23 少し外の空気を
その翌々日、キャサリン姉様が「少し外へ出ましょう」と誘ってくれた時、私は最初、あまり乗り気ではなかった。
ずっと家の中にいるのがよいとも思わない。
けれど、外へ出れば誰かに会うかもしれないし、会えば何かしら聞かれるかもしれない。
いまの私には、その“何かしら”がひどく面倒に思えた。
けれど姉様は、そんな私の気持ちを見透かしたように、あくまで軽い口調で続けた。
「大げさなお訪ねじゃないわ。ホテルのティールームでお茶を飲んで、少しだけ店をのぞいて帰るくらい」
「それでも、人には会いますでしょう」
「ええ、会うかもしれないわね」
姉様は鏡の前で帽子の飾りを整えながら、ちらりとこちらを見た。
「でも、会ってしまった時にどう振る舞うかも、そろそろ思い出しておいたほうがいいわ」
その言い方に、私は何も返せなかった。たしかにその通りだ。
婚約のことがどう転ぶにせよ、いつまでも家の中だけで済む話ではない。
外へ出れば、まだ何も知らない人たちに、今まで通りの顔で接されることだってある。
結局、私は出かける支度をした。
姉様は、あえて華やかすぎない薄鼠色のドレスを選んだ。
私のほうも、濃い色は避けて、やわらかな藤色のものにする。いかにも気晴らしに連れ出された妹、というような気の毒な見え方はしたくなかったし、だからといって浮き立って見えるのも違った。
◇
馬車の中で、姉様はとりとめのない話をする。
留学先から届いた婚約者から手紙のこと。先日仕立ててもらった春用の外套が、思っていたより袖口の形を選ぶこと。
返事に困らない話ばかり。その気づかいが、ありがたかった。
ティールームは、いつも通り上品に賑わっていた。
銀のポット、焼きたての菓子の匂い、低い話し声、時おり触れ合う磁器の音。
そんなものに囲まれていると、家の中で固くなっていた気持ちが、少しだけほどける。
窓際の席に着いて、最初の紅茶を口にした時、私はようやくちゃんと息をつけた気がした。
「ね」
キャサリン姉様が、いたずらっぽくおっしゃる。
「来てよかったでしょう」
「……少しだけ」
そう答えると、姉様は満足そうに笑った。
ところが、落ち着いたのも束の間だった。
「まあ、キャサリン様にイブリン様」
明るい声に振り向くと、顔見知りのミセス・ハワードが立っていた。
姉様の社交界の知り合いで、悪い方ではない。悪い方ではないからこそ、こういう時に少し厄介でもある。
私たちが立ち上がるより先に、彼女はにこやかに席のそばまで来た。
「ご一緒してもよろしくて?」
断れるはずもなく、姉様が自然に受けられる。
ミセス・ハワードは腰を下ろすなり、私の帽子を褒め、姉様の手袋の色合いを褒め、それから何でもない顔でこうおっしゃった。
「そういえば先日、グランヴィル様をお見かけしましたのよ」
私は持っていたカップの取っ手に、少しだけ指先を強く添えた。
キャサリン姉様の視線が一瞬だけこちらへ来る。
「そうでしたの」
姉様の返しはごく穏やかだった。
「ええ。ボンド街で。とてもお優しそうに、従妹の方をエスコートしていらして」
その言葉は、悪意なく、ただ見たものをそのまま口にした響きだった。
だからこそ、こちらの胸にすっと入ってくる。
「従妹の方、ずいぶん繊細そうな方なのねえ。お顔色も白くて、少し歩くだけでもお疲れになりそうなくらいで」
私は黙っていた。
何か言えば、声が変になりそうだったからだ。
ミセス・ハワードは、そこへさらに続けた。
「でも、帽子店ではずいぶん熱心に選んでいらしたわ。リボンも羽根飾りも、あれこれ鏡に当てて。グランヴィル様も根気よくおつきあいなさって、本当にお身内思いですこと」
姉様がそこで、やわらかく微笑まれた。
「まあ、そうでしたの」
それだけだった。
それ以上は広げさせない、という受け方だった。
ミセス・ハワードはようやく、何か少しばかり妙な空気に触れたと感じたらしい。
けれど賢い方なので、そこを深追いはなさらなかった。別の話題へ移って、春の音楽会のことや、新しく入った菓子職人の評判へと話をずらしていく。
私は相槌を打ちながら、胸の内だけが静かに沈んでいくのを感じていた。
帽子店。リボン。
鏡の前であれこれ選ぶ。
病床に伏しているわけではないのだ。
外へ出て、店をのぞいて、買い物をしている。そのための時間も気力もある。
なのに、私との約束の時だけは、いつも“今日は熱があるから”“心細がっているから”だった。




