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第六話『貴方を守るために、貴方からすべてを奪う』




やりなおす前の世界で、革命運動が本格化する直前、エリナは大公と離縁していた。

原因はエリナの運動への参加が大公に知られたからである。そして同時に、大公の寄付金の着服が明らかになったからである。


貧民の救済事業にあたっていたエリナは、よく寄付を募っていた。

貴婦人たちはエリナの慈善活動について、口では称賛しながらも彼女と共に行動することは決してなかった。

エリナにとっては同じ人間を救う活動だったが、貴婦人たちにとっては家畜に温情を与えるようなものだったのだろう。餌を増やしてやることはあっても、柵を越えて交わるようなことは決してない。エリナに寄付をすることで、自尊心を満たして、それで終わりだ。

そんな風にして集められた金でも、しかしエリナにとっては大切なものだった。

大公はエリナの慈善活動に非協力的で、活動自体は許していたが金はほとんど出さなかったので、エリナの活動はこの寄付金頼りだったのだ。

そんな寄付金を、大公は着服していた。

大公にとってはひと月の食費にも満たないはした金のはずだった。エリナは困惑し、返済を求めた。なぜそんなことをしたのかと問い詰めた。すると大公は逆上し、弁明するどころかエリナを非難した。

慈善活動の裏でお前がなにをしているのかおれは知っているんだぞ、と。

大公はエリナが革命運動に参加していることを察していたのだ。

二人はそれぞれの行いを公にすることはせず、手打ちのような形で離縁した。社交界ではエリナの不妊が理由とされた。エリナが子を為せないのは、慈善活動の中で平民と関係を持ち、なにか病気を移されたからだという下世話な噂さえ流れた。

噂の出どころはもちろん大公だった。

大公はエリナの悪評を広め、自身の面子を保とうとしたのだ。

そう、大公は面子がすべての男だった。

面子のためにすべてを滅ぼした男だった。


大公にはとてつもない負債があった。王国で最も広大な領地を有していながら、その運営難に苦しんでいたのだ。

領地を分割譲渡でもすればまだ破産は免れたかもしれないが、歴史ある名家のプライドがそれを許さず、借金を重ねることで領地の破産を免れていた。

国内での面子を保つため、大公は秘密裏に外国の商人や貴族相手に援助を求めた。自身の資産だけでなく、土地や領民まで担保に入れていた。無謀というほかない。国の一部を勝手に売り渡すようなその行いが露見すれば、大公自身の極刑はもちろん、家の取り潰しも免れなかっただろうに。それでも自尊心の塊である大公は改心することなく愚行を続け、やがて首が回らなくなると、有り金をかき集めて国外へ逃亡した。

最低な男だった。

彼が一切を放棄したことで、借金は宙に浮いてしまった。国は無視を決め込もうとしたが、金を貸していた他国の商人貴族は黙っていない。踏み倒せば外交上の不利益になるとして、国はやむなく、領地を貸与するという折衷案を出した。破格の値段で国の一部を貸しだそうというのだ。そこに住む領民諸共。

哀れな領民たちは他国の商人貴族に奴隷同然の扱いを受けることになった。王国はもちろん救いの手を差し伸べるようなことはしなかった。

逃げ出した大公は、その後他国で悠々自適に暮らしたそうだ。宝石か金貨か、隠していた財産がよほどのものだったのだろう。


大公は最低の貴族だった。面子と口先だけの男だった。自分に与えられていた特権は民を統べ、その生活を守るためだということを忘れてしまった、形骸化貴族の典型だった。

そして王国のほとんどの貴族の典型でもあった。


やりなおしたあとのこの世界では、また大公の負債は表沙汰になっていない。借金はあったが、破産寸前までには膨らんでいない。まだ取り返しのつくところにある。

私はこれを利用した。

大公に近づき、借金の肩代わりを申し出たのだ。

いま大公が抱えている負債は、伯爵家が返済する。一度にすべてを返すことはできないが、右肩上がりの『天使の涙』の売り上げから考えると、数年のうちに完済することができるだろう。相手方も、大公と伯爵家の経済状況を天秤にかけ、これを了承した。さらに私は、借金の肩代わりだけでなく、大公への経済的支援を申し出た。国内における『天使の涙』の流通はいまのところ伯爵家が一手に握っていたが、大公に共同事業主になる誘いをかけたのだ。

私は大公に恩を売ると同時に、『天使の涙』のさらなる普及を狙った。

伯爵家の力では『天使の涙』をこれからも独占販売し続けることは難しい。それがもたらす利益に気づいた者たちが、はやくも私とは別のルートで『天使の涙』の取引を始めていた。

革命のためには金が要る。

なによりやみくもに『天使の涙』をばらまかれては困る。『天使の涙』に侵されるのは上流階級だけでなくてはならない。『天使の涙』はあくまで、革命で処刑される者たちへの安楽剤、末期患者にだけ投与の許される劇薬でなければならない。すでに他国でも『天使の涙』は広がり始めている。やりなおす前の世界でそうあったように、やがて低品質で安価な庶民向けの『天使の涙』の流通が始まるだろう。これを国内に持ち込ませないために、『天使の涙』の自由取引を許してはならない。

そこで大公の力は不可欠だった。領地の運営難にこそ陥ってはいたが、社交界での大公の影響力は絶大だ。

私たちは大公を後ろ盾に『天使の涙』の独占権を得る。

公的な取り決めではない、あくまで暗黙の了解だが、大公の存在によって私たちの利権は守られる。

大公はもちろんこの提案を受け入れた。諸手を挙げて快諾したといっていい。

債務の引き受けに加え、『天使の涙』の利益分配も約束されたのだ。大公からしてみれば、鴨が葱を背負って来たようなものだっただろう。


「エルフリーナを修道院へ送っていただけませんか?」


だから私が責務引き受けにあたって出したもうひとつの条件も、ためらうことなく飲んでくれた。







「エルフリーナと離縁しろ、ということか?」


「離縁だけではなく、彼女に濡れ衣を着せ、罪人として修道院に送り込んでほしいのです」


「なぜそんなことを?君とエルフリーナは血の繋がりこそないが姉妹だろう」


「姉妹だからこそですよ」


やりなおす前の世界で、エリナが漏らした本音を、私は思い出す。


――――なにも知りたくなかったな。死んだ人間の重さも、血の熱さも、肉の焼ける臭いも、なにも知らずにいられたらよかったのに。

――――すべてが終わったら修道女として一生を終えたいな。静かで穏やかな生活を送りたいな。


「彼女には修道院がお似合いなんです」


革命が本格化する前に、エリナを離脱させる。安全圏で、血も涙も一滴と届かない場所で、革命が終わるその時まで過ごしてもらう。

やりなおす前の世界で私がそうだったように。


「なるほど、たしかにエルフリーナは清廉潔白だ。貴族の慈善家でいるより修道女になったほうがよほど幸せだろう。世間知らずの善意も、甘ったるい理想主義も、神様のおひざ元でなら許される」


大公は私の意図を都合よく誤解してくれた。きっと私がエリナを嫌っているとでも思いこんだのだろう。

もちろん私はそれをわざわざ訂正するようなことはしなかった。大公はすこしの同情も未練も見せずにエリナの追放を約束した。


大公は実に有能だった。経営能力は低かったが、人を貶めるという一点に関しては神から才を授けられたとしか思えない手腕があった。

彼はエリナに濡れ衣を着せた。

罪状は寄付金の着服。

そう、まさに、やりなおす前の世界で大公自身が犯していた罪だ。大公は貴族から集めた寄付金をエリナが着服していると告発したのだ。

――――エリナには実は浪費癖があり、彼女の部屋は宝石とドレスであふれかえっている。夫として多少の贅沢には目を閉じていたが、ついに限界がきて財布を締め上げた。すると彼女は貴族たちから集めた寄付金をその自身の贅沢に使うようになった。いかに妻の行いと言えどもこれを見逃すことはできない。

そう、大公はエリナの行いを告発した。

すべてが嘘偽りだった。エリナはこの告発をまっこうから否定した。兄であるエルドも全力で彼女を庇ったが、貴族たちは聞き入れなかった。

エリナはもともと腫物として扱われていた。彼女の慈善を、貴族たちは小娘のお遊びだと嘲笑していた。その小娘が自分たちの金で贅沢をしていたとあって、受け入れられるはずがない。

エリナが贅沢をするようなたちでないことは、特に彼女と親しかった貴婦人たちは知っていたはずなのに、庇おうとする者は誰もいなかった。

彼女たちはみんな、慈善家として持て囃されるエリナに嫉妬していたのだ。

あるいは誰かが落ちていく様が、茶会における極上の甘味になるからかもしれない。

エリナは裁判にかけられ、有罪となり、修道院に封じられた。

大公は裁判がはじまる前に彼女と離縁した。

エルドはエリナを侯爵家の娘として戻そうとしたが、エリナ自身がこれを拒否した。


「それをすればお兄様の立場が危うくなってしまう。お兄様まで大公を敵に回したら、貴族社会を内側から変革させるという私たちの夢が潰えてしまう」


これは私の入れ知恵だった。

エリナにはすべてが終わるまで修道院で大人しくしていてもらわなければならない。そのために私は、今はことを荒立てるべきではないとエリナを諭していた。


「いまのところ大公はエルドを敵視していない。むしろ好意的に見てると思う。社交界で影響力のある大公にエルドが睨まれるわけにはいかないということは、エリナもわかっていりよね?」


「大公がエリナに冤罪を着せたのはおそらく離縁の口実を得るため。私が聞いた話では、大公にはどうも他に結婚を望む相手ができたらしいの。エリナに冤罪を負わせたのは、自身の名誉を傷つけずにエリナを捨てる方便だったんじゃないかな」


私の嘘を、エリナはなにひとつ疑わなかった。

私の言葉を受け入れ、黙って身を引くことを選んだ

胸が痛かった。

やりなおす前の世界で、私はエリナに一度だって嘘をついたことがなかったから。

やりなおしたあとのこの世界で、私はエリナに本当のことを言った回数より、嘘を言った回数の方がすでに多くなっていた。

私はエリナから夫を奪い、地位を奪い、名声に泥を塗った。

残酷な革命から遠ざけるためとはいえ、許される行いではなかった。







「どうしてこんなふうになっちゃたんだろう」


修道院に入って間もないエリナを見舞うと、彼女はやつれた顔でそう言った。


「正直言って、彼のことは好きでもなんでもなかったわ。忙しい人だったから、屋敷で顔を合わせることもほとんどなかったし。でも、悪い人ではなかったのよ。たまにドレスや宝石をプレゼントしてくれたし、人前ではいつも自慢の妻だって紹介してくれたし」


(すべて虚栄のためだ)

(あの男は信念のない小物だ)


喉までかかったその言葉を、私はどうにか飲み込み、そうね、と相槌を打った。


「彼は確かに私を貶めた。でもそれには、きっとどうしようもない事情があったんじゃないかって思うの」


「……どんな事情?」


「それはわからないけど、でも、きっと本当にどうしようもないことよ。だっていくら離縁したいからって、私に罪を着せるようなこと、きっと彼はしないわ」


だからおめでたいと言われるのだ。

世間知らずの理想主義者だと馬鹿にされるのだ。

けれど彼女のこの底抜けの優しさに、私はこれまで何度も救われてきた。

悲しいくらい、かわいそうなくらい、優しいエリナ。

やはり貴方は、修道院に送って正解だった。

人を信じて疑わない貴方に、ここから先はあんまりにも酷だ。

彼女を修道院に送り込んだことに、私はすこしの後悔もなかった。

革命を成功させるために、三人を死なせないために、私はどれだけ手が汚れようともかまわない。私の罪は、すべてが終わったそのあとで清算されるだろう。

民か、神か、あるいは私自身の手によって。


恐ろしくはない。

ただ、かすかな悲しみが胸を突いた。


すべてが終わったその時、彼らは私を赦してくれるだろうか。

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