥランドさんか。
当たり前だが、オトゥランドさんもこの人の手先ということなんだよな。
ああ……どうしよう。
「では、アルス。ハルーティア様をオトゥランドの家へお連れしなさい。くれぐれも丁重に、失礼のないようにな」
「かしこまりました」
ずっと部屋の隅の方で控えていたアルスさんが、初めて口を開いた。
とてもよく似た別人なんじゃないかと思うほどに、私の見知った彼とは様子が違う。目は伏せがちで、表情は全く変わらない。一挙手一投足に無駄な動きがなく、私の側へやって来て手を差し出した時など、笑ってしまうほどに“騎士様”然としていた。
私は差し出された手を無視して自分で立ち上がった。
アルスさんは、わずかに「おや」という顔をしたが、すぐに表情は消えてしまった。
「ハルーティア様、どうぞこちらへ。すぐに馬車をご用意いたします」
こうして私は、オトゥランド邸にて監禁もとい保護される運びとなったのである。