第二十三話『たとえ世界が地獄であろうと、独りになるよりマシだった』
□
「なぜ貴方は罪を認めないんですか?」
処刑の日の朝、私のもとに朝餉を運んできた少年は、鋭い眼光でそう訊いた。
「いずれにしても極刑は免れなかった。それなら洗いざらい本当のことを話してしまった方が、清々したんじゃないですか」
その少年には見覚えがあったが、どこで会ったのか、思い出すことはできなかった。
鋭い眼光の奥では、憎悪がくすぶっているのが見える。それは多くの国民が私に向けるものと同じ視線だった。
この少年もまた『天使の涙』が原因で酷い目にあったのだろう。そしてすべての責任を私にかぶせ、その鬱憤を晴らそうとしているのだろう。
「……いつもの人はどうしたの」
私は少年の問いには答えず、質問を返した。
この部屋に軟禁されてからの四十日間、私のもとに食事を届けていたのはいつも同じ老人だった。無口な老人は食事や身の回りの者を運んでくる以外なにもしてくれなかったが、『悪魔』と罵られる私に対して粗野な振る舞いを見せることはなく、所作は礼儀正しいものだった。
私から老人に話しかけることもなかったが、最後くらい、お礼の一言でも伝えようと思っていたのに。最後の最後になって、どこの誰とも知れない少年がやってきた。そしてぶしつけな質問を、ぶしつけな目つきで投げてよこしてきた。
今日死ぬのだとわかっていても、腹は立つものだ。
私はどこか他人事のように思いながら、視線では、少年をきつく睨み返した。
「食事を置いたのなら、さっさと出ていって」
少年は怯まず、私の前に立ちはだかった。
「質問に答えてください」
「質問?」
「どうして罪を認めないんですか」
「……罪なんてないからよ」
「僕の家族は貴方が『天使の涙』を流したことで離散しました」
(ほら、やっぱりね)
私はうんざりした気持ちになった。
やっぱりこの子は、私を憎んでいる。
どうせもう死ぬんだから。あと数時間で君の復讐心は満たされるんだから。
放っておいてくれたらいいのに。
それとも自分で石を投げないと気が済まないのだろうか。
「『天使の涙』に溺れた領主が重税を課して、僕らはそれを払いきれなくて、家も畑も差し押さえられて、父母は炭鉱に、姉は娼館に売られていきました」
よくある話だった。
私は少年を無視して、朝餉のパンを手に取った。
焼きたての、柔らかい白パンだった。付け合わせにバターとジャム。鳥のもも肉がたっぷり入ったスープ。デザートにクッキーまでついている。昨日まで少しの野菜と乾燥パンだけだった献立が嘘のようだ。
(エルドの計らいだろうな)
用意されたのはどれも私の好物ばかりだったが、しかし食指は動かなかった。死刑が決まってからすっかり失せた食欲は、最後の食卓についても戻ってくることはなかった。きっと一足先に死んでしまったのだろう。
「父母は炭鉱での重労働に耐え切れず死にました。姉は娼館を抜け出し、義勇軍に加わりましたが、革命運動の中で死にました」
少年の話に耳を貸すことなく、私は手に取ったパンを弄んだ。
半分にちぎり、バターとジャムをたっぷり塗り込み、口をつけず皿に戻した。
「僕はある商人のもとで下働きをしていました。革命の末期、商人が義勇軍への協力を申し出て、僕は兵隊として義勇軍に売られました」
私はクッキーを一枚手に取る。ココア生地に、ラズベリーが練り込まれている。エリナの得意なクッキーだ。
「義勇軍に入って、はじめて姉の消息を知りました。……墓の場所だけでも知ることができて、よかったと思っています」
私はスープの鳥肉をつつく。思ったよりも固い。山鳥だろうか?もしかしたら、バルディが狩ってきてくれたものかもしれない。
「僕は貴方を許せません。『天使の涙』も、貴族も、この世界のなにもかも……」
私はそこでようやく少年の声が耳に入った。
「静かにして。最後の食事がまずくなる」
「食べていないじゃないですか」
「食べてるのよ。これでも」
私は匙をスープの中に沈め、少年に目を向ける。
「犯してない罪は認められない」
「……?」
「最初の質問の答えよ」
「……貴方は自分のやったことを、本当に罪だと思っていないんですね」
「すべて革命のために必要なことだった」
裁判でもう何百回と繰り返した言葉を、そっくりそのまま口にする。
「私が『天使の涙』を広めなければ、この国はもっと酷いことになっていた。革命で死んだ千の命は、貴族の搾取によって失われる一万の命を救うために必要な犠牲だった」
「僕の家族の死も、すべて必要な犠牲だったと?」
「そうよ」
「貴方はやはり悪魔だ」
「私がなにもしなくても、貴方の家族は貧しさに殺されていたでしょう」
「殺されなかったかもしれない」
少年は冷静だった。
その瞳こそ憎悪に燃えていたが、口調を荒げることも私につかみかかってくることもなかった。
一方的にまくしたてるようなことさえなく、私を非難してはいたが、対話を放棄はしなかった。
「仮定の話はキリがない。実際に僕の家族を殺したのは『天使の涙』だ。だから僕は『天使の涙』とそれを広めた貴方を憎みます」
まっとうだ、と私は思った。
若くして親元を離れなければならなかったからか。今日に至るまでの悲惨な経験のせいか。見た目からは想像もできないほど、成熟した考えを少年は持っていた。
「それを言うために、ここにきたの?」
「はい」
「じゃあもう用は済んだでしょう」
「まだ話は終わっていません」
私は一人になりたかった。これ以上この少年と話したくなかった。
けれど身体が動かなかった。耳を塞ぐことも、少年を部屋から追い出すこともできず、ただ冷めたスープを見つめることしかできなかった。
「これからこの国がどうなっていくのかはわかりません」
少年は私の後方、天井と壁の境に取り付けられた丸窓を見上げる。
「都市の人びとはまだ戦災の始末に追われていますし、地方ではまだ革命の実感が得られていません。支配が貴族から義勇軍に変わるだけだと思っている者もあります。事実、新政府における要職の席を巡って、すでに義勇軍内で派閥争いも起こっていますから、杞憂ともいいきれません」
丸窓にはちょうど朝日がかかる時間だ。空の色もわからないほど白く輝いて、まるで窓に太陽が張り付いているように、強烈な光が差し込んでくる。
「エルドがいるから、大丈夫よ」
少年は窓から私へ視線を移した。あれだけ強い光を目の当たりにしていたのに、その瞳はすこしも眩んでいないようだった。
「人がある限り、諍いは絶えないでしょう。争いは起こるでしょう。完ぺきな平和なんてどこにもないのよ。結局私たちは、なにがマシか選ぶしかないのよ」
「……なにがマシか選んだ結果がこれですか」
「そうよ。少なくとも生まれですべてが決まってしまうようなことはない。主人になるか奴隷になるかは自分次第。身分の差をなくすことができれば、生き方次第でどんな人生も切り開ける」
「身分差はなくなっても、奴隷はいなくならないんですね」
「極端な例えよ。これだけたくさんの人が一緒に暮らすんだもの、役割は必要でしょう」
「貴方はやっぱり貴族だ」
「貴方はやっぱりまだ子どもね」
「貴方はやっぱり――――」
少年はまた丸窓に目を向けた。太陽が動き、空の青が垣間見える。
「――――本気で、革命をしようとしていたんですね」
「そうよ。ずっとそう言ってるじゃない」
けれど誰も信じてはくれなかった。
救おうとした民も、共に戦ってきた仲間たちも。
(はじめて信じてもらえた)
喜びはなかった。感動も、ささいな希望さえわきあがることはなかった。
私を信じてくれた少年の瞳は、それでもなお、私への憎悪で燃えていたから。
「革命なんてなければよかったと僕は思っています」
少年はすっかり冷えた朝餉の盆を手に取った。
「奴隷のようにこき使われようが、一生貧乏だろうが、家族を失くすよりずっとよかった」
少年は私に背を向け、陽光に照らされた扉へ向かっていった。
「僕の家族を犠牲にしたんですから、自分が犠牲になっても文句は言えないはずです」
「革命はもう終わったわ」
「貴方がはじめたんだから、貴方が死ぬまで終わりません」
少年は部屋を出ていった。
私はしばらくぼんやりとしていたが、ふいにひどい喉の渇きを感じて、コップにいっぱい、水を飲んだ。
水差しの水は、朝餉と共に持ち込まれたものだったが、たったいま汲んできたばかりのように、新鮮で冷たかった。
私は陽光が差し込む部屋の中央に膝をつき、丸窓を見上げた。
もうすぐ処刑されるというのに、実感がなかった。
なにも考えることができなかった。
神に祈りを捧げようと思ったが、感謝も懺悔も、どのような言葉も浮かんでこなかった。
悲しみも、喜びも、憂いも、絶望も、なにもない。
私がそのとき唯一感じられたのは、すこしの空腹感だけだった。
(……クッキーだけでも、食べればよかったな)
部屋には朝餉の残り香が漂っていた。
いまさら願っても、戻してはくれないだろう。
私はこの部屋の扉を開けることは禁じられているし、次にこの部屋を訪ねてくるのは、処刑の迎えだ。
私はもう戻ることのない朝餉に、残された時間ずっと、思いを馳せていた。




