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31.ご近所付き合いは難しいものです

 そろそろ出口というところで、私達を――正確には、ノエルを呼びとめる人がいた。

 呼ばれるままに振り返ると、こちらへゆっくりと近づいて来る細身の男性の姿が見える。


「ノエル様、どうもお疲れ様です」

「レイバーン殿」


 ノエルが呼んだ名前に聞き覚えがあった。というか、私もその人を知っている。


 白にも近い薄い金の髪は、短髪というには少し長い。背は高いが男性にしては華奢な方で、全体的に中性的なイメージだ。身にまとう白のゆったりとした衣服は、上位の神官の証。


 レイバーンと呼ばれた彼は、まだ若いながらも頭角を現しつつある神官の一人である。神に仕える徒とはいえ、神官達の世界でも、普通は上層部へのし上がるにはそれなりの家柄とコネが必要になるものらしい。つまり、将来有望と言われる彼はいいところのお坊ちゃんであり、その上、豊かな魔力にも恵まれているということだった。

 そんな彼だから、当時巫女であった私とも何度か顔を合わせることがあった。といっても、挨拶程度の言葉をいくつか交わしたくらいの関係で、お互い相手のことはほとんど知らない。当時の私もだが、彼も社交的なタイプではないようだった。


「アルディナ様のところへ寄られたのですか」

「ええ、まあ」


 受け答えしているノエルの背中で、私は三歩ほど後ろへと下がった。

 できることなら、私の存在はスルーしてほしいところだ。


 しかし、やはりそういうわけにもいかなかった。

 レイバーンさんはちらりと私に視線を寄こすと、品定めをするように頭のてっぺんから足のつま先までこの貧相な身を眺めまわした。なぜ一介の町娘がこんなところに、とその視線が語っている。うう、それはいいけれど、どうか私が元巫女のハルーティアだと気付かれませんように。


「そちらは?」

 案の定、レイバーンさんは私の存在を持ち出した。

「……ソティーニ殿の知り合いの娘です。少し事情がありまして。もう帰すところですが」

 ノエルが低い声で答える。

 私は俯きながら、へこりとレイバーンさんに頭を下げた。

「そうですか」

 幸いなことに、レイバーンさんにはそれ以上追及するつもりがないようだ。恐らく、ノエルのあまり語りたがらない空気を読み取ってくれたのだろう。


「ところで、そろそろ再びの『巫女巡礼』について検討しなければなりません。打ち合わせの日程などは追ってご連絡いたしますので、よろしくお願いします」


 巫女巡礼。それは懐かしい単語だった。

 私にも経験がある。『気脈』の通った教会を巡り、『気』の流れを正す儀式を行うこと――恐らく、アルディナ様の場合は、正された『気脈』がきちんと整っているかを確認しに各教会を回ることを指すのだろう。

 以前にオルディスさんから聞いた話では、すでに『気脈』の乱れた教会があるということだった。

 それがどこかはまだ判明していないはずだ。巫女の資格を受け継いだアルディナ様にも見つけ出せないのだという。だからこそ王宮中がやきもきしているという話だったが……。

 再び巫女巡礼を行うということは、乱れた『気脈』を特定する目処が立ったということなのだろうか?

 何にせよ、私があれこれ考えたところでどうなる問題でもない。どの『気脈』が乱れているか分からないなら全部を今一度整え直せばいいと思うが、それをしないということは、何らかの制約があるだろうし。

 ……ちょっと気になるな。今度、オルディスさんにでも状況を確認してみようかな。


「分かりました。アルディナ様にもお伝えしておきましょう」

「お願いします。それでは、失礼」


 レイバーンさんは、ごくごく事務的な会話だけを残して去っていった。

 私は密かにほっと息をついた。やはり、普通にしていれば私が元巫女だとバレることはない。すぐに見抜いたノエルやオルディスさんが異常なのだと再確認できた。あんまり誰かれ構わず露見するようなら、王宮への弁当配達自体を考えなければならないと思っていたが、まあ大丈夫だろう。


「ノエル……様。ここまでで大丈夫です。ちゃんと真っ直ぐ定食屋へ戻ります」

 そろそろ人の目が気になるところだ。

 私はぎこちない丁寧語を使いながら、ノエルに「もう一人で帰れる」と釘を刺した。ノエルも心得たもので、他人行儀な様子で小さく頷いた。

「今後はこのようなことがないように」

「はい、気をつけます」

 神官居住区に近づけないということは、またノエルと会えることもなくなるということだ。それを思えば寂しくもあるが、そもそもこの世界へ戻った時点では、ノエルと再会できる見込みなど全くなかったのだから、こうして何度か会って言葉を交わせただけで、お釣りがくるレベルのラッキーである。

 そう思うことにして、私はノエルに頭を下げると、そのまま振り返ることなく居住区を後にした。


 次また会えることがあるとしたら、それはまた新たな問題が持ちあがった時なのかもしれない。

 悲しいことに、お互いの立場からして、巡り合わせは少ないに越したことはないのだった。


・   ・   ・   ・


 定食屋へ戻ると、ご主人達が夜の開店準備を進めているところだった。


 特段変わったところもなく、ご主人とおかみさんは黙々と作業に勤しんでいる。……のだけれど、何だかどうも様子がおかしい。どこ、とはっきり指摘することはできない。しかし、空気が重いというか何というか、目には見えない部分で微妙な違和感を覚えるのだ。


「ただいま戻りました。……あのう、何かありました?」


 ご主人達とは少し離れたところで作業をしていたセナさんに、こっそりと問いかけてみた。セナさんは苦笑しながら、まあね、と頷く。

「店の雰囲気、明らかに暗いでしょ。店を開ければ、ご主人さんもおかみさんも調子を取り戻してくれると思うんだけど。……実は、ちょっとよくない知らせが王宮から入ったものだから」

「王宮から、よくない知らせ?」

 鼓動が跳ねあがる。

 王宮、と聞けば、私絡みで何か迷惑をかけたのではないかと思わずにはいられない。

「一時期さ、うちに、嫌がらせする兵士の客が出入りしてたことあったじゃない?」

 あのセナさん大立ち回り事件で終結した一連の出来事のことか。

「あの後、結局こっちから王宮にあいつらを訴え出たりはしなかったんだけどさ、どうやら王宮の方でも問題になったらしくて。それで王宮側が、状況の確認をしてくれていたそうなんだよね」

 なるほど。

 でも、それってどちらかというといい知らせなのでは?

 そんな思いで首を傾げると、セナさんは口をへの字に曲げてふるふると首を振った。

「そうしたら、ガラの悪い兵士達が白状したらしいの。あの一連の嫌がらせは、人に頼まれてやっていたことだって」

「えっ」

「しかも、その依頼人っていうのが、うちの同業者――同じ街の飲食店だったらしいんだよね」


 あの嫌がらせが――同業者に仕組まれたものだった?


 私はあ然としてしまって、まるで言葉が出てこなかった。

 いい人達ばかりだと思っていたこの街で、そんなことを企む人がいるなんて。


「その店と兵士達の間には金銭のやり取りまであったそうで、今日、どちらも罪に問われることが決まったそうだよ。うちは被害者だったから、その知らせが来たの」

「そんな……」


 セナさんの話によると、例の兵士達は、何度か出入りしていた別の飲食店の店主から、内々に嫌がらせの依頼を受けたのだという。人や物に危害を加えることなく、あくまで「嫌がらせ」レベルでちょっかいを出してほしい、と。

 兵士達は謝礼を受け取り、言われた通り些細な嫌がらせを始めた。それでうちの店の雰囲気が険悪になり、客足が遠ざかればいいとそこの店主は考えていたようだ。しかし、セナさんが派手に反撃してくれたおかげで、事態は深刻なものとなった。結局王宮側も捨て置けないということになり、調べがついて、あっさり兵士も店主も逮捕。

 取り調べに対し、その飲食店の店主は、うちが「妬ましかったから」嫌がらせをさせたのだと答えたそうだ。うちの定食屋だけが王宮への商品提供を許されているのは贔屓であり不当だ――、つまりはそういうことらしい。

 しかし、そんなのは逆恨みじゃないのか。

 だって、商売というのは、発想の早い者勝ちみたいなものだろう。出遅れて王宮から門前払いを食らったからといって、そこまでこちらもフォローしきれない。それで逆恨みして嫌がらせとは、迷惑にも程がある話だ。

 私が息巻いて力説すると、セナさんも頷いてくれた。が、周囲への気遣いは必要だったとご主人達は考え、落ち込んでいるらしい。王宮近くで商売をしている飲食店は、それで一つの組合を作っているらしく、互いにそれなりの付き合いがある。ライバルとはいえ赤の他人ではないのだから、事前に何の相談もなく王宮から商売の許可をもらうのは少々まずかった、と。


「人が良すぎます、ご主人もおかみさんも」

「私も、うちが『悪いこと』をしたとは思ってないよ。でも落ち度はあったのかもしれないね。いい悪いじゃなく、周りとの軋轢を生まないようにする配慮は必要だったのかもしれない。現に今、こうしてやっかみを受けているわけだから。嫌がらせなんて馬鹿馬鹿しい行動に出たのは一店だけでも、同じように面白くないと思っている店はたくさんあるのかも」

「それは……そうかもしれませんが……」

 近所の飲食店に、うちが煙たがられている?

 その可能性を考えると、とてもショックだった。

「これからは、近所付き合いも考えていかないといけないね。すぐにどうこうできるものでもないけどさ」

 私は小さく頷いた。



 夕陽が沈む頃、街には魔道具による明かりが灯り始める。

 どの家も店も、それほどたくさんの魔道具は使えないから、明かりと言えどささやかなものである。けれど暖かい仄かな明かりが点々と灯り、街をぼんやりと浮かび上がらせる様は、どこか神秘的で美しかった。


 ただし、うちを含め、夜に店を開く飲食店は別である。

 精一杯の明かりを灯し、客を呼び込む。


 私は、客の見送りついでに店の軒先へ出ながら、大通りを見渡した。

 うちと同じくらいの煌々とした明かりを放っているのは、あちらに一店、向こうにも一店。うちと同様、王宮勤めの役人達をメインの客層に据えた店だ。普段あまり意識していなかったけれど、こうして明かりを頼りに遠くまで眺めてみれば、かなりの数がある。

 少し裏通りへ入れば、飲食店のターゲットは一般家庭の方へ移る。富裕層寄りの住宅街が近いからだ。

 こちらの世界では、普通の家庭が外食をすることは日常的なことだという。さほど店の価格設定も高くはないし、何より料理の質がいい。家で手間暇かけて料理をするよりは、美味しくて安いプロの料理を食べた方がいいと思うのは道理である。それに、もしかしたら普通の家庭は魔道具を必要とする台所施設があまり整っていないのかもしれない。

 私が考えているよりも、普通の人にとって「料理」というものは敷居が高いもののだろうか。一般家庭の料理レベルが上がらないのには、そうしたいくつもの事情が絡んでいるからなのだろう。


 まあ、それはとにかく。

 頭の中で思い浮かべてみても、結構な数の飲食店がこの街には広がっている。

 そうした中で、うちの定食屋だけが王宮に出入りしているというのは、確かに特殊なことなのかもしれない。嫌な言い方をすれば、悪目立ちしているというのも分かる。しかし、ならば弁当配達を止める、というのは違うのではないだろうか。

 もっと別の方法で、他のお店との軋轢を和らげることができればいいのに。


 私は夜空を見上げた。

 元の世界では見られなかった、満天の星空だ。

 とても美しい――けれど、世界は、美しいものばかりではない。そうでないものと向き合うことも大切なのだと、改めて思い知らされた晩だった。

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