父親からの最期の手紙で知った死地
短編投稿です。
先日祖母から聞いた話を小説におこしました。
読んでいただけると嬉しいです。
2026年夏。私は祖母が剥いてくれた林檎をかじりながらに一つ問いかけた。
「ひいおじいちゃんってどんな人だったの?」
私は曽祖母には幼少期に一度だけ会ったことがあったが、曽祖父に会ったことはない。
第二次世界大戦時、徴兵されてそのまま亡くなったと十代の頃少しだけ聞いたことがあるだけだ。その時はあまり詳しく教えてくれなかったのだが、二十年経った今、改めて聞いてみることにしたのは、祖母も齢九十を超え、戦争経験者が間もなく身内からいなくなる可能性が高くなってきていたためである。
父方の祖父母はもういないので、残るは母方の祖母であるこの人のみなのだ。
祖母は私の質問を受け、数秒目を閉じたあと、遠い日を思い出すかのように話し始める。
「お父さんはね、それは頭のいい人だったのよ。中学校の先生をしてたの。私や妹たちのことをとても大事にしてくれたわ」
言葉を区切り、一口珈琲を口にして続ける。
「……重田の三人兄弟の末息子でね。体格もよくて、周りからも慕われていた。戦時中とはいえ広島の田舎だったからね。案外平和に暮らしていたのよ。……でも、そんな平和はあっという間に崩れ去った。私が九つの時に、赤紙がきたの」
赤紙。言わずもがな徴兵の知らせだ。
「……その時って、義一大叔父さんは生まれてなかったんだよね?」
「そう。よっちゃんはまだお母さんのお腹の中にいたのよ。……お父さんは、初めての息子の顔を見ることなく亡くなったわ」
祖母には四人の弟妹がいる。妹が三人と、弟が一人。弟の義一大叔父さんとは九つ離れていて、曽祖父が徴兵された時にはまだ生まれていなかったらしい。
「お父さんもよっちゃんも可哀想に。待望の男の子だったのにね。……お母さんも苦労したと思うわ。元々いいとこのお嬢さんでね、十代の頃まで髪も自分で結ったことのない人だったのよ」
「それはすごいね。……そんな人が一人でおばあちゃん達を育ててきたんだ」
「……そうね。母方の実家に頭下げて、仕事をもらって……私を看護学校にまで進ませてくれたわ。中学にはほやま銀行の元頭取とかもいたのよ?」
祖母はたまに自身の周りの自慢をしたがる。聞く話が本当なら、確かにすごい経歴をもった人たちではあるが、今私が聞きたいのはそこではない。
脱線しかけた話を戻すべく、また質問をする。
「すごいね。それで、ひいおじいちゃんが徴兵された後はどうしたの?」
「……赴任先からね、手紙が来たのよ。勿論検閲済みのもの。そこにはこう書かれていた。『私の書斎にある机の右側。三つある引き出しの真ん中に入った小箱を開けなさい』ってね」
「……何が、入ってたの?」
祖母を見つめながら問いかけると、祖母は再び目を閉じて数秒黙った。
夕方のダイニングには私達しかいない。二人の間に静寂が訪れたあと、祖母はゆっくりと口を開く。
「……指示された引き出しにはね、確かに小箱が入っていた。その中にあったのは、赤ん坊の拳程の小さな石だったわ」
「……石?」
「そう、石。私もお母さんもそれがなんなのかわからなくて、訝しんでいたんだけどね。……箱の側面にお父さんの文字でその石の名前が書かれていたわ──」
「──硫黄、とね。」
私は、息を飲むことしかできなかった。
『硫黄』を指す意味は、私でもわかってしまったから。
徴兵後の赴任先は、家族にも告げてはいけなかったと以前ネットで読んだことがある。曽祖父だって例に漏れず祖母達には告げられない。そんなことをすれば検閲に引っかかってしまう。
だから曽祖父は、暗号のように手紙に記したのだ。直接は伝えられないけれど、その方法なら家族に自分の居場所が伝えられるから。
「……じゃあ、ひいおじいちゃんは、硫黄島に……?」
「……そうよ。硫黄島で死んだわ。頭のいい人だったからね、後方の部隊にいたらしいのだけど……帰ってはこなかった」
「そう……なんだ…………。でも、なんでひいおじいちゃんの机にそんな鉱石が入ってたの?」
普通硫黄の鉱石なんて一般家庭にあるはずがない。私はそこが不思議だった。
でも祖母はなんてことないように答える。
「学校の先生だったからね。そういうのが好きだったのよ。他にもいろんな鉱石を蒐集していたわ」
また一口珈琲を飲んで、祖母は言う。
「それからは手紙は来なかった。私達も広島から岡山に引っ越してね。その一週間後には原爆が落ちて……間一髪だったわ」
昔から色々な土地に住んできたとは聞いていたが、まさかこんな身近に原爆の被害から辛くも逃げられた人がいるとは思わなかった。
私が神妙な面持ちでいると、祖母は寂しそうに続ける。
「お父さんのすぐ上のお兄さんは原爆で亡くなったのよ」
「え……」
「女学校の教頭をやっててね。建物疎開中に……」
『建物疎開』がわからず、後日検索したところによると、空襲による火災を周囲に広げないために予め建物を壊しておく作業のことらしい。
そんな作業を率先してやっていたのが曽祖父の兄だったと。
「……たくさん、亡くなったわ。でもやっぱりお父さんが亡くなったことが一番悲しかった。もう九十も過ぎたけれど、未だ硫黄島には行けないし、靖国にも行けない。……行きたくないのよ」
祖母の声は、震えていた。
それはまだ祖母の中で大切な家族を失った傷が癒えていないと言うことを如実に表していて、私はやるせない気持ちになる。
最後の一つのりんごをしゃくりと喰む。
外からは絶えず車が行き交う音が聞こえ、言葉のない私達を包んでいた。
終戦から81年が過ぎた今も、祖母の心は戦争という悲劇から抜け出せていないのかもしれない。私にはそんな祖母にかける言葉は見つからなかった。
最後に祖母はこう締めた。
『戦争なんて馬鹿のすることだ』と。
吐き捨てるように呟いた祖母の姿は、普段は気の強い彼女が唯一見せた弱々しいもの。
「……珈琲、おかわりいる?」
「……そうね。ありがとう」
もうこれ以上聞くことはできない。
私はからのマグを持ってキッチンへ移動する。
インスタント珈琲の香りが鼻をかすめる。それは私と祖母を僅かながらに癒そうとしているように感じた────
お読みいただきありがとうございました。




