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32.雨の日は心が沈みます

 数日後。

 その日はどんよりとした曇り空だった。


 思い返せば、この世界へ来て以来、あまり天気が崩れた記憶がない。

 もともと日本ほど降水量の多い世界ではないようなのだが、それでも、前の召喚の時はそれなりに雨は降っていた。ご主人達や店のお客さん達が「最近は雨が降らない」というような会話をしていたこともあったから、やはり、ここ最近の天気がおかしいのだ。


 今日は久しぶりに雨が降るのかな。


 私は弁当の入った籠を抱えながら、店の軒先から空を見上げた。

 降雨自体は喜ばしい事だけれど、弁当配達をする身にとってはやっかいなものである。降られる前にさっと弁当配達をしてしまおう。

 念のため、雨よけ用のマントを籠に放り込み、私はお店を出発した。



 王宮へ到着すると、いつもよりもどこか慌ただしい様子だった。

 全員が全員というわけではないが、あくせく移動している役人が何人かいるようだ。

 何かあったのだろうかと思いながら、私はいつも通り真っ直ぐ魔術研究所へと向かった。コリーさんかルーナさんがいたら、何事が起こったのか聞いてみよう。


 しかし、研究所へ向かう途中の廊下で、私は思いもよらぬ人から声をかけられ足を止めることとなった。

 ソティーニさんである。


「ハルカさん、こんにちは」

「あ、ソティーニさん、どうも」

 私は軽く頭を下げた。あまり下げ過ぎると、弁当籠の重さで大変なことになってしまう。


 それにしても、何故こんなところにソティーニさんがいるのだろう。

 今日もオルディスさんを追いかけてきたのだろうか? 気にはなったが、その辺りを突っ込んでしまうと、再びオルディスさん関連であれこれ難癖をつけられてしまうかもしれないから黙っておくことにした。

 だが、実際のところは、もうその心配もないのかもしれない。ソティーニさんの私への態度は、先日からすっかり軟化している。今日だって、彼女の表情はいたって穏やかだ。胃袋を掌握することに成功した上、彼女の主であるアルディナ様とも懇意にさせてもらったからだろうか。

 それはそれで、大変ありがたいことなのだけれど。

 残念ながら、あまりソティーニさんとも関わるわけにはいかない。何せついこの間、ノエルにきつくお灸をすえられたばかりである。


「ハルカさん、この間は悪かったわね。あの後……大丈夫だったのかしら?」

 当のソティーニさんも同じことを気にしていたようだ。「あの後」とは、もちろんノエルに引きずられるようにしてアルディナ様の私室を出た後のことに違いない。

「あ、はい、大丈夫でした。ただ、次はないと釘を刺されてしまいましたが」

「ノエル殿ならそう言うでしょうね。あの方、任務には忠実だけれど、融通がきかないんですもの。アルディナ様もあの方に怒られてばかりだというのに、すっかり彼を信じて頼りきってしまっているのも頂けませんわ」

 私としては苦笑するほかない。

 巫女当時、まさに同じようにノエルに頼りきっていた私である。


「でも、残念ね。アルディナ様、あなたことをとても気に入っていらっしゃったのに」

「私も残念です」

 素直に頷くと、ソティーニさんは思い出したように手を打った。

「ああ、そういえばあなた、レイバーン様にも会ったのですって?」

「え?」

 レイバーンさんといえば、ノエルに声をかけてきた、あの中性的な神官の青年だ。

「ああ、ごめんなさい、あなたが名前を知っているはずはないわね。神官居住区の出口で、男性神官に呼びとめられたでしょう。彼のことよ。どうもあなたのことを気にしていたようだったから、私も困ってしまったわ。あなたがどこの娘なのか、何故私と知り合いなのか、何のために居住区へ呼んだのか、根掘り葉掘り聞いてくるんですもの」

「そ、そうだったんですか」

 それはあれか、部外者が居住区に立ち入ったことが気に食わなかったから、ということでいいのだろうか。それとも他に思惑があってのこと? 冷や汗が背中を伝う。

「あなたにお話しする謂われはないと、きっぱり言ってやりましたけれどね。私はどうも、あの人を好きにはなれないわ」

 ソティーニさんは人の好き嫌いが激しすぎやしませんか。

 まあ、誰にでもいい顔を振りまく人よりは裏表がない分接しやすいのかもしれないけれど。


「あの、それで今日は……」

「あら、話が逸れましたわね。今日はね、あなたの無事を確認したくてここまで足を運んだのよ。私よりもアルディナ様の方が気にされて、あなたの働く定食屋まで遣いをやると仰って大変だったの。神官の遣いが突然街の定食屋に現れたら、あなたも困るでしょう?」

「ええ、それは、さすがに」

 ソティーニさんが止めてくれて助かった。

「そうしたら、ぜひ次の配達の時にあなたの安否を確認してほしい、とね」

「わざわざすみません。アルディナ様に、どうかお気になさらないで下さいと伝えて頂けますか? ノエル様も、そんなに怖い方ではなかったですし」

 そう言うと、何が面白いのか、ソティーニさんはふふっと笑った。

「あなた、変わっているのね。普通の娘は、ノエル様と二人きりで並んで歩くなんてことになれば、舞い上がってしまって言葉もろくに交わせなくなるそうですのに」

「いや、素敵だと思うより先に、あの迫力に気圧されてしまったと言うか。ソティーニさんこそ」

「わたくしは、オルディス様一筋に決まっているじゃありませんか」

 鋭い一睨みが飛んできた。調子に乗り過ぎたようである。

「あ、そうですよね。じゃあ、そういうことで。私は弁当配達の時間がありますので」

 深入り前に戦線離脱だ。

 今一度頭を下げて立ち去ろうとした私に、しかしソティーニさんはなおも声をかけてきた。


「お待ちなさいな。これから魔術研究所へ行くのでしょう? でも、今は出払っていて人はほとんど残っていないはずよ」

「え、そうなんですか?」

 そう言われれば足を止めざるを得ない。

 再び振り返った私に、ソティーニさんは詳しい事情を話してくれた。


 何でも、国の外れの田舎町では、現在大雨が降っているそうだ。

 その雨は何十年に一度という災害レベルだそうで、今朝がたには川が増水しすぎて、土手が決壊してしまったのだとか。町の被害は甚大で、住人達は全員避難中。既に何人かの死者が出てしまっているらしい。

 とにかくも、まずは川の氾濫による被害を最小限に食い止めるべく、魔術師達に出動命令がかかったということだった。魔術師達の術を使って、決壊した土手を一時的に補強するのだ。


「全然聞いていませんでした」

「急な出動命令でしたからね。オルディス様もそちらの応援に回っていらっしゃるそうなの。オルディス様ほどの高位魔術師ならば、王宮に留まっていらしてもよかったはずですのに、あえて現場の指揮をとりにいらっしゃったのだから、本当に素晴らしいお方だわ」

 ソティーニさんはうっとりとした表情を浮かべた。

 しかし、そうか。オルディスさんもいないのか。当然、コリーさんやルーナさんも出ているのだろう。王宮内がどこか浮ついていたのもそのためだったようだ。


「一応、念のために研究所に顔を出してみます。どなたかいらっしゃるかもしれないし」

「そう。それじゃあわたくしはもう戻ります」

「はい、ありがとうございました」

 去っていくソティーニさんの背中を暫く眺めてから、私もその場を後にした。

 

 まもなく到着した魔道研究所には、確かに人の気配がほとんどない。

 一応留守番の職員が何人かいたものの、私の見知った人達は全員出払っているようである。弁当は留守番の職員が預かってくれるということなので、言われた通り置いていくことにした。

「申し訳ないね、せっかく弁当を運んでくれたのに」

 小柄な中年のおじさんが、籠から弁当箱を取り出すのを手伝ってくれた。

「いえ、皆さんの力で、無事川の氾濫が抑えられればいいんですけど。……雨、そんなにひどいんでしょうか」

「そのようだと聞いているよ。王都も、この曇り空じゃあそのうち降り出すかもしれないねえ」

 おじさんと共に、窓から空を覗きこむ。

 相変わらず、今にも降り出しそうな曇天だった。


・   ・   ・   ・


 定食屋に戻ると同時に激しい雨が降り始めた。


 危ない危ない、何とかぎりぎりセーフだ。

 どうにか降られる前に帰ってこれたが、もし途中で降り始めていたら、雨よけのマントなど到底意味を成さなかったと思われるほどの、どしゃぶりの雨である。


「こりゃあ今晩の客入りは見込めそうにないな」

 軒下から空を見上げたご主人が呟いた。

 確かに、いくら王宮から近いところにあるとはいえ、こんな日にわざわざうちの定食屋まで足を運んでくれるお客さんは限られるだろう。


「今日は夜の仕込みの量を減らそう。ハルカちゃんは部屋で休んでくれていいよ」

 閑散とした昼の営業を終えて、夜に向けての準備が始まる。が、ご主人の気遣いによって私はお役御免となった。閑古鳥が鳴いていようとやれることは何でもやりたい気持ちなのだが、元気とやる気はここ一番の時に取っておけというのがご主人の信条だ。いつでも全力疾走をしていては、いざというときにばててしまうから、と。


 結局お言葉に甘えて自室に引っ込んだ私は、しかしやることもなく手持無沙汰で、ただぼんやりと窓の外を眺めることになってしまった。こういう時に、何かインドアな趣味があればいいのだろうなあ。巫女時代に勧められた編み物やパズル(のようなもの)は、どうにも性に合わず、夢中にはなれなかった。本を読むのは好きな方だが、この世界の文字はあまり読めないのでそれもできない。


 ……暇だ。


 私がこうしてのんびりしている一方で、オルディスさんを初めとする魔術師達は、今頃防波堤の補強のために忙しく立ち回っていることだろう。それを思うと、何だか申し訳ない。


 しかし、オルディスさんが人命救助か。

 失礼な物言いであることを重々承知で言わせてもらうと、ものすっっごく意外である。

 ソティーニさんは、彼の立場上、本来はそうした活動をする必要がないと言っていたが、むしろ率先して行動せねばならない立場にあっても、腰を上げるのを最後まで渋りそうだ――というのが私の中のオルディスさん像なのである。


 よほど現地の状況が悪いのか。

 いや、もしくは、私のいない一年半の間に彼の人となりに多少変化が見られたのかもしれない。


(だとしたら、確かにこの世界でも時が流れていたんだなあ)


 うーん、何だか感慨深いものがある。


 以前の召喚の際は、元の世界へ戻った時には、召喚時から一分たりとも時が流れていなかった。召喚されたその日のその時間へと帰還を果たしたのである。

 それを知った時には大きなショックを受けたものだ。いや、もちろん、現実的に言えば、下手に時間が流れて神隠し扱いになっているより断然良かったに違いないのだが、理屈では飲み込めない理不尽さを強く感じたのだ。

 巫女としてこの世界で過ごした私は、たくさん辛い思いもしたし、努力もしたし、逆に嬉しいこともあったのに。それが全部、無かったことになってしまったような気がして途方に暮れた。


 でも、今こうして再びこの世界へやって来て、懐かしい人達と再会して。やっぱりあの一年は確かに存在したのだと思い知る。皆少しずつ変わっている。立場も思いも、その人を取り巻く全てが――そう、少しずつ。


 でも、私だけ、あまり変わっていないんだ。


 やたら図太くなったということは自覚しているけれど、それくらいか。

 ノエルには「変わった」と言われたけれど、恐らくそれも「図太くなった」と同意義だ。

 花も恥じらう乙女としては残念な評価である。



 この世界へ来て――もうそろそろ四か月近くが経とうとしている。


 出だしこそ、頑張った。それは認める。自分で自分を褒めてあげてもいい。

 餓死しかけたところ、この定食屋に辿り着いたのは私最大のファインプレーである。こんなに優しい人達のところで保護してもらえたことは、非常に幸運だった。まあ、幸運も何も、温情でもって拾ってくれたご主人達のおかげではあるのだが。


 でも。でも、だ。

 それから私は一体何をしただろう?

 弁当を売り歩いて、どうにかツテを作って王宮に顔を出して。宰相のフラハムティ様を巻き込むところまではまだ順調だったと言えるかもしれない。でも、そこから先はどうなのだ。

 この体たらく――ひどいものだ。何も話は進んでいない。私を召喚した犯人の、その尻尾さえつかめない状況が続いている。


 人任せにしているから悪いのだろうか。

 フラハムティ様が、犯人を見つけて私を帰してくれると約束してくれたからって、完全にそれに甘えている。自分では全然動いていない。


(――あれ)


 私は窓の外を見つめたまま、ぱちぱちと目を瞬いた。


 今、何だか、おかしくはなかっただろうか?


(何が?)


 ゆっくりと自問する。

 唐突に胸に沸き起こった疑念の芽をしらみつぶしに探す。

 そして――。


(ああ、そうだ)

 分かった、何がおかしいのかが。


 ――そもそも。

 どうしてこんなに長い間、犯人が見つからないのだろう。


 フラハムティ様に犯人探しをお願いしたのがすでに二か月以上前。

 フラハムティ様やオルディスさんは、アルディナ様と対立している派閥が今回の犯人である可能性が高いと、最初の段階で話していた。その対立派閥の人達を調査するのに、何か月もかかるものだろうか?

 あるいは、彼らは「白」だったのだろうか。

 それで調査が行き詰まり、暗礁に乗り上げてしまった?


 いや、だがしかし。

 例え、彼らが白で、他で犯人捜しをしなければならなくなったとしても、だ。


 異世界から娘を呼び出す召喚術は、禁術中の禁術と言われている。

 一般人が気軽に接することなど到底できない秘匿の術であり、国によって厳密に管理されているものだ。国に認定された召喚師は片手で数えるほどしかおらず、彼らは国宝級の扱いを受けている。

 そんなとんでもない術を使って私を呼び出した人物がどこかにいるのだとすれば、アルディナ様の対立派閥であろうがそうでなかろうが、何故未だに見つけられないのか。ルートはごくごく限られているはずではないか。


 もちろん、例えば私が一人で犯人を探そうとしたところで埒が明かなくとも仕方がない。

 なぜなら私は、呼び出された当事者とはいえ、あまりに召喚術とは遠いところにいる。もっと言えば、国の中心を取り巻く人々からは離れ過ぎていて、手の打ちようがないのである。


 でも。

 フラハムティ様は違う。


 彼はこの国の宰相だ。ある意味、国の頂点に立つ国王に一番近いところにいる。彼ならば国の大部分を掌握しているはずなのだ。

 そのフラハムティ様が指揮をとって犯人探しをしておきながら、数か月も経った今でさえ、犯人の影も形も見当たらないなどということがあり得るのだろうか。コソ泥を追うのとは訳が違う。“召喚術を行使した犯人”を“国の宰相が”追っているのだ。


(どうして、未だに見つからないの?)


 何だか、動機が激しくなってきた。

 嫌な予感がのっそりと私の心の中に首をもたげてくる。


 フラハムティ様は――何かを、隠している?

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