王女の我儘が国を滅ぼす
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「いい加減にあきらめたらどうなの? アイバー様のお心はもうあなたにはないのよ、いつまで婚約者の座にしがみ付いているつもりなのかしら? さっさと身を引きなさい」
王立学園の渡り廊下、昼休みにそれははじまった。もはや日課になりつつあった。
扇をバサッと広げる偉そうな令嬢は、この国ランパート王国の王女メラニア。黄金を溶かしたようなブロンドの縦ロールに煌めくエメラルドの瞳、ザ・プリンセスという感じの(悪い)十五歳の美少女だ。
自分が天使のように美しいという絶対的な自信から、誰からも愛されて当然と思っているが、甘やかされている我儘娘の自分勝手な振る舞いは有名で、側近たちからは悪魔と呼ばれている。
そんな王女に絡まれているナタリー・グレッグソン子爵令嬢は、ミルクティー色の髪にアーモンド色の瞳、一見地味に見えるが優しい少女である。
隣国と接する国境地帯に広大な領地を持つフィールド公爵家と、グレッグソン子爵家は領地が隣同士で昔から懇意にしている。その関係でナタリーと二歳年上のフィールド公爵令息アイバーが婚約したのは十年前だ。
「どんな手を使って婚約したのかは知らないけど、さっさと身を引くべきだわ」
二人の婚約は家と家とが結んだ正式な契約で、王族でも口を挟む権利はないはずだが、この王女に対して正論は通用しない。
アイバーはダークブロンドに深い碧の瞳、精悍な顔つきの美丈夫。成績優秀で剣の腕も一流、生徒会長を務め人望も厚い人気者だ。
入学式、在校生代表で挨拶したアイバーにメラニアが一目惚れしたことからナタリーの不幸は始まった。
「そもそも子爵令嬢ごときのあなたが、公爵令息の婚約者だなんて身分が釣り合わないでしょ! アイバー様にあなたみたいに地味な人は相応しくないわ、高貴で大輪の薔薇のような王女の私こそが相応しいのよ」
取り巻き令嬢たちはメラニアの言葉に大きく頷く。
メラニアは絶世の美女と言えるほど美しかった。それゆえ父親である国王カーミットから溺愛されて、ドロドロに甘やかされて育った。
王女と言っても王妃の娘ではない、国王が愛してやまなかった側妃の忘れ形見なのだ。王妃のルイーザにとっては疎ましい存在ではあったが、カーミットが溺愛しているので仕方なく放置している。
正妃が生んだ王太子がいるので、本来なら王女は政略結婚で他国へ嫁ぐことが多い。だが、メラニアを手放したくない国王カーミットは三年前、異例ではあるが、東の隣国エンフェルト帝国皇帝の弟フェリスに、公爵位と王家所有の領地を用意し、破格の待遇でこの国に婿入りしてもらう予定だった。
しかし、婚約を調えるための顔合わせでエンフェルト帝国へ出向いた時、『こんなオジサンと結婚するのは嫌! 美しい私には美しい王子様でなきゃ釣り合わないわ』と、とんでもない発言をした。確かに十二歳のメラニアから見れば、十歳年上の二十二歳で、美男子でもないフェリスはただのオジサンに見えたのだろう。
エンフェルト皇帝は、まだ幼いとはいえ非常識極まりない態度に激怒して、即刻破談となった。そして国交も断絶されたという大失態がある。その話は近隣諸国にも広まり、いくら破格の待遇を用意されても、大国エンフェルト帝国に睨まれたくないので、婿に出そうと言う国はなくなった。
カーミットはそれなら国内の高位貴族に降嫁させようと探しているが、いくら王家と縁を結べると言っても、曰く付きの我儘王女を迎えたい高位貴族はおらず、現在も婚約が調わないままである。
そんな訳アリ王女のあからさまな横恋慕は、新入生歓迎パーティーの時に始まった。
婚約者のナタリーをエスコートして会場に現れたアイバーに駆け寄ると、
『ファーストダンスは是非私と』
あり得ない申し込みを堂々とした。
『いえ、ファーストダンスは婚約者であるナタ』
アイバーが言い終わらないうちに、彼の手を取り、強引にホールの中央へ引っ張っていった。
『王女殿下、お戯れは』
『いいじゃない、私に恥をかかせるつもり? 断るなんて許さないわよ』
困り果てるアイバーにお構いなしで、メラニアは優雅にダンスをはじめた。王女の暴挙に場内は騒然となった。
婚約者を奪われたナタリーは、なにが起きているのかわからずに、茫然と二人のダンスを見ている羽目になった。
それからの学園生活はナタリーにとって最悪のものになった。
入学して三カ月、ナタリーはほとんどアイバーと言葉を交わすことが出来ない。いつもメラニアが人目も憚らずにベッタリだからだ。メラニアは一年ながら無理やり生徒会に入り込んだ。そして放課後もアイバーと一緒に過ごし、王宮までフィールド公爵家の馬車で送らせることを日課にした。まるで自分こそが婚約者であるかのような振る舞いだ。
アイバーも王女相手にきっぱり断ることが出来ずに、最初は困っているようだったが、今ではもうあきらめて当たり前のように一緒にいる。二人の仲は国王陛下公認、ナタリーとの婚約は解消されて、自分と婚約するのだとメラニアは周囲に吹聴していた。
王女メラニアの非常識な行動に、周囲も白い目を向けており、ナタリーは同情されているものの、メラニアに睨まれている彼女に関わり合うと面倒に巻き込まれそうなので距離を置かれた。そのせいでナタリーには友達も出来なかった。
「まあ、いいわ、いくら粘っても無駄よ。お父様にお願いして、フィールド公爵宛に、あなたとアイバー様の婚約を解消して私と結び直すよう、王命を出してもらったの、そろそろ届いている頃だわ」
現在、領地にいるフィールド公爵が王命を受け取れば従わざるを得ない。メラニアは勝ち誇った笑みを向けた。
「あなたはもう愛されてなんかいないんだから」
最近のアイバーの態度を見ていると、ナタリーは否定しきれなかった。
領地にいたころはいつも一緒に過ごしていた。ナタリーは大切にされ、愛されていると感じていた。しかし、最近では学園内で擦れ違うことがあっても、目も合わせてくれなかった。
「なに無視しているのよ、なんとか言いなさいよ!」
ナタリーが放心状態でいることを、メラニアは無視していると思ったらしく、突然、扇を投げつけた。
それはナタリーの胸元に当たってから地面に落ちた。
「あら、手が滑ってしまった」
いやいや、思いっ切り投げたじゃない! とナタリーは心の中で突っ込んだ。
「拾って下さる?」
自分で拾え! と言いたいところだったが、王女を屈ませるわけにはいかない。仕方なくナタリーは手を伸ばした。
その時、横からサッと伸びた手が扇を拾い上げた。
「申し訳ありません、ナタリーが失礼なことをしたようで」
騒ぎを聞いて駆けつけたアイバーだった。跪きながら、まるでプロポーズでもするようなポーズで、扇をメラニアに差し出した。
なにもしていない被害者のナタリーは、婚約者に庇ってもらうどころか、そんなふうに言われてショックを受けた。
こんな場面を見たら、見物している野次馬は思うだろう。〝想い合う二人の邪魔をしているのは婚約者の立場にしがみついているナタリーだ〟と。
恭しくメラニアを見つめるアイバーはナタリーなど眼中に入っていないようだった。メラニアもうっとりと彼を見つめていた。
「参りましょう、もうすぐ授業が始まります、教室までお送りします」
アイバーはメラニアをエスコートして去っていった。
去り際のメラニアの勝ち誇った顔、そして取り巻き令嬢たちも蔑んだ目でナタリーを一瞥してから後に続いた。
そんな二人を見てナタリーは脱力した。メラニアの言った通りなのか? アイバーの心はもうメラニアに移ってしまった、自分との関係を切り捨てようとしているのか? 出せない声の代わりに涙が浮かんだ。
残されたナタリーは決意した。これ以上我慢できない。
* * *
ナタリーは午後の授業をパスして、そのまま早退し、タウンハウスに戻った。
「今すぐ、領地に帰ります、学園も退学します」
領地からついて来ている侍女のサーシャに言った。
ナタリーは準備をサーシャに任せて、領地にいる両親に手紙を書いた。すぐに鳩を飛ばして、状況を知らせなければならない。フィールド公爵も領地にいるはずだ。自分が到着するまでに家同士で話し合いを済ませてもらいたかった。
アイバーにも別れの手紙を書き、フィールド公爵家のタウンハウスに届けるように頼んだ。アイバーがいたから王立学園に入学した、もうその理由が無くなったのだ。
婚約して十年、大切に思われていると、愛されていると思っていたのに、たった三ヶ月で壊れてしまうような薄っぺらな絆だったのだ。
気付くと大粒の涙がポロポロと零れ落ちていた。
すぐに出発したので、日が落ちる前に王都から出て、最初の宿場町に到着した。
領地までは馬車で二週間はかかる。急ぐ旅ではないものの、早く王都から離れたかった。
夕食を済ませて、サーシャに寝支度を手伝ってもらっている時、ドアが激しくノックされた。
「ナタリー! 俺だ、開けてくれ!」
その声はアイバーに間違いなかった。
「えっ?」
なぜ彼が? ナタリーが混乱していると、サーシャがカギを開けた。
「ナタリー!」
アイバーはズカズカと入室すると、その勢いのままナタリーを抱きしめた。
* * *
前ランパート国王は賢王だった。カリスマ性があり王国に繁栄をもたらした。しかし、後継者を育てるのには失敗した。
前王が崩御して即位した現王カーミットは凡庸だった。苦言を呈す家臣は遠ざけ、耳当たりの良いことを言って胡麻を擦る、王妃ルイーザの実家ディオーサ公爵家を重用して、挙句傀儡になってしまった。
それでも自分の贅沢な生活が維持されているのでカーミットに不満はなかった。王妃とは政略結婚と割り切って、浮気もし放題、側妃を娶ってもルイーザは平気な顔をしていた。その側妃ロベリアが亡くなり、残された娘メラニアをカーミットは溺愛して甘やかした。
政治は腐敗し、今のままでは国が傾くのは時間の問題だと感じた賢明な貴族たちは、王都から距離を取って自領を護ることに徹しはじめていた。フィールド公爵家も苦言に耳を貸さない国王を早い段階で見限って距離を置いていた。
領地の邸にいたバスター・フィールド公爵の元に、王命がもたらされた。
「なんじゃこりゃ?」
バスターは普段は飄々としていて、なにを考えているか読めない男である。とぼけた雰囲気を醸し出しているので侮る者も多かったが、彼をよく知る人物は曲者だと一目置いていた。現に、国土の六分の一に及ぶ広大な領地を問題なく運営し、国境を接するダガード王国との貿易も盛んで、フィールド領は繁栄している。
バスターの手腕を知らない国王は、怒らせてはいけない男だと気付いていなかった。
珍しく憤慨しているバスターを見て、家令が小首を傾げた。
「どうなさいました」
「王命が下ったんだよ、ナタリーとの婚約を速やかに解消して、アイバーとメラニア王女を婚約させるようにと」
「それはまた……」
「貴族間の婚姻には王家が口を挟まないのが慣例だ、それを王命で覆そうなど正気の沙汰とは思えないな。家同士の契約に王家が横槍を入れることがどういう意味か理解していないと見える。そこまで愚かだったとは」
「そうですね、王命で簡単に反故にされるのなら契約は意味をなさない、そんな王家と今後、契約を結ぶ貴族はいなくなるでしょう、国内でそうなら外国も同じこと、国としての信用はなくなります」
「どうなさいます?」
「うーん、この際、思い切って引っ越すか」
「引っ越しですか」
「ほら、以前からダガード国王直々に、うちへ来ないかって誘われてるだろ、この際、ランパート王国から離脱して、ダガードに移っちゃおうと思うんだ」
「そうでございますか」
国を揺るがす大事を軽く言うバスターに対して、いずれはこうなると予想していた家令が動じることはない。
「王都にいる者たちに伝令を、タウンハウスも全部引き上げて戻っておいでと、でも、残りたい者に無理強いはしないよ」
「残りたい者はいないでしょう」
「しかし……」
バスターは決断したものの、いまいち腑に落ちない点もあった。
「メラニア王女な……、我儘娘には違いないが、国王とは違ってそれほど愚かな人物とは思えないのだ、なんでこんな無茶な要求をしたんだろうな」
バスターは首を傾げた。
* * *
「俺が王女の我儘に付き合っていたのは、お前を護るためだったんだ」
アイバーはナタリーに説明した。
授業が終わりタウンハウスに戻ったアイバーは、ナタリーから今生の別れとも取れる手紙を受け取って慌てた。すでに領地へ向けて発ったと聞き、慌てて追いかけてきたのだ。
「俺が王女をあからさまに拒絶すれば、お前になにをするかわからなかったからやむなくご機嫌を取っていたんだよ。今日だって危ないところだったぞ、お前が扇を拾っていたら、奪い取られたと言いがかりをつけられるところだったぞ」
「投げたのは彼女よ、みんな見ていたわ」
「誰が王女に盾突くんだ? 自分はフィールド公爵家に降嫁すると勝手に決めるようだ、だから邪魔者のお前を、難癖付けて排除しようとしているんだ」
自分はなんてバカだったのだろう、こんなに心配されて護られていたのに、信じ切れなかったなんて! ナタリーは情けなくなって涙が零れた。そして、
「なんで言ってくれなかったのよ! 私がどんな思いをしてたかわかっていたでしょ」
「お前、嘘がつけないだろ、あの女に煽られたらすぐにバラしてしまう恐れがあったからな」
「それは……」
ナタリーは否定できなかった。
「こうなったら逃げよう、これ以上あの女に付き纏われるのはゴメンだ。ダガード王国に行こう、そこまでは追って来れないだろう」
王女からあの女に呼び方が変わっていた。そうとう嫌がっていることがわかって、ナタリーは心の中で〝ざまぁみろ〟と叫んだが……。
「そんなことをしたら家族に迷惑がかかるわ、うちみたいな子爵家はひとたまりもなく潰されるだろうし、フィールド公爵家だってただでは済まないわ」
「心配ない、いざという時はダガード王国へ逃げろと言ってくれたのは父上だ。母上がダガードの公爵家出身だし、母親の親戚が力になってくれる」
「おじ様たちはこの状況をご存知なの?」
「あの女が俺に付き纏いはじめた頃に、うちの両親とお前のご両親にも相談したから。我儘女のことだ、いずれややこしいことになるのは予想できたからな」
確かに王女の勝手な振る舞いは、周囲が眉をひそめるほど異常だった。
「でもなぁ、あの女は俺に惚れているとは思えないんだよ、なんか恋愛感情とは違う気がするんだ、俺自身を見ていないと言うか、ふと冷たい目をするんだよ、なんか気味悪くて」
「そうかしら、あんなにベッタリ付き纏っているのに?」
「うーん、俺と言うより、フィールド公爵家を狙っているのかも知れない。とにかく、公爵領に父上がいるから、詳しい話はそれからだ」
* * *
それから一か月後。
「大変です!」
宰相のルドルフ・ローゼンが夕食中にも拘らず息せき切って飛び込んだ。
「なんだ騒がしい、今は食事中なんだぞ」
「それどころではありません、フィールド公爵領が西の隣国ダガード王国に併合されました!」
「なんだと!!」
カーミット国王は愕然と立ち上がった。
「いつの間に侵略されたのだ!?」
「侵略ではありません、フィールド公爵が領地を手土産に亡命したのです。加えてグレッグソン子爵もそれに倣いました」
同席していたルイーザ王妃も憤慨して立ち上がった。
「ランパート王国を裏切ったのですか!」
フィールド公爵家とグレッグソン子爵家は、ランパート王国から離脱して、ダガード王国に編入した。
「だから忠告したじゃありませんか、フィールド公爵には気をつけろと、なのに無茶な王命を強いて怒らせた」
「子爵令嬢との婚約を解消せよと言っただけだぞ、どうりで一カ月も経つのに音沙汰がないはずだ」
領地が遠いので登城するのに時間がかかっているのだと呑気にかまえていたのだ。
「あなた! なんてことしてくれたのよ」
「メラニアが頼むものだから、だいたい大袈裟だろ、たかが子爵家との婚約解消を命令しただけだ、そんなことくらいで国を裏切ると誰が思う?」
「でもそれが引き金になったのでしょ!」
「今更そんなことを言われても……、そんなことより、領土を取られるなんて黙って見過ごすわけにはいかないだろ! 取り戻すぞ!」
「それは無理かと」
ルドルフは悲愴な面持ち。
「なんだ、その弱腰は! ダガード王国に舐められてたまるか」
「現実を見てください、国力が違います。それに、騎士団の中には除隊して領地に戻る者が続出しております」
「なんだと?」
「フィールド公爵領に近い貴族は追随してダガード王国に移籍する者が続出しています、それらの地域出身者は、王都より、自分たちの家族がいる自領の方が大切なのですよ」
「なんてことだ」
「ランパート王国の国土は四分の一が失われた上、我が軍の兵力は三分の一が失われました。これは昨日今日で成されることではありません、おそらく数年前から密かに計画されていたのでしょう」
フィールド公爵家とその派閥の寄子たちが、現王家に不満を抱いていることをルドルフは察していた。不審な動きがあると忠告していたのに、国王や王妃の実家ディオーサ公爵家は自分たちの私腹を肥やすことを優先して取り合わなかったのだ。
そして、決定打を放ったのは王女の我儘だ。それを簡単に聞き入れ、貴族間の関係を無視して無茶な王命を出した国王は完全に見限られたのだ。
そんな大騒ぎの中、メラニアは他人事のように平然と食事を続けていた。口元に笑みを浮かべながら……。
* * *
半年後。
学園内の食堂でナタリーとアイバーは横並びに座ってランチをしていた。
そこはダガード王国の王立学園である。
領地ごとダガード王国に帰属することになったフィールド公爵家とグレッグソン子爵家の子女二人は入学を許可された。すぐに友達も出来て平和な日々を送っている。
「驚いたわね、ランパート王国がエンフェルト帝国にたった半年で完全に制圧されたなんて」
元母国の情勢を聞いたナタリーの胸は少し痛んだ。生まれた国が無くなったのだ。
「そうらしいな、フィールド公爵家がダガードに併合されたのをきっかけに、フィールド領に隣接する伯爵家や子爵家が追随して、結局、ランパートの国土の四分の一がダガードに移籍しただろ。国内が混乱し王国軍の軍事力も弱体した機を狙われたんだ。東側に領地を持つ貴族たちはすでに買収されていたらしく、戦闘はほぼ無しで、エンフェルト帝国軍は王都まで到達したんだって。ダガード王国までは手を伸ばさないだろうから、我がフィールド公爵領は安全だけどね」
「王族の方々はどうなったのかしら?」
「全員処刑されたと聞いたぞ。でも噂ではメラニア王女の姿はなかったとか」
「そうなの……?」
「機転が利くんだよな彼女。でも、どこへ逃げたんだろう。そもそも、エンフェルト帝国との関係を悪化させたのも彼女だろ、何年か前に皇帝の弟君との婚約問題でやらかしてさ」
「フィールド公爵家がランパート王国から離脱したのも、メラニア王女の横恋慕がそもそものきっかけだったし。あの王女の我儘が国を滅ぼしたようなものね」
「だな」
* * *
「お母様、やっと祖国に戻れましたね」
メラニアは小さな骨壺を胸に抱えていた。
「一部しか持ち出せませんでしたけど、ここでゆっくりお休みください」
神官にそれを手渡す。
そこは神殿だった。エンフェルト帝国が信仰する女神アルテシアが祀られている。
「あなたのお母上、ロベリア様は女神アルテシア様の愛し子でした。我が国にとって貴重な豊穣の力を持つ方だったのに、ある日、忽然と姿を消された」
それは十七年前の出来事だった。
エンフェルト帝国の皇太子ブルースの婚約者だった侯爵令嬢ロベリアが突然、姿を消した。その行方は国を挙げての大捜索にもかかわらず掴めなかった。
ロベリアは隣国ランパートの当時王太子だったカーミットに拉致されたのだった。そして王宮の奥に監禁された。いくらエンフェルト帝国でも他国の王宮内を捜索することは難しい、見つけられるはずはなかった。
カーミットは隣国へ外交で出向いた時、夜会で見かけた銀髪にアイスブルーの瞳の絶世の美女ロベリアに一目惚れした。しかし彼女は帝国皇太子の婚約者であり、カーミットが側妃として迎えるのは無理だ。それでも、どうしても彼女を手に入れたかったカーミットは愚行に走った。
王家の影を使ってロベリアを拉致した。このことは当時の国王にも気付かれることなく、僅かな側近しか知らない。王太子妃のルイーザに知られた時は激怒されたが、公にするわけにはいかない。ルイーザの実家ディオーサ家にも知られて、カーミットの弱みとなり、その後、言いなりになるしかなくなった。
それでも拉致したロベリアを国王から隠してくれて、王宮の片隅に幽閉した彼女と生活できるように計らってくれた。
ロベリアは全てをあきらめた。
知らぬ間に連れ去られて、知らぬ間に純潔を奪われていた。自死を恐れたカーミットが薬を盛っていたので、ロベリアは意識が朦朧としてなにも考えられないまま、カーミットの思うままにされていた。
やがて正気を取り戻したロベリアは真っ先に命を絶とうとしたが、その時、自分が身籠っていることに気付いてしまう、罪のない命を葬ることは出来なった。
そうして生まれたのがメラニアだった。
「ロベリアの忘れ形見がこうして無事に戻ってくれた。待っていたぞ」
神殿にエンフェルト皇帝ブルースとその弟フェリスが姿を現した。ブルースはメラニアを大きな体でギュッと抱きしめた。
愛するロベリアを失い、失意のどん底に落とされたブルースだったが、即位するにあたって独身ではいられずに妃を娶った。もちろん皇妃は事情を承知の上で嫁いだ。円満な夫婦関係で、皇子二人と皇女一人に恵まれたが、ロベリアのことは一日も忘れたことはなかった。
「でも私は同時に憎い男の娘でもあります」
「それは其方のせいではない、ロベリアのせいでもない。あの男、そして加担した奴らは報いを受けた」
「ええ」
「すまぬ、其方の父でもあったな、溺愛されていたと聞く」
「あの男は懐いてくるペットを可愛がっていただけです。懐いたふりをして庇護してもらわなければ、お母様のように王妃に殺されていたでしょう。あの男は泣き暮らすお母様を持て余していた、もう飽きていたから、王妃が毒殺したとわかっていても知らないふりをしたのです。だから私は懐いたふりをして頼りました。あの男は気をよくして私に護衛と毒見役を付けました。甘えると喜んで望みをかなえてくれました。そうして王妃の魔の手から逃れて生き延びたのです」
「ほんに幼い頃から賢い子だったのだな」
ロベリアが亡くなったのはメラニアがまだ五歳の時だったが、聡明な彼女は全て理解していた。
「自己防衛本能が働いたのでしょう。でも、ずっとお母様の無念を晴らす機会を窺っていました。お母様は無理やりランパートに連れて来られて酷い目に遭わされました。カーミット国王は私の父親には違いないけれど、お母様の未来を理不尽に奪った憎い相手です。いつかエンフェルト帝国に行って、真実を伝えてほしいと頼まれていました」
皮肉なことにメラニアはカーミット似だった。黄金を溶かしたようなブロンドに煌めくエメラルドの瞳、銀髪にアイスブルーの瞳だったロベリアの色は受け継いでいない。それでもロベリアは我が子を愛しんだ。そして、母から受け継いだものが一つあった。豊穣の力である。
「私がお母様から特別な力を受け継いでいるとわかった時、この力はランパートの誰にも言ってはいけない、祖国エンフェルト帝国の女神アルテシア様に与えられた特別な力だから、エンフェルト帝国のために使うものなのだと言われました」
「だからこの国に来た時、フェリスに打ち明けたのだったな」
「ええ、初めてこの国へ来た時、フェリス殿下が私の話を信じてくださり、嬉しかったです」
賢王だった先代が亡くなり、凡庸なカーミットが即位してから国内情勢が不安定になったことを危惧した王妃ルイーザの実家ディオーサ公爵家は、エンフェルト帝国の後ろ盾を得ようと考えた。皇帝の皇子たちはまだ幼すぎたので、皇帝の弟フェリスとメラニアとの婚約を画策した。
まさかメラニアが自分の出生の秘密を知っているとは知らずに、『メラニアはカーミット国王似だ、ロベリアの色を一つも受け継いでいないから、彼女の娘とバレるはずはない』誰も気づかないと高を括っていた。
訪れたチャンスを弱冠十二歳のメラニアは逃さなかった。
メラニアは親睦を深めるためにとフェリスと二人きりで王宮の庭園へ散歩に出た時のチャンスを待っていた。
『私はかつてあなたのお兄様の婚約者だったロベリアの娘です』
従者に聞こえないように小声で打ち明けた。
もちろんフェリスは驚き、信じられなかったが、
『私はお母様から受け継いだ特別な力を持っています』
と花壇の前にしゃがみ込んで、従者からは見えないように花の蕾にそっと手を翳した。たちまち花が開いたのを見てフェリスは息を吞んだ。
そして真実を記した手紙をエンフェルト皇帝に渡してもらえるように託した。
「あの日、其方からの手紙を読んで愕然とした。まさか一国の王太子がそのような凶行に及んでいたとは信じ難かった。いや、私が甘かったのだ、隣国の王宮までは調べなかったし……」
もちろん鵜吞みにしたわけではない。ブルースはもう一度、徹底的にその線で調査し直し、メラニアの話が真実である裏付けを取った。
「それを知った時は、すぐにでもランパートに攻め入りたかった。しかし、其方が今ではないと申したから思い止まったのだ」
復讐の時は今ではない。国力が弱まっているとはいえランパート王国はまだ健在だ。今、戦争が起きれば国民に多大な犠牲を強いてしまう。十二歳の少女はそれを避けるために、その時を見極めるから待ってほしいと皇帝に願った。
『こんなオジサンと結婚するのは嫌! 美しい私には美しい王子様でなきゃ釣り合わないわ』
そして、とんでもない発言をして、二国間の国交を断絶させた。
それから三年、メラニアは我儘で傲慢でおバカな王女を演じながら、連絡係を買って出たフェリスと密かに連絡を取り合い、情報を流し、ランパート王国を滅亡に導く協力をした。
エンフェルト帝国に隣接する領地を持つ貴族の取り込みは、彼らが元々今の王家に不信感を抱いて距離を置いていたのでスムーズに運んだ。しかし反対側のダガード王国に接するフィールド公爵家との接触は困難だった。
フィールド公爵がランパートの現王家に見切りをつけている情報は入手していたが、国境を接するダガード王国と既に接触しており、こちらに取り込むのは困難だ。それならさっさとダガード王国に進呈しよう。しかし、フィールド公爵にとっても簡単に出来ない重い決断だ。あと少し、ほんの僅かな一押しが必要だった。
だから傲慢で我儘王女メラニアは、婚約者がいるフィールド公爵令息に横恋慕した。自分に甘い父親に婚約したいと強請った。考えなしのカーミットはフィールド公爵を激怒させるともわからずに、王命を発動した。
フィールド公爵家がダガード王国に併合された瞬間、その時が来た。
「すべて終わったな、ランパート王家は滅亡した。これでロベリアも浮かばれるだろう。で、其方はこれからどうしたい?」
ブルースはメラニアに尋ねた。
「私の顔は諸国に知れ渡っていますから、公の場に出ることは無理でしょう」
「それは真実を明るみにして、ランパートの非道を世界に知らしめればいいことではないのか?」
「お母様が辱められたことを公表するのですか?」
「それは……」
「私はこの神殿でお世話になりたいと思います。私に女神アルテシア様から授かった豊穣の力がどれ程あるのかはわかりませんが、この国が実り豊かになるように祈りを捧げたいと思います」
メラニアは女神アルテシア像を見上げた。かつては母もここで祈ったのだろうと思いを馳せた。
「それじゃ、俺もここへ移り住むとするか、君の傍にいて支えるよ」
フェリスの言葉にメラニアは驚いた。
「なにを言っているのです? あなたには皇帝をお支えする役目があるでしょう」
「帝国の繁栄のために祈りを捧げてくれる君を支えるのも、皇帝の為になるだろ」
「支えるだけか? ロベリアから受け継いだ愛し子の血筋を絶やすわけにはいかないんだけどな」
ブルースは生暖かい目を向けながら茶化すように言った。
「兄上、古傷に触れないでくださいよ、俺は一度、婚約を断られているんですから」
「あの時は我儘発動の演技だったですよ、でも、オジサンなんて言ってゴメンなさい。あなたは素敵な王子様です」
真っ赤になったメラニアを見てフェリスは彼女の前に跪いた。
「じゃあ、もう一度チャンスをくれるか? 初めて会った時、幼い君の聡明さに感銘を受けた、それからずっと君を見て来たんだよ。連絡係として密かに短時間しか会えなかったけど、少女から成長して大人の女性へと変わりつつある君に年甲斐もなく夢中なんだよ」
メラニアは差し出されたフェリスの手を見て躊躇した。
「私なんかで、いいのですか?」
「君でなきゃダメだ」
フェリスの言葉に目頭が熱くなる。
メラニアはフェリスの手を取った。
フェリスはその手を引き寄せてメラニアを抱きしめた。
エンフェルト帝国はその後、毎年豊作に恵まれて人々の暮らしは豊かになり、さらに繁栄した。
それは王都にある女神アルテシアの神殿で、十数年ぶりに現れた女神の愛し子が、毎日の祈りを捧げているお陰だと国民は知っていた。
しかし、愛し子の素顔を見た者はいない。いつもベールで隠している。ただ黄金を溶かしたような髪の若い女性であるらしい、きっと美しい女性に違いないと人々は噂した。
彼女の横には夫である皇帝の弟フェリスがいつも寄り添っていたという。
おしまい
最後まで読んでいただきありがとうございました。
☆☆☆☆☆で評価、ブクマなどしていただけると励みになります。よろしくお願い致します。




