33.疑惑の芽はすくすくと育っています
雨は激しく降り続いている。
私は茫然と窓の外を眺めていた。
いや、眺めていたというのは語弊があるかもしれない。焦点の合わない目で、ただ窓の外へ視線を送っているだけだった。
フラハムティ様は何を隠しているのだろう。
(例えば――召喚の犯人、とか?)
いやいやいや。
まさか、と鼻で笑いたくなる。
自分の思い浮かべたあまりにも馬鹿らしい憶測。
けれど私の頬はぎこちなく引きつるばかりで、まるで笑えやしなかった。
それは確かに突拍子もない思いつきではあったけれど、考えれば考えるほど、十分にありえる仮定のように思われた。
もしかしたら、フラハムティ様は既に犯人を絞っているのかもしれない。
分かっているのに、私の前では未だ見つからないふりを続けている。
だとしたら、何のために。召喚の犯人を私に教えず、素知らぬふりをしている理由は何なのか。
(考え過ぎ……だと思いたいけど)
勝手な思い込みはよくない。自分にそう自分に言い聞かせてみるが、一度生まれてしまった猜疑の念はかき消しようもなく、私の胸にじわじわと広がっていく。
ならば、勝手な思い込みのままにしておかなければいいのか。
本人に――フラハムティ様に、確認してみるのはどうか。
リスクが高すぎるだろうか。
もし本当に召喚の犯人を分かっていて私に伏せているのだとしたら、問い詰めたところで素直に白状してくれるとは思えない。
しかし、このまま黙って大人しくしていて、一体何が変わるだろう?
(やっぱり、フラハムティ様に聞いてみよう)
いきなり疑っているような素振りを見せる必要はない。
単純に、現状把握をさせてもらえばそれでいいのだ。犯人捜しはどんな調子でしょうか、と、軽い感じで聞いてみよう。以前一度面会した時のように、今の状況を説明してもらえれば、意外とすんなり納得のいく理由が見つかるかもしれない。
となれば、まずはオルディスさんに会って、彼にフラハムティ様へ取り次いでもらう必要がある。魔術研究所へ弁当配達をする時に、どうにかオルディスさんを捕まえなければ。
私はぼすりとベッドへ身を沈めた。
高い天上をぼんやりと眺める。
尽きない疑念と共に、底の見えない言い知れぬ不安が、私の中で渦を巻いた。
・ ・ ・ ・
それから数日、雨は小降りながらも降り続いていた。
すっきりしない天気が続くと、気分も晴れない。
それでも仕事は仕事である。私はいつものように弁当を籠へ詰めると、王宮へ向かって出発した。
魔術研究所に、オルディスさんの姿は見えなかった。
ルーナさんの話によると、先日の地方での大雨被害に関して、色々とやらねばならない仕事が山積みらしい。オルディスさんはそちらの対応に追われているため、もうしばらくは研究所に顔を出せないだろうとのことだった。
「いやあ、堤防の始末は本当に大変でしたねえ。あれですよ、普段ほとんど魔術を使う機会なんて巡って来ないもんですから、久々に全力で術を行使したせいで、もはや木の実を食べ過ぎた小鳥のように『しばらく木の実は目にしたくない』状態に陥ってしまいましてね」
ルーナさんはやれやれと肩をすくめつつ、決壊した堤防の補強作業がどれほど大変なものだったのかを力説してくれた。
「小鳥だなんて、ずうずうしい例えだなあ」
コリーさんが弁当を籠から取り出しつつも、呆れたように声を上げる。
「ルーナはいくら食べたって食べ飽きるなんてことあり得ないだろ」
「失礼な! つまりはコリーの分のその弁当も食べてくれと、そう言いたいんですか?」」
「まあまあまあ。お二人とも、今回は本当にお疲れさまでした」
いつになくコリーさんのツッコミが辛辣なのは、ここしばらくセナさんが弁当配達に来ていないせいかもしれない。少し体調がよくないというので、私が続けて配達を引き受けているのだ。私としては、オルディスさんを捕まえるためにも、いくらでも配達を続けさせてもらいたいところなのだが……。
「でも、あれだね。『気脈』の歪みがとうとう自然界にも影響を及ぼし始めたんだな」
コリーさんは弁当をルーナさんに手渡しながら、神妙な顔でそう呟いた。
「コリー」
ルーナさんにたしなめるように名前を呼ばれたコリーさんは、はっと口をつぐんだ。
「あ……ごめん。ハルカちゃんの前で変なこと口走った」
『気脈』がわずかながらに歪んでいるという件は、表向きには伏せられているはずだ。一般人である私にも、もちろん聞かせるわけにはいかないのだろう――が。
今のセリフは、到底聞き捨てならない。
「あの、今の、どういう意味なんですか? 今回の大雨は『気脈』の歪みと関係があるっていうことですか?」
「ええと、いやあ~」
「まーったく、いつも余計なことばかりペラペラ喋っているからこういうことになるんですよ、コリー。……時にハルカさん、『気脈』の歪みのことはすでにご存じのようですね?」
胡乱な眼差しをコリーさんへと向けたルーナさんは、誤魔化そうとする彼の代わりに話を引き継いでくれた。
「あ、はい、事情があって、オルディスさんから教えてもらいました。原因不明で、一年近く前から『気脈』が歪んでしまっていると」
「おや、オルディス様が。ほほう、一体全体どういうご事情があるのか非常に気にかかるところではありますが、首を突っ込んだりすれば、すかさずオルディス様の鉄槌がその首めがけて振り下ろされるに違いありませんから、まあそこは触れずにおきましょう。でもとにかく、『気』の流れに歪みが生じているというのは、その通りなのです」
「『気脈』が歪んだままだと、大変なことが起こるとも聞きましたが……」
「ええ、ですから本来、『気脈』の歪みは看過されるべきではありません。が、歪みを正すことができないまま時が流れているがために、今回の大雨のような異常気象が引き起こされてしまったと考えられているのですよ」
まさか、今回の雨にそんな意味が――。
「今はまだ『気脈』の歪みに気付いている人は少ないけど、このままの状況が続けば、やがては皆の知るところとなるだろうね」
観念したように、コリーさんも話に加わった。
「このまま、どうしようもないんですか?」
「『聖域』を安定させる能力は、巫女様だけに与えられた力だからね。アルディナ様に頑張ってもらうしかないんだけど、そのアルディナ様が、『気脈』の歪む元となった『聖域』を感知できずにいるっていうから、お手上げだ」
そういえば、オルディスさんも言っていたっけ。
七つある教会のうち、どの教会の『聖域』が侵されたのかは分かっていない。なぜならアルディナ様にそれが見えずにいるから、と。
「このままでは、アルディナ様の進退問題に発展するのも間違いないでしょうねえ」
そんな――。
私は窓の外に目をやった。
雨はまだ止みそうにない。
・ ・ ・ ・
更に日が経ち、ようやく魔術研究所でオルディスさんを捕まえることに成功した。
研究所へ弁当配達に行くたびにコリーさんやルーナさんにオルディスさんへの言伝を頼んでいたから、とうとう彼も重い腰を上げて顔を出してくれる気になったようだ。忙しい中申し訳ないとは思うけれども、背に腹は代えられない。
「それで、一体何の用件なのだ」
案の定、無理やり呼び出された体のオルディスさんは、不機嫌極まりない様子だった。
「手短に話してもらおうか」
「えっとですね……」
私は愛想笑いを浮かべながら、頭をかいた。
よく見れば、若干オルディスさんの顔色が悪い気がする。日焼けとは無縁の人だから、普段から青白い顔をしているものの、病的な印象はなかったはずなのに。今は、どことなく頬もやつれ気味のように感じられる。
これは本当に、無理を押して来てもらったらしいと気付き、私は表情を引き締めた。
今日もまた私の分のお茶を出してもらえなかったが、それも仕方なしと割り切ることにしよう。
「フラハムティ様との面会を設定してもらえませんか」
オルディスさんの望み通り、単刀直入に申し出てみた。
これまた案の定、オルディスさんの表情が一気に歪む。そうだよな、多忙な時期に面倒事を持ちこまれれば誰だって嬉しくない。嫌がられることは、重々承知している。
「もちろん、今すぐにっていうわけじゃないんです。一週間後とか二週間後とか、先になって構わないので」
私は慌ててそう付け加えたが、オルディスさんの眉間に刻まれた深い皺が解かれる兆しは見えなかった。
「何のために面会を?」
「え?」
思わぬ問いかけに、私はぽかんとオルディスさんの顔を見返した。
「フラハムティ様と会って、何を話すつもりだ」
「何って……、召喚の犯人捜しの、進捗状況を教えてもらいたいなって」
「大きな進展はないはずだ。動きがあれば、あちらから知らせが入るだろう」
「そうかもしれませんけど、小さなことでもいいから、聞いておきたいので」
答えながらも、オルディスさんの強烈な拒絶の意思を感じ取って、私は不安になってきた。
どうして私がフラハムティ様と会うのをこれほど嫌がっているのだ。
会わせたくない理由は何?
やっぱりフラハムティ様は、私にとって都合の悪い「何か」を伏せている――。
しばし、私とオルディスさんの間に微妙な空気が流れた。
私がオルディスさんの意図をくみ取ったように、オルディスさんも私の中の疑念を読みとったのに違いない。それでお互い、次に発するべき言葉を見つけられずにいた。
「――とにかく。今は大人しくしておくことだ」
先に沈黙を破ったのはオルディスさんの方だった。
結局、それぞれの腹の中に溜めこまれた本音については、触れない方向で行こうということらしい。このまま私が「わかりました」と頷いて引き下がれば、この場はお開きになる。そして何事もなかったかのように、私はまた定食屋と王宮を往復する日々に戻るのだ。
それで困ることはない、ないけれど……。
「オルディスさん、私は納得がいかないんです」
私はあえて、本音を口にすることにした。
「宰相のフラハムティ様が、召喚の犯人をこんなに長い間見つけられないなんて、そんなことってありますかね? もし本当に見つけられないなら、王宮の体制に問題があるんじゃないでしょうか。だって、召喚術を使った犯人なんですよ。禁術ですよ。異世界から人呼んじゃったんですよ。そんな大それたことをした人物が特定できないまま野放しになってるんじゃ、誰でも異世界人呼び放題ですよ」
「ハルーティア」
「その辺りをフラハムティ様から説明してもらいたいんです。私……、本当は、フラハムティ様はもう犯人が分かっているんじゃないかって思ってます」
「ハルーティア、口を閉じろ」
オルディスさんは強い口調でそう命じた。
私は意図せず、言われた通りに唇を引き結んでしまう。魔術の授業中でもない時に、こんな風にはっきりと命令口調で物を言うオルディスさんは珍しかった。
「言っておくが、私自身、調査の状況については知らされていない。お前の懸念が的外れなのかそうでないのか――実際のところは分からないが」
オルディスさんは椅子の背もたれにゆったりと背中を預けた。
「いずれにせよ、首をつっこまぬ方がよい。お前に出来ることは何もないのだ、無駄にフラハムティ様に噛みつくような真似をするな」
その言葉を聞いて、私は逆に、ソファから立ち上がらんばかりの勢いでオルディスさんに詰め寄った。
「でも、このまま何もしなければ、もうずっと帰れないような気がして怖いんです。確かに私一人じゃ何も解決できないですけど、声をあげることくらいはしないと」
ああもう、もどかしい。
オルディスさんを論破しようなんていうのが、そもそもムリな話である。
それに、自分が何の策もなく動こうとしていることは分かっている。それでも気になるんだから仕方がないじゃないか。
どう言えばオルディスさんを頷かせられるだろうと難題に頭を悩ませる私を、オルディスさんは興味深そうに眺めているようだった。
「事なかれ主義で周りに流されるのは、お前の得意とするところではないか」
む、巫女時代に周りの言いなりになっていたことを皮肉っているのだな。
「そういう可愛げは、元の世界へ戻っていた一年でどこかに落としてきました」
「……なるほど、そのようだ」
ついには溜め息までつく始末。本当に失礼な男である。
「――よかろう」
「えっ」
反論の余地を探る私に、オルディスさんはあっさりと承諾の返事を寄こした。
「フラハムティ様と面会の約束を取り付けよう。だが、結果どうなっても私は知らんぞ。後のことはお前自身が責任を持て。私は止めたのだからな」
「は、はい。分かりました」
「確かに――このままでは何も変わるまいな」
最後の一言は、まるで独り言のように囁かれた。
「面会の日時は追って連絡する。それまでは大人しくしておくことだ」